栞、ドライブ。 Ⅱ
俺たちはゆっくりと歩いて、防波堤の先の灯台まで歩いてみた。
多くの釣り客が、途中で糸を垂らしている。
釣りの面白さは分かるが、俺はほとんどやらない。
子どもの頃はよくやった。
俺の食糧にするためだ。
でも今はいい服を着ていたい。
魚も喰いたければ喰いに行くか買えばいい。
まあ、もちろん釣りの楽しみは食べるためだけではないのは知っている。
俺の子どもの頃。
日本は世界最大のマグロの漁獲高を誇っていた。
伝説的な船頭や船舶会社の人間たちがいた。
日本の船は世界最高だった。
しかし、日本が豊かになるにつれ、漁船は減った。
一旦航海に出れば何か月も帰って来れない。
きつい毎日だ。
だから漁船は第三国に移り、日本は「買う」国に堕ちた。
まあ、俺が何か言うことでもないのだが。
そんなことを考えながら、釣り人に時々話しかけ、連れ具合を見せてもらった。
「ちょっと寒いね」
栞が俺にくっついてくる。
釣り客が、歩く俺たちを見ていた。
声を掛けると驚かれた。
灯台の下に着いた。
「私もね、ずっと嫉妬してたんだ」
栞が言った。
風が強かった。
俺たちは少し大きな声で話した。
「奈津江が羨ましかった」
「そうですか」
「石神くんは気づいてた?」
「さあ」
「うそ」
「……」
月光が海面に映えている。
波が穏やかで、月が浮かんでいるように見えた。
「奈津江は幸せよ」
「だった、じゃなくて?」
「だって、今でも石神くんの心を離さないんだもん」
栞は俺の前に回り、抱きしめてきた。
俺は腰に手を回した。
「私も今は幸せ」
「そうですか」
「石神くんは、いつも私の遠くにいるの」
「そんなことは」
「二十年だよ」
「?」
「二十年も、ずっと私は遠くの石神くんを見てた」
「はい」
「奈津江がもう一回生まれちゃうよ!」
「アハハハ」
俺は栞にキスをした。
「でも、今はちょっと近いかな」
「そうですか」
「うん」
俺は力を込めて、栞を抱きしめた。
愛おしい。
「石神くん」
「はい」
「好き!」
「俺も!」
離れた場所で拍手が沸いた。
釣り客たちが集まって俺たちを見ていた。
「うぉー! 映画みてぇだ!」
「あんちゃん、幸せにしてやれ!」
「いいもん、あんがとなー!」
俺と栞は肩を組み、笑顔を振りまいて退散した。
「誰かスマホで撮影とかしてました?」
「ううん、見てないけど」
「こんなのネットに上がったら大変だ」
「じゃあ、全員「虚震花」で」
「絶対やめてください」
俺たちは笑って戻った。
折角沼津に来たのだからと、俺たちは寿司屋に入る。
港の近くの寿司屋は大抵美味い。
カウンターで幾つか注文し、あとはお任せで頼む。
キンメダイの握りが美味かった。
俺が褒めると、大将が喜んだ。
この店の売りらしい。
「お腹空いてますか?」
大将に聞かれた。
「はい、結構」
桜エビのかき揚げが出てきた。
香りがよく、甘い味が口に拡がる。
大将は客を見る目がある人だった。
だからだろう、店は賑わっている。
俺たちの服装を見て、無理のない範囲でいい物を出そうとしてくれる。
本当に美味くて、栞と結構食べた。
「美味い店ですけど、子どもたちは連れてこれないですねぇ」
「ネタを喰い尽くしそうよね」
「マジデマジデ」
「お子さんは何人で?」
大将が話しかけてくる。
「四人です」
「エッ! こんな綺麗でお若い奥さんなのに?」
栞が大喜びした。
「大将! 一番高いネタを!」
「へい!」
大将が笑顔で返事した。
キンメダイが美味かったので、俺は煮物も頼む。
酒が欲しい。
煮物と、小さな茶碗が来た。
気の利く店だ。
栞が一口欲しいと言うので、箸を渡した。
「美味しい!」
「仲がよろしいんですね」
「大将! 一番高いネタを!」
「へい!」
俺たちは美味い飯の礼を言い、店を出た。
「あー、美味しかった!」
「そうですね」
「また来ようね!」
「はい」
「鷹とは何を食べたの?」
「ああ、ちょっとコーヒーを飲んだだけでした」
「か、勝ったぁー!!!」
俺は大笑いした。
鷹の手料理を食べたことは黙っている。
駐車場で、しばらくエンジンの暖気を待っていた。
「ねえ、キスしよう」
栞が言う。
「今は魚臭いですよ」
どこかで歯を磨くと言って聞かない。
俺は仕方なくキスをした。
やっぱり、魚臭かった。




