緑子、ふたたび
定期公演を終えた11月の最後の土曜日、緑子が俺の家に来た。
「緑子さん、いらっしゃいませ」
玄関でみんなで出迎え、亜紀ちゃんが挨拶した。
「いらっしゃーい!」「いらっしゃいませー」
ルーとハーが飛びつきそうに構えている。
こいつらは、最近何かと飛びつくようになった。
俺にはいいが、他の人間にはやめろと言ってある。
皇紀も丁寧にあいさつするが、こいつはちょっと腰が退けている。
「よく来てくれた、入ってくれよ」
「あによ、別にあんたに会いに来たわけじゃないわよ!」
「……」
双子に手を引かれ、緑子はリヴィングへ上がっていく。
「ごめんねぇ、今日は何もお土産がなくって」
「いいの!」「ぜんぜん!」
双子は緑子を離さない。
「なーんて、実は用意してきましたぁ!」
緑子はでかいグローブトロッターの旅行鞄を開いた。
俺が前にプレゼントしたものだ。
地方公演に行く、と告げられ無理矢理伊勢丹で買わされたものだ。
「大女優はいいものを持ってかないとな!」
緑子は、じゃあ買わせてやると言った。
ベージュの本体に薄めの茶のレザーが隅に鋲で打ってある。
本体は特殊なヴァルカン・ファイバーで、堅牢な上に高い品格がある。
傷が入ると痛々しいほどの洗練されたものだが、10年も使っているはずの緑子の鞄には、まったく傷がない。
「この鞄はなぁ、英国ヴィクトリア朝に生まれ……」
「うっさいわよ! あんたにお金を出してもらえばなんだっていいのよ!」
俺は尻を膝蹴りされた。
店員が俺たちのやりとりに驚いて目を丸くしている。
「ああ、俺らはこういうプレイですから」
緑子は本気の顔になり、俺の顔面に拳を飛ばす。
普通、女は平手じゃねぇのか。
流石に俺は避け、緑子の腕を掴んだ。
「じゃあ、このベージュのもので。開け閉めが面倒なんで、ベルトはいりません。サイズは……」
俺は急いで店員に指示を出し、在庫の確認に行かせる。
その間、俺は緑子を抱き寄せ、背中を軽く叩いていた。
「あんた、後で覚えてなさいよ」
緑子は小さな声でそう言った。
緑子はシュシュを幾つも持ってきてくれた。
高価なものではないだろうが、いかにも子どもが喜びそうだ。
こういう感覚はまったくもってありがたい。
双子と亜紀ちゃんに渡し、皇紀にも向いた。
「皇紀クン、こないだはごめんね。はい、これ皇紀クンの分!」
そう言ってシュシュを皇紀に手渡した。
「全然謝ってない!」
皇紀が叫んだ。
シュシュは他にもたくさんあり、好きなように選んで、と緑子は言う。
亜紀ちゃんと双子たちは嬉しそうにあれこれと見ていた。
俺が紅茶を煎れ、テーブルに運ぶ。
「あ、タカさん、すみませんでした」
亜紀ちゃんが慌てて立ち上がるが
「いいよ、いいよ、みんなで見てろよ、緑子は「俺の客」だかなら」
緑子はそっぽを向き、双子たちにあれこれと教えてくれる。
「ほら、これなんかは髪留めに使ってもいいし、手に巻いてもカワイイでしょ?」
双子と亜紀ちゃんは早速手に通してみる。
亜紀ちゃんは自分の髪をまとめて、シュシュを通してみた。
「今までお風呂でゴムで留めてたんですけど、毎回髪が絡まって困ってたんです」
「でしょー、でしょー? これなら絡まないからね!」
亜紀ちゃんは嬉しそうだった。
皇紀ははしゃいでいる妹たちを眺めていた。
「おい、皇紀も好きなもの選んでいいんだぞ」
「僕はいいですよ!」
緑子は皇紀に振り向く。
「皇紀クンにも、ちゃんと用意してあるのよ!」
皇紀の顔が引き攣る。
「はい、これどうぞ」
緑子が手にしていた掌ほどの薄い包みを皇紀は受け取った。
「ほら、開けてみて!」
皇紀の後ろから皇紀の肩に手を置いて、緑子が言う。
包みを開くと、小さなフォトフレームだった。
恐らく銀製の、品の良いものだった。右上と左下に、蔦を模した模様が刻んである。
フォトフレームの中には、既に写真が収められていた。
「ええ、これってもしかしてぇー!」
皇紀が興奮して叫んだ。
他の三人が何事かと皇紀を見る。
中には俺の写真が修められていた。
「これって、タカさんの昔の!」
「そうよ。あたしたちが出会って間もない頃だから、まだ二十代の半ばね。デジカメの画素が全然低いから、あんまり大きな写真にはできなかったの。ごめんね」
「いいえ、宝物です! 一生大事にします!」
「お前、こんなものをどうして!」
「こないだ皇紀クンから散々昔の石神のことを聞かれたから。じゃあって持ってきたのよ」
皇紀が喜んでいる手前、強くは言えない。
「タカさん、これ机に飾っていいですかぁ?」
「う、うん、まあ大事にしろよな」
「はい!」
皇紀は早速部屋に飾りに向かった。
なんだかなぁ。
緑子に事前に何が食べたいかを聞いてみたが、鍋が良いと言った。
普段は独りで食べているので、鍋はなかなか食べられないから、ということだった。
みんなでワイワイ食べるために、緑子は気を遣ったのだろう。
俺は鍋のためにリヴィングの床にホットカーペットを敷き、でかいコタツを用意していた。
今回のために購入したものだ。
今後、子どもたちとこうやって鍋をつつくのもいいだろうと思ったのだ。
緑子の提案で、良いものを買えた。
コタツの周囲にはクッションを幾つか置き、俺と緑子の席には座椅子を用意する。
「なんで二人だけぇー?」
ルーが聞いてきた。
「年取ると座るのが辛いんだよ」
「あたしは別にいらないわよ」
緑子がむきになって言う。
しかし、しっかり使って満足そうな顔をしてくれた。
ルーとハーのために、コタツの足は一番低くしてある。
カセットコンロを置き、直径50センチほどの大きな土鍋にぬるま湯を注ぎ昆布を敷いた。
食材を準備し、脇に置く。
子どもたちは無言でコンロの火と食材を交互に眺めていた。
獲物を狙う肉食獣のように。
「なんか、異様な雰囲気になってきたわね」
緑子は楽しそうにそう言った。
「お前、余裕があるのは今のうちだぞ?」
「え、なによ、それ」
「まあ、頑張れよ!」
「はい?」
湯が沸騰し、俺が昆布と入れ替えに食材を落としていくと、そこは戦場になった。
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