Act.9 ブルーブラッド・プリンセス・1
「良いかい? こう伝えて欲しいんだ」
テレコム(映話端末)の前に立って、アディはメルツェーデスに言った。
「東宮衙衛のピアッツァに伝えて欲しい──グリフィンウッドマックの馬鹿と一緒で無事だ、今はまだモンテフィアスコーネ城下だが、明夕のサンジェルス行きのコンチネンタル・トレーラーで城下を脱出する。クレイトンで途中下車するから、カボチャの馬車でとっとと迎えに来い、って」
「本当にそんな言い方で良いのですか?」
メルツェーデスが、普段は絶対に見せないであろう、下唇を突き出して呆れた表情を見せた。
「後は適当に任せるよ」アディが笑いながら首を竦めて返した。「城下を抜け出す算段と、迎えに来いって言うのだけ伝われば、後はピアッツァが便の詳細を調べて、抜け目なく応じてくれる」
コンロやレンジ、大型オーブン、冷蔵庫が所狭しと並ぶ広い厨房は、すっかりと人気が絶えて静まり返っていた。厨房の端にある盛り付け台の横に設置されたテレコム(映話端末)の人感センサーが働いてディスプレイが点灯する。アディは画面をタッチし検索画面を飛ばして、直接コードを打ち込む画面を呼び出した。アディに促されたメルツェーデスが、画面のキィでコードを打ち込む。接続中のダイアログが現れ、メルツェーデスは耳障りな雑音に顔を顰め、ディスプレイをじっと見詰めた。
「お待たせしました、トゥーランドットです」
その声と同時に、一瞬画面が乱れてテラン(地球人)の女性が映った。ボブカットの黒髪と、白いブラウスのデコルテに施された、巧みで華やかな銀糸の刺繍が印象的だった。
「ああ、グレンデル? 私です、メルツェーデスです」
その言葉と同時に、モニターの中の女店員が大口を開けて驚いた。
「──姫さま・・・!」
「グレンデル、とっても大切な事を言うから、ローズブァド城の東宮衙衛のピアッツァに伝えて欲しいの、直接に。イーズス監佐は知っていますね?」
メルツェーデスはグレンデルの反応に構わず、少しばかり早口で捲し立てた。
「はい、それは勿論」グレンデルが慌てた様子で、手元のコンソールに指を走らせた。「──ちょっとお待ちを、今、録る準備をします・・・!」
「良い? グレンデル」
メルツェーデスの急く声に、画面の向こうでグレンデルが無言で大きく頷いた。
「──イーズス監佐」
一呼吸置くと、メルツェーデスは一言一言はっきりとした口調で話し始めた。
「今グリフィンウッドマックのマイ・ヒーロー(我が勇者さま)、アディと一緒です。モンテフィアスコーネ城下にいます。ですが脱出の算段がつきましたのでアディと一緒に、明日の夕方にサンジェルス行きのコンチネンタル・トレーラーに乗せて貰って城を出ます。途中のクレイトンで降ろして貰いますから、クレイトンに迎えの者を寄越して下さい。あまり遅いと、アディと何処かへ駆け落ちしますから」
そこまで淀みなく一気に喋り切ると、メルツェーデスは大きく深呼吸した。
「以上よ、グレンデル。ちゃんと監佐に伝えて頂戴、くれぐれも直接に、よ」
「ただちに・・・!」トゥーランドットの女店員は恐縮しながら言った。「それで姫さま、拝察するにご無事そうなお姿、何よりですが、お怪我などはありませんか?」
「心配を掛けたようですが、至って元気で怪我もありません。何しろアディが一緒ですから」
メルツェーデスが、これで良い? と目で問うように後ろのアディを顧みる。アディが大きく頷くと、メルツェーデスは再び画面のグレンデルに向き直った。
「さあ、グレンデル、急いで伝えてちょうだい、ピアッツァに」
「畏まりました! すぐお城に連絡を!」
メルツェーデスが通話終了をタッチすると、ディスプレイはブラックアウトした。
「皇女殿下に伝令などお頼みして、申し訳なかった」
「あれで言い漏れはありませんでしたか? アディ」
とびっきりの笑顔で、メルツェーデスが振り返った。
「ピアッツァのことだ、姫を救うためなら万難を排して駆けつけて来るさ」アディが大きく頷き返した。「それと姫は、昨夜からまともに横になってない。部屋に戻って、今度こそゆっくり休んでおく方が良いよ」
「──アディは?」
「近辺を少し見て回って来るよ。昨夜の騒動の事もあったからね」
「なら私も参ります」メルツェーデスが然も嬉しそうに、唇の前で手を合わせた。「少し待っていて下さい、すぐ戻って来ます」
