顕さんの入院。 Ⅱ
顕さんは、よく響子の病室を訪れた。
最初に六花を見た時に、その美しさに驚かれた。
「綺麗な人だなぁ」
「響子の専属看護師の一色六花です」
俺が紹介した。
「こんな綺麗な人は見たことが無い」
「私は石神先生のに、ウゲェフッ!」
俺の手刀がわき腹を突き刺す。
「すいません。まだ日本語が上手く喋れなくて」
「私は日本人です」
顕さんが笑われた。
顕さんは、響子が俺に甘えているのを見て、いつもニコニコとされた。
響子の姿に、奈津江を思い出していたのだろう。
俺のセグウェイを顕さんに貸し、よく響子と遊んだ。
「おい、石神くん!」
俺の部屋まで響子とセグウェイで来て、俺が叱ったこともある。
「顕さん、ここはセグウェイを使ってはいけません! 他の患者さんや病院スタッフの迷惑になります」
「そうか、申し訳ない」
「響子も知ってるだろ!」
「ごめんなさい」
まあ、本当に仲良くなった。
「私がタカトラのヨメの響子です!」
「私がタカトラの兄の顕です!」
俺が響子の病室へ行くと、そんなことを言われた。
「私がいしが、ゲェッフ!」
「おい、石神くん、言わせてやれよ!」
俺たちは笑った。
顕さんのオペの日程はすぐに決まった。
俺が事前に準備していたためだ。
検査の結果が出揃い、やはり腫瘍は胃だけだった。
胃の三分の一の切除が必要だが、生命に支障はない。
時間はある程度かかるが、元に戻る。
手術後に退院してもいいのだが、俺は徹底的に治すつもりでいた。
半年はかかるだろうが、そのことも顕さんに了承してもらっている。
手術前の体力作りのため、顕さんは栄養価の高い食事に切り替えられた。
俺が直接、栄養士と話し合い、院長の許可も得て、響子と同じくオークラから取り寄せることとなった。
時々、俺と一緒に外に食べにも出た。
「こんなことしても、いいのか?」
「はい。顕さんですから!」
俺が笑って言うと、顕さんは苦笑された。
子どもたちも、学校の帰りによく見舞いに来てくれた。
響子の部屋にも寄り、みんなで楽しく話した。
顕さんの手術は、俺が執刀した。
1時間もかからずに終わった。
念入りに胃壁を見たが、検査の結果通りで安心した。
腹部を切開したので、数日顕さんはベッドに縛られた。
「石神先生! 響子ちゃんが倒れました!」
家に当直のナースから連絡が入り、俺は病院へ急いだ。
俺が響子の病室へ行くと、響子はベッドでジュースを飲んでいた。
「響子!」
「すみません。気づかなかったのですが、響子ちゃんは紺野さんの部屋へ行こうとしていたみたいで」
「歩き回って倒れたのか」
「倒れるまでは。ただ、廊下でしゃがんでいて」
「バカ!」
「エヘヘヘ」
手術を終えた顕さんを、見舞おうとしていたらしい。
俺は響子を抱きかかえて、顕さんの病室へ行った。
顕さんは寝ていた。
「ほら、安心したか?」
「うん」
響子は降ろして欲しいと言い、顕さんのベッドに近づき、手を額に乗せた。
「いたいの、いたいの、いたくない!」
小声でそう言った。
翌朝、俺は顕さんの病室へ行き、響子がやったことを話した。
「そうか、それは石神くんにも迷惑をかけたな」
「いえ、俺なんかはいいんです。それにしても、響子が随分と懐いてくれましたね」
「そうだなぁ」
顕さんはまだ点滴だ。
何も食べられない。
それにあと一日はベッドから動けない。
「後で響子を連れてきますね」
「うん、頼むよ」
顕さんが、泣いていた。
「石神くん、ありがとう」
「どうしたんですか」
「俺は、こんな幸せな日が来るなんて、思ってもみなかった。奈津江が死んで、こんなに」
