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小説:『冬の月─手紙 ある懺悔のかたち─』

小説:『冬の月─手紙 ある懺悔のかたち─』



 その日は晴れていた。といっても日本海側の小さな田舎町では にび色の空と雨雪が良く似合う。それが冬だ。

国道が通り、近くに高速道路のインターチェンジがあるこの街は田舎と一言でいうには多少大げさな部分もあったが、これといった観光地でもなく、産業もないこの小さな町はやはり県内の田舎である。

そんな町にも人口が数万人はあり、警察署も消防署もある。だが事件というほどのものはあまりなく、警察官も暇をもてあましている。というのが概ねの様子であった。

 

 であるからこの町の警察署の一室で中年の警部補は、今日も職場の窓から外をみながら片付けない仕事をそこそこにしながら爪を切っていた。東大出の華々しいキャリアではない。が、大学在籍中には関東にいた彼はこの町の空の晴れが「晴れではない」ことを良く知っている人間の一人であった。

関東地方の人間が見れば笑うだろうな。と思う。

しかし雨雪が降るよりは有り難いものだ。

 

 電話が鳴る。本来ならば部下がでる程度のものであるが自分が出た。偶然皆、出払っていたのだ。それに自分は暇なのである。外の薄い青空とはいえない晴れ間をみながら、今日は昼の月が良く見えるなと感じた。


                   †

 

 救急車のサイレンが鳴った。大概は町の年寄りがぎっくり腰になった程度であったり、臨月の妊婦が急に産気づいた程度でいつもこの白い自動車は出動する。パラパラと近所の者がその度に軽い野次馬となる。しかし今回は様子が違った。

被害者は未だ息をしている。が、救急の青年が着任後見た負傷者の中では一番の重症者であった。警官が怒声を上げる。

周囲の仲間の中学生たちは凍りついたようになってしまっている。野次馬というには生ぬるい程の人間が居た。

鮮血。撒かれたガラス片。人々のざわめき。ぐるぐると天地が揺れる。


 ああ自分は混乱しているのだなと地面や空とを見上げて思った。

 

 「担架だ!急ぐ!」強く背中を叩かれて迅速に救命行為に回帰できたのは、先輩の気合かそれとも自分の底力か?ずるりと引き出される形の負傷者はまだ息をしていたのだ。何か呟いているが、気にしないように理性の細かい回路を切った。いや焼切れたのかも知れない。

アスファルトに挽かれた肉が散らばっていた。だからこそ何も感じずに動いたのだろう。だがショックは後から来るだろう。と本能が告げた。


                   †


 ・・・・・・。

 

 やはり急に怖くなって空をみた。あの時の光景を思い出すのだ。

今日は晴れている。いつもは、毎日雨と雪の心配をしながら傘を手放せない彼女だったが今日は晴れだという。だから傘はもっていない。

他の子たちはそれでも心配なのか持っている。

登校の途中。地味なダッフルコートを着た三つ編の彼女は、同級生たちが楽しくお喋りしながら登校する姿をみながら手の中にある手紙を軽く握りしめた。白い冬の息を吐きながら、勇気を出そう。と昨日思ったことを心に刻んだ。

 

 その手紙は年頃の娘が出すには些か地味な白い便箋だったが「あの凄惨な事件」の被害者へこれから出そうという手紙なのだから派手ではいけないと、まだ中学生の彼女でもよくわかっていた。なによりもこれから自分は懺悔をするのだから。

 赤い鋳物の古い郵便ポストが見えた。小さな路地。それでも国道近くの田舎町であるから都会の人間が驚愕するほどの大きさのトラックが無理やり通ることもよくあるし、大型バスも通る。電車がないこの田舎では自動車は必要不可欠な存在だからしかたがない。

事実ここへ来るまでに二三度クラクションを鳴らされている。

 

 長い髪を束ねた三つ編の先を指先で軽く弄る。これが躊躇しているときの癖だ。赤いポストの前で立ち止まる。

早い。ゆっくり歩いた筈なのに。この時間が流れてゆくのも早ければいいのに。とつい思った。

だが逃げる訳にはいかなかった。昨日、手紙を出すのだと心に決めたのだから。

 

 ふと空を見上げた。月が出ている。曇り空にはうっすらと月が出る。朝の月。昨日の夜とは顔が違うな。まるで自分のようだと思った。だから手紙を出す前にボンヤリと見上げたのだろう。健忘のように。月の影のように。



                   †

 

 お元気ですか?

