筆が止まるのって何よりの恐怖だと思う ~続きが書けなくなる不安はエッセイで解消してます~
私は常に思考を脳内で垂れ流している。
こういうことを言うと変人かと思われるかもしれないが、割とマジでやってる。どういう思考を垂れ流しているのかと言うと、ネットでよく見かける罵詈雑言や、身勝手な自己主張や、ぼくがかんがえたさいこうにくーるなせいさく、なんかがある。
正直、自分でもどうかと思うのだが、そう言った言葉を形にするとスッキリする。そのため、思考を垂れ流すのを止めようとは思わない。
しかし……それをネットに上げるとなると別。そんな身勝手な思考を不特定大多数の人間に公開する気にはなれない。間違いなく誰かを傷つけてしまうし、絶対にやってはならないことだと考えている。たとえそれが匿名であったとしても。
そう言った思考を巡らせるのは、ある意味”悪”そのものなのかもしれない。私は常に自分の中の悪意と向き合っている。
エッセイを書く時はそう言った思考が表に出ないよう十分に配慮しているが、時たま攻撃的な主張もしたりする。この年になってようやく分別がつくようになったので、できる限りの配慮はしているが、それでもまだ不十分に感じる点は多い。
それはさておき、思考を常に垂れ流している私は、文章を書くのが早い。ノータイムで脳内に浮かんだ言葉をタイピングするだけなので、書くのは苦痛ではなく快楽に近い。
まぁ……後で読み返してきちんと推敲するわけだが……いらん表現が多すぎて頭を抱える。独善的な言葉があまりに多すぎるのだ。
エッセイを書く時は脳内の思考をそのまま文章に起こすのだが、小説を書く時はちょっと違う。
まず、キャラクターを適当に用意して、それっぽい空間に放り込む。すると勝手に会話しだすので、とりあえずそのやり取りを文字に起こす。
ディティールは後で付け足すことが多い。状況が分かりにくいと感じたら随時、書き足していく。
そうするとある程度見られる状態にはなるのだが……この方法で書いていると問題が生じる。
それは、キャラ同士のやり取りが反感を買うようなものだったり、整合性が取れていなかったりする場合。そういう時は指を止めて内容を精査する。
だいたいの場合、すぐに続きを書き始められるのだが……場合によっては数か月止まる時もある。
私はこの止まる瞬間が怖くてたまらない。今もずっと畏れている。
物語を書く時に指が止まると、何もかも先へ進まなくなる。どうしたもんかと頭を悩ませても続きが書けない。
そういう時の打開策は今まで見つからなかったのだが……なろうにエッセイを投稿し始めてようやく見つけた。
どうでもいい文章を書くのだ。
つい昨日投稿したナポリタンのエッセイは、私にとっての特効薬だった。あれを書いたおかげですんなりと続きが書けた。
エッセイの書きすぎで続きが書けなくなり、逆にエッセイを書くことで続きが書けるようになる。あまりに意味不明すぎて自分でも混乱する。
とにかく何かを書くのは重要なことなのだ。
文章を紡いでいるうちに、脳が書くモードに切り替わる。書けないモードのまま放置していると、連載作品がエタる危険性が高まるので、できるだけ早く復帰したい。だからこそ、何かを書かないといけない。
これは一種の強迫観念かもしれないが、そこまで深刻にとらえていない。続きが書ければただただ安心するのだ。
思考を常に垂れ流していると、不意にネガティブな感情に囚われたりする。また、攻撃的な思考が私自身に牙をむき、ストレスになることもある。
だからこそ、なんでもない文章を書いて自分自身を落ち着かせる。調教師が手綱を握るように、私自身の思考を制御できる。
だから……何かを書かないと落ち着かない。これを書いているのも自分を落ち着かせるためだ。
今日は気分よく連載作品が書けた。明日も多分書ける。
しばらくしたら、また悩みだすだろう。続きが書けなくなってしまう。
そうしたらまたエッセイを書こう。他に対策など思いつかない。
書くことでしか前に進めない私は、書くことで自分をコントロールしている。
そう思う今日この頃。