Act.11 オロフ・ウェーデン・3
侍従らしい初老の男に恭しく出迎えられ、10人を越える女中衆が並ぶ中を、ストッキングこそ履いてはいるがそれも所々破けていて、チュニックにウエッジソールのサンダルという粗末な身なりのアルケラオス皇女が、こればかりは最低限の矜恃とばかり、口元をぎゅっと結んで臆することなく、華厳な大理石張りのホールへと歩みを進める。
エントランスの大きな回り階段を前後8人の女中衆に付き添われ、階上の広い廊下を抜けて、調度品も古風な貴賓室へと案内された。身も心も憔悴しきり、気落ちも底知れず、今のアルケラオスの皇女には、楯突く気力も抗拒の気概も湧いて来なかった。
メルツェーデスは息吐く暇もなく湯殿へと招かれ、ネフジに結ってもらった三つ編みも解かれて、若い女中衆4人がメルツェーデスの気高い身体を隅から隅まで洗い上げる。最後の沐浴でよく冷えたスプリッツァーが供されて、湯船に浸るメルツェーデスは喉の渇きを潤すとともに、肩の力が少しばかり抜けるのを感じた。
柔らかに髪を乾かされ、濡れた身体をそっと拭かれ、窓が全面ガラスのリビングと思しき部屋に案内された時分には、外はすっかりと夜の帳が降りていた。雨上がりの雲間に照り返す下弦の半月の輝きが、夜空に妖しい光の紋様を描き出している。メルツェーデスに新しい下着を着せ、淡いブルーのドレスをあてがい、ローヒール靴を履かせると、2人を残して女中衆は退室した。
大きな窓の向こうには、モンテフィアスコーネの城下町の灯りが、宝石箱をひっくり返したように広がっている。メルツェーデスは部屋を見渡して眉を顰めた。
前身頃にバラの立体造形飾りと刺繍を施した、トレーン(引き裾)のある踝を隠すマキシ丈の、金刺繍も美しいマーメイドラインの白のホールターネック・ドレス。百合とドラゴンをデザインした、バスト下の大きなカメオ・ブローチで一点留めする、ワインカラーのベルベット生地にオリーブの豪華な金刺繍を配ったた折り返し襟の、オフショルダー(肩見せ)スタイルのロングケープ。オーガンジーを重ねた引き摺るほど長いショールと、耳隠しと後ろ首にタブ(長垂れ覆い)が付いた、逆円錘台形の長筒冠帽を被せたトルソーが、モンテフィアスコーネの夜景を背景に、窓際に置かれてあった。
明々後日の婚約親告の儀に際し、メルツェーデスが着る予定の格式張った衣装だ。サンジェルスのグレースウィラー城に置いてあった筈だが、式場が変わった事で、此処に運ばせたに違いない。ジョーデヴリンの、あのトゥーランドットで仕立てられたものなので、それは上品で美しい逸品だが、今のメルツェーデスには地獄の装束にも思える。
メルツェーデスはトルソーの肩に手を置き、そっと額を押し当てた。
“アディ、本当に無事よね”
不安な気持ちが頭をもたげ始める。
“お願い、アディ、私をこれ以上独りにしないで、アディ・・・!”
