橋
「ゾーシャ、こんな俺だけど、結婚してくれないか!」
勇気を振り絞った俺は、緊張で今にも倒れそうだった。
もしもゾーシャに拒絶されたら、俺はすぐに死んでしまいたいと思っていた。
あの日、村の端にある「婚礼の橋」の上。
夕暮れの赤く染まった風の中。
俺は下を向くゾーシャを瞬きもせずに見つめていた。
幼馴染で、村で一番美しく、そして優しく育ったゾーシャ。
長い明るい金髪の美しさ。
笑うと太陽が輝くように相手を暖かくする。
そしてゾーシャがその明るい笑顔で俺に言った。
「マチェク、私と結婚して下さい」
「!」
俺の目から涙が零れた。
嬉しいと言うよりも、俺がこの世界にまだいてもいいのだという喜びで全身が満たされた。
ゾーシャは俺の全てだった。
俺が存在する理由の全部だ。
ゾーシャを抱き締めて、何十回もお礼を言った。
「ゾーシャ! ありがとう! ありがとう! ありがとう! ……」
「分かったわ、マチェク。もう分かったから」
ゾーシャは笑って俺の背を叩いた。
「婚礼の橋」。
祖先が数百年前に石を積み上げてこの橋を作った。
森の向こうの教会に続くこの橋は、俺の幸せを約束してくれた。
この橋を通って、村の人間は教会へ結婚式を挙げに行く。
俺とゾーシャも、この橋を通って結ばれた。
俺たちは結婚衣装に身を包み、「婚礼の橋」を渡って教会で式を挙げた。
村の全員が俺たちを祝ってくれ、俺たちは新しい生活を始めた。
ゾーシャは結婚後も変わらず美しく優しかった。
俺は父親の家具造りの仕事を手伝い、ゾーシャは畑を手伝った。
山の中にある村で、畑と山仕事、そして森の獲物を狩り、贅沢はないが平和な村だった。
どの家も平屋で、村長の家だけが二階建てだ。
町で観るような鉄筋などは一つもない。
昔ながらの、素朴で暖かい家。
年に何度かの祭りで、みんな楽しく騒いだ。
時間があると、ゾーシャは自分で山に入って松脂を集めた。
村の外から来る行商人へそれ売る。
ゾーシャは、その売り上げの金を数えるのが大好きだった。
僅かな金額だが、確実に手元にあるそのお金は、俺たちの未来を思わせるものだった。
数年後、俺たちに待望の子どもが生まれた。
俺は更に、幸せを与えてくれた神に感謝した。
洗礼に行くために、またゾーシャと娘イザと三人で「婚礼の橋」を渡った。
堅牢な橋は、俺たちを幸福の未来へ渡らせてくれた。
俺たちはよく橋に上り、あの日と同じ夕焼けを眺めた。
ここには、俺たちの幸福が確かにある。
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「この指令書は何なのだ?」
シレジア軍管区の司令官であるアイゼンシュタット将軍は、NATOから回って来た機密文書を読み、当惑していた。
《ロシア国内で勢力を拡大する「カルマ」軍が、ポーランドの〇〇村へ侵攻する。ポーランド共和国軍は、この侵攻阻止のために力を尽くして欲しい》
NATOからの要請はポーランド共和国軍の指令書を伴い、シレジア軍管区の自分の所まで回って来た。
指令書には、侵攻軍の規模が10名程度だと書かれていた。
しかも、武装もなく兵装もない。
兵士のみが徒手空拳でやって来るのだと言う。
そんな弱小の兵力がどうしてこんな大問題になっているのか。
《「カルマ」軍の兵士は生体強化兵士「バイオノイド」であり、その戦闘力は未知数としても、各員が驚異的な戦闘力を有すると思われる》
「一体何が言いたいんだ?」
《シレジア軍区からは一個大隊の出撃を要請。村民の安全確保並びに、必要な場合は避難誘導・護衛を任務とする。尚、この指令書はポーランド共和国軍の正式な指令書である。速やかに軍の派遣を命ずる》
とにかく、指令通りに〇〇村へ軍を向けなければならないらしい。
バイオノイドという未知の戦力に対し、どのような戦力を送り込めば良いのかは分からない。
アイゼンシュタット将軍は、一個大隊の編成とその輸送の準備を命じた。
ヴァインベルク大佐に作戦指揮官を任せ、更に旧知の友人である米軍マリーンのターナー少将に連絡した。
ターナー少将は「カルマ」軍と戦う「虎」の軍に今は在籍しているはずだった。
彼ならば、「カルマ」の兵士のことが、もっと聞けるかもしれなかった。
ターナー少将とはアメリカの大使館に武官として派遣されていた時に知り合った。
