安田先生
パーティの翌日の日曜日。
俺は栞に電話をした。
「あ、石神くん! 昨日のパーティは楽しかったよね!」
「ありがとうございます」
「アレ、なんか声が暗いよ? 体調がまた悪いの?」
「いえ」
「なら良かったぁー」
栞は無理して明るく振舞っている。
長い付き合いだ、それくらい分かる。
「あのですね。なんでルーとハーに花岡の拳を教えたんですか?」
「え、あー、なんだっけな。アレよね」
「誤魔化さないでください」
「ごめんなさい!」
栞はすべて告白してくれた。
最初、双子に頼られたときは断るつもりだった。
でも、俺のパーティを盛り上げるためにと言われ、つい教えてしまったこと。
その時に、結構酒を飲んでいたこと。
想像以上に双子の才能があったこと。
「あのね、「震花」と言うんだけど、普通は子どもはあそこまでできないはずなのよ」
「……」
「あの技はね、特殊な感知能力が必要なの。詳しくは話せないけど、大地の鼓動を知る、みたいなね」
「双子の特殊な能力って、花岡さんにも話してますよね」
「そうだったんだけど、まさかうちの拳まで習得できるなんて、思ってもなかったのよ!」
「そんなこと言ったって、板を割るどころか粉砕してましたよ?」
「あれね、私が考えたの」
「どういうことです?」
「パフォーマンスでね、厚い板に向かって「ポコッ」とやるの。それで当然割れなくて、笑いを誘う、っていうね。ホラ、響子ちゃんが失敗したら、みんなカワイイって言ってくれたじゃない」
なるほど。
「でも、出来ちゃってたじゃないですか」
「そうなのよ! 私だってあの時びっくりしたんだから!」
演舞を中心に教え、冗談のつもりで花岡流を手ほどきしたら、習得してしまった、と。
「私が教えたときには、何にもできなかったのよ、ほんとだよ。何でできるようになったかなんて、私の方こそ教えて下さい!」
逆ギレされた。
「あの技を消すとかは出来ないんですか?」
「ムリよ。手足を切り取るとか、そういう話なんだから」
「分かりました。また相談させてください」
「うん、もちろん。本当にごめんね」
電話を切った。
さて、本当に困った。
これが亜紀ちゃんや皇紀だったらまだ良かった。
双子はまずい。
あの二人は、花岡流がなくても、小学校を支配してしまうような人間たちだ。
それが強大な力を得てしまった。
抜き身の日本刀や拳銃を持ち歩く暴力性小学生なんて、冗談じゃねぇぞ。
まずは教育だな。
安田先生は、小柄でちょっとお肉の多い女性だった。
しかし、底抜けに明るく、生徒たちに人気があった。
小学五年生のとき、安田先生は隣のクラスの担任だった。
うちのクラスの算数を受け持っていたから、俺も先生の魅力はすぐに分かった。
あの外人神父との死闘。
退院してきた俺は、放課後毎日三十分、校長室で正座していた。
安田先生が入ってきた。
「石神くんは、どうして暴力ばかり振るうの?」
今から思えば、俺の担任の先生に相談されたんじゃないかと思う。
「もしあなたが私にレッテルを貼るなら、それは私の存在を否定することになる」
「なにそれ?」
「ゼーレン・キルケゴールですよ」
「意味わかってんの?」
「そんなの、なんかカッコイイじゃないですか!」
安田先生は笑った。
「あなた、面白いわねぇ!」
それから親しくなった。
俺たちは学校内で、そして先生の家で、話し込むようになった。
話題はいつも、暴力の肯定と否定。
安田先生は、あらゆる手段で暴力が悪いことだと俺に言った。
俺はそれに対して、暴力の解釈と必要性を説いた。
ある時、安田先生はとっておきだと言って、俺に『カムイ伝』を貸してくれた。
忍者の組織を抜け、逃げながら追っ手と戦う下忍カムイ。
世の中の理不尽と権力と戦う孤独な人生が描かれていく。
「どうだった?」
「最悪ですね」
