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居住まいを正し、深呼吸をするクリスティーナを見た公爵夫人が紅茶を一口飲み、落ち着いたのか…
「先日ね、この子がハンカチを拾ってきた事に驚いてしまったの…いえね、この子ご令嬢方にハンカチを渡される事は多いけれど…これまで一切受け取った事はなかったの。…だから洗濯を頼まれたメイドが、慌ててその事をハリーに報告して、それがわたくしの耳に入ったので確認したの、本人に。
結局は誤解だったけれど…そのハンカチには見事な刺繍がされているし、この子はこの子で…落とし主のあなたの事をとても気に掛けていたでしょう?
そしたらわたくしとっても興味が湧いてしまって…
ハリーも、女性が落としたとわかっているハンカチをフェルベールが拾うはずが無いって断言していたし…
それでさっきのエスコート姿を見てしまったから…つい興奮してしまって…」
「私だってエスコートぐらい出来ますが?」
「あなたのそれは知識として身に付いたものであって、実践経験は皆無じゃないっ!」
「まぁまぁ、落ち着いてくださいませ奥様、何はともあれ…あれほど女性を毛嫌いされていた坊っちゃまがこちらのブロワ様とご交流を持たれて…あまつさえ、先程この部屋へのご案内中に、ご自分の顔を見て話す様に仰っていたのですよ?それはなんとも大進歩ではありませんか!」
「何それ…わたくしも聞きたかったわ!」
「二人ともっ!クリスティーナ嬢が困っています。そろそろ戻って来てください」
「だって…あなたこれまで、勘違いされるーだとか、媚びた目で見られるのが嫌だーって…女性と目を合わせもしなかったじゃない!それなのに急にそんな事を言うだなんて…
理由は…クリスティーナさんのその長い前髪のおかげかしら?」
「おっ、お見苦しくて申し訳ございませんっ!」
「あらやだ、責めている訳じゃないのよ、だから気にしないで。……それに…何か理由があるのでしょう?」
「っ!……そっ…それは…」
(やっぱりサーシャに変えて貰ってれば…でも変わり過ぎると落ち着かないし…それで粗相でもしたら…)
「母上?クリスティーナ嬢の前髪のおかげとは?」
「え?…クリスティーナさんの前髪が長くて、目を見なくて済んだから会話が出来ているのでしょう?」
「??…確かにクリスティーナ嬢は、私と視線を合わせようとしませんが、昨日よりは少し短くなっているしスッキリしている様に見える…が、違っただろうか?」
「は…はい…昨日よりも少しだけ短くして…量を減らしてもらいました…。本来ならば公爵夫人様にお会いする為に、もっと身なりを整えるべきであるのですが…申し訳ありません…。長年この前髪でしたので変化を恐れてしまったのです…」
「え?昨日切ったの?少しだけ?」
「…はい……」
「え?あなた達以前からの知り合いだった?」
「いえ、…数日前にわたくしが、ご令息様にぶつかってしまった時が初めてでございます…」
「え?それなのにあなた…クリスティーナさんの変化に気付いたの?」
「ええ、馬車の中でも気にはなってましたが…廊下で顔を見た時に確信しました。昨日よりも瞳が見えやすくなってましたからね……それが何か?」
「ねぇ、ハリー?……これって………」
「奥様っ! なりません!変に意識させてしまうのは得策ではございませんっ!」
(えーー!?フェルベール様気付いてくださっていたの?さすがは公爵家のご令息だわ…マルコムだったら気付きもしないもの…)
夫人と執事のハリーが盛り上がってる中…その熱量に付いて行けていない若人の二人であったが…フェルヴェールが追求を諦めてクリスティーナに話を振った。
「クリスティーナ嬢、君の刺繍を見せてもらえるだろうか?」
「あっ!はっはい、…こちらです…」
「やだわっ!わたくしったら!フェルベールのせいで、今日の大事な目的を忘れるところだったわ!クリスティーナさん、わたくしにも見せてくださる?」
「もっ、勿論でございます!」
それからは…大変だった……。何が大変だったか…とは、……夫人のテンションが、だ。
クリスティーナの技術もだが、使われている糸に至るまで余す事なく褒め称えた。
作品の説明を夫人に求められたクリスティーナは
