狂犬・宇留間 Ⅲ
うちに来てくれた花岡さんを迎えた最初の夜。
俺は子どもたちを寝かせ、リヴィングで軽く花岡さんと飲んだ。
「本当に助かります。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「いいのよ。私も来たくてここにいるんだし」
俺は宇留間との因縁を花岡さんに話した。
もちろん、宇留間のチームだった幹部から聞いた話もだ。
「大分酷いわね。もう人間とは言えないわね」
「宇留間のその後のことはまったく知りませんでしたが、斬のじじぃから話を聞いた時には、なるほどと思いました」
「うん、相当なワルが集まっているんでしょうけどね」
「はい。所詮は半グレ集団ですけど、宇留間のどこまでも手を拡げてくる不気味さが心配です」
普通は敵チームを襲撃するのに、灯油をポンプ車で撒くバカはいない。
死人が出てもおかしくないからだ。
まして宇留間は拳銃を持っていた。
十代の不良の発想では無い。
宇留間がその凶暴性を更に太らせながら、今日まで来ただろうことは想像できた。
恐らく人間を殺したことも一桁ではないだろう。
「でも安心して。弟が片付けるはずだから」
そう言う栞の顔は暗かった。
「私もね。花岡の人間だから」
俺は栞を抱きしめた。
その夜は栞と一緒に寝た。
俺には、それしか慰めの術を持たなかった。
その数日後に俺は、斬に宇留間の拠点を伝えた。
そしてその翌日。
病院の駐車場で若い男が立っていた。
黒の薄いセーターに黒の綿のズボン。
ビブラムソールの黒のブーツ。
片手に大き目の紙の手提げを持っていた。
一目で分かった。
こいつが栞の弟だ。
色は白く、整い過ぎている顔は、確かに栞と同じ血筋だ。
しかし同時に、栞には無いどうしようもないほどの邪悪なものを湛えていた。
全身から腐臭が漂ってくるような感じだ。
斬のじじぃも相当な冷酷と威圧を持っている。
しかしそれとも異なる、怨霊をまとわりつかせたような、異様な雰囲気だ。
人間がここまで辿り着けるのか。
はっきり言って俺は驚いていた。
「あんたが姉ちゃんのイロか?」
「お前がいずれ俺の義弟になる奴か」
「ヘッ! 俺にビビらねぇか。斬のじじぃの言う通りだなぁ」
男は俺に近づいてくる。
同時に俺に話しかけている。
俺の注意を逸らす狙いだろう。
「俺は死王。花岡家の次期当主だ」
「すでに「絶花」は使っているぞ」
「はぁー? お前本当に面白いな!」
死王と名乗った男が近付いて来る。
何の恐れも躊躇もなく、俺に対する警戒すらも無かった。
自分の恐ろしい力を確信している。
俺は全力で集中した。
こいつはヤバい。
「ぜってぇ、お前とやってみたい。お前を霧にして殺してやる。姉ちゃんには、俺の子を産ませるから安心しろ」
「お前、なに言ってんだ?」
死王はそれに応えず、手提げをぶちまけた。
数十人分もの大量の指が転がる。
「ほら、始末してきてやったぜ。始末に十分、指の回収に十分って感じだったかな」
もの凄い邪悪な笑みを浮かべた。
「ただな、アミューズは俺が平らげたが、プラは残しておいたからな」
フレンチのコースを死王は言っている。
「あいつは弱いがなかなかに面白い。あいつは絶花も何もねぇ。常に純粋なままだな」
「それはお前が役立たずだと思っていいということか?」
「はっ! 挑発は必要ねぇよ。お前は必ず俺が潰すからな」
「早くフランスへ戻れよ、クソガキ。尻の穴が太いのを突っ込んで欲しくて、もう辛いんじゃねぇのか?」
死王が薄く笑った。
「まったくじじぃの言うとおり、減らず口の絶えねぇ奴だな。じゃあ、後は楽しんでくれ」
死王は手提げの底から太い何かを放り出した。
人間の腕だった。
一瞬注意を引かれる。
死王は背中を見せる寸前に、俺に向かって手を振った。
猛烈に嫌な圧を感じた俺は、迷うことなく瞬時に横へ飛ぶ。
俺の立っていた後ろのコンクリートの柱が、抉れて粉になって吹き飛んだ。
死王の姿は消えていた。
俺は嫌な予感がした。
急いで響子の病室へ戻る。
走りながら、俺の思考は展開して行った。
死王は始末をつけたと言った。
俺は昨日の朝に斬へ連絡し、今は翌日の夕方だ。
あいつは何をしていた?
あいつは僅か二十分で片付けたと言った。
嘘はないだろう。
そのあいつが、この時間まで何をやっていたのか。
あいつは宇留間の手下を軽々と潰した。
恐らく一人も生きてはいないだろう。
でも、「メイン」の宇留間は残した。
最も凶暴な狂犬を。
そして、宇留間をあいつはどうした?
病室には響子と六花がいた。
ホッとした。
俺は二人を連れて急いで出る。
響子の病室の周辺は、セキュリティの関係もあり、他の患者はいない。
だからここを通る病院関係者も少ない。
廊下には誰もいなかった。
角から圧力を感じた。
急激に圧力が高まる。
間に合わない。
俺は宇留間の姿を視認することなく、響子と六花を抱き寄せ、庇った。
銃声。
俺は背中に熱いものを感じた。
銃声。
背中の近い場所に、もう一度、熱。
俺は階段に二人を押し込んだ。
「いやぁっーーー!!! 石神先生! いやぁーーー!!!」
六花が叫んでいる。
響子は何が起きたのか分からずにいる。
「き、きょうこ、だいじょうぶ、か」
上手く喋れなかった。
撃たれた胸が猛烈に熱く痛む。
急速に力が抜けていく。
咳き込み、俺の口から大量の血が溢れ出た。
「タカトラっ!」
響子の身体を見る。
良かった、弾は俺の身体を貫通はしてないようだ。
傷一つない。
俺は脚を踏ん張り、廊下をこちらへ向かって来る宇留間を見る。
左目が醜く潰れ、耳の千切られた痕が赤く盛り上がっている。
「石神先生! ダメェ! イヤァーー!!!!」
六花が俺を後ろから抱き止める。
「り、りっか……、きょう、こをつ、れてにげろ」
「いやぁー、石神先生!」
「し、っかり、しろ。おまえは、お、まえのし、ごと、を」
泣き崩れようとする六花を強引に立たせる。
俺の口から、再び大量の血が吐き出された。
「石神先生……」
「だ、い、じ、ょうぶ、だ。ま、か…せ、ろ」
「はい!」
六花は涙を流しながらも半狂乱の響子を抱き、階段を駆け下りていく。
「いい様だなぁ、石神ぃ!」
白衣を着た宇留間が笑っている。
銃口を俺に向けたまま、近づいてくる。
「本当はもっと苦しめて殺してやりたかったけどな。まあ、もう時間もねぇ。これで撃たれりゃ終わりだ。早く死ね!」
バカが、それだけ近づけばもう俺の距離だ。
胸が燃えるように熱い。
呼吸が上手く出来ず、意識を保つのに苦労する。
非常ベルが鳴った。
六花だろう。
まったく、頭のいい奴だ。
「チッ! お前が苦しんで死ぬところを見たかったのに!」
宇留間は逃げた。
俺は膝をついて、少しずつ呼吸をする。
肺に穴が空き、血が胸腔を満たしていく感覚がある。
薄れていく意識の中で、俺は誓った。
待ってろ、宇留間。
響子と六花を泣かせた報いを受けさせてやる。




