山岸、敢闘。
山岸に任せたオペは、午前11時から始まった。
腫瘍が原因の腸閉塞だった。
山岸が全員に説明を始める。
「患者は42歳女性。5年前に子宮筋腫のため卵巣摘出および放射線治療を続けています。今回は大腸ガンによる複雑性腸閉塞。範囲は小腸から大腸の広範囲であり、複数個所の癒着と壊死があると考えられます」
オペ室は鷹が作っている。
山岸は説明の後に開始した。
鷹が隣に控えた。
レーザーでマークはある。
しかし、メスを握った山岸は踏み切れないでいた。
「先生、お願いします」
鷹が促す。
山岸が腹部にメスを入れた。
「ケリーを下さい」
鷹が血管の太さを確認し、見合ったものを渡して言った。
「先生、私たちに気遣いは無用です。集中してください」
山岸は頷いて動脈を挟み、他のナースに押さえさせて縫合する。
昨日までは俺やみんなから怒鳴られ叱責され続けていた。
しかし今日は違う。
すべてのナースや麻酔や輸血などを担当するスタッフが山岸の下につく。
唯一の例外は俺だけだ。
腹部を開くと、レントゲンやCTなどである程度は予想していたが、大分ひどい。
山岸は惨状に蒼くなった。
それでも、最初に腫瘍を摘出し、癒着部分を剥がしていく。
そして壊死し、穿孔のある部分の切除、吻合を繰り返す。
俺は山岸を止めた。
執刀医の交代を宣言させる。
8時間後、オペは終了した。
一息つく間もなく、次のオペに取り掛かり、3つすべてが終了したのは午後8時だった。
俺は最後のオペの連中と、食堂で俺が用意した叙々苑の弁当を食べる。
山岸はずっと黙ったままだ。
弁当にも口を付けない。
「なんだ、また食欲がねぇのか?」
「はい、申し訳ありませんでした」
俺は山岸の弁当を開き、肉だけ持ち去る。
「これで軽くなったろう。喰え!」
山岸は薄っすらとタレの乗った飯を食べ始めた。
「部長、自分はまったくダメでした」
「ああ」
「本当に申し訳ありません」
俺は肉を一枚だけ乗せてやる。
「お前がダメだったのは、すべて俺の責任だ。お前のせいではない」
「部長!」
「俺が普段からいい加減で、お前に有用なことをしてやれなかった。申し訳ない」
俺は頭を下げた。
全員が見ている。
山岸が泣いている。
俺は全員にもう一つずつ弁当を持たせ、解散した。
金曜日。
今日は一つだけのオペだ。
午後1時から始める。
俺は山岸をオークラの山里へ誘った。
「どうだよ、今週いっぱい俺に付き合って」
「はい。大変に申し訳ないばかりでした。自分の力不足を痛感しています」
「まあ、おっしゃる通りですな!」
俺はヒラメの切り身を口に入れて言った。
「でも部長! 決して自分の力不足は部長のせいではありません! 自分が今日まで何もしてこなかったせいです」
「そうさせたのが、俺の力不足だ」
「いえ、部長はこれまで自分にたくさんのことをして下さいました。先日の腸閉塞だって、以前に部長から回された論文をちゃんと読んでいれば」
「だから、それをさせなかった俺の責任なんだよ!」
「……」
「いいか、山岸。お前は俺の部下だ。だからお前のことは全責任が俺にある。お前がどんなバカでもヘタレでも、俺はお前をちゃんとした医者にしなきゃならん。それができなきゃお前の上に立ってる意義がねぇ」
「……」
「俺は殴るし怒るし嫌がらせもする。だけど、いつだってお前のために何をすればいいのかって考えてるぞ」
「部長…」
「これからだってそうだ。お前が俺の部下でいる限り、ずっとそうする。お前がいくらヘタレでいたいと思っていても、だ」
「部長、これからは心を入れ替えて励みます!」
俺は笑った。
「まあ、口じゃなんとでも言えるけどな。でも、まあその言葉を聞いて嬉しいよ」
山岸が泣き出した。
「ばかやろー。泣いてる間に早く飯を喰って午後のオペの資料でも読め」
「はい、すみません」
山岸は猛然と食べ始めた。
今週最後のオペが終わった。
一江と鷹を呼んだ。
会議室で打ち合わせる。
「鷹、山岸はどうだった」
「はい。最初はあんなものかと思っていましたが、執刀以降は変わりましたね」
一江も言う。
「私の所へ、部長に交代した後のことを聞きに来ました。山岸は開腹した瞬間に何をすればいいのか分からなくなった、と。あの状態では到底回復は望めないと諦めたと言ってました」
「まあ、そうだったろうな」
「一応は手順通りのことを進めはしましたが、そのまま閉じるしかないと」
「ああ。それでお前は何と言ったんだよ?」
「はい。お前と石神部長との違いは、やるのかやらないのか、だと」
「ほう」
「できたらいいな、という気分ですからね」
「じゃあ、お前は山岸はどうすれば良かったか話してやったか?」
「いいえ、それは」
鷹が聞いてきた。
「どうすれば良かったんでしょうか?」
「俺に聞けば良かったんだよ」
「「あ!」」
「だって、目の前にいるじゃん。何で聞かないんだよ」
「その発想は…」
「なんでだよ! 一江もまだまだ頭が堅いと言うか、カッコマンだよなぁ」
「申し訳ありません」
「現代人ってそうよな! なんか責任を背負ってますみたいに言うんだけど、俺に言わせりゃただ自分が恥をかきたくねぇだけよな。全部自分の力でやって、自分が評価されたいだけよ」
「はい」
「俺なんかは、手術が上手くいくことしか考えてねぇ。それ以外の何があるんだ? 責任って、俺はそういうことだと思うけど、お前は違うのか、一江!」
「申し訳ありません!」
「お前なら上手く話してくれると思っていたけどなぁ。これも俺の力不足だぁ」
一江が項垂れている。
俺は一江の肩を叩いた。
「もうちょっとしっかりしてくれ。お前には期待してるんだからな」
「部長……」
「お前らには俺がいる。どんなことでも、お前らのために俺は何でもやる。だからもっと俺を頼れよ」
「はい」
「来週はまたいねぇけどな。遊び歩いて申し訳ないけど、頼むぞ!」
「はい!」
「まあ、山岸も最後までついてきたからな。なかなか根性あるぞ、あいつは」
「はぁ」
「なあ、鷹。ずっと小突かれてバカにされっぱなしだったよなぁ」
「はい、本当に」
鷹が笑って言った。
「ヘタレなのは確かだけど、文句は一言もなかった。そうだよな、鷹」
「はい」
「何度か愚痴を聞いてやろうと思ったけど、自分が至らないってことだけよな。あれだけバカにされて、それでもそのことへの文句も批判も言い訳もねぇ。大したもんだと俺は思ったぞ」
俺はもう一度一江の肩を叩いた。
「頼むぞ、右腕!」
「はい!」
「じゃー、響子の顔でも見に行くかぁ!」
「私もご一緒します!」
鷹が言った。
一江は深々と頭を下げて、見送ってくれた。




