四度目の別荘 XXⅢ:塩野社長
花火を片付け、みんな風呂に入った。
俺が最初に響子と六花と三人で入る。
響子を洗った後で、六花を洗ってやる。
今日は全身だ。
「ありがとうございます」
「いや、今日は俺が責め過ぎたからな」
「いえ、不甲斐なくてすみません」
最高の身体の相性だったが、俺の方が激しかったようだ。
でもこれで、六花の限界が知れた。
三人で一緒に上がった。
響子がいるから、それほど長いことはない。
出口で亜紀ちゃんと柳が待っていた。
「え! もう上がっちゃうんですか?」
「なんだよ」
「もう一度入りましょーよ!」
「やだ」
二人が文句を言っているのを聞き流し、リヴィングへ行った。
俺が響子のマッサージをする。
六花が、ニコニコして見ていた。
子どもたちが風呂に入っている間、俺はグリーンピースのペイザンヌ風スープを作った。
豆を煮て、炒めたタマネギ、湯引きしたベーコンを入れ、ブイヨン、オリーブオイル、バター、砂糖、塩、そしてミルク等を入れて茹でる。
少し冷水で冷まし、人肌ほどの温度にした。
今日は多少一般人の食事だったので、スープにしたのだ。
先に屋上に上げておく。
風呂を出てきた亜紀ちゃんは、カップを持って行った。
全員が屋上に集合した。
「今日は、我が石神家の救世主・梅田精肉店の塩野社長の話だ」
子どもたちが目を輝かせた。
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戦後に立ち上げた「梅田精肉店」は、創業社長の懸命の努力で大阪でも一流の精肉店となった。
塩野社長こと塩野善紀は、その家の長男として生まれた。
三人の姉の後の待望の嫡男であり、家族全員が喜んだ。
みんなに可愛がられ、少々ワガママなところもあったと自分で言っていた。
両親に甘え、姉たちは自分を溺愛してくれた。
大きな家のメイドたちも優しく、出入りする従業員は「坊ちゃん」と呼んで常に下についた。
身体も大きく、近所の子どもたちに君臨していく。
言うことを聞かない子どもは、暴力で従えた。
身体が大きかったのは、もちろん家業にある。
たらふく肉を喰い、身体や体重は順調以上に成長していた。
小学四年生のとき。
塩野社長は従業員の運転する車で支店にいる父親のもとへ向かっていた。
父親は、子どもの頃から店のこと、従業員のことを教えようとしていた。
当時は規定はなかったが、塩野社長はしっかりとシートベルトをされていた。
安全運転を厳命されていた従業員は、神経をとがらせて運転していた。
「もっとスピードだせよ!」
「坊ちゃん、危ないですから、このままね?」
「これ外せよ!」
「シートベルトは安全のためですから。どうかね?」
しかし、ある橋を走行中、土砂を満載したトラックに前から突っ込まれる。
酒を飲んだ上での居眠り運転だった。
ハンドルを慌てて切った車は橋のガードを突き破り、フロントが大破した。
最悪なことに漏れたガソリンに火がついた。
運転席にも炎が回り、激しく内装を燃やし始める。
従業員は塩野社長のシートベルトを外そうとしたが、激しいショックで歪んだか、まったく外れなかった。
従業員は自分の背中が燃えているのも構わずに、塩野社長に覆いかぶさった。
塩野社長は泣き叫んで従業員の名を呼んだ。
「坊ちゃん、すみません。私がお守りしますから!」
それが最後の言葉だった。
苦痛に顔を歪めながら、その従業員は動かなくなった。
塩野社長も意識を喪った。
「ちょっとぉー! 大丈夫か!」
女性の叫ぶ声がした。
燃える車体に一人の30代の女性が取りついていた。
歪んだドアを必死に開けようとしている。
あとから男性も来た。
男性は手にバールを持っていて、それでドアをこじあけてくれた。
燃えている車体に、二人とも怯まなかった。
男性がシートベルトをバールで何とか切り離し、塩野社長を助け出してくれた。
「その子を離れた場所へ!」
「分かった! あんたも早く!」
男性は塩野社長を抱えて離れた。
しかし、女性はもう一人の従業員を助け出そうと運転席に身体を入れた。
長い髪が燃えるのも構わずに。
その時、車が爆発した。
女性を飲み込んだまま、激しく炎上した。
塩野社長は軽い火傷とむち打ち症で済んだ。
従業員が身を挺して覆いかぶさってくれたことと、シートベルトをしていたお陰だった。
その従業員は即死だった。
そして、自分を助けてくれたあの女性も。
病院には両親と姉たちがすぐに駆けつけてくれた。
塩野社長の無事をみんなが喜んだ。
しかし、塩野社長は喜ぶことはできなかった。
自分を助けて死んだ二人のことしか考えられなかった。
両親は死んだ従業員の家族へ見舞金を渡した。
「お父さん、頼む! あの人の家族を!」
「もちろんや」
父親はそれを受け入れ、十二分な額を渡した。
従業員には奥さんと二人の娘がいた。
娘たちには成人して働くようになるまで、援助を続けた。
奥さんには、今も援助を続けている。
その二人の娘は今、梅田精肉店で働いている。
塩野社長を助けてくれた女性にも、と考えた。
しかし、その女性は孤児で、身寄りは誰もいないことが分かった。
塩野社長は泣いた。
部屋の片づけを梅田精肉店の従業員が請け負い、塩野社長も頼んでそれに立ち会った。
女性は紡績工場で働き、つつましい生活をしていた。
小さなアパート。
部屋には小さなタンスが一つと、服が数枚。
ちゃぶ台には、その日に飲んだであろう急須と湯呑があった。
そして並んで小さな鏡。
本が一冊だけあった。
パール・バックの『大地』。
何度も繰り返し読んだようで、表紙は擦り切れていた。
それを手にして、また塩野社長は泣いた。
梅田精肉店で葬儀を行ない、遺品もすべて引き受けた。
塩野社長はそれまでいじめていた相手、力づくで従わせた相手に一人一人頭を下げた。
誰に言われたわけではなかった。
あの女性が、助けるに値する人間になりたかった。
二度と暴力は振るわないと誓った。
中学生になったとき。
同級生が街のチンピラにやられていた。
塩野社長は同級生に覆いかぶさった。
頭蓋骨陥没。
重症だった。
見舞いに来た同級生とその両親に笑って言った。
「これで少しはあの人に笑って会えるわ!」
「社長が優しい、仕事に一生懸命なのは、そういうことがあらはったんですよ」
俺に東京支店の親しくなった人が教えてくれた。
「うちでその女の人が育った孤児院ね。そこにずっと援助してます。風花アシュケナージも、その孤児院らしいですわ」
「なるほど」
「社長ね、なんや、その女の人が生まれ変わったと思うてはるのか、大層可愛がって目をかけてるようですね」
「今後とも、どうかよろしくお願いします」
「いえ、こちらこそや。石神さんとこは、ぎょうさん買うてくれはりますさかい!」
「いえ、お恥ずかしい」
帰ろうとした俺に、もう一つ教えてくれた。
「今は本社のビルのいっとう高い部屋に、その女性の遺品を仕舞ってます。毎日そこで手を合わせてはる。私らも、そんな社長が大好きなんですよ」
明るい笑顔で、そう言っていた。