感傷に浸るメルツェーデスの背後で、扉が開く気配がした。
「心配しました、メルツェーデス殿下」
その声を聞いた途端、メルツェーデスは背筋に悪寒を走らせた。
「オロフ・ウェーデン・・・!」
振り向くメルツェーデスに、余裕の笑みを浮かべるオロフが立っていた。
ゆったりしたビショップ袖の丸首ドレスシャツに、膝丈のトランクホーズ・パンツと黒いブーツ、それにフォノンメーザー・サーベル(電磁剣)を帯びただけのラフな装いだった。
「アディは? アディは無事なのですか?」
オロフはメルツェーデスを凝視したまま、控えている女中衆に、下がれ、と手振りしながらゆっくりと歩みを進める。一抱えもある花瓶が飾られた、マホガニーの大きく古風なテーブルを回って、窓際のメルツェーデスに近寄った。
「──アディ?」オロフが右眉だけを微かに撥ね上げた。「ああ、あのドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)とか言う破落戸の、最後まで殿下と一緒だったテラン(地球人)ですか」
「貴方の姉ヘアルヒュイドから聞いていませんか? 私の兄上の事を」
メルツェーデスより頭1つ背が高いオロフを、凛と顎を上げて睨付ける。きっとした視線が暗に、これ以上近寄るな、と言っていた。
「──殿下の兄君、シン皇子と騙ったとか」2歩半の間をおいて対峙するオロフが、腰に手を当てて言った。「よりによって我が国の神聖な皇太子を名乗るとは、不届きにも程がある。そのようなとんでもない輩は、なに、直ぐにでも排除して見せますので、ご安心を」
「あのアディは本当に、シン兄上かも知れませんよ、ウェーデン卿」
「はて、あの無頼者の戯れ言を、直々に一言の元に否定されたのは、確か殿下御自らだったと聞き及んでおりますが」
不敵な笑みを見せるメルツェーデスに、オロフは皮肉めいた笑みで応じた。
「シン兄上のお顔を直接拝見したことが無い私に、どうして違うと言い切れましょう」
「ご賢察も鋭いメルツェーデス殿下とは思えぬお言葉。いけませんぞ、あのような奸賊に感化されてしまっては」
「アディを、グリフィンウッドマックの方々を、愚弄するのは金輪際許しません・・・!」
ピンッと背筋を張ったメルツェーデスは、1歩も引かない。
「姫を勾引かした団匪を、そこまで庇うのはいかがなものかと」
オロフは態とらしくも困惑して見せた。
「勾引かした? 私を無理やり連れ去ったのは、貴方の姉ヘアルヒュイドの方でしょう。動物園の番人みたいな者を使って」
「シン皇子が存命だと、まだ本気で信じておられるのですか?」
「兄上が必ずや迎えに来てくれます・・・!」メルツェーデスが可愛い口を尖らせた。「その時は、ウェーデン卿、貴方と貴方の姉の命運も尽きたと知って、兄上に忠誠を誓う事になります」
「ふははははは、これは笑止」天を仰いで、オロフは高笑いの声を上げた。「いや失礼しました、皇女殿下」
「・・・・・・」
「一応ご報告いたしますと、殿下をお救けした直ぐ後に、大きな爆発が2度ほど起きたようで、橋の上は文字通り火の海になりました。今のところ、それらしき者を救助したという情報は入っていませんな。消火も終わり、現在現場検証を行っておりますが、負傷者の数が多い上に死亡者はどれも黒焦げの状態で、身元の特定には少々時間を要しそうです。まあ、あの状況では、希望を抱くのはよした方が賢明ですな、殿下」
「よくもアディを! オロフ・・・!」
薄笑いを浮かべるオロフに、メルツェーデスが初めて歯を見せた。
「おお、怒った表情もまた麗しい」
「戯れ言を・・・!」
「しかし殿下」オロフが勿体振った言い方をした。「万が一にも息があった場合、それはそれで瀕死の重傷という事ですな。すぐに手当てをしないと、それはそれ、本当に息の根が止まるかもしれませんぞ。救助の手が回らず放りっぱなし、などという事態は起きて欲しくないものですな」
「オロフ・・・ウェーデン・・・!」
「皇女殿下さえ、もう少し素直になって頂ければ、魚心あれば水心、大事なテラン(地球人)の奸賊も、一命を取り留められるかも知れませぬな」
「この私にどうせよと・・・」
舌舐りしそうなオロフの視線に、メルツェーデスはぞっとした。
「本当に可愛いお姫さまだ」オロフが1歩2歩と歩み寄る。「いまこの場で、身も心も私のものにしたくなる」
手が届く距離まで来たオロフに、メルツェーデスは逃げなかった。
「──そんなに私の身体が欲しいのなら、とっとと奪うが良いでしょう・・・!」