そう始める手紙しか私は書いたことがありません。ごめんなさい。

そもそも14年間生きてきましたけど、私はあまり手紙なんて書いたこともなかったと気がつきました。

こんなことになってしまったのだから・・貴方にはなんていっていいのかわからないんです。クラスの皆も同じだと思います。

貴方が居なくなってしまって教室は厳粛とした まるで小説でしか体験したことがない雰囲気に包まれています。

先生は、何時ものように授業をしています。

けど時々うつろな目をしています。いえ、私がそう感じているだけなのかもしれません。でもクラスメイトは・・貴方にとって仲間とか友達と呼べる皆じゃないかもしれませんけど、貴方のことを忘れていません。

いつもどんなときも、それこそ、ことある毎に空っぽになった貴方の机と椅子を大事にするようにしています。

 

 入院生活はどうでしょうか?楽しくはないかもしれませんけど、もしかしたらあの私たちの教室よりも楽しいのでしょうか?

ごめんなさい。皮肉を言うつもりではないんです。本当に私は自分たちが貴方にとても辛い思いをさせていたことを実感しているからです。とても大変な大怪我をして入院してしまった貴方の姿をあの時 皆が見てしまいました。そのとき私だけでなく、そこにいた全員が罪を犯したことを実感しました。

 

 今でも私は忘れることができません。何時のも教室の何時もの雰囲気で、何時ものクラスメイトたちが貴方を何気なく・・・とても巧くいえないことをしてしまったときに、貴方が急に、まるで猫でも乗り移ったような声を出して、それから手で窓ガラスを割って赤い血を流しながら、私たち全員を振り返り、呟くように叫んだ後で三階から飛び降りた出来事を。

その後ろ姿はまるで自由を得たい鳥のようにも見えましたし、人間のとてもみてはいけない部分を見てしまった・・とでもいったらいいのでしょうか・・。

とにかく昨日のように思い出します。

だからグラウンドで血を頭から流しながら貴方が何かを呟くように、倒れているその姿は・・まるで、そうまるで私たちに贖罪せよというイエス像のようにも見えました。

 

 ・・勝手なことをいっていると自覚しています。ごめんなさい。


 私はまだ人が亡くなるところをみたことがありません。祖父母も元気ですから。貴方が生きていてなによりもほっとしています。その安堵感に「私の所為で人が死なずに済んだ」という嫌な気持ちが確かにあります。勝手ですね・・私は。

 

 先生から聞くと貴方が今病院でリハビリに取り組んでいるとのことでした。最近歩けるようになったと伺いました。歩くという何気ない行為ですら出来なくなった現実を、そして私たちクラス全員の人間が貴方にそんな思いをさせてしまったことを・・深く心に刻んでいます。貴方がもう私たちと一緒に卒業できないということも知っています。先生が言いました。

 

 実は私は随分前から貴方に興味を持っていました。

時々図書室で見かける貴方は、とても静かでまるで物語の主人公のようにも見えました。

一体なにをいつも読んでいるのだろうと興味を持ちました。

ですから、してはいけないことなんだろうなと思いつつ、貴方をつけたこともありました。

貴方が自転車を押しながら独りで帰るその後ろ姿は、とても詩的でした。

一種の憧れすら感じました。

身長が低い私は、いつも貴方のような高い身長の人に憧れる癖があります。そしてなにより貴方がいつも図書室で閲覧していたものが、宮沢賢治の詩集であることをしったとき、友達になりたいと思いました。

