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4 当たり前は当たり前ではなかった

 祖父の利男が帰宅した。


「センリ。職場の人にも聞いて、食べられそうなものを買ってきたぞ。好きなのを選べ。日持ちするやつだから、好きな日に食えるだろう」


 利男はスーパーのレジ袋を掲げてみせる。

 半透明の側面から見えるだけでも、茶碗蒸し、フルーツゼリー、フルーツ豆乳、トマトジュース、魚のペースト。盛りだくさんだ。

 休職することになったことは、診療のあとすぐにチヨがメッセージで伝えていた。


 仕事できなくなることを叱ることなく、こうして気遣われて、センリは申し訳なさでいっぱいになった。



「……余計な手間かけて、ごめん」



 センリが謝ると利男はぽんとセンリの頭に手を乗せる。幼い頃センリにそうしていたように、グシグシと力強くなでる。


「謝らなくていいんだよ。お前は俺たちの大事な家族なんだから」


 都合がつくならみんなでごはんを食べる。

 それが利男の決めた、秤家唯一の家訓だ。

 センリは固形物を飲み込むのが辛いため、利男が買ってきた豆乳と白桃ゼリーをもらう。


 これまで普通に食べられていたものなのに、ゼリーに入っている桃を噛むのにも時間を要した。


「……ね、センリ」


 ふいに話をふられ、センリは意識をそふに向ける。


「なに?」

「ほら見て、近く。七里ヶ浜。先週取材したんですって」


 祖母がテレビを指す。

 テレビでは鎌倉夏のオススメのレジャースポットをめぐる! というローカル特番放送している。

 ふたり組の男性がマイクを持って取材している。


 音がやたらと尖って聞こえて、インタビューにテンション高く答える小学生たちの笑い声が甲高く、頭と耳が痛くなる。



(前は平気だったのに、子どもの声がうるさいなんて)



「センリ、どうしたの? 顔をしかめて。具合が悪いの?」 

「だいじょうぶだよ、ばあちゃん。疲れただけ」


 うまく笑顔をつくれなかったのか、センリを見るチヨは困った顔をする。


「風呂に浸かるのが嫌なら、せめてシャワーは浴びなさいね。たくさん歩いたし、汗を流さないとあせもになってしまうよ」

「……うん」

「着替えを用意しておくから、入ってきなさいな」


 促されて脱衣所に向かうと、豆大福がついてきた。

 エビのケリぐるみを咥えている。


『なーなぅー』

「マメ。お前風呂嫌いなのに、なんでいつもここで待つんだ」

『あおー』


 脱いだ服を脱衣かごに入れると、待っていましたとばかりに豆大福がそこに入る。

 頭を撫でてやってから風呂場に入った。



 シャワーを浴びて、頭を振る。

 服の脱ぎ着どころか起きていることすら疲れる。


 風呂上がりには処方された薬を飲んで、早々に部屋に引き上げる。



 初田から言われたことだ。

 現状、普通の生活リズムを守ろうとするとかえって疲れるから、眠いときは寝ていいし、食べるのも食べられると思ったとき口にしなさいと。


 それから家にあった余り物のノートを開き、日記を書く。

 これも初田に言われたこと。


「一言でいいから、その日あったことを記しましょう。ぐちでも何でもいいです。自分でも日々の変化がわかります。うちに来ている患者さんで、闘病記録を五年続けている人もいます」


 治療の助けになればと、センリは日記を書く。


 ーー会社がやすみになって、しょうじき安心した。センパイのかおをみるのはつかれる。しにたいくらい、つかれる。




 ノートを閉じて布団に横になれば、豆大福がくっついてくる。毎晩一緒に寝るのは、子猫のときから変わらない習慣だ。




 豆大福はセンリが高校一年生のときに見つけた。

 帰宅途中、空き地の草むらの中に、タオルにくるまれた生まれたての子猫が数匹。


 息をしているのはこの子だけだった。


 センリはハンカチでくるんで連れ帰り、夕飯の支度をしていたチヨに頭を下げた。


「ごめん、ばあちゃん。この先ずっとおこづかい要らないから、そのお金でこの子を置いてやって」


 チヨも利男もすぐ動物病院に連れて行ってくれて、その日の夜に名前を考える会が開かれた。


 三人で考えた案をティッシュの空き箱に入れて、引き当てた名前はチヨの案・豆大福。


 略してマメと呼んでいるから、豆大福自身も自分の名前はマメだと思っているフシがある。



 右にいたと思ったらセンリを踏み越えて反対側に移動する。今日は、お腹のところが一番落ち着くのか、前足で寝床を整えて丸くなった。

 背中をなでてやり、センリは目を瞑る。


「猫はいいな、いつでもすぐ眠れて」


 疲れていてすごく眠りたいのに、なかなか眠気がこない。部屋の電気を消すと、窓の外の音が鮮明に聞き取れる。


 風が木々を揺する音。

 さざなみのように擦れ合う木の葉の音。

 家の前の道路を車が通り過ぎる音。

 子どもたちが走る音。


 これまでこんなにも、音に敏感だったことはない。

 センリがうつになる前からたしかにそこにある音なのに、聞こうとしていたことがなかった。


(気づかなかった。僕以外の世界は、つねに動いている)


 世界に反して、センリの機能は退行している。

 ご飯を食べること。

 漢字を書くこと。

 起きて働くこと。

 少し前までは、できて当然だった。

 症状がすすんでいたら、ここからどさらに減っていたのか。


『なぅー』

「大丈夫だよ、マメ」


 センリは眠れなくてもそのまま横になる。布団の中にいれば、起きているよりは楽だから。



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アルファポリスで『拝啓、風見鶏だった僕へ。』先行連載しています。#アルファポリスのほうが話数が進んでいます。


シリーズ作品です。
センリの主治医が主人公。
風見鶏1話より数年前のお話。
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蛇場見人事課長の娘が主人公。
風見鶏より2年前の話です。
離職して立ち止まってしまった女性のやり直し。
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+注意+

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