第5話 異世界ゆるさん
「最後看取ったの、貴女なんですってね」
突然幼い声で話しかけられた。びっくりして後ろを振り返る。気配がしなかった。
「葉月ちゃん……」
「おじいちゃんの最期、どうだった?」
鳥肌が立つ。
「あなた、誰?」
さっきまで、違和感はなかった。
「葉月だよ?」
葉月は、無邪気な顔で笑う。今は違和感しかない。
「声を上げない方がいいよ。この子、傷つけたくないでしょう?」
「だ、誰なの……」
干からびた声が出た。
「ニブい女だな。セーラー服の方が似合ってたぜ?」
夢の中の美少女!!
やっと理解した。逃げたつもりがつけられてた。まずい。
「何で……、葉月……」
なんとか声を出す。喉が張り付いて、なかなか動かなかった。
「おまえの気配をたどってきたら、元の世界に逆戻りさ。この子はただの触媒」
「葉月を返して」
「おまえ次第だな」
二人きりになるタイミングを見ていたと言うことは、交渉する余地があると言うことだろう。制約があるはずだ。
「わかった。ここじゃなんだから、外に出ない?」
「いいぜ」
私は、つま先をするようにして、玄関に向かう。
「ちょっと外に出てきます。あ、はーちゃんも一緒だよー」
普段と変わらない声を出したつもりで、奥に声をかけた。
「いってきまーす」
葉月は無邪気な声で芝居を合わせてきた。
靴棚からスニーカーを出すと、それを履いて庭に出る。葉月は少しだけ靴を眺めて、適当にそれっぽいサイズの靴を履いてついてきた。
庭を横切って母屋の横を抜け、裏庭に出る。さほど広くはなかったが、めったに人が来ない上に、近所の目がないここが、最適な場所に思えた。
「で、なんの用だよ」
私は身構えながら、聞いた。ろくでもない用事ならさっさと終わらせたい。
「たいした用でもないぜ。俺はよぉ、こっちで限界を感じてよぉ、最期の希望をかけてトラックに飛び込んだわけよ」
「おまえの身の上話なんか聞きたくもないっ」
吐き捨てるように言う。
「そう言うなよ。今まで誰にも自慢できなかったんだからさぁ。んで、そうしたらよぉ、なんと、夢のような美少女に転生しちゃったってワケよ。マジでやばくね?」
やべーのはおまえの頭だよ。
「そんで、一通り堪能したあと、オレオレ詐欺始めたワケよ。美少女がオレオレ詐欺だぜ? 馬鹿みたいに儲かった上に仲間が大勢できたワケ。それで教祖様に祭り上げられてよぉ。楽しかったねぇ」
葉月がクククと笑った。
「そこにオマエが現れたんだよな。転生者なんて同じ世界に二人もいらねぇ。色々メンドクセェからよぉ」
「だったら、私は消えたんだしなんの問題もなくない?」
「まさか現代に帰ってると思わねぇし。気配を辿れる魔法を使えるヤツに辿らせて、転送してもらったってわけ。でも、ま、ちょうどいい具合に今回も美少女に転生。これはこれでいいかと思ってるんだけどなぁ」
葉月は自分の胸をまさぐった。かっとなって右手をあげるが、ひっぱたく前に、葉月の左手に止められる。……少女とは思えない力だった。
「もう一度トラックに飛び込んでもいいんだけどよぉ、またおんなしところに行ける保証はないワケよ」
「へえ。まさか帰る方法考えずに来たわけ?」
「まさか」
葉月は肩をすくめて、つかんでいた私の手を押し戻すようにして放した。
「帰還魔法は使えるさ。こっちでも習得した魔法が使えるのは実験済みよ。でも、異世界まで帰れるかはわからねぇ」
「……」
「俺はこう見えて慎重派だからよぅ、この美少女の体でこっちでやり直してもいいかなとも思ってるワケよ。だいたい世界線を超えた時点で、向こうの俺の体がどうなっているかなんてわからないしなぁ」
「……あんたの体じゃないだろ」
歯がきしみそうなほど力を込めて絞り出す。
転生者が嫌われる理由の一つがこれだった。転生は大きく分けて二つある。新しい世界に、新しい命として生まれるか、すでに存在している人間の中に転生するか。前者は、前世の記憶持ちという扱いで、あまり問題はない。問題は後者だ。元の人格は、消去される、追い出される、入れ替わる、封印されるなど、どれも本人にとっては迷惑この上ない。通常こっちが転生者と呼ばれる。
