坪内緑子
「部長、どうかお怒りをお鎮めください~!」
一江が緊張した面持ちで立っている。
俺は怒りまくっていた。
「だから俺は嫌だったんだ。お前らを家に呼んだのは、本当に失敗だった。絶対に断るべきだった!」
双子が熱を出した。
あのパーティの晩だ。
一緒に寝たいと言う二人のため、俺は早々にベッドに入った。
異常に気付いたのは夜中だ。
やけに暑苦しいと目が覚めた俺は、二人の体温が上昇していることに気付いた。
息も若干荒い。
すぐに氷嚢を作り、様子を見ることにする。
解熱剤は常備しているが、一晩たってからだ。
恐らく神経的なもの、と俺は踏んでいた。
慣れないパーティで大勢にいじられて、興奮したせいで熱を出したのだろう。
いわゆる知恵熱的なものだ。
子どもにはよくある。
俺は元々小児科の医者になろうとしていた。
それがある事がきっかけで行き詰まり、その時に今の院長に引っ張られた。
だから子どもの症状には詳しい。
子どもたちを引き取るにあたって、必要となるだろう薬剤は家にも常備している。
「本当に申し訳ありません!」
何度も頭を下げて謝ってくる一江を見ながら、尚も俺の怒りは収まらない。
窓の向こうでは部下たちが戦々恐々としている。
俺の機嫌が悪いときに、何度も雷を落とされた経験がそうさせている。
「双子ちゃんが熱を出したって?」
花岡さんが来た。
俺が花岡さんに頭が上がらないことを知ってて、この騒動を収めようとたくらんだ奴がいやがる。
気に入らねぇ。
「本当にごめんなさい。まさかこんなことになるなんて」
「いや、大したことはないんですよ。朝には熱も引きましたし」
にこやかに言う俺に、一江が信じられない、という顔をする。
「まあ、また是非うちにいらしてください。子どもたちも楽しかったようですから」
俺がそう言うと、一江が背中でサインを出しやがった。
「おおぅ!」
窓の外で、小さく部下たちが呟いた。
こいつら、確信犯だ。
部屋を出る一江の尻を蹴った。
俺が頭に気ながらも花岡さんを誘ったのは、亜紀ちゃんと双子のことがあったからだ。
俺は心底反省していた。
やはり俺はダメだ、全然なってない。
女の子というのは特別だ。
男の子のように、外へ放り出しておけばなんとかなるようなものではない。
ちゃんとデリケートに扱わなければいけなかったのだ。
お洒落が足りない。
女の子とお洒落というのは、栄養素と同等の大事な成長に不可欠な要素なのだ。
化粧、それは女性が女性であるアイデンティティだ。
リボン、そんなものはあって当たり前だろう。
思えばデパートで双子が俺に反発しながら自分で服を選んでいったのを、俺は見ていたはずだった。
ちゃんとサインは出ていた。
俺が気付けなかっただけだ。
バカだからだ。
俺はあいつに電話をかけた。
丁度公演が一段落したところだと、緑子は俺の都合に合わせて来てくれた。
坪内緑子。ある大きな劇団に所属している中堅の舞台俳優だ。
最近では映画の吹き替えの仕事なども多く、海外の大物女優の吹き替えの仕事がどんどん来ている。
身長165センチの整った涼し気な顔の美人。
舞台が中心なので認知度はそれほどでもないが、テレビ・ドラマにもちょくちょく誘われるようになり、そのうちに有名になっていくのかもしれない。
特に大物女優に気に入られてから、共演者の枠がよく来るようになった。
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俺は二十代の頃に、緑子に出会った。
今は地元の病院へ行ってしまったが、当時俺は慕っている先輩とよく飲みに行っていた。
先輩は190センチの長身で、横の肉付きも素晴らしい大男だった。
しかし顔は本当に仏様のように柔和で、天然パーマの短髪もあいまって、「大仏先輩」と呼ばれていた。
俺の命名だ。
優秀な先輩で、俺の大学の先輩にもあたる。