ですから、あのとき私は貴方に強引かもしれなくても、やっぱり話し掛けるべきだったのでしょう。

秋から冬に代わる空とその夕暮れにポッカリと浮かんだ三日月が、まるで貴方を宮沢賢治の世界の住人のように見せていました。

その中で自転車に乗らずに一人で自転車を押している姿は純粋に憧れを感じずにおれませんでした。


 話しかけようか。

そう迷っていたときに、急に後ろから高校生の兄が珍しく私を帰宅途中に見かけて捉まえたから・・いえ、それは勇気を出せなかった私の只の言い訳ですが・・私はついに貴方に話し掛ける機会を失ってしまいました。

その時の夕暮れの月をみながら偶然、兄は三日月を「まるで涙のようだ」と言いました。

そうですね。そう思いました。

 

 貴方はいつも何かに対して涙を流していたのでしょうか。それが月の形となっているように私に感じさせたから・・私もそう見えてしまったのでしょう。


 貴方を初めて見たときは怖そうな人だと思いました。

それは私が小柄である自信の無さから起因するものでしょう。スラリとした背の高い、容姿が端麗な貴方を見たときに醜い嫉妬、負い目すら感じました。

そして事実、無口な貴方を見ているうちに、それはいいようのない貴方への嫌悪的な感情へと変わってしまっていたようです。

 

 貴方は成績がよくて、スポーツも私達よりも出来て、私は嫉妬しました。

ですから他のクラスメイトたちが貴方にしはじめた奇妙な疎外や、拒絶行動を制止する気持ちにもならなかったのでしょう。


 

 私は勇気がなかったのです。

 それは自分と向き合う勇気。

 他人を思いやる余裕を持つ努力をする勇気。

 悪いことは悪いと言う勇気。

 そして自分の不満を・・それを他人にぶつけることが悪いと思っているならば、自分に止めさせる勇気。

 

 全てが無かったのです。


 

 いい訳でしかありませんが、あのときの私たちのクラスはおかしくなっていました。

受験勉強の重圧?日頃のストレス?いいようは沢山ありますけれど、到底正当化していいものではありません。

誰にだって悩みなんてあるのは少し考えればわかることですよね。

 

 ですから、裕福と思われていた貴方のお家が、実は大きな借金を抱えていたことが、小さなこの町で話題になったときに、私たちは貴方をより攻撃や無視の対象にするのではなくて、別のことをしなければならなかったのです。


 貴方が何故無口だったのか?そのくらいは察してあげるのがクラスの仲間なんだろうと思うから、・・いいえそれが人間としての最低限の価値なんでしょう。


 昨日、この手紙を書きながら珍しく晴れた夜空を見て、昼とは違う黄色い月がまるで全てを幻惑させる不思議な存在に見えました。

貴方が飛び降りたときも月が見えていたのだと思い出しました。昨日の夜空の月は昼間の銀白色とは違う、黄金色の怖いほどのものでした。


 ルナティック・・「狂っている」という単語がよく似合うと思いました。

あの月光に照らされたように私たちのクラスは、何時からか何かが狂っていたんでしょう。

まるで月の光に浸食されてしまった夜景のように、本来の色で全てを見ることが出来なくなって、他人を他人と言いながら割りきることもできずに、上に嫉妬して、下を見つけては安堵して、自分と違うと相手を蔑み・・そして都合のいい理屈をつけて嫌がらせや無視を決め込んで、誰かを苛めるその環境は、やはり悪魔の月光で呪われた・・悪い夢のような怖い童話的空間です。

 

