顕さんの家
亜紀ちゃんとドライブした翌日の日曜日。
俺は顕さんに電話をした。
「おい、石神くんが電話をくれるなんて」
「こないだは、ご馳走になりました。家にまで泊めていただいて」
「いや、僕の方こそ楽しかったよ。悪かったな、無理に引き留めて」
「顕さんのお陰で、奈津江の仏壇に手を合わせることが出来ました」
「なんだよ。いつでも来てくれよ」
「はい。それで今度、うちへお招きしたいと思っているんですが」
「え! ほんとうか!」
顕さんは喜んでくれた。
「顕さんのよろしい時に。土日でしたら都合がつきます」
「じゃあ、次の土曜日でもいいか?」
「はい、もちろんです。じゃあ、お待ちしてます」
本当に喜んでくれた。
俺も、亜紀ちゃんのお陰で、一つの区切りが付けられそうだった。
亜紀ちゃんに、顕さんが来週来ることを告げる。
亜紀ちゃんも喜んでくれた。
「じゃあ、美味しいものを用意しましょう!」
「いつものパターンだな」
俺は苦笑する。
まあ、大食い大会になれば、大体の人が喜んでくれるしな。
俺は亜紀ちゃんと、食事を何にするかを相談した。
「すき焼きなら、間違いはないんですけどねぇ」
「そうだな。でもワンパターンみたいだよなぁ」
「「うーん」」
「顕さんは、何がお好きなんでしょうか」
「そうだな。こないだは焼き魚とかを召し上がっていたなぁ」
「大量の焼き魚じゃ、ちょっとですよね」
「お前らはいいんだけどな。じゃあ、魚の鍋にするか」
「あ、いいんじゃないですか?」
「顕さんも結構なお年だし、肉じゃない方がいいだろう」
「そうですね」
「じゃあ、取り敢えず寄せ鍋にするか。あとで魚を選ぼう」
「はい!」
四月初旬の土曜日の午後。
顕さんがいらした。
1時丁度に、門のインターホンが鳴った。
俺が出迎える。
「いや、驚いた! 都心にこんな家を持ってるとはなぁ!」
「昔、顕さんにアドバイスをいただいたものを、大いに取り入れているんですよ」
「そうかぁ。それは楽しみだなぁ」
玄関で子どもたちが待っている。
「「「「いらっしゃいませー!」」」」
「こんにちは。今日はお世話になります」
顕さんはにこやかに、そう言った。
俺は一階の応接室へ通し、まずは一服していただく。
亜紀ちゃんが紅茶を出してくれる。
「タバコは自由に吸ってください。子どもたちの前でも遠慮なくどうぞ」
「そうか。悪いな」
そう言って、顕さんはセブンスターを取り出し、旨そうに煙を吐いた。
「こんな広い家に、独りで住んでいたのか」
「はい、物が多いもんで」
「俺なんかは、あの家が広くて寂しいよ」
「じゃあ、また遊びに行ってもいいですか?」
「もちろんだよ! いつでも来てくれよ!」
顕さんが嬉しそうに言う。
「じゃあ、お恥ずかしいんですが、ちょっと家を案内させてください」
俺はまず地下の音響ルームに行った。
「おお! あの時に話していた防音の部屋だな!」
「はい。顕さんが完全に防音をするのなら、地下がいいだろうって。その通りにしてみました」
顕さんは目を輝かせて部屋を見回った。
「このスピーカーはパラゴンだろ? すごいな。 こっちはゴールドムンド、あれはアヴァンギャルドかよ!」
さすがに顕さんは詳しかった。
「ちょっと聴いてみますか?」
「是非頼む!」
俺はLPレコードでアヴァンギャルドを鳴らした。
モーツァルトの『弦楽五重奏曲』だ。
アルバンベルクの演奏のものを選んだ。
「やっぱりスゴイな!」
喜んでくださった。
一通り、他のスピーカーの音も聴いていただく。
「石神くんはやっぱりスゴイよ。今日はこれを聴けただけで幸せだ」
俺は二階に案内した。
リヴィングの大きなテーブルを見ていただく。
「ああ、奈津江とヨーロッパの貴族のような食事をしたいって話してたよな」
「はい。遠く離れて食事をするのも面白いんじゃないかと」
「でも結局、小さなコタツがいいって言ってたよな」
「はい。小さなコタツはないんですが」
「そうか。でも君はここにもあの時の話を取り入れてくれたんだね」
「顕さんの大事なアドバイスでしたから」
今は、子どもたちが勉強をしている。
二人だけの食事の風景は、まったく無かった。
「ああ、お邪魔してごめんね。気にしないで勉強してください」
「子どもたちには、学校でトップの成績を取れと言っているんです」
「そうなのかい? 大変じゃないか?」
「いいえ。学校の勉強は大体終わっていて、ほら、こいつなんかドイツ語をやってますよ」
俺は皇紀の文法書を顕さんに見せる。
