狂犬・宇留間 Ⅳ
声が聞こえる。
「六花、交代だって。あんたずっと寝てないでしょ!」
「いえ、自分は石神先生のお傍に」
「いい加減にしなさい!」
一江と六花か。
うるせぇ。
「ところでちょっとあんた、何持ってるの?」
「……」
「大森、六花を押さえて!」
「よし!」
「あんた、これって」
「なんだよ、メスじゃねぇか」
「部長がいつも使うやつ……」
「……」
「ハッ、あんた、まさか!」
「石神先生に万一のことがあったら、すぐにお傍に」
バシンと大きな音がする。
うるせぇ。
「これは黙っておいてあげる。部長は大丈夫よ。とっくに峠は越えてるし、ここ病院よ。しかも日本で有数の。死ぬわけないじゃない。大体、院長御自身が執刀されたんだから。死んだって生き返るわ」
「……」
「ほら。特別に響子ちゃんの隣にベッドを置いてあるから。どうせ他の場所じゃ寝ないでしょ、あんた」
「申し訳ありません。それでは少しだけ」
「大森、六花を寝かせて」
「おお、分かった。じゃあ後で交代に来るからな」
「お願い」
「部長を頼む」
「うん」
「あたしらの命だ」
「分かってる」
静かになった。
俺は再び寝た。
俺は夢を見ていた。
「ねえ、高虎」
「なんだ?」
高原の中に置かれた、白いテーブルと椅子。
上には同じく白いパラソルが立っていた。
白いワンピースを着た奈津江が隣に座っていた。
見渡す限りの草が、風に揺れていた。
とても気持ちいいい。
「女王蜂って、どうやって生まれるか知ってる?」
「ああ、確かロイヤルゼリーを食べた個体が女王蜂になるんじゃなかったか?」
奈津江が俺を睨んでいる。
カワイイ。
「あのね、高虎」
「ああ」
「今、私は高虎と楽しいお喋りがしたいのね」
「はい」
「だったらここは、「え、知らないな、教えてくれないかな」って言わなきゃ!」
「ごめん」
「それと」
「なんでさっきからニヤニヤ笑ってるのよ」
「え、いやお前がカワイイから」
ペチンと、俺は肩を叩かれた。
「じゃあ、テイクツー、行くわよ!」
「おい、お前、ニヤニヤしてるぞ」
ペチン。
「ゴホン、では、女王蜂がどうして生まれるか知ってる?」
「え、知らないな、教えてくれないか」
俺は言われた通りの台詞を口にする。
奈津江は満足そうに微笑んだ。
カワイイ。
「いいわよ。特別にカワイイ奈津江ちゃんが教えてあげる」
「ありがとうございます」
「あのね、ロイヤルゼリーを食べると女王蜂になるって信じてる時代遅れの人がいるんだけど」
「おい、それって」
「実はね、まったくの逆だったの」
「そうなのか!」
奈津江は俺の頬を指でクリクリとした。
「Royal Jellyには「Poor plant miRNA」があって、働き蜂が食べるBeebreadには「Rich plant miRNA」が含まれているの。この「Rich plant miRNA」を食べることで、蜂の身体は成長を抑制されて、働き蜂になるのよ」
「へぇー!」
奈津江は俺を「どうよ!」という顔で見ている。
カワイイ。
「あ、またニヤニヤして!」
「だってお前がカワイイから」
奈津江は俺の頬にキスをしてくれた。
あれは高原の白いテーブルではなかったはずだ。
学食で群がった他の女たちを追い出した後で、奈津江が教えてくれたのだ。
目が覚めると、六花が俺を見ていた。
「なんだ、泣き虫六花ちゃんじゃねぇか」
六花が大きく目を見開いた。
すぐに大粒の涙が溢れてくる。
「おい、冗談だよって言おうと思ったのに」
「石神先生…………」
六花が俺の顔中にキスをしてくる。
「愛してます、愛してます、愛してます、愛してます、愛して……………」
六花はそのまま泣き出した。
俺は六花の頭を腕に抱き、優しく撫でてやる。
「俺もお前を愛しているぞ」
「石神先生……」
「おい、六花」
六花は俺の胸に顔を埋めている。
「はい……なんでしょうか」
「ちょっとな、胸がいてぇ」
「は! 申し訳ありません!!!!!」
「おい、六花」
「はい、すいませんでした!」
「ちょっとオチンチンがいてぇ」
「……すぐに!」
「冗談だって!」
六花は聞かずに、布団をめくり俺の股間を探る。
「ちょっと六花!」
栞が入ってきて叫んだ。
「螺旋花!」
「やめろっ!」
俺は絶叫し、六花の身体を庇おうとした。
猛烈な痛みが胸に走る。
「ちょ、ちょっと、冗談だって!」
「お前なぁ」
「六花」
「はい」
「ちょっと響子を呼んできてくれ。顔が見たい」
「分かりました!」
栞と二人になる。
短い時間で話せという俺の意図は、栞に伝わったようだ。
「あの男は多分、まだ東京に潜伏しているわ」
「花岡の網にもかからないんですか」
「うん。ごめんね」
「死王はどうしていますか?」
俺はそっちも気になっていた。
「シオウ? ああ、そう名乗ったのね」
「?」
「まあいいわ。もうフランスへ帰ったわ」
「そうか」
「弟と何かあったの?」
「あいつは、拳銃よりヤバイものを、俺に撃ち込んできました」
「!」
栞が驚いている。
「大丈夫だったの!」
「ああ、ギリギリで射線をかわしました。駐車場の柱が抉れましたよ」
「あれは弟がやったことだったのね」
栞は大量の人間の指と腕が散乱していたことで、警察が宇留間の仕業とみて必死に追っていることを教えてくれた。
「多分、大きな捜査本部が作られるはずよ」
「そうですか」
「石神くん」
「はい」
「生きててくれて良かった」
「すいませんでした」
「愛しています」
「俺も」
俺たちはキスをした。
舌を絡めてくる栞の頭の後ろをタップする。
「ちょっと息が苦しいんです」
「あ、ゴメン!」
俺たちは笑い合った。
響子が六花に抱かれて入ってくる。
響子は俺を見るなり、涙を次々と零していく。
俺のベッドに着くと、俺に抱き付いてきた。
濡れた響子の胸元が冷たい。
「おい、そんなに泣いたら萎んじゃうぞ」
「タカトラぁ!」
響子は俺の首に両手を巻いて俺の顔にものすごいキスをしてくる。
「俺は大丈夫だから、もうそんなに泣くな」
「だって、だって」
「お前と六花が無事で本当に良かった」
「でもタカトラがぁ」
「俺は死なないよ。ちゃんとお前たちを守って、あいつを追い返したろ?」
「うん、でもぉ」
「しょうがねぇな」
俺は笑おうとしたが、胸が引き攣って痛くなった。
「おい、響子」
「…なに?」
「一緒に風呂に入ろうか?」
「「「ぜったいダメ!」」」
「はい」
俺は一日昏睡し、それから更に二日眠っていたようだ。
撃たれた肺は引き千切られていた。
ダムダム弾を使われたのだろう。
しかもあれは、M29だった。44マグナムだ。
しかし、ヘンゲロムベンベの光によって急激に回復した。
後で院長からそう言われた。
また院長に恩義ができた。
宇留間、待ってろ。




