ありがとー、アリゲーター。
火曜日。
今日は三つのオペが入っている。
一つ厄介なものがあった。
交通事故で右足を骨折した患者だ。
骨は繋いだが圧迫された血管が上手く流れず、痺れが始まっている。
このままでは壊死の可能性がある。
そのオペで6時間を要した。
壊死した血管を切除し、人工血管に置き換える。
バイパスできる箇所は繋ぐ。
なるべく患者自身のものでやる必要がある。
壊死していない部分は拡張させるが、後にまた除去する必要がある。
細かい作業だった。
「自分の最長記録です」
「へぇ」
「そりゃ部長なんかは平気でしょうけど」
「まーな」
今日はまだ元気があるようだ。
昨日を乗り越えた経験が、既に生きている。
残り二つのオペを終え、6時には終わった。
俺は「吉兆」の弁当をみんなに配り、食べた。
山岸はガツガツと食べている。
「山岸、お前昨日オナニーしただろう!」
「え、なんで、すいませんでしたー!」
みんなが笑った。
「若いといいよなぁ。俺なんか週一だもんな」
みんなが笑い、鷹が一際笑った。
俺は響子の部屋に行き、明日の準備を二人でした。
六花には、今日は絶対に来るなと言ってある。
休みは必ずすべて休み、疲れを取ってから明日響子に笑顔で会えと。
響子の食欲が増したので、明日献立を一緒に見直そうと言った。
翌朝、俺はいつもより早く出勤した。
六花の驚く顔を見るためだ。
8時に響子を起こし、用意する。
いつも朝食は9時に届く。
響子が起きるのは8時半くらいだ。
その頃に六花が出勤する。
いくつもの皿に盛られたアリゲーターの足。
蒸し焼きにしたそれらは、まんま形が残っている。
爪が付いたままだ。
何本かは骨になっている。
部下たちに喰わせた。
六花の足音がする。
響子はアリゲーターの足を手に持っている。
俺はカーテンの脇に隠れた。
「響子、ただいまー! ギャァーーー!」
俺と響子は大笑いした。
「おう、お帰り! どうだ、響子はこんなに元気だぞ」
「六花、おかえり!」
六花は硬直している。
「お前も喰うか?」
「いえ、あの、それは」
「響子の大好物だ。結構美味いぞ?」
俺と響子はまた笑い、俺は早く響子の朝食を取って来いと言った。
やっと冗談だと六花は気付いた。
俺はアリゲーターの足を片付け、六花がちゃんとした食事を持って来た。
「一体何をやってるんですか」
「いや、二人で元気な顔を見せたいって話しててな」
「いっぱい食べてるところを見せようって言ったの!」
「はぁ。元気なのは分かりました。良かったです」
六花がテーブルに食事の用意をし、響子が食べ始める。
脇からアリゲーターの足を出すと、イヤーと言いながら喜ぶ。
「まさか、響子。食べてないですよね?」
「うん、ちょっとだけ」
「食べたんですか!」
「大丈夫だよ。ちゃんとした食品だ。良質のタンパク質でいいんだぞ?」
「そうなんですか」
「そうだよ」
六花は自分も食べてみていいかと聞いてきた。
俺は皿に乗せたものをやる。
「あ、美味しい」
「な?」
フライドチキン風にする人が多いようだが、淡白な味は香辛料と共に蒸し焼きにしてやるのが美味い。
「後で一緒に喰うか?」
「はい!」
響子がニコニコして見ている。
俺がまた足を皿に近づけると喜んだ。
響子が午後に眠ると、俺と六花は一緒に食堂に行った。
人が多い。
二便や三便の休憩者や、遅番の連中がごった返している。
俺は厨房長の岩波さんに調理をして良いか聞いた。
「ああ、石神先生、構いませんよ」
気軽にそう言ってくれたが、俺がアリゲーターの足を出すと慌てて止められた。
「先生、それはご勘弁を」
俺は仕方なくラップに包んで食堂に備え付けの電子レンジを使って温めた。
6本ほどの山盛りのワニの足を見て、みんながザワザワしている。
俺と六花は構わずにかぶりついた。
「お、やっぱり美味いな!」
「はい!」
美しい六花がアリゲーターの足から肉を噛み千切っているのは、ちょっとした見物だった。
食べ終わって「ゴミ」を捨てようとすると、また厨房長から嫌な顔をされた。
「ありがとーアリゲーター!」
俺がそう言うと食堂が爆笑し、厨房長も笑って許してくれた。
俺と六花は近所の喫茶店に移動した。
六花から休暇中の話を聞いた。
「みんなまた石神先生に会いたがってました。特にタケとよしこはまた遊びにも来たいと」
「ああ、来ればいいよな。俺も楽しかったし」
六花は向こうでの楽しい毎日を話してくれた。
みんなで親父さんと、また紫苑の墓参りに行ったそうだ。
タケの店は、本当に行列が出来るらしい。
「メニューにですね」
「ああ」
「「虎と総長は無料」ってあるんです」
俺は大笑いした。
是非行かせてもらおうと言った。
その日も午後から三つのオペをこなす。
夜の十時ごろに病院を出た。
俺は山岸に、一杯だけ付き合えと言った。
近くのショットバーに入る。
二人でウイスキーをロックのダブルで頼んだ。
「夜は眠れるか?」
「夕べは興奮して寝つきが悪かったですね」
「みんな切り替える自分なりの方法を見つけていくんだ。お前も早く覚えろ」
「酒を飲む、みたいなものですか?」
「まあな。でも一流は酒は使わない。いつ呼び出しがあるかも分からんからな」
「なるほど」
「一江はネット検索、大森は弟の写真を見ている。斎木はプラモデルで、斎藤は小学生だ」
「なんかとんでもない単語が聞こえたような」
「別に何でも構わん。とにかくそれで神経を切り替えて寝ることだな」
「部長は何を?」
「オチンチン体操だな」
寡黙なマスターが、プッと噴出した。
「斎藤さん、最近燃えてますね」
「そうか」
「暇さえあれば、しょっちゅうネッター(超有名な解剖図譜)見てますし」
「あいつも、ようやくだなぁ」
「自分は何をやればいいのか分からなくて」
「それはお前が本気でオペに立ち向かおうとしてねぇからよな」
「そうですか」
「自分でちゃんとやろうとすれば、不安だらけになる」
「はい」
「だから、その不安を消すために、みんな必死に何かやるんだよ」
「はい」
「お前はまだお手伝いのつもりだから、何もしねぇ。要は責任がねぇのな」
「なるほど」
「明日はお前にも執刀してもらう。覚悟しろ」
「え!」
俺は山岸に自分で必要だと思うことを言わせた。
「じゃあ、明日のオペまでにすべて済ませろ」
「は、はい!」
桜田通りに出て、タクシーを捕まえた。
山岸に、乗れと言う。
「部長、まだ電車で帰れますから」
「いいから、今日はタクシーで帰れ」
俺は一万円札を握らせた。
俺はもう一度店に戻り、ロックのダブルを頼んだ。
「大変ですね」
マスターが言う。
「いや、俺も散々やってもらった人間だから」
若い奴がダメなのは当たり前だ。
若さを誇る人間がいるが、それは間違いだ。
人間は、ダメだからこそ、何かを始める。
翌朝、山岸は6時に出勤し、オペの資料を読み込んでいた。




