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星の家族:シャルダンによるΩ点―あるいは親友の子を引き取ったら大事件の連続で、困惑する外科医の愉快な日々ー  作者: 青夜


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アベルさん Ⅱ

 3月11日。

 東日本大震災が起きた。


 東京でも被害はあったが、東北の津波の被害が大変なことになっていた。

 福島で悪夢のような原発事故が、日を追うごとに明らかになっていった。



 俺は現地の医師たちと電話で遣り取りし、トリアージの指導をした。

 現地は大混乱で、医師たちも当初は呆然としていた。

 無理もない。

 未曾有の災害に、仲間の医師や看護師たち、また家族や友人が数多く犠牲になっている。

 その上で病院に押しかける負傷者たち。

 医療限界がすぐに訪れ、包帯や薬品が底をつく。





 こちらから物資を送ろうにも、一般の流通はストップしている。

 俺は様々な伝をたどり、自費で物資を集めて個人で輸送をしている業者を確保した。

 物資は高騰し、集めにくかったが、なんとかした。



 薬品は院長の許可で集まり、包帯や一般の薬品や毛布などをかき集め、4台のトラックに乗せて送り出した。


 「宜しくお願いします! 絶対にこれを現地に届けてください!」

 「はい、必ず!」


 俺たちは握手を交わし、それぞれの役割を果たした。




 都内でも東北ほどではなかったが、負傷した人もいた。

 俺は5日間病院に泊まり込み、次々と搬送される患者、急増した外来、そして現地の医師たちとの連絡に没頭した。







 アベルさんから連絡があった。

 あの優しい人は、東北の被害に心を深く痛めていた。


 「先生! 自分は我慢できんです!」

 アベルさんは泣きながら話していた。


 「自分も東北に行きます!」

 「でも、アベルさんが行っても」

 「分かってます! でも、どうしても行きたいんです!」


 アベルさんのガンは転移し、既に利き腕の右手が動かず、左足も麻痺が始まっていた。

 脳神経が侵食されていた。



 アベルさんは仲間と共に、トラックを何台か連ね、ショベルカーを乗せて出発した。



 道路の封鎖は、多少強引な方法で通ったらしい。

 アベルさんたちは、現地で被害者の捜索にあたった。






 一週間後、アベルさんからの電話を受ける。

 最初から大泣きだった。


 「先生、悔しいよ! 自分の身体が思うように動かない。一生懸命に頑張ったけど、たった三人のご遺体しか見つけられなかった!」


 最初は生存者を救出しようと思っていたらしい。

 しかし現地に行って、もはや叶わないとすぐに悟ったと言った。

 アベルさんたちは、せめて遺族に会わせたいと、ガレ場を手当たり次第に掘り起こしたそうだ。


 アベルさんはそれでも一ヶ月間、現地で作業した。

 軽油も手に入らなくなり、後半は人手で作業したそうだ。

 アベルさんは何も出来ず、仲間を見ているしかなかった。





 大島に帰ったアベルさんは、無理が祟って一層の激痛の中にいた。

 俺は何度も病院へ来て欲しいと言ったが、アベルさんは無理に笑って固辞していた。


 「だって、親友にこんな情けない姿を見られたくないですからね」

 俺のことを親友と呼んでくれた。






 「あのね、先生。一つだけ今まで恥ずかしくて話せなかったことがあるんですよ」

 「なんですか?」


 「あの日、先生は小林旭の『惜別の歌』を歌ってらしたでしょ?」

 「ああ」


 「あの歌には思い出がありましてね」



 アベルさんは話し出した。


 アベルさんの故郷は九州の筑豊だった。

 炭鉱町だ。


 アベルさんが幼い頃は、まだ炭鉱業が盛んで、町には多くの人間がいた。

 



 ある日、小林旭が公演に来た。


 小学生だったアベルさんの家は貧しく、アベルさんは毎日学校にも行かずに中華料理屋の配達の仕事をしていた。


 「それでね、偶然なんですけど、自分が小林旭さんの楽屋に出前を届けたんですよ」

 アベルさんが、懐かしそうに言った。


 「子どもなのにでかい出前桶を持って入ったのを見て、小林さんが声をかけてくれたんです。君は偉いねって。また明日注文するから君に持ってきて欲しいって。嬉しかったなぁー!」