「あ、いや、メルツェーデス・・・!」
アディが声を掛けたときには既に、メルツェーデスは駆け出していた。
「ストッキングを履いてくるだけです。靴擦れしますから」振り向くメルツェーデスが、アディを指差して念押しした。「私を置いて行ったって、後から追い掛けますから・・・!」
諦めたような溜め息を吐くアディを尻目に、さらさらヘアを躍らせて階段を駆け上がったメルツェーデスは、5分もしないうちにストッキングを履いた伸びやかな脚を繰って、跳ね飛ぶように降りて来た。
「あ、ちゃんと待っていてくれましたね」
小走りに駆け寄ると、嬉しそうにアディの腕に両腕を絡めた。
「姫なら本当に、独りで追い掛けて来そうだからです」
「メグですよ、アディ」大木に獅噛み付く蝉のように、メルツェーデスは華奢な身体をアディにすり寄せた。「今だけは、私はあなたの想い人なのですから」
アディは、やれやれ、といった表情で苦笑いを浮かべ、厨房の中を横切ると、階段室の脇にあった搬入用の戸口を開いた。途端、眩しいほどの午前の陽光を浴びて、アディとメルツェーデスは思わず手を翳した。
厨房の裏手は小さな中庭のようになっていて、壁際には水を撒いた後の水たまりの中に皮をむいた後のジャガイモの切れ端が散乱し、薄汚れたカートンケースが無造作に積み上げられている。始動させるのにコツが要りそうな、年季の入ったトラックの脇を抜け、アーケードになった隧道を潜って通りに出た。
ダウンタウンの猥雑な空気に、静かながら生活の躍動を感じる不思議な雰囲気だった。通りの両側の小さな歩道には、乗り捨てられて朽ちた自転車や、飲み干した空のボトルが散乱し、集合アパートの入り口には色とりどりの小輪を咲かせたプランターが日を浴び、歩道脇に立てられた物干しには、大小混じったシャツと靴下が何枚も吊られていた。
ベレー帽を被った初老の散歩を追い越し、忙しそうにトラックから荷を降ろす配達員を通りの向こうに眺め、何やら忙しそうにぶつぶつ呟く早足の中年女とすれ違った。
「ねえ、アディ」
ルーフバルコニーのプランターに、女が水を撒いている情景を、見上げていたメルツェーデスが、興味なさそうな素振りとは裏腹に、強い意志を込めた口調で言った。
「実は、是非ともお聞ききしたい事があります」
「姫の兄上、シン皇子の事ですか?」
間髪入れないアディの問い返しに、思わずメルツェーデスが息を嚥んで足を止めた。よもやアディの方から、ずばりと口火を切って来るとは思ってもみなかったからだ。
「リサから聞いたよ。衣装合わせの店から、リサを代役にして抜け出し、俺たちグリフィンウッドマックに会うために、グレースウィラー城へ行こうとした事は」
「はっきり聞かせて下さい」
メルツェーデスの珊瑚の瞳が、アディをじっと見詰める。
「兄シン皇子はご健在なのですか? 16年前、父エッジセーク皇が失くなった際、兄は無事だったのですか・・・?」
「残念だが、俺はその経緯を直接は知らないんだ」
アディは俯き加減に小鼻を掻くと、ゆっくりと歩き出した。
「その頃は俺もネルガレーテの両親に育てて貰っていた時分で、まだ宇宙船にも乗った事もないアンクル・ビター(洟垂れ)でしたから」
「ネルガレーテ?」
立ち尽くしたまま問うメルツェーデスに、アディが優しく振り返った。
「今のグリフィンウッドマックを率いてるキュラソ人です。16年前に初代デューク(頭領)を張っていたエラン・グリフィンウッドマックの孫娘です」
見詰め返してくるアディの萌葱色の瞳に、メルツェーデスが吸い寄せられるように歩き出した。
「多分ネルガレーテなら知っている筈だ。ネルガレーテも当時は今の俺よりちょっと下の年齢くらいで、祖父さんのエランの元で、既にレギオ(編団)に加わっていたから」
メルツェーデスが横に来ると、アディも歩調に合わせて足を繰り出した。
「では、そのネルガレーテという方にお会いできれば・・・!」
「けどネルガレーテ本人からは、16年前のアルケラオスの出来事について聞いた覚えはないし、話してくれたこともないな・・・」
「──そうですか・・・」
少しばかり気落ちしたメルツェーデスがうな垂れる。その姿にアディは慌てて言った。
「ただ、その後にイェレがグリフィンウッドマックの郎党に入ったのは事実ですし、絶対関係がないとは言い切れませんよ」