 それは貴方が読んでいた、そして私も読んでいた宮沢賢治の詩でいう『因果交流電灯の青い灯火』とは程遠い光です。

『わたくしといふ現象』なんてものを考えているのは誰もが当たり前なのでしょう。けれど私も皆も忘れてしまうのですね。

事件の後、私の祖母が「80歳には80歳の勉強があるんだ」と私に言いました。


 そうなのでしょうね。

私たちはこれからもっと勉強するのですね。

それは受験勉強とは違う・・人生で最も大切な勉強なんでしょう。

ですから紙と鑛質インクをつらねる気持ちで、私は今 貴方に手紙を書いています。



 風景やみんなといっしょに

 せはしくせはしく明滅しながら

 いかにもたしかにともりつづける

 因果交流電燈の

 ひとつの青い照明です



と宮沢賢治が述べたように、もしそれが本当ならば・・



 私はずっと貴方を待っています。

とても勝手ですけれど、私は貴方を待っています。

『因果の時空的制約』があろうと私は・・。



 そして今は只、恥ずかしいと思っています。


 罪は認めなければいけない。

 そう思っています。

 ですから貴方に私は・・



                   †




 ここまで読んだ彼はなんとも言えない気分になった。

警察に就職したことを後悔したことはよくあるが、ここまで後悔したのも久しぶりだ。

扉の開く音がして馴染みの医師が入ってきた。「よう」と声を出す。お互いこの町で育った仲間であり、共に都会へも出た友人だ。

どうだった?と聞く。首を横に振りながら医者はいう。

「即死だったよ」

やはりそうだろうな。と彼も思う。だが暫くは生きていた筈だ。「即死」というのはあくまで医学的な観点である。

「だけど5分か10分、意識はあったな。500mも引き摺られりゃ痛くて失神なんてできやしないさな!」

珍しく吐き捨てるように友人が言う。なんでも救急の若者ですらショックが大きい惨状だったという。

 

 懐をまさぐり煙草を探しているようだったが、もう切らしたらしい。彼が自分の煙草を渡すと医師は一本つまんで取って火をつけた。大きく吸い込み煙を吐く。

「ドライバーは?どんな様子だ」

彼が頭を掻きながら聞くと、同じようなしぐさで頭を掻いた医師は、あの娘に比べりゃ至って元気だよ と皮肉気味な口調で答えた。

 

 事故を起した運転手は搬送された病院のベッドで、酒臭い息で「俺は知らない」と喚くように言ったのだ。

であるから、少し面倒になるぞ。と目の前の友人に言われた。


 そうか・・と返す。


 入院中のクラスメイトに手紙を出そうと、ポストの前で健忘のようにボンヤリと空を見ていた少女を轢いたトラックドライバーは、停止せずにそのまま走り続け、遂には500m先の電柱に激突して自らも一応事故の負傷者となったのだ。

 

 遺族が来るがとても素人に見せられる姿じゃない。と煙を吐きながら友人がいう。

そうだろう。と最後まで読めなかったズタボロになった血塗れの手紙を見た彼は実感する。

彼女が着ていたダッフルコートの色も変色して無残な赤だったという。


 やるせない。


 外を見たくなり窓を開けた。

冬の空気が室内の濁った空気を取り込む。とても寒いが丁度いい。

まだ晴れている曇り空を観ながら、中年の彼は最近年頃の長女と話していないことに気がついた。


 自分の娘もまた轢死した少女のように物事を色々と考えているのだろうか。


 そしてこの手紙は一体誰に渡すべきかと、その少女のようにボンヤリと考えた。

宛先になっている入院中の同級生への手紙は、やはり遺族へ渡すべきなのかなと思う。

だがそれでは少女の懺悔は届かない。いや届いたとしても受け取った者はもう対応できないだろう。


 重い空気を流したくなり冷気に当りつつ二階から窓を開けて外を見ていた。


 風が吹く。


 ふと見上げた真昼の満月だけが冷たく何かを知っているような気がした。

 

    それは天に そびえる醒めた冷徹な眼。

                            

                             

                                  おわり


   2007年01月・筆


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