四度目の別荘 XII
「良かったですね、小アベルさん」
亜紀ちゃんが言った。
「そうだな。今でも同じ店で働いてるよ」
「タカさんは、その後もお店に行ってるんですか?」
「年に一度くらいな。顔を見に行っている。手紙も来るし、盆暮れには何か送ってくれるしなぁ」
「そうなんですか! 気づきませんでした。でも、ユキさん? 小アベルさん?」
「いや、本名だよ。別にいいじゃないか」
「いえ、でも」
「あいつが本名で送るってことは、一人の人間として立ってるという証だ。自分の本源に立っている、というな。それはユキでも小アベルでもない。裸一貫の人間としてだ。他にあんまり知られたくはないだろうよ」
「なるほど」
「まあ、亜紀ちゃんならいつか一緒に行ってみるか?」
「はい! 是非お願いします」
「石神先生、私も一緒に」
「なんでだよ。お前そういう店って興味ねぇだろう?」
「いえ、鬼棒を拝見したく」
「もう出してねぇよ!」
みんなが笑った。
響子が眠そうだ。
「いったん解散するか。残りたい奴は自由にやってくれ」
俺は響子を寝かせた。
六花は当然のように俺のベッドにいる。
眠った響子を見ながら、俺に自分の後ろで寝ろと指さす。
パジャマの下をずり下ろした。
「俺はもうちょっと飲むから、響子を頼むぞ」
目に涙を溜めて、六花は頷いた。
泣くほどかよ。
俺が屋上に戻ると、亜紀ちゃんが一人でいた。
俺を見てニッコリと笑う。
「タカさん、星がきれいです」
俺は笑って座った。
「皇紀と双子は寝たのか」
「はい。あの子たちはいつも早く寝ますんで」
「亜紀ちゃんもそうなんじゃないのか?」
「私は梅酒会とかいろいろ深夜の行事がありますから」
「なんだよ、それは」
俺は笑った。
俺たちはしばらく、夜空の星を眺めた。
「鬼愚奈巣って、本来は白鳥座のことなんだよな」
「へぇー、そうなんですか」
俺は北天の星を教えてやる。
「一番輝いているのが「デネブ」というな。その星と、琴座のベガ、鷲座のアルタイル。この三つが有名な「夏の大三角」だ」
俺は指で示してやる。
「はぁー」
「白鳥座は、天の川に翼を広げて飛んでいるからな。非常にロマンティックな星座だ。なんであんなヘッポコ連中がその名前にしたかなぁ」
「さっきの薔薇姫瑠璃子さんもすごかったですよね」
俺たちは笑った。
「そういえば、ヤクザと揉めたんですよね。その後大丈夫だったんですか?」
「ああ。薔薇姫瑠璃子は実は関東の広域暴力団「千万組」の上部団体の元幹部だったんだよな。その伝手で話がついたというか、もっと先からあの男は警告されてたんだ。だから店でも無茶なことはしなかった。ただユキに惚れ込んでんで大人しく飲んでたって感じだな」
「じゃあ揉め事を起こしたのは」
「そうだ。あいつの方で、けじめはきっちり取ったようだな」
俺たちはスープをもう一杯ずつ注いだ。
「だから結果的には俺が火種を消したって言うかなぁ。店にいくともうボラれることなく楽しく飲んでいるよ」
「毎年オチンチンを出すんですね!」
「出してねぇよ! ってさっきは六花には言ったんだけどな」
「えー! 出しちゃうんですか?」
「なんか、あそこに行くと楽しくってなぁ。みんなから見せてって言われて、出しちゃうんだよなぁ」
亜紀ちゃんが笑っている。
「ユキも段々明るくなってきてな。楽しくやってるよ」
「そうですかぁ」
「ユキさんって、タカさんのこと好きですよね」
「そんなことはねぇだろう」
「ダメですよ。分かりますから」
「まあ、あいつがどう思ってるのかは知らないけど。なんとか生きていて欲しいとは思うよな」
「綺麗な人なんですか?」
「まあ、あの連中の中ではなぁ。でも全然鼻にかけないし、自分を拾ってくれたママに感謝して一生懸命に働いてるからな。みんなにも可愛がられてるよ」
「そうですか。幸せになるといいですね」
《他者の魂を、我が生の裡に体験するのだ。(Er erlebt das andere Leben in dem seinen.)》
「シュヴァイツァーの言葉だ。ユキはそれだけを願って生きている。あいつが死なないのは、自分が死ねばアベルさんも死ぬからだ」
「!」
「そういう人生もあるんだよ、亜紀ちゃん。辛いけどな。でも俺はあいつの生き方は嫌いじゃないよ」
「はい」
俺はパストゥールとシュヴァイツァーの確執の話をした。
そして、スープを飲み切らないと傷んでしまうと話し合い、二人で一生懸命に飲んだ。
でも美味いな、と言って笑った。
部屋に戻ると、響子と六花はぐっすりと寝ていた。
恐らく六花が剥がしたであろう布団を響子にかけてやる。
六花は寝相が悪い。
縮こまっていた響子が身体を伸ばし、微笑んだ。
二人を起こさないように、そっと横になった。