何よりも誰にでも優しいその先輩を尊敬し、俺は懐いていた。
先輩は唯一の趣味があった。
それは「カラオケ」だ。
俺も歌は大好きなので、よく先輩と一緒にカラオケ店に行った。
当時はカラオケボックスなんてまだまだ少ない時代で、カラオケをやりたければ、置いてある飲み屋に行かなければならなかった。
大仏先輩は立派なステージがあり、曲数も豊富な新宿の店が行きつけだった。
俺たちは毎週、ときには週に二回もそこへ通う。
大仏先輩は痺れるほどに歌が上手く、常にステージで歌うと大拍手が起こった。
性格的にもお似合いの、優しい歌。
中でも村下孝蔵を歌わせると、神かと思わせた。
大仏だが。
俺はロック系の歌をよく歌った。
実はバラードが好きなのだが、大仏先輩の前で歌う勇気はなかった。
ある日、その店のトイレ前で女性がぶつかってきた。
大分飲んでいるらしい。
「おい、大丈夫かよ」
「うるせぇ!」
それが緑子との最初の出会いだった。
彼女はその場でうずくまって…………吐いた。
最悪だった。
俺が抱えて席まで連れてってやろうとすると、仲間らしい連中が集まってきて彼女を引き受けた。
また、何度か通ううちに、俺たちは再会した。
トイレ前で。
また意識が朦朧としている。
なんで毎回そんなに飲むのか。
座り込んでいる彼女を抱えて、また引き取られる。
そんなことがさらに数回あった。
「あんたさぁ」
緑子が突然俺の席に現れた。
「あ、今日はトイレじゃねぇんだ」
「あんたねぇ!」
ちょっと怒って見せるが、今日はまだそれほど飲んでないらしい。
「あのさ、ちょっと聞きたいんだけど、あんたのツレ、あの人歌が本当に上手いわよねぇ」
大仏先輩のことだ。
今はトイレに行っている。
「今日は一緒じゃないの?」
「今トイレだよ。お前は行かなくていいのか?」
俺の皮肉を聞き流し、勝手に席に座る。
「一応さ、何度も迷惑かけて、とは思ってるのよ」
本当にな。
「大したことはしてねぇよ。だけど、意識をなくすほど飲むのはどうかと思うぞ」
「何医者みたいなこと言ってんのよ」
「医者だけど」
緑子は驚いた顔をする。
俺たちはあらためて自己紹介をした。
緑子は駆け出しの劇団の研究生だと言った。
「医者がどうしてあんなに歌が上手いのよ」
「言ってることがよく分からねぇよ」
俺はちょっと大仏先輩がいかに素晴らしい医者で、人格者で、後輩思いの慈愛に満ちた男なのかと説明した。
俺はバリバリの武闘派で、新宿なんて喧嘩の種しかないと思っていた。
大仏先輩と一緒の時にも何度かエキサイトな事態があったが、やるのは俺一人で先輩は手出しをしない。
そればかりか俺が叩きのめした相手を抱きかかえ、時にはうちの病院へ救急搬送したことすらある。
院長には毎回、さんざん怒られた。
そういう話も含めて、俺は大仏先輩の素晴らしさを語り続けた。
「はぁ、あんたも変わってるのねぇ」
緑子は自分の席に戻っていった。
「あ、先輩、おかえりなさい。遅かったですね。大丈夫ですか?」
酒には強い先輩だったが、俺は心配した。
「いやね。石神君が女性と話してるのが見えたから。ちょっと遠慮したんだよ」
「えぇー! あんなの何でもないですよ。ああ、先輩の歌がメチャメチャ上手いって褒めてましたよ。それで俺に聞きにきたんです」
「え、そうだったの。困ったなぁ」
大仏先輩はそういう人だった。
色恋にまったく興味がない。
仕事と歌だけの人だった。
緑子と伊勢丹で偶然に会った。
俺は友人のお嬢さんの中学合格祝いの品を探して、本館の一階をうろついていた。
背中に誰かぶつかる感覚があり、振り向いて謝った。
「すいません、気がつかなくて」
「いいえ、こちらこそ不注意で」
顔を見合わせた。
「あ、今のナシ」
「なによ、それ!」
素面の緑子を初めて見た。
緑子は本当に綺麗だった。
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