顕さん。
11月の終わりの金曜の夜。
俺は埼玉の蕨市のある寺に出掛けた。
備える花は、用意してある。
季節はずれだったが、近所の花屋さんに無理を言って仕入れてもらったデンドロビューム。
奈津江が好きだと言っていた花だ。
夜の寺は門が閉まっているが、墓は自由に出入りできる。
俺は門の前の駐車場にベンツを停め、奈津江の墓に向かう。
奈津江が夢に出てきて教えてくれた。
花岡家の高麗人参の秘密だ。
今日は遅くなったが、その礼を言いたくて来た。
紺野家の墓は、墓地の中央にある。
俺は墓石を綺麗にし、花を供えて線香を焚いた。
墓地に民家が接しているので、小さな声で読経する。
「奈津江、ありがとうな」
俺はしばらく、奈津江との思い出に浸り、一人で墓石に話しかけていた。
「石神くんじゃないか!」
突然声を掛けられ、驚いた。
奈津江の兄・顕さんだった。
逃げ出したくなる衝動を抑え、俺は黙って頭を下げた。
「久しぶりだな! 元気そうじゃないか!」
「俺なんかが、すいません」
「何言ってるんだ。奈津江も喜んでくれるに決まってるじゃないか」
「……」
顕さんとは、奈津江と付き合っている中で紹介され、親しくさせてもらった。
奈津江は顕さんのことが大好きで、自慢の兄だと紹介してくれた。
「それで、こっちがちょっと勘違いして付き合っちゃってる石神高虎くん」
「おい、もうちょっと」
顕さんは大笑いし、妹を宜しく頼むと言ってくれた。
顕さんは都内の大手の設計事務所に勤めており、非常に優秀で出世も早かった。
奈津江とは15歳も離れていて、落ち着きのある方だった。
奈津江は小学五年生の時に、母親を亡くしている。
相当なショックだったと思うが、顕さんが大事に育てた。
ちなみに父親は商社マンで、ほとんど家を空けていた。
奈津江は、顕さんによって育てられたと言ってもいい。
「こんな遅くに、仕事が終わってから来てくれたのか」
「はい、すみません。みなさんに会わせる顔がないので、いらっしゃらない時間を選んでいるんですが」
「ああ。時々綺麗になってたり、花が入れてあるから、きっと君だと思っていたよ」
「すいません」
顕さんは話したいから待っていてくれと言い、自分も線香を供えて手を合わせた。
「久しぶりじゃないか! ちょっと話をしようよ!」
顕さんは強引に俺を誘ってくれた。
まだ開いている駅前の居酒屋があると言う。
俺は車で来ているからと断ったが、押し切られた。
便利屋にでも頼むか。
俺は諦めて顕さんに付いて行った。
顕さんの行き付けの店らしく、入ると大将が親しげに話しかけてくる。
「俺の弟になるはずだった奴なんだ!」
「え? ああ、そうなんですか。ごゆっくり!」
俺たちは、隅の座敷に席を取った。
すぐにビールが運ばれ、乾杯をする。
「石神くん、なんで奈津江の墓参りに遠慮するんだよ」
「それは、俺が奈津江さんの」
「バカなことを言うな!」
顕さんは俺の額を小突く。
「奈津江は事故で死んだんだ。ちゃんと警察も調べて、そうだったということになってる」
「はい」
その話は知っている。
しかし。
「ずっと君に会いたかったんだよ。奈津江の話を君としたかった」
「はい。俺も」
「親父も五年前に死んで、もう奈津江の話ができる人間はいなくなった」
「そうだったんですか。何も知らずに申し訳ありません」
「今日はさ。夕べ奈津江が久しぶりに夢に出てきてくれたんだ。だから俺も仕事が終わって寄ったんだよ。そうしたら君がいた。これはもう、奈津江の導きに決まってるじゃないか」
顕さんはつまみを注文し、俺に美味しいから食べろといってくれる。