そして、こいつは転生者だ。私は、まだ葉月の命が体に残っていることを祈っていた。
「オマエを消せば、行方不明の少女が一名、で終わりだぜ」
実際はそうでもない。非公式だが、異界移転警察という組織が、超法規的な権限を持って転生者やそれに類するものを取り締まっている。つまり今ここで通報さえできれば、こいつは終わる。
「通報しようとしても無駄だぜ。すでに通信は遮断してある」
慌てて周りを見回す。おしゃべりはおとりだったか。よく目をこらすと、うっすらと色のついたほぼ透明なドーム状のものに、私たちは閉じ込められていた。
「電波どころかどんな物体も通さない、物理遮断魔法さ」
まずい。まずいまずいまずい。葉月の目から狂気を感じる。人を傷つけることをなんとも思わないヤツの目だ。
「家ごと燃やしてもいいんだぜ?」
葉月は手のひらを上に向けると、手のひらに火球を浮かべた。
「ふざけないで。誰にも気づかれたくないから、わざわざこんな面倒なことをしてるんだろ」
私は強がった。
「思ったより頭が回るんだな」
葉月が火球を消した。来る。私は、葉月の方へ身を低くして飛び込んだ。
キィン。
何かが空中ではじける音がした。障壁にでも当たったのだろう。どうやら魔法もはじくようだ。
「おっと」
私のタックルを、葉月は身軽にかわす。その着地点に向かって足払いをかけるが、それも一歩後ろに下がってあっさりかわされる。そのまま右に転がる。今までいた地面に何かが刺さった。
がんっ。
体が何かにぶつかる。障壁に追い詰められた。
低い体勢のまま、葉月の方を見る。ほんの数歩離れたところで、無様に転がる私を見下ろしていた。
「思ったより動けるんでびっくりしたぞ。一発で決まると思っていたんだけどな」
ちらっとさっきの魔法か何かが刺さった場所を見る。地面がほんの5cmくらい、綺麗な断面で削れていた。あれを体に食らったら……。想像するだけで嫌な汗が流れてくる。
「この世界の人間と、帰還者である俺とじゃ勝負にならないんだからさぁ。さっさと諦めてくれない?」
葉月は嫌らしく笑う。ふざけるな。葉月はあんな顔をしない。……多分。ちょっとしばらく会ってないから自信ないけど。
「葉月がキモいままじゃかわいそうでしょ」
私は立ち上がって精一杯の虚勢を張った。
「キモいだとっ」
突然葉月の表情が変わった。
「俺は美少女だっ! キモいなんて言うんじゃねぇぇぇぇぇ」
葉月が私の胸ぐらをつかんで、持ち上げようとする。持ち上げようとするが、身長差があるせいで、つま先立ちで私を障壁に押しつける形になっていた。
「目ン玉かっぴらいてよく見ろや!! かわいいだろうが」
「葉月はな……、もっとかわいい顔で笑うよ」
「今は俺が葉月だぁぁぁぁ」
「見た目だけで、かわいくなれるとでも思ってるのか? さっさと葉月の体を返せよ、キモメンちゃん。ぐはっ」
首が絞まる。葉月ちゃんの体に傷つけるわけにはいかない……。何か打つ手は……。
「はーちゃん!」
ガラスが割れるような音と、かわいらしい声が同時に飛び込んできた。
第6話 嫌な血筋だ
飛び込んできた音に驚いて、葉月の手の力が緩む。私は精一杯の力で葉月を突き飛ばした。
「はーちゃん!」
なーちゃんが葉月に体に抱きつく。
「なーちゃん、危ないっ!」
思わず叫ぶ。
「大丈夫だよ! はーは、なーのお姉ちゃんだもん」
「そうそう。はーは、なーのお姉ちゃんだからねっ」
同じ口から、二つの声が聞こえた。
「はーを返してもらったよ!」
「なー、やっちゃえっ!」
混乱してきた。
「封印術!! 姉たる葉月の名において」
「妹たるなつきの名において」
「今ここに求む大地の力」
「今ここに求む天空の力」
葉月の体を抱いたなつきの口から、呪文のようなものが紡がれていく。
「ふざ、ける、な!!」
