アルジャーノン&静江
まったく、あいつらはどうして飲むたびに問題を起こしやがるんだ?
花岡さんなんて、長い付き合いだけど、あんなに酔ったなんてまったくねぇ。
むしろ御堂なんかより、酒には強かった気がする。
一江だってそうだ。
あいつは冷徹なんて言われるくらいに、自己制御に関しては機械みてぇに完璧だ。
あいつがヘタを打って乱れるなんてことは、考えられねぇ。
まるで「混ぜるなキケン」みてぇなコンビだ。
院長室に呼ばれた。
「花岡と一江の件は、ご苦労だった」
全然労りのない声で言われた。
「急性の食中毒だったそうだな」
「はい」
「二人の容態はどうだ?」
「はい、幸いにすぐに内容物は口腔から出せましたので、後遺症の心配もないと思われます」
「そうか」
院長も大体の察しはついているはずだ。
鋭い人間だ。
ああ、霊能力者だ。
「しかし、あの二人の仲が良いのはいいんだが、どうなってるんだ?」
俺が聞きてぇ。
超能力でズバッと悟れ。
「私にもなんとも」
「ああ、今日は別件でもお前に用事がある」
「はい」
分かっている。俺にもアビゲイルから連絡が来てる。
「現ロックハート財閥当主、アルジャーノン・ロックハート氏と、妻のシズエ・ロックハート氏が来日する。表向きは傘下企業の視察だが、本当の目的は……」
「私ですね」
はっきり言って、今更なにしに、という感がなくはない。
まあ、俺の囲い込みの強化なのだろうが。
「当然、うちの病院にも来る。警備の相談と、お前は必ず同席するから、その打ち合わせをしておきたい」
警備のことなど、本来は別な部署が対応すべきことだが、必ず俺の方へ回ってくる。
俺の仕事が忙しい原因の8割は、院長の無茶振りだ。
俺たちは、その夜遅くまで院長室で打ち合わせた。
考えうるあらゆる事態に対応できるように、念入りにやった。
俺たちが本気で対策を練って、実現できなかったことはない。
失敗した事例は、途中で院長が俺にキレて、打ち合わせが中断した場合だけだ。
今回は何事もなく、二人でいかなる事態にも対応できる計画が整った。
ロックハート夫妻の来日は、さすがにニュースでも流れた。
自家用ジェットで羽田に降りた二人は、数十人のSPに囲まれて移動した。
来日スケジュールなどは、もちろん非公開だ。
しかし、当然うちの病院には「時間の範囲」の指定はあったが、おおよその日時は連絡されていた。
ご丁寧に、それを話していい範囲まで指定された。
院長、俺、そして響子だ。
ここまで神経質になるのは、今ロックハート財閥傘下の石油部門が、中東で揉めているためだ。
イランの油田を巡り、アメリカは強引に戦争を引き起こし、油田を分捕った。
それに反発したゲリラ組織がアメリカ軍、そして裏でそれを操るロックハート財閥の企業に対してテロ活動をしている。
アメリカの本社前で、プラスチック爆弾を積んだ車両が突っ込み爆発したのは、記憶に新しい。
通行人が数十人死傷し、ビルの玄関は大破した。
そのため、ロックハート夫妻は大統領並の警護で来日しているのだ。
当日の夫妻の訪問と退出は、SPの人間が事前に説明に来ている。
どの入り口とは言わなかったが、俺たちは響子の病室で待っていればよかった。
ちなみに、響子の部屋は別に用意された場所に移っている。
相当な準備の中、当日。
俺たちは突然の連絡に唖然とした。
「病院での面会に不都合が発覚した。アメリカ大使館内での面会に変更する」
仕方が無い。
俺は派遣された数人のSPと共に、アメリカ大使館へ向かった。
アビゲイルが迎えに出ていた。
「すまんね、タカトラ」
顔を合わすなり、そう言ってきた。
「構いませんよ、事情は少しは分かっていますから」
響子は俺に抱かれておとなしくしている。
さすがに普段のように、俺の首に手を巻いて甘えたりはしない。
俺は用意されていた車椅子に響子を乗せ、アビゲイルに導かれてロックハート夫妻の待つ部屋へ向かう。
特別な部屋の一つなのだろう。
窓の無い、広い空間に案内された。
「響子!」
その部屋に待っていた美しい黒髪の女性が駆け寄ってくる。静江夫人だ。
