祝賀パーティ
俺と響子は、二人きりで食堂にいた。
もう20時を回り、食堂には誰もいなかった。
本来は、立ち入り禁止の時間帯なのだ。
灯も、一部だけしか点いていない。
響子がオムライスを食べたいと言ったから。
しょうがないじゃないか。
帰りがけの厨房長・岩波さんに頼み込み、使わせてもらう許可を得た。
俺は時々自分で調理させてもらっている。
自分のため、ときには部下たちや長時間のオペに付き合ってくれた人間たちの夜食などを作ってやったりもする。
「材料は好きに使ってください。ああ、後片付けと火の始末だけは、絶対お願いしますね」
そう言って、岩波さんは厨房の鍵を預けてくれた。
「ああ、いい匂いがする。タカトラはお料理がうまいよね!」
テーブルで待つ響子が大きな声で言う。
「小さな声で喋れ!」
体力を著しく喪った響子は、それほど気を遣った。
俺は手早くご飯を炒めた。
岩波さんが少し残してくれていた。
卵を割り、軽くかき混ぜてケチャップご飯を包む。
ふんわりと仕上がった。
テーブルに運び、俺は響子の前に置いた。
「おいしそー!」
スプーンの先をちょっとだけ舐めて、オムライスに突き刺した。
少なめに作ったつもりだが、三口ほどで響子は食べれなくなったようだ。
まだ胃が恐ろしいほどに弱っている。
でも、食欲が戻ったのは、確実に身体が栄養素を求めているからだ。
自分に足りないものをどんどん体内で提示され、それを欲して食欲として出ている。
大変に良い傾向だ。
「おい、無理して食べようとするなよな。消化だって体力を使うんだからなぁ」
満腹になったのは、身体が消化とのバランスをとったためだ。
人体というのは本当に深遠だ。
響子はしばらくスプーンをもてあそび、一口すくった。
「あーん」
「なんだよ、それ」
「はい、あーん!」
「やんなきゃダメなのか?」
お袋にもやられた記憶がねぇ。
「あーん」
俺が口を開くと、響子が突っ込んで来る。
前歯にスプーンが当たり、カチンという音がした。
「おまえ、ヘタクソだなぁ」
俺は咀嚼しながら言う。
響子は頬を膨らませて俺を睨む。
怖くねぇ。
カワイイ。
「ああ、でも響子に食べさせてもらうと、本当に美味いな」
俺がそう言うと、たちまちに顔を綻ばせた。
響子は奇跡的に一命を取り戻した。
そうだ、彼女は取り戻したのだ。
《我は包帯を巻くのみ、神が癒し給う(Je le pansais, Dieu le guerit.)》
俺が最も尊敬する、近代外科学の父と呼ばれるアンブロワズ・パレの有名な言葉だ。
ロックハート参事官はやけに俺に感謝していたが、それは違う。
俺が治したのではない。
神だ。
その次に神に愛された響子だ。
文字通り身体を切り刻まれ、大量の血を流しながら戦った英雄だ。
俺は神に感謝し、英雄を褒め称える。
響子がICUから出て、亜紀ちゃんたちも時間の許すかぎり、響子のお見舞いに来た。
見舞いの時間一杯までいて、俺と一緒に帰ることも多かった。
あの大手術から二週間後。
俺は祝賀会というか、礼の意味も含めてレストランを借り切ってのパーティを開いた。
当然俺の子どもたちもいる。
院長が開会の挨拶。
「ええ、世界的にも例をみない大手術でした」
「石神医師を初め、執刀医となった医師たちは、その困難を見事に……」
長ぇ。
「乾杯!」
俺は大声で言った。
会場が爆笑の渦に包まれ、みんなが笑いながらグラスを近くの人とぶつけ合う。
「おい、お前! 俺の話が!」
マイクを持って院長が怒鳴るが、また大きな笑いが起きる。
俺は早々に駐日大使とロックハート参事官のところへ急いだ。
これでゴリラは何もできない。
「今日は本当にいい祝賀会だ。私はこんなに素晴らしいパーティには出たことがない」
ロックハート参事官が満面の笑みで俺のグラスにぶつけてくる。
「君は奇跡の男だ。アメリカへ移住したいのならば、いつでも声をかけてくれ」
もちろん、行く気はない。
「しかし君のボスはあれでいいのかね?」
大使が心配そうに言ってくる。
「大丈夫ですよ。あれで器の大きな人間ですから、あはは」
「誰の器がなんだってぇー!」
後ろに恐ろしい顔をしたゴリラがいた。
「まったくお前はいつもいつも!」
俺たちは笑った。
「これは大使に参事官殿、わざわざこんなバカのためにご出席を賜り……」
「乾杯!」
「お前、本当にふざけんなぁ!」
大使たちが大笑いした。
まあ、院長も今日ばかりはふざけても多めに見てくれる。
会場のいくつかで、既に人だかりができている。
一江に大森、斉木が囲まれているのだ。
○○たち第二外科も何人かに声をかけられている。
