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第9話 廿七日、③

(原文)

守のたちの人々の中に、この來たる人々ぞ心あるやうにはいはれほのめく。

かく別れ難くいひて、かの人々の口網ももろ持ちにて、この海邊にて担ひい出せる歌、


「をしと思ふ人やとまるとあし鴨のうち群れてこそ我はきにけれ」


と言ひてありければ、いといたく愛でて、行く人の詠めりける、

「棹させど底ひも知らぬわたつみのふかきこゝろを君に見るかな」


といふ間に楫取かじとりものの哀れも知らで、おのれし酒を食らひつれば、早くなむとて「潮滿ちぬ。風も吹きぬべし」とさわげば船に乘りなむとす。

この折にある人々折節につけて、漢詩からうたども、時に似つかはしき言ふ。

またある人西國なれど甲斐歌などいふ。

かくうたふに、

船屋形ふなやかたの塵も散り、空ゆく雲も漂ひぬ」とぞ言ふなる。

今宵浦戸にとまる。藤原のときざね、橘の季衡すえひら、こと人々追ひきたり。


※守のたちの人々

 新任国司の館に勤務する人々。

※心あるやうに

 情感の細やかな

※いはれほのめく

 ささやきあう。

※口網ももろ持ちにて

 「口網」は引き網の一種。集まった全員で網を引くように、そろって別れを惜しむ歌を詠みだしたので「口網」と表現した。

※をしと思ふ人

 離任する前国司紀貫之。

※甲斐歌

 山梨県の民謡。

船屋形ふなやかたの塵も散り、

 「清哀蓋動梁塵」(清哀にして蓋し梁塵を動かす):中国の故事から。

清く冴えた、しかも悲しい響きを持った音や声が、生き物ではなく心を持たない梁まで感激させ、積もった塵を吹き散らす。

※空ゆく雲も漂ひぬ:「列子」から

 「声振林木響留行雲」(声林木をふるわし、響行雲を留む)

林の木も、流れゆく雲も、本来情趣など解さないが、そのような物も感動させた名歌手の伝説がある。

※藤原のときざね

 二十二日に、「馬の餞」をしてくれた人。

※橘の季衡すえひら

 伝未詳。


(舞夢訳)

(船に残った人々は)新任の国司館に勤める人々であっても(もはや自分たちとは縁がない人であっても)、このように情が細やかな人々がいるものだ、とささやき合います。

(磯におりた人たちは)「とにかくお別れが辛いのです」と言い合いながら、共に網を引き始めるかのように、声をあげて詠っておられます。


お別れすることを(多くの人が)惜しいと思っている人(紀貫之)が、もしかして、この地に残っていただけるかと思いまして、あし鴨が群れるように、私たちは追いかけて来てしまったのです。


と詠んで来たので、とても素晴らしいと感じ入った、この地から別れ行く人(紀貫之)も、心を込めて詠み返します。


棹を指したところで、とても底には届かない、海のような深いあなた方のお気持ちを、とてもうれしく思います。


等と、詠み合っておりますと、

「もののあはれ」など関知しない梶取が、(自分勝手に、たらふく酒や料理を飲み食いしていたのですが)早く出発しようとして

「潮も満ちたし、これから風も吹いてくるはずなので、(いい加減にして欲しい)」と、無慈悲に大声を出すので、船に乗り込みます。

ここでは、この別れの場面にふさわしい漢詩を歌う人もおりますし、また別の人は西国(土佐)なのに甲斐の国の歌を詠みます。

こんな風に詠い楽しむ中、ご主人(紀貫之)は

「皆様の素晴らしい歌声で船屋形の塵もきれいさっぱり散ってしまいましたし、空を行く雲も我々の宴を楽しもうと、ゆっくりと漂っています」

と、その場を締めました。

この日の夜は、浦戸に泊りました。

藤原ときざね様、橘すえひら様、その他の人々が、ここまで追いかけて来られました。



船に乗って出発しても、追いかけられ、歌を詠み合う。

行く人も送る人も、なかなか。別れようとしない。

船頭も(あるいは紀貫之も)、船を早く出したくて、「いい加減にしろ」と思ったのではないか。

紀貫之が「船屋形ふなやかたの塵も散り、空ゆく雲も漂ひぬ」などと言っているが、集まった人たちの中で、(特に文化的僻地の土佐の人々の中で)、漢詩からの引用を、何人理解できたのだろうか。

貫之も、複雑な思いで(あるいは、嘲笑の思いで)この文を書き入れたのかもしれない。


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