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第1話 男もすなる日記といふものを、

(原文)

男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。

それの年(承平四年)の、しはすの、二十日あまり一日の、戌の時に門出す。

そのよしいささかものに書きつく。

ある人県の四年五年果てて例のことゞも皆し終へて、解由など取りて、住むたちより出でて、船に乘るべき所へわたる。

かれこれ、知る知らぬ、送りす。

年ごろよくくらべつる人々なむ、別れ難く思ひて、その日頻にとかくしつつ、ののしるうちに夜更けぬ。


※男もすなる日記

当時の男性官僚は、漢文で日記を書いていた。

「す」は、行う。「なる」は伝聞の連体形。

※女もしてみむとて~

女性の立場で書くので、「女文字」である「草仮名」を用いて「書いてみることといたします」の意味。

※それの年(承平四年)

承平四年は、924年。

※二十日あまり一日の、戌の時

二十一日目の日の、午後七時過ぎから同九時頃にあたる。

※門出:出発。

※ある人:紀貫之。

「それの年」「ある人」の表現は、仮名文字で日記を書くので、恣意的に、ぼかしている。

※県の四年五年

土佐の国の国司としての勤務期間。紀貫之は、延長八年(920)から、承平四年まで、土佐国司の任にあった。「県」は、任国。

※例のことども

国司の人事異動の際に、新旧国司の間で行う事務引継の諸事項。

※解由

「解由状」。新旧国司の事務引継ぎを終えて、新任国司が前任国司に発行する確認書類。前任国司は、帰京後に、この解由状を所轄官庁(勘解由使庁)に提出を済ませた時点で、任国任務の完了となる)

※住む館

国司の館。(現代の知事公舎的なもの)

高知県南国市比江に(高知市東方約八キロ)国分川北岸沿いに、土佐国衙跡や紀貫之邸跡有り。史跡公園に指定されている)

※船に乘るべき所~

高知県大津舟戸の大津小学校に「紀貫之舟出の地」として、碑が立つ。(実際は未詳)

※年ごろよくくらべつる人々

長年(任国土佐で)親交のあった人たち

※ののしる。

大騒ぎの意味。


(舞夢訳)

殿方がお書きになられるとお聞きしております、「日記」なるものを、女の私も、書いてみようと思います。


とある年の、十二月二十一日の戌の刻に、門出となりました。

その時の様子を、書くことにいたします。

とあるお方が、国司としての四年から五年の任務を終えて、定例の事務引継ぎも完了して、(新しい国司から)解由状を受け取り、(夜に)今まで住んでおりました国司の館を出発して、不乗船場所に向かいました。

(土佐の国で)長年親しくお付き合いをさせていただいた人たちや、中には見知らぬ人たちも加わって、多くの人たちが、見送りしております。

その中でも、特に親交のあった人たちとは、互いに名残惜しい気持ちもありますので、その日はずっと大騒ぎが続いて、そのまま夜も更けてしまいました。



現代の送別会では、ここまでのことはない。

当時は、とにかく、長期間、派手に送別の宴を行ったようだ。

(後代に芭蕉が、奥の細道で、縮小版ながら、「意図的に」真似している)


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