「何を言ってるんですか」
「君の家に行き、君の別荘にまで連れて行ってもらって。死にたいと思っていた自分が、生きようとしたら今度はこんな……」
「俺が言ったじゃないですか。できるだけのことはしますからって」
「そうだったな。君は本当にそう言った」
ゆっくり休んでくださいと言い、俺は病室を出た。
ありがとう、と聞こえ、振り向くと顕さんの後ろで窓が輝いていた。
響子が午睡から覚めたので、顕さんの部屋へ連れて行く。
「響子ちゃんのお陰ですっかり痛みが取れたよ!」
顕さんが嬉しそうに言った。
「ほんとにー! よかった!」
六花が顕さんの腹部に触った。
「いたいいたい!」
俺は六花の頭を殴る。
「お前!」
「いえ、奇跡が起きたのかと」
「起きたんだから、台無しにするな!」
顕さんが大笑いして、また痛がった。
響子は毎日呪文をかけにくると言った。
顕さんが泣き出したので、俺たちはそっと病室を出た。
顕さんの見舞いの帰りに、亜紀ちゃんが双子を連れて俺の部屋に来た。
「おう!」
そういえば、俺の部屋に子どもたちは来たことが無い。
双子が珍しそうにいろいろ見ている。
「顕さん、お元気そうで良かったです」
「ああ、亜紀ちゃんたちが来ると喜んで下さるんだ」
斎藤がPCの前で唸っていた。
他の科のデータを借りて、血液検査のデータベースを作らせていた。
「おい、斎藤にアドバイスしてやれよ」
双子に言った。
「「はい!」」
双子が斎藤のデスクに行く。
少し話をして、斎藤に言った。
「斎藤さん、これデータ均してないないじゃん!」
「サンプル数が1000もないんだから、このままじゃ多変量解析なんてできるわけないじゃん!」
「グオォー!」
斎藤が叫んだ。
一江に頭を殴られた。
双子にデータの均し方を教わり、他にもいろいろ説教されている。
そのたびに「すみません」と言い続けていた。
他の部下たちは、笑いながらみていたが、徐々に引き攣っていく。
「部長、アルバイトで雇いませんか?」
一江が部屋に入ってそう言った。
「ダメだよ。あいつらはこんなとこでやってる場合じゃねぇんだ」
「ほぇー」
ヘンな声を出しやがった。
亜紀ちゃんが笑っていた。
「ルーとハーは、皇紀と一緒に量子コンピュータを作ろうとしてるんですよ」
亜紀ちゃんが言った。
「なんですってぇ!」
「まあ、できなくて構わないけどな。むしろできないことに挑戦することをだなぁ」
「部長! 私も手伝わせてください!」
「なに言ってんだよ」
「お願いしますぅ!」
うっとうしいので、また今度と言って追い出す。
不満そうな一江は斎藤のデスクに行き、頭をひっぱたいて「早くやれ」と言った。
誰に似たのか、暴力的な奴だ。
俺は子どもたちに食堂で何か飲んでろと言い、一緒に帰った。
電車で帰る。
「タカさん、いろんな人がタカさん見てますよ」
亜紀ちゃんが小声で言った。
「いつものことよ」
だから電車は嫌なのだ。
家に帰ると皇紀が文句を言う。
「みんな、遅いよー!」
一人で夕飯の支度をしていた。
三人で笑い、すぐにキッチンに入った。
俺も手伝う。
今日は生姜焼きにポテトサラダだ。
それにアスパラガスと大根のキンピラ。
食事をしながら、亜紀ちゃんが言った。
「顕さんに料理を持っていくのって、ダメですか?」
「いや、いいんじゃないか。今度メニューを決めよう」
「はい!」
俺は食事の後で、奈津江の位牌に手を合わせた。
無名だった位牌には、顕さんの許可を得て戒名が入っている。
「奈津江、顕さんが幸せだって言ってくれたぞ」
小さな位牌が、ほんの少し揺れたような気がした。