葉月は振りほどこうと暴れるが、びくともしない。想像以上の力で押さえつけているようだ。
『母なる大地と天空の力を持ちて、ここに邪悪を封じん!!』
声がダブって聞こえた。葉月の体から力が抜ける。なーちゃんが支えきれずに倒れ込みそうになるのを、二人まとめて抱え込んだ。
「どういうこと?」
二人をぎゅっと抱きしめながら聞く。はーちゃんの体は気を失ったように力を抜けている。
「お姉ちゃん、あたしの体を守ってくれてありがとう」
はーちゃんの声だ。
「あいつの体の中でね、消えそうになってた時、必死になーに呼びかけたの。そうしたら、なーが来てくれたの」
「はーちゃんを助けるの、当たり前」
「それで、なーの体に入れてもらったの。あのままじゃ消えちゃいそうだったから……」
「何でそんなことができるの!?」
思わず聞く。なーちゃんの顔がいたずらっぽく笑った。
「なーもはーも、おじいちゃんの孫だから。お姉ちゃんと一緒」
「そうそう。あたし達は、はーとなーでやっと一人分だけどね」
「最期の封印術ギリギリだった。いつもよりうまくいった」
「二人で一人になったからかなぁ?」
そうだ、はーちゃんの体。なーちゃんから、はーちゃんの体を半ばもぎ取るようにして受け取る。
「はーちゃん、はーちゃん」
「はーい」
「いや、そっちじゃなくて」
必死に呼びかける。はーちゃんの体は死んだように冷たい。
「はーちゃん、死んでない」
「うんうん。中身ごとはーの体を封印しちゃった」
「それでいいの?」
「……元に戻す方法はわからない」
なーちゃんが初めて沈んだ声を出した。
「大丈夫。おじいちゃんに頼めば……、ってもういないんだった」
はーちゃんが慌てる。
「じいちゃん、あなた達にも、色々教えてたんだ」
「うん。なーとはー。それとお姉ちゃん。三人は才能を受け継いだって。おじいちゃんの世代? で終わりだと思ってたからびっくりしたって」
「お父さんとか、おじさんは才能がないんだって」
隔世遺伝ってヤツか……。それにしてもじーさん……。
「できれば使わないですむといいけど、まんがいちのときに身を守って欲しいって、おじいちゃん教えてくれた」
「そっか、そっか」
私は二人を力いっぱい抱きしめた。
「でもはーはこのままでもいいよ、なーが邪魔なら出て行くけど」
「邪魔じゃない。それに追い出し方もわからない」
「はーちゃんの体の戻し方は、一緒に調べよう。って、おばさん達になんて説明しよう」
やばくね? 私たちの才能のことは、じいちゃんしか知らないはずだった。じいちゃんも自分の代で終わらせるって言ってたし。
「はー、調子悪くなって寝てることにするよ」
「なーは看病してる」
「……わかった。じいちゃんの葬式が終わるまではそうしようか。そのあと一緒に考えよ?」
「よかったー、お姉ちゃんがいっしょで……」
「うん。なーもほっとした」
突然なーちゃんの目から涙が出てきた。
「そうだよね、怖かったよね」
抱きしめる手に力を込める。
「それだけじゃない。なーたちだけ変」
「ばれたら、変な人に捕まるって言われたの。でも話せなかったの」
「大丈夫。これからは全部私に話してくれればいいから」
なんだか私も涙が出てきた。でもここでゆっくり泣いているわけにはいかない。少しだけ待つと、「なーちゃん、勝手口から入って毛布持ってきてくれないかな。はーちゃん包めるくらいの」と、お願いした。
「わかった。いってくる」
「はーもいっしょに行く」
二人は同じ口から別の声を出して立ち上がる。
「はーちゃんは、おうちではしー、だよ」
「わかった!」
なーちゃんが、親指をぴっとたてた。どこで覚えた、そんな動作。……体の支配権はどっちにあるんだろうか?
なーちゃんが、出てきた勝手口に消えるのを待って、はーちゃんの体を抱きかかえる。戦いでついた汚れをそっと拭って綺麗にする。
正直言ってうまくやれる自信は全くなかったが、二人を助けるために意地でもやり通すつもりだった。