静江夫人
正月が開け、いつも通りの日常が始まった。
俺はまた院長室へ向かっている。
昨日、アビゲイルから届いたメールの件だ。
「石神、お前は相変わらず問題ばかり持ってくるよなぁ」
院長はソファの前で腕組みをしている。
「また面倒ですよねぇ」
「他人事じゃねぇ!」
アビゲイルから届いたのは、響子の母・静江氏がまた来日する、ということだった。
詳細は書かれていないが、どうやら俺に会いに来るらしい。
俺のメールアドレスも知っているはずだが、内容が内容だ。
大使館員である義父を通して、安全性を高めたのだろう。
何しろ、あの一族が動くと大統領並の警備と安全対策が必要になる。
恨みを持つ人間が、俺とは桁違いだ。
まあ、俺を恨んでる奴らは、スカッドミサイルなんて飛ばさないからなぁ。
「それで、俺に言ってきたということは、相手の目的が分かっているからなのか」
「そうです」
俺には確認しなければならないことがあった。
「院長、響子が日本に来た経緯を詳しく教えてください」
「……」
院長は目を閉じて考えている。
「医者は守秘義務がある。分かっているだろう」
「はい」
「だから話せない」
「そうですか」
院長は俺の目を真っ直ぐに見ている。
「そういえば、お前も医者だったよな」
「はい」
院長は語りだした。
発端はもちろん分かっている。
ロックハート一族の後継者がスキルス性のガンにかかり、慌てて世界中の医療機関を探したこと。
幾つかの候補はあっただろうが、彼らは蓼科文学の奇跡に縋った。
しかし、院長はそれを断った。
何故か。
「俺はこれまで、数々の困難な手術を成功させてきた。俺はいつだって、自分の手が必要な場合、それを差し伸べてきたつ
もりだ」
分かっている。俺の尊敬する蓼科文学というのは、そういう男だ。
「だからロックハート響子のオファーが来たときだって、俺は引き受けるつもりだったんだよ」
「どうして断ったのですか」
「見えたんだよ、また」
「何を?」
「鬼だ」
「……」
以前に聞いた話だ。院長が子どもの頃に、死者に力を使おうとしたとき。
死者の胸から鬼の首が出て来たのだと。
それがどういうものなのか、もちろん俺にだって分からない。
でもその鬼が「やめろ」と言ったからには、人間が踏み入れてはならない領域なのだろう。
「俺はアビゲイル・ロックハート参事官から直接話をされた。その時に、患者の何も知らないうちから引き受けるつもりだ
ったんだ。しかし、俺が「受ける」と言おうとしたとき、参事官の背中から、それが現われた」
「止められたんですか?」
「そうだ。「受けるな」とはっきり言われた」
「それなら、何故響子は日本へ来たんですか。院長が施術しないのなら、意味がないじゃないですか」
俺が分からなかったのは、そこだ。
「俺もそう思っていたよ。それに、俺が断ると残念がってはいたが、その場で了承された」
「だが、二日後にまた呼び出され、ロックハート参事官は、響子を日本へ移し、この病院に入院させたいと言ってきた」
「院長の翻意を図ったのでしょうか?」
「うん、俺も最初はそう考えていた。しかし、今からなら分かる。ロックハート一族の目的は、お前だったんだよ、石神!
」
「!」
「お前も何となく感じているんじゃないか? 響子との運命的なつながりをよ?」
その通りだった。でも、あまりにも考えるピースが足りない。しかもあまりにも荒唐無稽だ。
「これは俺の勘だけどな。いいか、石神、よく聞けよ。ロックハート一族には、予言者がいる。しかも飛び切りの能力だ」
俺が認められないことを、院長は断言した。
流石に器の違いを感じる。
「そんな馬鹿な」
「よせ、石神。お前だって本当はそれを考えていたんじゃないか?」
「……」
「それとこれも俺の勘だがな」
「はい」
「その予言者が、今度日本に来るってことだ」
静江夫人は、三日後に来日する。