「イェレ?」
「ネルガレーテの祖父さまエランの後を継いだ、俺たちグリフィンウッドマックの先代のレギオ・デューク(編団頭領)だった男です」
アディがメルツェーデスの華奢な腰をそっとエスコートし、少し大きな四つ辻を大通りの方へと折れた。風に乗って、どこからかリズミカルな音が流れてくる。
「ご存じありませんか? イェレ・ヴァンキッシュ」
「私が、ですか?」
「イェレは、姫の父皇とシン皇子が襲われた凶事の折り、最後まで随伴していた衙衛官と聞きました」
「16年前の・・・!」可愛らしい目を見張って、メルツェーデスがアディを見上げた。「しかし、父君と兄君に付いていてくれたのは、リサのお父上だったと・・・」
そこまで言って、懐疑的な眼差しを向けるメルツェーデスに、アディが小さく頷く。
「そう、姫のお察しの通りです」
「リサののお父上なら確かに、兄シン皇子の東宮衙衛隊を統括するお立場におられた方ですが、あの暴虐な事変で落命なされたと聞き及んでいます・・・」
メルツェーデスは俄には信じられない、という風情で頭を振った。
「それにリサのお父上が、アディと同じドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)だったなんて・・・」
「イェレがドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)になった経緯は知りませんが、以前からエランの祖父さまとは知己を得ていたようです」
「リサはそれを知っているのですか?」
「──そのイェレなんですが・・・」
アディはメルツェーデスの問いに直接答えず、しかも言い辛そうに一旦言葉を切った。
「──貴女たちが巻き込まれた、あのツィゴイネルワイゼンの事故の際、リサを救けるのと引き替えに、自らの命を落としました」
「そんな・・・!」
メルツェーデスがアディの言葉に、絶句して立ち尽くした。すぐ先ではオープンカフェは大層繁盛していて、チェンバロ、バンドネオン、バイオリン、コントラバスの生演奏が哀愁を帯びたタンゴを奏でていた。
「リサはそんなこと一言も・・・!」
「彼女もその事を知ったのは、つい先日の事です。彼女に16年前のことを聞かれ、俺が不用意にイェレの名前を出してしまったものですから」アディは気怠そうにメルツェーデスに向き直った。「俺も、俺たちも、まさかイェレがリサの親父さんだとは、夢にも思っていませんでした」
「リサ・・・」メルツェーデスはアディの大きな懐に静かにうな垂れると、微かな嗚咽を漏らして肩を震わせた。「何と言う酷な巡り・・・!」
アディは一瞬戸惑ったが、それでも押し付けてくる、心優しいメルツェーデスの艶やかな金糸雀色の髪を、そっと撫でた。黒と白の斑猫が、早足を繰って通りを横切って行った。
「私の所為です。私が16年前の事に、シン兄上のことに拘っていたから、リサに辛い思いをさせたのです・・・!」
「メルツェーデス」タンゴのメランコリックなリズムが、アディの脳裏を流れていく。「君は本当に優しい皇女だ」
メルツェーデスがイヤイヤするように小さく頭を振った。
「──メルツェーデス」アディは前を向いたままメルツェーデスに話し掛けた。「あれは、リサに対する気遣いだったんだろ?」
ようやく顔を上げたメルツェーデスは、口をヘの字に曲げて、懸命に泣くのを堪えている。アディが柔らかな笑みを浮かべていた。
「バスローブを交換しようとリサが言ったとき、君が断ったことは」
「ごめんなさい、アディ。恥ずかしい姿をお見せしました」
メルツェーデスは潤んでいる目頭を指で擦り、それからチュニックの胸元を摘み上げると双眸を軽く拭った。
「君は他人を思い遣れる、しかも聡い女性だ。敬愛され祝福されるべき皇女だよ」
「リサは私のことで充分に労を取ってくれました。その上に危ない目や、怖い思いもさせてしまいました。これ以上リサに、酷い仕打ちをさせたくありませんもの」
メルツェーデスが少し強張った笑みを見せた。それにアディが優しく頷くと、不意に腰をとんとんと突かれた。アディが脇を見下ろすと、年端も行かない男の子が、一端のウェイター姿で立っていた。
