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第7話 廿七日、①

(船出)


(原文)

廿七日、大津より浦戸をさして漕ぎ出づ。

かくあるうちに京にて生れたりし女子、国にてにはかに失せにしかば、この頃の出立急ぎを見れど何事もえいはず。

京へ帰るに女子の亡きのみぞ悲しび恋ふる。

ある人々もえ耐へず。

この間にある人の書きて出せる歌、

「都へと おもふもものの かなしきは かへらぬ人の あればなりけり」

又、ある時には、

「あるものと 忘れつつ なほなき人を いづらと問ふぞ 悲しかりける」



※大津

 高知市大津地区。

「紀貫之乗船の地」の石碑が高知市立大津小学校正門前に残る。

※浦戸

 浦戸湾出口西側。桂浜近辺。


(舞夢訳)

二十七日に、船は大津から浦戸に向かい、漕ぎ始めました。

出発時の雑事をこなす中で、京の都でお生まれになった女の子が、この土佐に連れて来られて、あっさりと亡くなってしまった悲しさについては、旅立ちの忙しさに紛れているので、(紀貫之は)一言も申されません。

(それでも)京に帰ることになり、娘をこの地で失ってしまったこと(この地に残し、共に帰れないこと)だけを、悲しく思われているようです。

そのお姿を見ているお供の人たちも、耐えきれません。(涙しています)


そこで、ある人が歌を詠みました。


(つらい田舎での暮らしを終え)ようやく京の都へ帰ることができると(喜ばしく)思うべきなのですが、何よりも辛く悲しく思うのは、(共に京に、しかもこの世にも)帰らない人(娘)のことを思うからなのです。


また、ある時には、

まだ生きていると思い、(亡くなっていることを忘れて)、「あの子はどこにいるの?」と口走ってしまう自分が、本当に辛く悲しいのです。



子を持つ親なら、この文は、深くわかると思う。

土佐に連れて来た後悔もあるかもしれない。

生き返ってもらいたい、一緒に京の都に帰りたいと、何度も思うが無理なこともわかっている。

「亡くなった娘一人を土佐に残して、京の都に帰るのか?」

それも何度も思ったに違いない。

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