挿話: 刑事佐野の思い出
最初にあいつを知ったのはいつだったか。
確か、本間家の絡みだったのだと思う。
本間組の一人息子は、とんでもない問題児だった。
暴力事件を起こしては、よく警察署に引っ張った。
誰も恐れて近づかないその本間の長男に、友達ができたと聞いた。
そいつが石神高虎だった。
最初は普通の子どもに見えた。
しかし、あいつは本間以上の問題児になりやがった。
「佐野さん、〇〇の山の教会の神父が半殺しですって」
「なんだ、そりゃ?」
「相手は小学生らしいですよ」
「まさか! あの神父は随分と身体がでかいだろう」
「相手の小学生も重症らしいですが、神父もボロボロで入院してます」
「ほんとかよ!」
調書を読むと、あの石神高虎の名があった。
あいつかぁ。
時々町で見かける。
女の子の集団に囲まれていることも多い。
まあ、顔はいい。
身体もでかい。
モテるのはよく分かる。
あの無茶苦茶な喧嘩さえなければな。
たびたび、警察署に引っ張られる。
子どもの喧嘩ではない暴行事件だ。
しかし、あいつから手を出したということは一切なかった。
「売られた喧嘩を買う」。
まあ、それがやり過ぎになることが多かった。
大体相手が多人数とか、武器を持っていた場合だ。
それと、あいつの友達を巻き込んだ場合。
そういう時、相手を病院送りにすることもあった。
それと、どういうわけかよく裸で走り回る。
また、とんでもない事件を起こしやがる。
しょっちゅう留置場にぶち込み、毎回母親がガラ受けに来る。
俺も見たことが何度もある。
ツラの良いあいつの母親らしく、綺麗で優しそうな女性だった。
母親に対しては、本当に申し訳ないという態度だ。
警察官に逆らうことも無い。
意外と素直だ。
しかし、何度も喧嘩をし、問題を起こす。
次第に口を利くようになり、石神高虎という子どもを知るようになった。
「トラ」と親しく呼ぶようになった。
親しくなると、子どもながらに気持ちのいい奴だった。
ある日、暴行事件で入院した被害者を見舞いがてら話を聞きに、日赤病院へ行った。
トラがいた。
何故か回診簿を持って、看護婦と笑っている。
「あれ、佐野さん!」
トラが俺の顔を見て笑った。
左腕を三角巾で吊っている。
看護婦に聞くと、左腕の骨にヒビが入り、同じ左の肋骨を折ったらしい。
内臓に損傷が無かったか、検査中とのことだった。
「お前、また喧嘩か!」
「アハハハ!」
明るく笑いやがる。
被害者を見舞った。
流れて来たヤクザ者に絡まれたようだ。
「それがね、刑事さん。子どもが助けてくれたんですよ!」
「子ども?」
「はい。背は高いんですけどね、私よりも上。蹲って蹴られてたのを、その子が走って来て僕に覆いかぶさってくれたんです」
「へぇ」
「そうしたら、ボキって音がして。その瞬間にその子が暴れて、蹴ってた奴らを殴り飛ばして追い払ってくれたんですよ」
「そうなんですか。その子どもは?」
「それがですね、僕がお礼を言おうとしたら「またやっちまった!」って。僕が動けるのを確認したら、「すいません、ご自分で救急車を」って言って、そのまま走って行っちゃいました。どっか折れてたのにねぇ」
トラだと思った。
俺はトラの病室を聞き、行った。
大量のエロ本を持った入院患者の男が、トラと笑って話していた。
お前は見所があると褒められていた。
「あれ、佐野さん。もうお帰りですか?」
「トラ、お前一昨日誰か助けたろ?」
「え? ああ、そんなことないですよ」
「お前の左腕はどうした」
「階段から落ちちゃって、エヘヘヘ」
俺は被害者を車いすに乗せ、トラの病室へ連れて行った。
「あ、この子ですよ、刑事さん!」
「ゲェー! なんでここに!」
「お前な、救急病院はこの辺じゃここしかねぇんだ」
「あぁー!」
トラは狼狽した。
母親には黙っててくれと頼まれた。
「お前は表彰もんだぞ? 金一封が出るかもしれん」
「そんなもんはいらないですよ! お袋が心配するじゃないですか!」
「美味いもん食えるぞ?」
「絶対いりません!」
俺は署長にかけあって、表沙汰にはしないことにした。
退院したトラに、かつ丼を奢って喰わせた。
トラが嬉しそうに食べてくれた。
トラは、同級生を四階の窓から投げ捨てたこともある。
女の子をかばってのことらしい。
まったくトラはバカだった。
幸い、同級生に怪我はなく、かばわれた女の子の親が結構な身分で、示談的なもので終わった。
俺はトラの顔をぶん殴った。
トラが中学生の時だったか。
夏休みに小学校の校庭でロケットを打ち上げた。
まったく、バカの考えることは分からん。
それが危うく近所の女性を殺しかけた。
しかし、何故か女性とその親とが懸命にトラをかばった。
事件にすらならなかった。
その後、トラが毎週その家の掃除をしていると聞いた。
それも、バカなあいつらしいと思った。
大洪水を起こしたこともある。