「だが心は、と続く訳ですか?」オロフが口元を歪めて言った。「──貴女が私を心の底から嫌忌している事は承知していますよ、姫。その足蹴にしたくなるような男に犯され、絶望しながらもその血を引く皇嗣を妊った己にもまた、嫌悪するも良ろしかろう。その美しく可憐な顔を苦悩と嗚咽に曇らせながら、堪え難いほど忌避する血脈の我が子を慈しむ、その愛憎渦巻く憂いの皇妃、それがメルツェーデス姫、貴女の運命なのです」
「よくもまあ、黙って聞いていれば、馬鹿げた妄想を長々と・・・!」
さすがのメルツェーデスも、全身が鳥肌立つのを感じた。
「ウェーデン卿、誰が貴方の子を生すと申しました? それこそ夜郎自大の思い上がりと言うものです!」口調は激しいメルツェーデスだが、血の気が失せているのは明らかだった。「それに、苦悩と嗚咽に曇らせながら、愛憎渦巻く憂いの皇妃、ですって? よくそんな下衆な修辞を思い付くものです! 何様のつもりです!」
「確かに殿下の心は、手に入れられないでしょうな」一向に意に介さぬ、とばかりにオロフが鼻の先で笑った。「しかし、これでもフロースガール太皇の復辟に尽力したのですぞ。貴女の父上エッジセーク皇の残された、あまりも大胆で性急な国家戦略転換の混乱を、なんとか軌道修正した手腕、そう軽んじたものでもありますまいに」
「その事情は、ウェーデン卿、貴方々(あなたがた)が、この宙域での覇権を急ぐあまりの歪みでしょう。ウェーデンを支持する、聖義の青い血、などと言う党派が、ベオウォルフ条約への加盟を望んでいるからで、エッジセーク皇の進めた親銀河合衆機構の所為ばかりではない筈です」メルツェーデスがその眉を精一杯吊り上げた。「──私を無知な箱入り皇女と見縊らないように」
「さすが次期の女皇だけあって、ご高察も鋭いですな。しかしそのエッジセーク皇もシン皇子も、すでにこの世にはおられません。ビガーの血脈こそが、アルケラオス皇室の始祖であり中興であり、未来を齎す者の証だということを、このスピノザで生きとし生けるもの全てが知る処となるのです」
「・・・・・・」
「殿下の父上エッジセーク皇も、もう少しウェーデンに、ビガーに敬意を抱いて頂けていたなら、あのような不幸にも遭わずに済んだかもしれませんな」
「──今、何と言いいました? ウェーデン卿・・・!」
「16年前に始まっていたのです、ビガーの積怨の返戻と復興は・・・!」オロフが歯を剥き出して睨み付ける。「クアトロポルテ朝も、エッジセーク皇も、皇朝始祖でもあるビガーを、100年もの長きに亙って冷遇し、驕慢に軽んじ、蔑ろにし過ぎたのですよ」
「まさか、ウェーデン卿、貴方が・・・!」
「そしてメルツェーデス殿下」温かみを感じないオロフの乾いた右手が、メルツェーデスの細い顎を掬うように掴み上げた。「──貴女にこそ、クアトロポルテ朝最後の女皇として、ビガー朝の恩讐と復興を、その肌身に感じて頂きますよ」
メルツェーデスはオロフを睨み上げ、真一文字に結んだ唇をぎゅっと噛んだ。
「クライマックスのお楽しみは、もう間もなくです、メルツェーデス殿下」
オロフがメルツェーデスの珊瑚の瞳を覗き込む。メルツェーデスが咄嗟にオロフの右手を跳ね除け、1歩2歩と後退った。
オロフは拒まれた掌で口元を覆い、残り香を嗅ぎ取るように息を吸い込む。射貫くような冷笑をメルツェーデスに見せると、ゆっくりと踵を返して部屋を出て行った。
全身から力が抜け落ちたメルツェーデスは、酷い疲労感に襲われた。
窓際のソファへ崩れるように腰を落とすと、組んだ両手に額を押し当てた。
“アディ・・・!”
メルツェーデスが華奢な肩を震わせた。
“たとえシンお兄さまが永遠に戻られなくても、アディ、貴方が居てくれたら、貴方さえ居てくれたら、私はあらゆる汚辱に耐え、いかなる困難をも凌いで見せます・・・!”
瞳を硬く閉じたメルツェーデスの紅唇が、アディ、と小さく何度も動く。
“だから、ぎりぎりまで信じます、アディ! この身が穢されるその寸前まで・・・!”
頬を伝う想いの滴は、もうメルツェーデス自身にも止められなかった。
“アディ、どうか無事な顔をもう1度、アディお兄さま・・・!”
★Act.11 オロフ・ウェーデン・3/次Act.12 皇子の帰還・1
written by サザン 初人 plot featuring アキ・ミッドフォレスト
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次章 Act.12 皇子の帰還
物語は、メルツェーデス王女奪還の最終局面へ。
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