10.
◀︎ フェルベール視点 ▶︎ (ハンカチを拾った直後)
「母上、話とはなんですか?」
「いいから座ってちょうだい。聞きたい事があるの、このハンカチの説明をしてくれるかしら?」
「説明も何も……多分後輩ですが、ご令嬢の落とし物を拾ったものですが?」
「え?…落とし物?……手渡された訳じゃないの?」
「ええ…ぶつかってしまった拍子に。まぁ怪我はない様でしたが、立ち去った後にこれに気付いたので…綺麗にして次に会う時があれば返そうかと」
「待って、貴方どうしたの?いつもなら次に会うなんて……しかも自分で返そうと?えっと…大丈夫なの?その……」
「母上?何が言いたいのですか?」
「だって…こんなに見事な刺繍のされたハンカチなのよ?貴方に想いを寄せたご令嬢からだと思ったのよ…しかも何?いつもなら貴方だってそんな事絶対にしないじゃない!」
「あぁ…彼女は…大丈夫でしたね…。視線が合わなかった事もありますが…一瞬だけ見えた彼女の瞳はとても綺麗でした……」
「あらっ、あらっ!そうなのね?よかったわ、わたくしこのハンカチの刺繍がとても見事だったから…個人的に興味が湧いたのだけど…貴方がいつもの様に毛嫌いする様な女性だったらどうしようかと思ってたの、でもその様子だと大丈夫のようね?
だったら話は早いわ!後で手紙を書いて貴方に預けるから、そのご令嬢を見つけたら渡してちょうだい!
この見事な刺繍…自分で刺したのかしら?購入品だとしても、どこの職人でどの店で取り扱ってるか詳しく聞きたいの!頼んだわよ?出来るだけ早く見つけてちょうだいね?」
「………わかりました…が、何かよからぬ事を考えてる訳ではありませんよね?……母上?母上っ!」
(はぁ…行ってしまった。 母上からの手紙か……。泣いて…たんだよな…あの時…。何か辛い事があっただろう彼女の負担にならなければいいが…)
それから毎日母に「見つかったか」と急かされたが、名前もクラスも知らない上に、一年生の教室を見て回る訳にもいかず…休み時間などにあても無く学園内を歩いていたら、人気の無い木陰で食事をしている彼女を見つけた。
(また泣いているじゃないか……)
普段ならきっと近付かない、誤解を与えたり…お礼だなんだとと近付かれても面倒だから…。自惚れなどでは無く、これまでの経験であり、実際それで苦労してきたのだからしょうがない。
しかし彼女は違う…。
秘密にされているが、この国の王族には建国の女神の加護が与えられている。その力は王家や自身に害や仇を為す者がわかるという力だ…加護の力には差があり見え方感じ方もそれぞれで、直系でもその力が弱い事もあれば、何代も薄まった血から力の強い者が生まれたりもする…らしい…。その場合特別尚書官という役職に就き、近い場所で王家に仕える事になる。
★尚書→玉璽(国王が使う大切な印鑑のような物)を管理したり、相談役みたいな感じと思ってください。
そして俺と母にはその力が顕著に現れていた…
母は…人を見る目があると豪語する程にハッキリと正確に判断出来る程オーラとして色や輝きが見えるらしい。
俺は幼い頃から、人の感情が流れ込んで来るような感覚があったが…今は時として、考えや欲望、言葉なども…特に目を見ると分かる時がある……。
王族や高位貴族として考えると悪意を察知する能力としては非常に優秀で有り難いものではあるのだが…大抵が煩わしくもあり、俺は辟易していた…。
貴族とはいえ、人間の欲と裏の顔の汚さを知ってもなお笑顔で返せるほど大人ではなかったし…裏表のある人間ばかりで、うんざりだった。
まだ成長出来ていない俺が出来た事と言えば…極力視線を合わせず、他人を遠ざけ…舐められない様自分を磨く事だけだった。学業も剣術もなんでも努力して孤独に打ち込んできた。そんな俺のささやかな反抗にも似た行動は良い面も悪い面ももたらした。
同性からは称賛と嫉妬を、異性からは……いや、思い出したくもない…。
そんな絶望を抱えた俺が、学園で輪をかけて人嫌いになっていった事は…必然であり、しょうがない事だと俺自身も周囲もそう思っていた…。
だからこそ母も驚いたのだと思う。まさか俺が自分の意思で女性に対して自ら近付こうとしていたのだから……
初めて会った時から彼女は他とは違っていた。偶然を装ったでも無く、感じたのは悲しみと焦燥感…。一応警戒しながらも、心配の声をかける俺を見ても彼女は態度も感情も変えなかった。大抵は俺を見るなり自分をよく見せるか売り込もうと媚びるかしてくるのに
「なっ泣いていませんっ…ほっ…本当に大丈夫です…貴方様にお怪我がない様でしたら…これで失礼いたします…お手を煩わせてしまい本当に申し訳ございませんでした…」
涙を武器に同情を誘う事もせずに走り去った彼女からは、一貫して悪意や打算が感じられなかった…
そんな女性は初めてだったから…拾ったハンカチを自分の手で返そうと思った。
彼女を見た母も同じ印象を受けたのだろう…。人は、特に我々貴族は善の部分だけでは生きていけない…母は彼女と対話した事で彼女の芯の強さも知り、半ば強引に自分の懐に入れてしまった…。
他の令嬢達と違うだけでも…俺にとっては特別だったのに、ドレスアップをし…その隠されていた瞳を見た時、心から綺麗だと思った。
女性に対してそんな風に感じたのは初めてで、気の利いたセリフひとつ言えず…落ち着かない気持ちで食事をしつつも、つい彼女へと視線を向けていた。その為…かなり緊張していた彼女の表情が緩む瞬間を見てしまった。
その姿というのがまた…綺麗な所作で、小さく切り分けられた肉を小さな口にせっせと運ぶ様はとても可愛らしくて…つい余計な事を言ってしまった。ハッとした彼女は元に戻ってしまい、もっと見ていたかったと残念に思った…。
食後のお茶を飲みながら、彼女に想い人がいた事を知りその人物に対して怒りがふつふつと湧いていた。彼女自身を否定する洗脳じみた言葉を聞いたからだろう…きっと。
そんな最低男の話をする時でさえ彼女はこちらを心配し、悲しみに包まれていた…
母の「今でもその男に想いを寄せているか?」という問いに彼女はしばし悩んだそぶりの後、ハッキリと否定の言葉を口にした。彼女の事情を詳しく聞いた訳ではないがそれを聞いてひどく安堵した自分がいた。
母の鶴の一声で一泊する事になった彼女を元気づける為、暗くなる前に散歩へと誘った。
俺の言動に対して、驚いたり焦ったりする彼女の素の表情を見ていたら思わず声を出して笑ってしまっていた…。そんな俺を彼女はスミレ色の瞳を大きく見開いて見つめていた。
外に出て、庭園からの風景に感動している彼女はとても美しかった…。外見だけでは無く、内面の彼女の心根がそうさせているのだろう…。他人とこんなにそばにいて、少ないながらも言葉や視線を交わし…こんなに心穏やかでいられるのは…初めてだった…。
(綺麗だ…)脳内でも語彙力の無くなった俺は…初めての感情に全てを支配される様な感覚に戸惑いながらも、彼女との静かな時間が刹那に過ぎていくのだった……。