隣の女の子を助けようと、はらわたを出したこともある。
暴力事件は多いが、それ以外でとんでもないことになっている。
俺が思わず笑い出したことも多い。
俺はたまに会うと、時々何か喰わせてやるようになった。
トラはいつも腹を空かせていた。
家がとんでもなく貧乏だった。
その理由がトラが病弱だったと知り、俺は理解に苦しんだ。
そんなあいつは、誰かのために、いつでも血を流した。
俺は、トラのことが大好きになった。
何度も警察署に母親が来るんで、どうにか止められないのかと話したことがある。
「高虎は、東大病院で20歳まで生きられないと言われたんです。ご迷惑をお掛けして申し訳なく思うのですが、あの子のしたいようにさせたくて」
優しい母親だった。
奢ってやる頻度が増えた。
あいつが高校二年の時。
あいつらしく、暴走族に入りやがった。
問題の規模が大きくなっていった。
学校の夏休みに来たサーカスから、一頭の虎が逃げた。
非番の連中も狩り出して、捜索に懸命になった。
翌朝、虎が見つかったと聞き、パトカーで徹夜で探していた俺も安堵した。
留置場に虎は入れたと聞く。
無線でヘンな許可を求められた。
俺は許可した。
俺は大笑いした。
行くと、虎とトラがいた。
スヤスヤと一緒に寝てやがる。
眠っているトラは、こいつの本当の姿のように優しい顔をしていた。
「佐野さん、やっぱまずいですよね」
トラを引き離そうとすると虎が吼えるので仕方なく、と説明された。
俺が許可したんだから大丈夫だと言った。
トラが俺たちの声に目を覚ました。
「トラは喰われても問題ねぇからな。いや、喰われちまえ。町が平和になる」
ありがとうございます、とトラが礼を言った。
俺は大笑いした。
バカの極みだと思った。
こんなバカはいない。
サーカスの迎えが来ると、トラは土下座してみんなに頼んだ。
「どうか叱らないで下さい!」
俺はトラの尻を蹴り、さっさと乗せろと言った。
こいつに今度は何をおごってやろうかと考えていた。
楽しくて、嬉しくてしょうがなかった。
「トラの奴ね、またがって来たんですよ」
「なに、虎にか!」
本当にバカで楽しい奴だ。
トラに助けられたことがある。
何度もある。
婦警が危ういところを死に掛けてまで助けてくれたこともある。
若い警官を命懸けで救ってくれたこともある。
俺自身も助けられた。
そして俺の大事な家族も。
組長を挙げた俺を逆恨みして、俺の家族が襲われた。
娘と買い物帰りの女房が、ワゴン車で連れ去られそうになった。
トラがバイクで突っ込み、三人の組員を派手にぶちのめした。
ワゴン車に火を点け、組員を放り込んだ。
あいつは暴れん坊だが、そこまではしない。
相当頭に来ていたのだろう。
そのまま走り去ったそうだ。
しかし、真っ赤な特攻服に「六根清浄」の刺繍。
トラに間違いなかった。
組員たちのやられ方は、トラの大事な人間に手を出した時のソレだった。
以前トラは、署の俺の所へ来ていた女房と娘を偶然見ていた。
俺がいつものように部屋の隅の机でトラの調書を取っていた時で、女房たちはトラに気付きもしなかっただろう。
トラが、その時俺たちを見て微笑んでいた。
俺が問い詰めると、トラはそんなことは知らないと言い張った。
俺は数日後にメシをおごると言い、焼き肉屋へ連れて行った。
女房と10歳の娘を店で待たせていた。
「あなた! この方に間違いありません」
「通りすがりの風車」
トラが何か言った。
俺はトラの頭をぶん殴った。
「とっとと座れ! 今日は好きなだけ喰わせてやる」
「え、安月給なのに?」
トラの頭をぶん殴った。
「うるせぇ! ちゃんとボーナスの前借をしたぁ!」
「アハハハ!」
トラは美味い美味いと言い、肉よりも飯を多く喰った。
バカが。
「お前が通りかかってくれて助かった。礼を言う」
「通りすがりの……」
俺はトラの頭をぶん殴った。
偶然だったらしいが、間髪入れずにトラは助けてくれたのだ。
まあ、やり過ぎだったが、今回だけは目をつぶる。
トラは飯を喰いながら、娘と楽しそうに話していた。
「佐野さんはさぁ、俺なんかにいつも優しいんだよ。ちょっと俺を殴りすぎだけどな!」
「アハハハ!」
「アチャコでございましゅる~」
「ギャハハハハ!」
「お父さん、このカッコいいお兄ちゃんと結婚する」
娘が言った。
女の目になっていた。
「ほんとか! 佐野さんがお義父さんなら、じゃあいくら暴れてももう大丈夫だな!」
女房が笑った。
「ちょっと待っててくれ。署から拳銃持って来るから」
素手では敵わないと思った。
「あ、平気ですよ! こないだ宇留間がチャカもって」
「おい、その話、詳しく話せ!」
トラがしまったという顔をした。
♪ チャカチャカチャンチャン チャンチャンチャン ♪
トラが中国っぽい歌を歌い出した。
娘が喜んで笑った。
俺も笑って、もっと肉を喰えと言った。