お互いに打ち解けて友人となり、それから時折連絡を取り合っていた。
いずれポーランドが「虎」の軍に正式に協力することになることを、二人とも願っていた。
しかし、ターナー少将へは連絡が付かなかった。
今はアラスカにいないらしい。
残念だったが、連絡を欲しい旨の伝言を残した。
大隊は三日後に出発した。
第二輸送航空部隊の協力を得て、空路で向かった。
相手が武装を持たない兵士とのことであったが、第19機械化師団が戦車と移動車両を回してくれた。
最新鋭のPL01を3両出してくれる。
小さな村なので、補給 部隊と工兵も十分に揃えた。
野戦のつもりで大隊は待機する。
アイゼンシュタット将軍は、打つべき手は全て打ったと判断した。
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「ゾーシャ、軍隊がいっぱい来ているよ」
「ええ。今晩村長から話があるそうだけど」
俺は家業の家具造りの仕事を終え、今日の午後から増えている軍隊のことをゾーシャと話していた。
夕飯の支度をしていたゾーシャの代わりに、生まれたばかりの娘イザを抱き上げた。
「なんだろう。まさか戦争が始まるのかな」
「そうね、でもこんな村が戦場になるなんて」
二人で話しても仕方がない。
ジャガイモとベーコンを煮込んだスープを飲み、俺たちは集会場へ行った。
集会場では村の人間が全員集まっていた。
60人ほどの人数が中にいる。
軍の責任者のような人間もいた。
村長が俺たちに話す。
「この村がテロリストに襲われることが分かったそうだ。だからポーランド軍の方々が、守りに来てくださった」
そういう説明だった。
大佐だという軍人が、テロリストはたったの10名程だと言った。
「本来はこれほどの軍隊を動かすことはなかったのですが、念のためです。この村は必ず我々が守ります」
大佐の言葉に、全員が喜んだ。
10人のテロリストのために、国がこんなに大勢の兵士を派遣してくれた。
戦車まであるという。
俺たちは安心して、むしろ祭りを待つようなつもりで事件の解決を待つことにした。
軍人を歓迎したかったが、500名もの兵士に配れる食料も酒も無かった。
大佐は食料は十分に持ってきていると言い、俺たちの気遣いに感謝した。
大佐は必要ないだろうがと断って、3両の戦車を村の広場へ移動してくれた。
俺たちを安心させるためだろう。
ゾーシャと家に戻り、いつものように過ごした。
ものものしさはあったが、俺もゾーシャも不安は無かった。
その二日後、村が襲われた。
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その晩、そろそろ寝ようかと話していると、遠くで銃声が響いてきた。
ついに戦闘が始まったことが分かった。
「マチェク!」
「大丈夫だよ。たった10人のテロリストに、あんなに大勢の兵隊さんが来てくれてるんだ」
「そうね!」
ゾーシャとお茶を淹れて飲んだ。
一応騒ぎが終わるまで起きていようと話し合った。
しかし、しばらくしても、銃声が絶えることは無かった。
「随分かかるね」
「なんだか心配だわ」
外が暗いので、なかなか見つけられないのだろうか。
30分後、村の人間が呼びに来た。
「おい、みんな集会場に集まるようにだってさ」
「そうなのか?」
「ああ、敵が大分強いらしいよ。念のために一か所に避難しておくんだって」
「分かった、ありがとう」
俺とゾーシャは着替えてイザを俺が抱いて外へ出た。
みんなが集会場に向かっている。
その間にも、銃声が時々聞こえてきた。
集会場の前に停めてあった戦車が、村の入口へ移動していく。
あんなものが必要なのだろうか。
そのうちに、兵士たちが村の中へ続々と入って来た。
半数が怪我をしていた。
大佐の指示で、集会場へ負傷した兵士が運ばれていく。
俺たちの居場所がなくなっていた。
「君たちは別な場所へ移動してもらえないだろうか」
しかし、これほどの人数を収容できる場所は無い。
村長が言った。
「じゃあ、教会へ行こうか」
なるほど、教会であれば全員が入れる。
遅い時間だったが、神父さんも事情は分かってくれるだろう。
全員が移動を始めようとしたその時。
外で幾つもの悲鳴が湧いた。