「ママン!」
響子も手を伸ばして母親を待った。
夫人はかがんで響子を抱擁する。涙を流していた。
長身の男性が近づいて来た。
アルジャーノン・ロックハート氏だ。
「はじめまして、ドクター・イシガミ」
差し出された手を握りながら、俺も挨拶した。
「はじめまして、ミスター・ロックハート」
俺たちは設置されたテーブルへ移動し、出された紅茶を飲む。
響子は父親の手によって、椅子へ座った。
「あらためて、深い感謝を、ドクター・イシガミ」
胸に手を当てて、夫妻は俺に頭を下げる。
見ると響子もそれに倣っている。
「どうか、お顔を戻してください。私は職務を果たしただけで、何も特別なことはしていません」
俺の言葉は何重にも否定され、何度も礼と感謝を捧げられた。
「ドクター・イシガミ、申し訳ありませんが、我々には時間が限られています。そこで単刀直入にお話ししたいのですが、キョウコと一緒にアメリカへ来てはいただけませんか?」
「それに関しては、先日アビゲイルにも言いました。私は日本でこのまま医師として生きていきます」
「それでは、響子との結婚後も、日本にいらっしゃるということでしょうか」
静江夫人が、英語で俺に問う。
「はい、もしも響子さんが妙齢の年になって私を求めてくくれるなら、一緒に日本に住むつもりです」
二人は顔を見合わせた。
響子はニコニコしている。
「はぁ。予想通りのお返事です。今ここで、それを認めることも否定することもいたしませんが、今日のお話はここまでとします」
「ありがとうございます」
俺たちはしばらくの間、他愛のない話をした。
主に日本での響子のことだが、響子自身が両親に話し捲くり、俺の出番はほとんどなかった。
英語に拙い俺は、少し助かった。
「ところで、申し上げにくいのですが」
静江夫人が言う。
「石神様の英語は、少々独特でいらっしゃいますのね」
俺は顔が赤くなるのが分かった。
「いいえ、それは義父からも聞いていましたので、大丈夫です。ただ、差し出がましいようですが、もしご希望になりましたら、こちらでいいレッスンをご用意いたしますので、遠慮なくおっしゃってください」
要は、一族に入るのであれば、そのヘタクソな英語をなんとかしろ、ということだ。
「お気遣い、感謝しますだ」
二人は笑った。
響子も楽しそうに笑う。
「ドクター・イシガミ、ところでキョウコの今後なんですが」
今日一番の重要な問題を話し出された。
「はい」
「本来はすぐにでも、ステーツへ連れ帰りたい。しかし、そうするとキョウコの心身に悪影響が及ぶと考えています」
「はい」
「当初はしばらく、と考えていたのですが、このたびキョウコを日本へ定住させることとしました」
「!」
予想外だった。
俺はてっきり、響子をいつ連れ帰るかを告げられると思っていたからだ。
それに、先ほどはこの問題は保留にするようなことも言っていた。
しかし、今はっきりと注げている。
「身体は順調に回復してくれるでしょう。しかし、連れ帰ればキョウコの心は回復しません」
「……」
「私たち一族は、そういうようになっているのですよ」
アルジャーノン氏はそう告げた。
それは、「愛の呪い」、ロックハート一族の秘密だった。
俺は響子を連れて部屋を出た。夫妻は部屋の出口近くまでしか移動せず、部屋の外へは出なかった。
「それでは、キョウコを宜しくお願いします」
二人はまたお辞儀をした。静江夫人の要請だろう。
大使館から出るとき、俺は響子に尋ねた。
「ご両親とまた離れて寂しいんじゃないか?」
「平気。だってタカトラがいるもの」
車椅子から、俺に抱きかかえられた響子は、俺の首にしがみつく。
「お前の一族は、愛の呪いにかかってるんだな」
「?」
俺の呟きを聞き取れず、一瞬顔を離して俺を見るが、すぐに俺の首を抱き寄せた。
「さむい」
俺は入り口前に回された車にすぐに乗り込む。
取り囲んだSPたちが、寒風を遮った。
響子は車の中でも俺に抱きついたままだった。
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