「ゲーテを原文で読みたいというんで、やらせているんです」
「石神くんの子どもたちはすごいなぁ」
俺は笑いながら、そんな大したことではないと言った。
「まあ、勉強は強制でしてるんですが。生憎、道徳的なこととかが全然ダメで」
「そうなのか?」
「この双子なんか、小学校の番長ですよ。全員手下なんです」
「え!」
「まいりますよねぇ。まだ小四なのに、上級生まで支配してるんですから」
「なんかすごいな」
双子がニコニコして見ている。
俺が手を振ると、嬉しそうに振って返して来る。
「まあ、カワイイんですけどね」
「そうか」
俺は三階を案内した。
俺の寝室に、顕さんは唸った。
「あの時の話の通りじゃないか。いや、それ以上だな」
「はい。まったく顕さんの言う通りにしました。見てくださいよ、あの十字架。顕さんが言ったとおりに、地震でも荷重が掛からないような構造になってます。それに、万一破損しても交換できるように」
顕さんは涙ぐんでいた。
「これを奈津江に見せたかったな」
「そうですね」
ガラスの両開きの扉を開け、テラスに出ていただく。
「やっぱりいいな」
「ええ。でも、夏場はあのガラス扉が結構暑いんですよ」
「ああ、なるほど。あれだけ大きなガラスだと、遮熱は難しいよな。これは失敗だったな」
顕さんが笑った。
「遮光カーテンを取り付けたんですが、閉めると雰囲気が台無しで。頑張ってなるべく開けてます」
顕さんは、最新の遮光フィルムの話をしてくれた。
俺は早速検討すると感謝した。
「このデスクはカッシーナか」
「やはりお詳しいですね」
「そりゃ、長年設計畑で生きてきたんだからなぁ。調度品も勉強しているよ。自分じゃとても、だけどなぁ」
「座ってみてくださいよ」
俺は顕さんを座らせた。
「ああ、やっぱり威厳があるなぁ」
「そうですよね。お気に入りです」
顕さんは声を上げて笑った。
顕さんは俺の寝室兼書斎をじっくりと見て回った。
「壁はもしかしてアズールバイアか?」
「やっぱり詳しいですねぇ」
「もちろん、見たのは何度もないよ。驚いたな。こんな大きな壁を囲うってって、一体いくらになるんだ?」
「さあ、忘れました」
「それで、完全防音なのか!」
「はい! 顕さんの言う通りに!」
二人で笑った。
「まあ、使う機会はないんですけどね」
「ほんとうか?」
ウソです。
俺は周囲の子どもたちの部屋も開けて見ていただく。
うちにはプライバシーなんて無い。
「本当に子どもの部屋になってるんだな」
「これはあいつらを引き取ってのことで、偶然ですけどね」
「でも、奈津江の夢が叶ったんだな」
「はい」
俺はまた二階に戻り、サンルーフを見せ、他の部屋も一通り案内した。
最後に蔵書室へ行った。
「ここもまたスゴイな。あの時の話には出なかったよな」
「ええ。元々本が好きだったんですが、好きなように買ってたらこんなになりました」
建築関係の書架に行く。
顕さんに紹介された本も多い。
「このテーブルもいいなぁ」
顕さんは、巨木を切った、年輪が見事なテーブルを気に入った。
「骨董品で見つけまして。一目惚れで買いました」
「いいよ、これは。探したって見当たらないものだよ」
「そうですか」
俺たちはリヴィングに戻って、一服する。
ソファに座り、コーヒーを出す。
遠慮している顕さんにタバコを吸ってくださいと頼む。
「いやぁ、いい家だ」
「ありがとうございます」
「本当に俺たちが話したことが実現したんだな」
「はい」
「ありがとう」
「いえ、本当は顕さんに頼みたかったです」
「そうか」
顕さんは薄く笑ってくれた。
「ああ、そうだ。まだあっただろう?」
「はい?」
「ほら、石神くんは音楽が好きだから、風呂場で音楽を聴きたいって」
「ああ、あれは今晩見てみて下さい」
「そうかぁ。楽しみだなぁ」
「それとさ。アレが一番気になってるんだ」
「アレですよね。俺が冗談半分で言った、ガラスの通路」
「それだよ! あるのか?」
「すいません。この家では作れなかったので、別荘で実現しました」
「ほんとか!」
「今度ご案内しますよ。想像以上のものでした」
「絶対に見せてくれ!」
俺は席を外し、写真を持ってきた。
「これです」
夜の幻想的な、別荘の屋上の写真だ。
「ああ、本当にこれだ! やっぱりいいなぁ」
「いいですよ。最高です」
「本当に見せてくれな。ああ、まだ俺は死ねないな」
「当たり前ですよ。長生きしてください」
顕さんはずっと写真を眺めていた。
「本当に見せてくれよな」
顕さんは何度もそう言った。