「刺繍を刺す際…デザイン、構図、色味を熟考いたしますが、わたくしは色の移り変わり…グラデーションや陰影を特に細かく刺す様にしております。幸い伯爵家では、刺繍糸を多種多様…多彩に取り揃えておりますので…」
「なるほど…素晴らしさの要因の一つは多彩さね!確かに大きな物だとそれが顕著に現れているわ。それにとても珍しい色だもの…こちらは?」
「流石でございます!そちらは隣国から取り寄せられた糸で、我が国では僅かにしか出回っておりません」
「これもブロワ商会の物なのね?こんなに綺麗なのに何故出回っていないのかしら?」
「はい、それは……わたくしの力不足でございます…その糸に関しましては、お隣のラファール国より輸入しておりブロワ商会ではなく…わたくしの店舗のみの取り扱いとなっておりますので…」
「あなたの店舗?わたくしが聞いてよい話ならば詳しく聞いてもいいかしら?」
「母上っ!」
「公爵夫人様にお伝え出来ぬ様な事は、何一つございませんので…大丈夫でございます。ただ…貴族の令嬢としましては、あまり誉められる事ではないので名を出さずに運営しているのです……」
「まぁ!そうなのね?でも若いのに偉いわ!伯爵のご意向かしら?」
「はっはい、分不相応ながら…ブロワ伯爵家は領地も賜っておりますが、父といたしましては商いを我が本分とし、誇りを持っておりますので…わたくしにも実戦を兼ねて経験を積めとの教えでございます」
「へぇ…面白いわね、それであなたのお店は順調?」
「昨年より着手しまして、開店して半年が過ぎましたが、…売上や利益だけを見るとまだまだと言わざるを得ません」
「ブロワ商会の後ろ盾があっても?これからなのかしら?」
「その……ブロワ商会とは完全に切り離した状態で、店舗探しや市場リサーチ、仕入れや販路の交渉や確保などゼロからのスタートでした…。なので…完全独立店舗なのです…」
「え?…それはまた…なかなかにハードね…、方針といえどご子息ならまだしも、若いあなたには無理難題過ぎないかしら?」
「た…確かに仰る通りだと思います。しかし…」
「なぁに?いずれ結婚してご実家を出るの?それともお婿さんに助けてもらう?あぁ…それ以前にやはりご両親が手を差し伸べるわよね?」
「母上っ!!彼女に謝罪をしてくださいっ!彼女の苦労を何一つ知らない我々が軽々しく意見すべきではありません!」
「黙りなさい、フェルベール。あなたが彼女を庇うのは構わないけど…わたくしは彼女…若い実業家としての彼女の考えを聞きたいの…」
「フェルベール様、お気遣いいただきありがとうございます。…そして公爵夫人様、わたくしの様な若輩者の言葉にお耳を傾けてくださり感謝いたします。ただ我が伯爵家も爵位としましては高位貴族に位置付けられてはおりますが…わたくしどもは末端の伯爵家であり、公爵家の方々とは常識や認識でさえも相違ございます事をご理解いただきたくお願い申し上げます」
「いいわ、続けてちょうだい」
「はい…まず父からの試練について、でございますが…わたくしは父からの愛情と受け取っております。確かに普通の貴族家では考えられぬほどの難題で、辛い事も困難も多々ございます。しかし…三年前…わたくしはそれに勝る悲しみに直面してしまい、愚かにも…全てを拒絶してしまったのです。しかし父に与えられたその無理難題は、到底自分一人の狭い世界では解決出来るはずもなく…自ずと外の広い世界へと目を向ける様になりました。
父は真綿で包むのではなく、自らの足で立ち上がる強さをくれたのだと…そう思っております…。かなりの荒療治であったと、今ならそう思ってしまいますが、あの時のわたくしにはそれが必要だったのです…」
「そう…あなたは、お父様の意思と愛情を履き違える事なくきちんと受け取れたのね…。ちなみにその三年前のきっかけとは?…差し支えなければだけれど…」
「…………母を…亡くしました。…幼い頃から他人と接する事が苦手で、引き篭もっておりましたので……理解者であった母が居なくなってしまった事を受け入れきれず……言い訳になりますが…子供だったのだと思います…」
そう言って俯くクリスティーナの姿は悲しげに見えた
(十二歳にもなる貴族の子が引き篭もっていただなんて恥ずかしいわ…変な目で見られてしまうかしら…)
公爵家の三人とは全く別の心配に心悩ませてしまうクリスティーナであった…。