第76話 九日、④
(行程)鵜殿
(原文)
かく上る人々の中に京より下りし時に、みな人、子どもなかりき。
至れりりし国にてぞ、子生める者どもありあへる。
人みな、船の泊まる所に、子を抱きつつ降り乗りす。
これを見て、昔の子の母、悲しきに堪へずして、
「なかりしも ありつつ帰る子を ありしもなくて 来るが悲しさ」
といひてぞ泣きける。
父もこれを聞きて、いかがあらむ。
かうやうのことも、歌も、好むとてあるにもあらざるべし。
唐土もここも、思ふことに堪へぬ時のわざとか。
今宵鵜殿といふ所にとまる。
※鵜殿
大阪府高槻市淀川西岸。渚の院から約6キロ。
(舞夢訳)
このように(喜びに満ちて)京の都に上る人々の中には、今日の都から(土佐の国に)下った時には子供が誰もいなかったのに、その土佐で子供が生まれた人たちがいます。
その人たちは、船が泊る場所で、子供を抱いて船を降りて、また乗るのです。
この様子を見て、(土佐で亡くした子供の)母は、その悲しみをこらえることができずに、
子供が無かった人が、子供と一緒に帰るのです。
それなのに、この私は、連れて行った子供をがあったのに、一緒に帰ることができません。
こんなことになって、今日の都に戻って来るなど、悲しくてなりません。
と歌を詠んで泣くのです。
その(亡くした子供の)父(紀貫之)も、この歌を聞いて、どう思うのでしょうか。
子供を失うということ、その悲しみを歌に詠むということは、何も好き好んでのことではありません。
唐の国においても、わが日本であっても、歌というものは、感情が高まり、その感情を抑えきれない時に、自然に歌になると言われております。
今夜は、鵜殿という場所に泊ります。
自分より先に、幼い子供が死ぬ。
それだけでも、心も身体も引き裂かれるように辛いのに、亡くした子供は遥かに遠い土佐の地に眠る。
自分たち(紀貫之夫妻)も、二度と、土佐に戻ることはないから、まさに永遠の別れである。
子供を抱いて船を乗り降りする若い親を見て、うらやましいし、辛い。
できれば、自分も子供を抱いて降りたい。
「あの亡くした子の笑顔を見たい」が、本音と思う。




