辞表 一緒にヴァイツェン・ナガノを。
俺はまた三田公園まで送られた。
今度は運転手と俺だけだ。
身体が重かった。
熱が確実に高い。
しばらく公園のベンチで休み、電話を一本かけてから、俺はタクシーを拾って病院へ帰る。
病院では一江が待っていた。
部下たちはいない。
もう夜の8時だ。
全員帰っている。
「おかえりなさい」
「ああ、待っていたのか?」
「はい」
一江はコーヒーを入れると言ったが、俺が断った。
身体が何も受け付けねぇ。
「もう、終わったんですね」
「ああ」
「そうですか」
どこへ行ったかはともかく、一江は概ね俺の行動は分かっているのだろう。
「ひどい事件でしたね」
「そうだな」
一江は自分の引き出しから、封筒を取り出した。
俺に突き出す。
「なんだこれは」
「今回のことは、私が原因です。今回ばかりは、部長にどんなに謝っても済みません」
「……」
辞表だった。
俺はそれを受け取り、折り曲げて口に放り込む。
ムシャムシャと咀嚼するが、生憎飲み込めねぇ。
俺もまだまだ修行が足りない。
吐き出したでかい塊が一江の顔にぶつかった。
「不味い!」
一江は俺を見つめている。
「おい! さっさとコーヒーを入れろ! さっきそう言っただろう!」
「は、はい! 申し訳ありません!」
一江はすぐに向かいの給湯室へ駆け込んだ。
泣き声が聞こえる。
泣き顔のまま、一江がコーヒーを持ってきた。
「おい! ここは俺の「ヴァイツェン・ナガノ」を一緒に持ってくる流れだろう! お前何年俺の部下をやってる!」
「す、すみません!」
「お前は本当に役立たずだ。俺がまだまだ鍛えなきゃならねぇじゃねぇか!」
「部長!」
「ふざけんなよ! いつになったら一人前になるんだ!」
「すみません!」
一江はヌスボーゲンや他の焼き菓子を皿に載せて持ってくる。
俺は一江に椅子を持って来いと言った。
一江の前に皿を出し、お前も食えと言う。
「まったくひでぇ有様だ。なあ、一江」
「はい」
「俺はただただ真面目に生きてるだけなのになぁ」
「??????」
「お前! なんだその顔はぁ!」
俺たちは笑い合った。
「お前よ、俺も散々院長に迷惑をかけたが、さすがに院長が死に掛けることはなかったぞ」
「本当に申し訳ありません!」
「まあいいよ。俺が院長以上だってことよなぁ!」
「は、はい!」
「お前、微妙な顔をするな!」
「すいません」
俺は一江にも何か飲み物を持ってくるように言う。
焼き菓子も持って来いと。
「俺の快気祝いだ」
「ちょっとショボイですよね」
俺は一江の頭にチョップを入れる。
「しょうがねぇだろう。俺が目一杯なんだから」
「はい」
「去年の響子のパーティと同じだな」
「そういえば」
一江が自分のコーヒーを啜る。
「あの男はどうなったんですか」
一江が直球で聞いてきた。
俺は包み隠さずに一江に話す。
「栞の弟……」
「ああ、あれはとにかくヤバイ。俺でもかなり危ない」
「なんで部長につきまとうんですかね」
「あいつは栞に自分の子どもを産ませると言っていた」
「なんですか、それ!」
「俺に聞くなよ。シスコンのいっちゃった奴なんじゃねぇのか?」
「じゃあ、部長!」
一江が不安そうな顔をする。
「心配するな。恐らくは大丈夫だ」
「どうしてそんなこと」
「あいつは「死王」と名乗った」
「はい」
「でも、花岡さんにそう言うと、「そう名乗ったのね」と言っていた」
「はい?」
「多分、花岡家での「死王」という名は特別なんだ。それを勝手に名乗ったからには、それなりの制裁がある」
「はぁ」
「宇留間を連れ出して匿っていたのは、多分、死王だ」
「エッ!」
「あのダムダム弾入りのマグナムを用意したのもな」
「そんな……」
「そんな勝手を斬が許すはずもねぇ。大使館を急襲したのは、斬のじじぃなりのけじめだろうよ」
「どういうことですか?」
「大使館の連中に貸しを作らないようにってことだよ。大失敗したんだから、俺には貸しどころか詫びしかねぇ」
「なるほど」
「同時に、あの超大国の顔に泥を塗ったんだ。死王だって日本にいるわけにはいかんだろうよ」
「……」
「あいつは、今頃フランスかどこかへ追いやられているよ。外人部隊は世界中の諜報機関から隠されるからな」
「そういうものですか」
実は三田公園から斬のじじぃに電話した。
じじぃは栞の弟を俺に近づけないと言った。
事情はもちろん教えてもらえない。
だから俺の想像で一江に話しただけだ。
「まあ、とにかくこの件は終わった。お前もご苦労だったな」
「とんでもありません!」
「おい」
「はい」
「六花を止めてくれてありがとうな」
「部長、聞いてらしたんですか?」
「なんとなくな」
「そんな、全部私の責任ですから」
「おい」
「はい」
「ところで、これ、どうすんだ?」
俺は机の上の、唾液でぐちゃぐちゃになった一江の辞表を指差した。
「早く捨てろよ、汚ねぇなぁ」
「部長がやったんじゃないですか!」
一江は指先でつまんだ。
「お前、そんな汚いもののように扱うな!」
「だって汚いですよ!」
「早く捨てろ!」
「いえ、これやっぱり私が保管します」
「なんだと?」
一江はティッシュで何重にもくるみ、ビニールの袋に入れ、大事そうに自分のバッグに仕舞った。
「では、これで失礼します。あ、カップは明日片付けますので」
「ああ、お疲れ」
「では、お先に失礼します」
俺は崩れ落ちた。
一江が駆け寄ってきた。
一江がまた泣いている。
まったくこいつは。