「もう二十年だよな」
「そうですね」
顕さんとは、何度か奈津江抜きで会っていた。
俺を気に入ってくれ、一緒に飲みに行った。
俺はよく酔って、奈津江の惚気話をした。
顕さんは喜んで、大笑いしてくれた。
「一緒にあの強い妹と戦おう!」
「ダメですよ、俺は奈津江の味方ですから」
「なにおー!」
顕さんもよく、酔っ払って
「どうか、俺の義弟になってくれ!」
と頭を下げた。
「石神くんはもう結婚したかい?」
「いいえ。まだ一度も」
「そうか」
俺たちはコップのビールを飲んだ。
寒くなったが、温かい店内で冷えたビールが美味かった。
「でも、子どもが四人いますよ」
「え、どういうことだ?」
俺は親友の子どもを引き取った話をする。
今は賑やかで楽しいのだと言った。
「そうかぁ。君はそういう奴だもんなぁ」
「顕さんはどうなんです?」
「あー、俺もなぁ。女性には縁がなくてな」
「でも今でもカッコイイじゃないですか」
「君が言うなよ、嫌味になるぞ」
「何言ってんですか」
俺たちは笑い合った。
顕さんは俺のことを知りたがり、俺は今は大きな病院にいて、院長にいびられつつ何とかやっていること。
子どもたちを引き取ってからの、大変で面白い日々を話した。
顕さんはしきりに笑い、俺にもっと話をせがんだ。
顕さんは大分酔った。
家は確か近所だ。
そろそろ帰りましょうと言って会計を済ませようとすると、強引に自分が払うと言う。
俺はお言葉に甘えたが、顕さんは自分で歩けないほどに酔っていた。
「久しぶりにこんなに飲んだよ。あー、楽しい酒だった!」
俺は送りますと言い、顕さんに肩を貸した。
冷え込んだ夜道が気持ちいい。
広い敷地の家に着き、顕さんに鍵を預かり、玄関を開ける。
真っ暗だ。
俺は電灯のスイッチを探し、顕さんを運び込んだ。
多少、酔いは醒めているようだが、まだ足は立たない。
顕さんの指示で、俺は布団を出し、そこに寝かせようとした。
「石神くん、今日は泊まっていってくれよ」
終電は終わっていた。
タクシーでも帰れるが、俺は泊めていただくことにした。
「悪いが茶を煎れてくれないかな」
キッチンで俺は湯を沸かし、茶を探して煎れた。
「はぁー、本当に飲んだなぁ」
「大丈夫ですか?」
「ああ、気持ちいいだけだよ」
しばらく二人で茶を啜った。
「なあ、石神くん」
「はい」
「君が奈津江と結婚してたらなぁ」
「はい」
「どんなにか楽しかっただろうなぁ」
「はい」
「俺はそれを本当に楽しみにしてたんだよ」
「すいませんでした」
「本当になー」
顕さんは泣いていた。
「奈津江が」
「うん」
「いつも顕さんのことを話してたんですよ」
「そうか」
「自分を育ててくれて、そのために女性と付き合うことも出来なかったんだって」
「エヘヘ」
「もう、ちゃんと付き合って欲しいって言ってました」
「そうかー」
「あんなに顕さんのことを夢中で話してるのを聞いてですね」
「なんだ?」
「ちょっと嫉妬してました」
顕さんは大きく笑った。
「俺も同じだよ!」
「奈津江はいつも、君のことを話してくれた」
「ねぇ、高虎」
「なんだ?」
「私にイヤラシイことをしたら、お兄ちゃんに言うからね!」
「え、でも顕さんはお前のことを早く女にしてくれって」
思い切り肩を叩かれた。
「それは卒業してから!」
「そんな先かぁー」
「お兄ちゃんにも言っといて!」
「ええー、俺が言うのかよ」
「ちゃんと卒業したら、女にしますって言って」
恥ずかしそうにそういう奈津江は、本当に可愛かった。
奈津江、愛してるぞ。




