蓮花
日曜日。
俺は栞に呼ばれていた。
朝食の後で、栞の家に行った。
「石神くん、わざわざごめんね」
「俺の家じゃ話せないってことだろう?」
栞が頷く。
中に入り、道場へ案内された。
「ちょっとね、実家に行ってたの」
栞は用事があるということで、沼津の寿司屋には一緒に来なかった。
道場の扉を開け、俺を中へ入れる。
誰かが床に座っている。
着物を着た小さな女性。
俺は身構えた。
「蓮華!」
そんなはずはなかった。
確かに蓮華は四散して死んだ。
しかし、目の前の女は蓮華にそっくりだった。
着ている着物まで同じだ。
赤の彼岸花を模したデザインだった。
「突然でごめんね。これは「蓮花」というの」
栞が説明した。
「石神様、蓮花と申します」
丁寧に床に指を突いて頭を下げた。
「どういうことだ?」
「蓮花は蓮華の双子の妹なの」
栞が話し出した。
蓮華と蓮花は斬の子どもであり、一緒に育てられたこと。
後に蓮華の特殊な才能を斬が見出し、斬が蓮花と共にある場所で育てたこと。
蓮花には特殊な才能は無かったこと。
「どうして俺に会わせる?」
「私がお願いいたしました」
蓮花が口を開いた。
蓮華とは違い、鈴のような澄んだ声だった。
「蓮華と私は、正反対の存在になるようになっています」
「なんだ、それは?」
「姉が愛した男を、私は嫌います。反対に姉が憎んだ男を私は愛します」
「何言ってんだ?」
「姉が破壊するのなら、私が守ります。石神様、私はあなた様のために存在し、私はあなた様を守ります」
「全然分からねぇ。お前に俺を守る力があるのか?」
「はい」
蓮花は表情を変えずに、俺を見ている。
「もう蓮華は死んだ。お前に用はねぇぞ」
「蓮華は石神様の脅威になるものを残しました。私はそれらからあなた様をお守りします」
どうにも気味が悪い。
違う人間だとは分かっていても、蓮華にそっくりな女を口でどう言おうが信用できるはずもない。
「お前が蓮華の妹だということは、見れば分かる。しかし、だからこそそのお前を信用できない」
「石神様がどうお考えになろうと、それは構いません。私はあなた様をお守りするだけです」
「俺の意志は関係ないということか」
「いえ。私はあなた様の命令の全てに従います。私はあなた様のものです。いかようにも御命じください」
「じゃあ脱げ。今から俺に奉仕しろ」
栞が何か言おうとして黙った。
「かしこまりました」
蓮花が立ち上がり、着物を脱いだ。
下着は付けていない。
俺に近づいた。
「失礼いたします」
俺は前蹴りで蓮花の腹を蹴り、数メートル飛ばした。
悲鳴も上げない。
そのまま床に跪き、俺に失礼を詫びた。
「もういい。悪かった。服を着てくれ」
「はい」
痛みと痺れで動けない蓮花を、栞が手伝って着物を着せた。
蓮花を残し、俺と栞は2階のリヴィングへ移動した。
栞がコーヒーを淹れる。
「あれは俺に絶対服従ということか?」
「そう。一応は石神くんの命令に抵触しない限りは、私の言うことも聞くけど」
「なんでまたあんな奴が」
「おじいちゃんがね、そういうように育てたの。蓮華の才能はともすれば「花岡」に脅威となる。だからそれに対抗するものを蓮花に背負わせたのね」
「でも蓮花には何の才能もないんだろう?」
「そのあたりは私にも分からないの。でもおじいちゃんが蓮花を石神くんに会わせるようにって」
俺の傘下につくことを、斬は本当に認めたのか。
「おじいちゃんは、蓮花が石神くんの力になるって言ってた。私はそれを信じたから連れて来たのよ」
「そうか」
先ほどは、蓮花の言葉を試した。
自分の命に関わることで、俺に抵抗があれば、それだけのことだった。
しかし、蓮花は俺に殺されようとも、それを受け入れる女であることが分かった。
「力になるかはともかく、俺はあんなのを傍には置けないぞ」
「うん、分かってる」
「ここに住まわせるのか?」
「いえ、一度実家に戻すわ。でも、おじいちゃんはいずれ蓮花が必要になるだろうって言ってた」
「そうか」
斬は蓮華のことで、何か知っているようだ。
「蓮花が言っていた、俺を脅かすものってなんだと思う?」
「よくは分からないけど、多分人間を操ることだと思う」
俺もそう思った。
「石神くんも知っての通り、うちの「人参」には特殊な効果があったよね? あれの改良に蓮華も関わっていたらしいの。その他にも、今でいう薬学や医学の知識のようなものも、結構あったようね」
「その知識と技術が「業」に渡っているということか」
栞が頷いた。
「それに対抗できるものをあの女が持っていると?」
「分からない。蓮華のことも蓮花のことも、今回初めておじいちゃんから聞いたの。「花岡」にはそういうことがあるのね」
コーヒーを飲み終え、俺はもう一度道場へ行った。
「蓮花、お前のことは保留だ。一度田舎へ帰れ」
「かしこまりました」
「さっきは悪かったな。大丈夫か?」
蓮花が初めてうっすらと笑った。
「ありがとうございます。大事ありません」
「そうか」
「詫びに、手料理で済まないが振る舞わせてくれ」
「お食事でしたら、私が」
「いや、詫びだ。俺が作る」
「かしこまりました」
俺は蓮花をリヴィングに移動させ、栞のキッチンを借りて食事を作らせてもらった。
簡単なものだ。
桜エビがあったので、それのかき揚げ。
里芋の煮物。
香の物。
それだけだ。
米が炊き上がる間に、すべて作った。
蓮花はずっと俺を見ていた。
「ありがたく、頂戴いたします」
蓮花は丁寧に手を合わせ、さらに俺と栞に頭を下げてから食べ始めた。
非常に美しい所作だった。
食べ終わり、また丁寧に礼を述べる。
栞が茶を煎れてくれた。
「石神様、大変においしゅうございました」
「そうか」
「このお食事のお礼の他に、もう一つお礼を言わせていただきたいと存じます」
「なんだ?」
「蓮華の着物を石神様が拾って下さったと聞きました。ありがとうございました」
「あれは偶然に拾っただけだからな。現場に何も残したくはなかっただけだ」
蓮花が否定してきた。
「いいえ。あれは石神様が懸命に探して下さったことは分かっています。斬様が姉の供養に必要になるだろうとのお考えで、そのようになさったことだと」
「……」
「蓮華からそのように承っております」
「なんだと?」
「私たちは、そういう繋がりでございます。姉は死んで、呪縛を解かれました。だから私には、姉の心が隅々まで分かります」
俄かには信じがたいが、俺はルーとハーの絆を見て、そういうこともあるかと思った。
「もはや姉には石神様を憎む気持ちはございません。むしろ、呪縛から解き放って下さったことに感謝しております」
「俺にはよく分らんよ」
「はい」
蓮花は口を閉じた。
「一つだけ聞きたい」
「はい、なんなりと」
「蓮華との戦いの中で、一際強い男たちがいた。そのことは分かるか?」
「はい。私たちの三人の兄でございましょう」
「!」
「蓮華は人間を支配し、能力を高める研究をしておりました。その研鑽で兄たちに最高の施しをいたしました」
「そうだったか」
俺は栞の家を出た。
今日にでも、蓮花を実家に送り届けると言っていた。
俺は俺たちを覆う、「愛」の暗い影を思った。