 「本当に翌日に注文してくれて。その時に、ちゃんと昨日の子どもに持ってこさせてくれと言ってくれたんです。昨日の倍も注文してくれてました」


 俺は黙って聞いていた。


 「出前を運んだら、自分にここに座れって言うんですよ。言われたとおりに座ったら「これは君の分だ。一緒に食べよう」って。もう、嬉しくて泣きながら食べました」


 「それでね。今日でコンサートが終わったら帰ってしまうから、と。だから君のために一曲歌おうって言ってくれたんです」


 アベルさんは泣きながら話してくれた。


 「それが、先生が歌ってた『惜別の歌』だったんですよ。先生の歌を聞いて、あの思い出が溢れちゃって。ぶしつけでしたが、先生に話しかけさせてもらったんです」

 「そうだったんですね」


 「あの歌を聴いて。こんな自分にも随分といい思い出があったなって。先生には本当に感謝してます」






 それが最後の会話になった。








 その二週間後、アベルさんは亡くなった。

 遺書に、自分が死んだら絶対に連絡して欲しいとあり、俺と幾つかの連絡先が記されていたそうだ。

 気を遣ってくれたのだろうが、連絡は葬儀などがすべて終わってからにして欲しいとも書かれていた。





 


 一月後、病院の警備室から連絡が入った。



 「石神先生、お忙しいところをすいません」

 「何かありましたか?」

 「それが、どうしても先生に合わせろという男性が来てまして」

 名前を聞いたが、覚えはない。


 取り敢えず、俺の部屋まで連れて来て欲しいと言った。




 警備員に連れらてきたのは、まだ十代の男子だった。

 髪が肩まであり、中性的な服装だ。

 薄く、化粧をしていた。


 俺は部下に言って、イスを中に入れさせた。



 「どちらさんかな?」

 「小アベル」


 一瞬で悟った。

 アベルさんに恋慕していた、トランスジェンダーの男の子だ。



 「アベルさんが、自分が死んだら絶対にあなたに会いに行けと」

 「そうか」


 小アベルと名乗った男の子は、そのまま黙り込んだ。


 「おい」

 「はい」

 「死にたいか?」

 


 「はい」



 俺は男の子の頬を思い切り殴った。

 壁によろけたところに覆いかぶさり、何度も拳を振り下ろす。


 一江と大森が慌てて駆け込んで、俺を押さえ込む。


 「部長! なにやってんですか!」



 俺は後ろから羽交い絞めしている大森の頬に肘を打ち込み、吹っ飛ばした。

 男の子を処置室へ連れて行く。


 一江と、顔を押さえ込んでいる大森が一緒に付いて来た。





 俺が何もしないので、一江が男の子を処置していく。

 「部長、これまずいですよ」


 男の子が俺を睨んで言った。

 「ほんとですよ! いきなり何をするんですか!」


 「アベルパンチ」


 俺がそう言うと、男の子は激しく怒った。


 「なんですか! どうかしてますよ、この人!」


 「アベルキック!」


 俺が蹴りを入れると、咄嗟に一江が覆いかぶさり、そのまま壁まで吹っ飛んだ。


 「ぶ、ぶちょう、どうかおねがい……」


 横隔膜を蹴られて息が出来ない一江が、やっと搾り出す。


 「おい」

 男の子は脅えて床に座り込んだ。

 大森が必死に俺の腕を掴む。


 「どうだ、痛いか?」

 「あ、あたりまえです」


 「生きるっていうのは、痛いってことだ! 覚えておけ!」

 「……」


 「アベルさんは優しい人だったからお前を殴ろうとはしなかっただろうけどな。でも俺は「女」の顔に平気でグーパンをぶちこむろくでなしだ!」

 一江と大森が大きく頷いて、男の子に逆らうなと言っている。


 「お前、これまでの人生は痛かっただろう! でもな、これからも痛いんだぁ!」

 「それは……」


 「甘えるな! 他の人間と自分が違うってなぁ、みんな違うんだばかやろー!」


 俺は長い髪を掴んだ。


 「いいか、アベルさんは末期がんの壮絶な痛みの中で死んだ。どんな荒くれでも泣き出すような痛みだ」


 「でもな、俺には痛いなんてただの一言も言わなかったぞ。最後まで心残りなのはお前のことだけだってな。お前はそういう素晴らしい人間の「心残り」なんだ。お前、なんとかしようと思わないのか?」


 男の子を突き放した。

 泣きじゃくっていた。

 アベルさん、と言い続けていた。











 「部長、あの子帰りましたよ」

 「そうか」

 「あの後で、処置室にいた連中が顔を出して」

 「へぇ」

 「もう石神先生は帰りましたかって」

 「そうかよ」


 「部長、ほんとに大変だったんですから!」

 「ああ、悪かったな」

 俺は一江の腹を撫でてやった。

 イタイイタイと言う。


 「部長、本当に勘弁して下さい」


 「おい、大森! ちょっと来い!」

 「はい!」








 俺は大森の頬もペチペチしてやった。

 大森は顔を歪めて耐えていた。

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