井上さん Ⅱ
「いいお話でした!」
皇紀が真っ先に叫んだ。
まあ、こいつが好きそうな話だ。
「なんでもっと前に話してくれなかったんですか!」
亜紀ちゃんが怒る。
双子も良かったと井上さんをほめそやす。
「トラは頭が良かったんだけど、時々とんでもないバカだったよな」
「え、全部バカですよ」
「でもな、お前が真っ先にトラの前に立って俺たちを守ってくれただろう。あれはずっと忘れないよ」
「やめてくださいよ。バカだっただけです」
「今でもそうなんですよ! 私たちが何かあれば、必ず前に立ってくれるんです」
「やめろ、亜紀ちゃん」
「いつもね、優しいのよ。一杯美味しいもの食べさせてくれて、楽しいことをしてくれるの」
「それでね、時々機嫌悪いの」
「お前らが喰い過ぎだからだぁー!」
みんなで笑った。
「私たちを引き取ってくれて、何でも一生懸命にやってくれるんです」
亜紀ちゃんが言う。
「こんな時、どういう顔をすればいいの?」
「綾波レイだぁ!」
ルーが乗ってくれた。
みんなが笑う。
「お前がトラに乗って警察署に行ったってなぁ。俺は驚いたけど、お前ってすげぇなぁって思ったよ」
「そんなことないですよ」
「ねぇ、なんでタカさんは裸になったの?」
ルーが聞く。
「お前、折角いい話で終わろうとしてたのに」
「エヘヘヘ」
「まあ、裸の付き合いってな。咄嗟に頭に浮かんだんだよ」
「トラ、お前ほんとはバカだろう」
みんなが爆笑した。
しばらく高校時代の話で盛り上がり、子どもたちを寝かせた。
「じゃあ、ちょっと飲みますかぁー!」
俺は手早くつまみを作り、ワイルドターキーを出した。
井上さんは水割りでと言うので、俺が作った。
「お前、いい暮らししてるな」
「そんな。たまたまですよ」
井上さんが嬉しそうに笑うので、俺は恥ずかしかった。
「トラ、俺はお前にずっと謝りたかったんだ」
「何言ってるんですか! 俺の方こそ井上さんには散々可愛がってもらって」
「俺はお前が一番辛い時に、なんにもしてやれなかった」
「そんなこと、一つもないですって」
「いや、お前の親父が借金をこさえて、お前の家も貯金も全部なくなっただろ?」
「まあ、そんなこともありましたね」
「お袋さんもショックで病気になっちゃってさ。お前はいろんな人に助けてくれって言ってたじゃないか」
「もう二十年以上前のことですよ」
「俺は、俺たちは何もできなかった。すまん!」
「やめてください。ちゃんと聖が助けてくれましたから。ほら、今なんてお金の不自由はないですよ! 楽しくやってます」
「すまん! 許してくれ、トラ!」
「もういいですって。井上さんは俺の尊敬する、優しい方です。それだけですよ」
「俺はずっと、あの時からずっとお前に謝りたかった!」
「井上さんだってみんなだって、まだ若かったんです。何もできなくて当たり前です」
「でも、お前があんなに困ってたのに」
「無理ですよ。何もできなくて当然です」
「お前は俺たちを守るために、命を張ってくれたじゃないか! それなのに俺はぁ!」
井上さんは泣き出した。
声を上げて泣いた。
しばらく、その背をさすった。
「すまない、やっと言えた。俺はそれを言いに来たんだ」
「ありがとうございます」
俺たちはあらためて乾杯した。
「そんなに気にしてもらってたなんて。俺の方こそ嬉しいですし、申し訳ないです。もっと早く連絡すれば良かったですね」
「そんなことはない」
「まあ、俺もいろいろありましたが、いろんな人に助けてもらってなんとか」
「お前が友達のお子さんを引き取ったって武市に聞いてな。ああ、お前はちっとも変わらないって思った。だから無理言って、お前に会わせて欲しいと頼んだんだ」
「そうだったんですか」
「お前はなんでそんなに優しいんだよ」
「え! 全然そんなことないですよ! あの時だって、「赤鬼」って言われてたじゃないですか」
「ああ、平気で目玉抉ったり骨をバキバキやってたよな」
「アハハハハ!」
「ああ、宇留間がですねぇ。二十年ぶりにかち込んで来ましたよ」
「宇留間!」
井上さんも忘れられない名前だったろう。
「二発、チャカで弾かれました」
「大丈夫なのか!」
「へーきへーき! 勝手に自滅しましたけどね」
「恐ろしいなぁ」
「まあ、俺はそんなバカですよ。人から嫌われて憎まれて」
「そんなことはない! 俺は今でもお前が」
「ありがとうございます。井上さんにそう言っていただけると」
「お前なぁ」
クスクス笑う声が聞こえた。
「おい!」
亜紀ちゃんがドアを開けて入って来た。
「すいませーん! 大きな声が聞こえたんで気になっちゃって」
俺はグラスを持って来て座れと言った。
亜紀ちゃんにワイルドターキーを注ぐ。
「すいません、俺の教育が悪くて」
「いいよ。亜紀ちゃんだったね。悪かったね」
「いいえ! タカさんの大事な方は、私たちの大事な方ですから」
俺は苦笑する。
「これには何でも話してるんです。頼りになる相棒みたいで」
「お風呂も一緒です!」
「おい!」
井上さんが笑った。
「お前が幸せそうで、今日は来て本当によかった」
「タカさん、カタナのお話は?」
「おい、やめろって!」
「かたな?」
「あー、今だから言いますけどね。井上さん、カタナ買ったじゃないですか」
「ああ、バイクのかぁ!」
「俺が借りたじゃないですか」
「おう、ピエロな! ぶっ潰したよなぁ!」
「いやですね。あれですね。実は俺がコケて壊しました」
「え、なに?」
「もうエキパイも、エンジンまで削れちゃって。ああ、それ俺が上に乗って滑ったからですけど」
「な、お前!」
「すませんでしたぁー!」
「このやろう!」
井上さんは立ち上がって殴りかけた。
そして笑って座られた。
「そうか、あれはピエロじゃなかったのか」
「本当にすいません。ウソついてましたぁ!」
井上さんは大笑いした。
「そうか、そうだったのか。じゃあ、あのピエロって」
「完全な濡れ衣ですね」
「ダァッハッハッハ!」
「アハハ」
「お前、だからあんなに頑張ってたのか」
「すごく申し訳なくて」
「お前が金を受け取らなかったのも」
「そんなの! とてもじゃないけどもらえませんでしたよ」
大笑いされた。
「こんな俺ですから、何かあったとしても気にしないで下さい」
「分かった。トラは本当にいい奴だってことだ」
「何言ってんですか」
亜紀ちゃんがニコニコして聞いていた。
「おい」
「はい?」
「亜紀ちゃん用につまみは作ってねぇんだ! そんなにバクバク喰うなぁ!」
「エヘヘヘ」
ハムを焼き始めた亜紀ちゃんを、井上さんは優しい笑顔で見ていた。