「!」
俺は大前提から違うと言った。
組織を裏切ったカムイは、ただの裏切り者で、男の風上にもおけないクズだと。
安田先生は落ち込んだ。
子どもには理解できないのかと言われた。
俺は『赤穂浪士』の件、『226』の件を先生に話し、理不尽だと分かっていても、それに従う美学を話した。
徳川のキチガイ殿様の御膳試合の話、放蕩時代の織田信長を諌めた平手の話。
俺は安田先生に一生懸命に話した。
「でも石神くん、太平洋戦争の間違いは分かるでしょ?」
「はい。軍人が思い上がっていたせいですね」
「じゃあ、やっぱり暴力は悪いんじゃないの?」
俺は日清日露の戦争を話し、太平洋戦争のミドウェー海戦の山本五十六のバカヤローの話をした。
西洋の貴族と傭兵だけの戦争を話し、国民皆兵の間違いを説いた。
卒業まで、俺たちは本当に話し合った。
最後の方は、安田先生も俺の話を聞き入ってくれるようになった。
卒業式を目前とした日曜日。
その日が俺たちの最後の「話し合い」の日だった。
俺が一方的に話した。
「石神くんの話は、ほんとうにためになった。私も自分の考え違いに気付けた。ありがとう」
「いえ、俺も先生といろんな話ができて楽しかったです」
先生たちに嫌われていた俺は、校長先生と音楽の本多先生と担任の島津先生、それと安田先生だけが、俺をまともに見てくれる先生方だった。
「でもね、石神くん。やっぱり私は戦争だけは嫌いだわ。特に太平洋戦争はね」
その日、安田先生が長崎の出身と初めて知った。
御両親や親戚の何人かが、白血病で亡くなっていると言っていた。
原爆のせいだ。
先生は俺に握手を求め、俺の卒業祝いだと、クロスのボールペンを下さった。
中学三年の秋。
俺は安田先生が入院されたことを聞いた。
白血病だった。
本多先生に連絡し、入院先を教えていただいた。
あれほどぽっちゃりとされていた安田先生は、痩せ細っていた。
「石神くん!」
俺の顔を見て笑って下さった。
リンゴが剝けるんですよ、と言い、俺の剝いたリンゴを一切れ召し上がってくれた。
あとはあなたが食べなさいと言われ、俺は喜んでいただいた。
俺は底抜けのバカだった。
「相変わらず喧嘩ばかりしてます。すいません」
正直に告白した俺の頭を優しく抱きしめてくれた。
俺の頭に、先生の涙が滴った。
翌月、安田先生が亡くなられたと、本多先生から連絡をいただいた。
君も来るといいと、本多先生は葬儀の日程を教えて下さった。
ルーとハーがリヴィングで亜紀ちゃんに言っていた。
「あれはね、簡単にやってはいけないものなの!」
「えー、ちょっとくらい見せてくれてもいいじゃない」
「「ダメ!」」
話を聞くと、あの板割りを亜紀ちゃんがまた見たいと言ったらしい。
「亜紀ちゃん! タカさんが拳銃で撃たれたの忘れちゃったの!」
「え、酷いわ! 忘れるわけないじゃないの」
「だったらね、簡単に人を傷つけるものがダメだって分かるじゃない!」
「あ、そうか」
俺は駆け寄って双子を抱きしめ、唇に熱いチューをしてやった。
「「ギャー!!」」
「あたしのファーストキスがぁ!!!!!」
悪かった、ゴメン。
安田先生の葬儀の日。
俺は島津先生から教えていただいた。
「石神、安田先生はいつもお前のことを褒めてたんだぞ」
「いえ、そんな」
「お前の考え違いを必ず正すんだって言ってた。でもな、いつの間にか「石神くんの話って本当に面白いんですよ!」って言うようになってた」
「そうですか」
「お前、入院してた安田先生に会いに行ったんだってな」
「はい」
「病院から電話をもらって、「教師をやって本当に良かった」って言ってたぞ」
「はい、とてもステキな先生でした」
葬儀での遺影は、俺の知っているぽっちゃりとした、可愛らしい安田先生だった。
その笑顔が今でも忘れられない。