第二外科の人間たちは手術の最初から最後まで控えとして待機し、終盤では必要も無いのに手術室の外で待っていてくれた。
そのお蔭で最後に俺たちが倒れた瞬間に駆けつけ、オペを仕上げてくれた。
これが俺が正式に報告した記録に記載されたことだ。
その心意気が大評判となり、第二外科の面々の株を大いに上げた。
青山にあるここの会場、「1999」は、「ロアラブッシュ」というレストランを含むミュージアムだ。
アルテの作品が多く展示されている。
旧い洋館を改修した素晴らしい場所だ。
友人が経営者の一人であり、今回は急で無理を言ったが、こころよく提供してくれた。
ビュッフェ形式で頼み、みんな好きな場所で好きな人間と語り合う。
「石神先生、おめでとうございます」
花岡さんが寄ってきた。
今日は白から紫のグラデーションのドレスを着ている。
化粧もいつもより濃い目で、非常に美しい。
胸元には小さなダイヤをトップにしたネックレスが光っている。
「いや、別に俺にめでたいことなんて無いんですが、あの手術に関わってくれた方々に、是非お礼をしたくて」
花岡さんは、珍しく若干酔っているようだ。
「あ、飲んでますね、今日は」
俺が言うと、ちょっと恥ずかしそうにする。
俺たちは周囲に並べられたイスに並んで座った。
「石神くんはまた、すごいことをしちゃったのね」
花岡さんは、前を向いてそう言った。
「夢中でやってたんで、覚えてませんよ」
俺が笑うと、花岡さんもウフフと笑った。
「でもね、本当にみんなのお蔭なんですよ。斉木なんて、途中で倒れちゃった麻酔医の代わりに最後まで数値を見張ってましたし。一江も大森も本当に頑張った」
一番頑張ったのはあなたじゃない。
小さく呟く花岡さんの声が聞こえた。
本当に戦場だった。
第一外科の面々は総動員だったし、ナースたちも交代はしていたが、みんな長時間の中で頑張ってくれた。
だから奇跡は起きてくれたのだと思う。
「石神くんは本当にすごい。学生時代から知ってるけど、昔からそうだったの」
誰に言うともなく、花岡さんはそう言った。
「どんどん遠くなってしまう……」
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
学生時代。
うちの大学は青白いガリ勉ばかりだと世間一般では思われているが、決してそんなことはなかった。
まあ、今は知らんが。
少なくとも俺が通っていた時代は、まだ蛮カラがほんのりと残っていた。
ある時、K大学の応援団員がうちの大学に乗り込んできた。
「オイ! 青白いガリ勉たちよ! 俺に喧嘩を売ろうって奴はいないか!」
心底イタイ連中がきた。
高校生までだろう、そういうのは。
だが、俺は大好きだった。
本当に三度のメシよりも。
俺は10人ほどの連中を連れた、団長と呼ばれる男と喧嘩した。
3秒で終わった。
リーゼントを掴んで腰を曲げさせたところに、膝蹴りを顔面に。
それだけで沈んだ。
顔面を血まみれにして倒れた団長を見て、他にやる気のある奴はいなかった。
その後、5回も再挑戦に来やがった。
恐ろしいことに、毎回同じパターンで団長は沈んだ……。
これは何かの儀式なのか?
6度目に来た時、俺が言った。
「おい、毎回同じパターンでやられてるのは分かってるのか?」
「?」
マジモンだ。
こいつら真性のバカか。
俺が説明してやると、
「今日はなし」
と言って帰っていった。
その翌日に、団長は丸刈りにしてやってきた。
俺は両耳を掴んで顔面に膝を入れた。
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「ほら、石神くんって、常識ハズレだったじゃない」
花岡さんは思い出したのか、笑いを堪えながら言った。
何度目かから、花岡さんが毎回見ているのに気付いた。
「私、あの時思ったの。石神クンって、喧嘩も美しいんだけど、本当に優しい人なんだって」
「ええ、そうなんですか?」
「うん、だって相手にわざわざ教えてあげるんだもん。それに6回も付き合ってあげるなんて、普通はできないよ」
「そうかなぁ」
「そうだよ。あの時からずっと、私の憧れの人」
「え?」
花岡さんは立ち上がって俺の手を引っ張る。
「ほら、みんなが石神先生に挨拶したがってますよ。そろそろ行かないと!」
花岡さんがそう言うんで、俺は他の場所へ移動した。
花岡さんは、「食い」に専念している俺の子どもたちの方へ行った。
あの人がいれば安心だ。
読んでくださって、ありがとうございます。
面白かったら、どうか評価をお願いします。
それを力にして、頑張っていきます。