そばかすの浮いた小さなウェイターは、カップが2つ載ったトレイを黙って差し出し、目先にあるカフェの方へ首を振った。アディとメルツェーデスが振り向くと、頭の禿げ上がった恰幅の良い店主らしき男が、肩を窄めて微笑んでいた。メルツェーデスとアディは顔を見合わせ、店主に礼を言うとカップを手にした。
2人の口の中に、ミルクも濃厚な甘いカプチーノが広がる。ほっとしたような表情で自然と体を預けてくるメルツェーデスに、アディは優しく肩を抱き寄せた。
途端カルテットがワルツ調のバルスを演奏し始め、店先の客連中がメルツェーデスとアディを囃し立てた。メルツェーデスが少し潤ませる瞳に笑顔を浮かべた。それがまるで合図だったかのように、初老の男女が席を立つと、優雅な腰つきで踊り始めた。続いて中年のカップルもステップを刻み出した。
メルツェーデスはカップを両手で包み込むようにして持ち、無言で踊りの輪を眺めた。3曲目の演奏が始まって、メルツェーデスが不意に口を開いた。
「私とリサは同い年なんです、二月違いの」
「そうなのか」
「あ、アディ」アルケラオス皇女が可愛らしくも頬を膨らませる。「私をもっと下に見てましたね、顔にそう書いてあります」
「敵わないな、姫には」
子供っぽい仕草をすると、確かにメルツェーデスは実年齢より幼く見える。
「メグです」今度は小首を傾げて見せた。「私も学生時代には、リサには敵いませんでした」
「どこかの学友だっけ、リサとは」
「エピクロスのプライオリ校です。リサの母御にはナニー(保姆)を務めていただいていたので、リサには横車を押して、一緒に留学して貰ったんです」
「楽しそうだな、リサと“メグ”が2人揃うと」
「とっても」メルツェーデスが悪戯っ子のような笑みを浮かべた。「幼い時からいつも一緒でしたから」
「美人2人だ、男子学生も放っておかなかったでしょう?」
「まあ、アディがそんな風に言うなんて・・・!」
さも意外、と言った風情でメルツェーデスは目を丸めた。
「でも確かに、リサのモテっぷりは凄かったの。あの容貌にスタイル、それに誰彼なく優しいし、学業だって上々だもの」
アディが楽しそうに、うんうんと相槌を打つ。
「テレコム(映話端末)のコムボックスが、ラブメールで溢れんばかりに一杯なの。それで困ってアドレス変えて教えないようにしたら、今度はラブレターの嵐」メルツェーデスが目を剥いて、両手を大きく広げた。「毎日4、5通の手紙が寄宿舎に届くの。学年の上下関係なく、隣町の大学生からも来てたわ」
「メグも負けてないでしょう?」
「私は見ての通り性格が良くないですから」
「皇女だから、ですよ」アディが大袈裟に首を竦めて見せた。「パンピー(一般人)には眩しすぎるんです、残念ながら姫は」
「アディは?」
「俺の目は生まれながら曇ってますから」
「天然のサングラス?」
「まあそんな所です」
「私だって、中身は女の子の筈です」メルツェーデスがカプチーノを飲み干す。「──プロポーションでは敵わないけど、水泳と乗馬ならリサより得意よ」
いつの間にか2曲目の演奏が終わっていた。
静かになった雰囲気に、ふとメルツェーデスとアディが首を巡らせると、バンドネオンを抱えた浅黒い初老の奏者が、皺まみれの人懐っこい笑顔を浮かべて立っていた。
アディと目が合うとニッと歯を見せ、ロマンティックなバルスを演奏しだした。
体全体をくねらせてリズムを取りながら、アディとメルツェーデスの周りを回りだす。それに合わせて他のバンドマンたちも楽器を奏で始めた。
初老のバンドネオン奏者が大きく首を振って、さあ踊ろう、と誘っていた。カフェの客たちも、さあ来いよ、とばかりに手招きする。
アディが再び腰を突かれた。空のトレイを持ったそばかすの小さなウェイターが立っていた。アディとメルツェーデスは顔を見合わせた。
踊れます?──メルツェーデスの無言の顔がそう言っていた。
参った、と渋面を作りながらも、アディはメルツェーデスのカップを貰い受け、そばかすウェイターのトレイに2つのカップを置くと、メルツェーデスの細い腰に手を添えた。
「カプチーノのお礼ですわ」
メルツェーデスが愉快そうに微笑んだ。
途中から次々とダンスの輪が広がって、あっと言う間に5組のペアが踊っていた。
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written by サザン 初人 plot featuring アキ・ミッドフォレスト




