ブロード・ハーヴェイのコンサート Ⅲ
静江さんが、少しだけ飲みましょうと言った。
俺もやはり酒が飲みたかったので、お願いした。
「先日、尊正さんと緑さんがうちへ来ましてね」
「!」
静江さんの目に一瞬で涙が浮かんだ。
「すみません。いつお話ししようかと思っていたのですが」
「いいえ。それで、元気にしておりますでしょうか?」
「はい。尊正さんとは一緒に風呂にまで入りました。御高齢でしょうが、肌艶も良く、俺が見ても壮健な身体でいらっしゃいましたよ」
「そうですか。それはありがたいことです」
静江さんが本当に嬉しそうに微笑んだ。
俺は家の庭にヒヒイロカネの巨大な円柱が出て来たことと、それを確認してもらうために尊正さんたちを呼んだことを話した。
「それはまたなんという……」
「まあ、クロピョンでしょうけどね。でも、今回のことは、百家の伝承にあったことのようで」
「はい。史上最強の魔王の降臨ですね」
「やはり御存知でしたか」
「その出現を知らせるための御業です」
「なるほど」
俺は円柱の下に引っかき疵があったことを話した。
「それはまさか!」
ロボの爪とぎだとは、やはり話せない。
「宇宙龍の加護があると! 石神さん! 大変なことですよ!」
「そうですか」
やはり静江さんが大興奮だ。
「ただ、宇宙龍は人間の意志とは関わりなく行動します。ですので、全ての戦いで味方になってくれると思われない方が」
「分かりました」
ロボだかんなー。
俺は軽い話題に変え、最近響子が体力づくりにはまっていると言った。
「チビザップというね、筋力マシンとかが自由に使える場所があるんですよ。そこに時々六花と一緒に」
「響子はじゃあ」
「いや、それがですね。どのマシンも一回も動かせなくて」
「まあ!」
「腹筋運動もね、1回も出来ない。吹雪は3回出来るんですけどね」
「ウフフフフフ!」
静江さんが大笑いした。
「勝手に通販で鉄アレイやら買い込んで。全部物置に仕舞ってます」
「響子も頑張っているのですね」
「まあね。でも少しずつですよ。歩き回るのも大分長い時間になってきましたし。ああ、夜の病院内の散歩です」
「そうですか」
「食欲も格段に多くなってますよ。うちの子どもらがいると分かりにくいですけど」
「オホホホホホホ!」
夜も遅くなったので、もう寝ることにした。
わざわざお付き合い下さった静江さんに礼を言った。
「明日はブロード・ハーヴェイへいらっしゃいますよね?」
「ええ。いろいろ打ち合わせもありますしね」
「私もご一緒して宜しいでしょうか?」
「申し訳ないのですが、お願いします。何しろ俺の英語は相手が怒っちゃうんで」
「ウフフフフ。じゃあ、そういうことで」
「おやすみなさい」
「おやすみなさい」
部屋へ入るとロボが飛びついて来た。
「おう、待たせたな。じゃあ寝るか」
「にゃ」
ロボが俺の身体に身を寄せて来た。
冷房が効いているので、ロボには少し寒かったのだろう。
指示しなかった俺の失敗だ。
ロボが幸せそうに喉をゴロゴロと鳴らした。
俺もグッスリと寝た。
翌朝、俺は朝食の後で静江さんと出掛けた。
亜紀ちゃんも付いて来る。
別にいらないのだが、言うとまた泣くので黙っていた。
ロックハート家のリムジンで行く。
「どんなお芝居になってますかねー!」
「まあ、一流の人間たちだ。大丈夫だろうよ」
「レイの脚本ですしね!」
「そうだな!」
俺たちのノリに、静江さんは笑っていた。
ブロード・ハーヴェイに着くと、入り口に総支配人が立って待っていた。
「もうミス・タチバナとミス・ツボウチが見えてますよ」
「そうですか」
緑子はブロード・ハーヴェイの招待で来ている。
そして橘弥生は今回の俺のコンサートの企画発起人だ。
俺たちが中へ入ると、ゲネプロの真っ最中だった。
緑子が俺に駆け寄って来る。
「石神! 凄い舞台よ!」
「そうか」
俺は笑って進み、橘弥生に挨拶した。
「トラ、逃げないで来たわね」
「恋人の頼みですからね」
「そう、いい心掛けだわ」
あれ、怒らない?
そう思っていたら、橘弥生の頬がたちまち紅潮してきた。
「今日はチークが少し強めですね」
「トラ!」
俺たちは笑い、緑子はよく分からないでいる。
ゲネプロが一旦休憩になり、演出家とサンドラ・カーンが俺の所へ来た。
「タイガー! 会いたかった!」
何度か音楽の打ち合わせなどでニューヨークに来ていた。
サンドラは俺のことを「タイガー」と呼ぶようになっていた。
サンドラに抱き締められ、キスをされた。
「いい芝居になったな」
「そうよ! 最高のものにするから!」
「頼むな」
他の役者やスタッフにも挨拶された。
みんな明日のこけら落としに向かって気合が入っていた。
再びゲネプロが始まり、緑子と亜紀ちゃんを置いて、俺と橘弥生は隅に置かれたテーブルへ移動した。
他にも演奏家がいて、あらためて挨拶し、一緒のテーブルに付いた。
明日の俺の舞台の生演奏とその後のコンサートの手順を確認して行く。
「ヴァイオリンとトランペットはこのお二人の奏者が石神さんと共にいます」
「はい」
「他は録音のものを流します」
「はい」
メインの楽器は俺と同様に生演奏になっている。
ヴァイオリンもトランペットも一流の演奏家が呼ばれていた。
みんなでタイミングなどを確認した。
「舞台で一緒に演奏するという発想はありませんでした」
今回のプロデューサーが言った。
「前にそういう映画を観ましてね。劇中で登場人物ではないギタリストが平然と一緒の画面にいるんですよ」
「面白いですね」
「ええ。劇中の現実と、観客のリアルが交錯して不思議な雰囲気になっていました」
「楽しみです!」
『IZO』という天才三池崇史監督の作品だ。
その発想を伝えると、演出家とプロデューサーが驚いていた。
観客は、役者たちの演ずる演劇と、異質な俺たちの姿を同時に観る。
こけら落としだけのものだが、面白いものになるのではないかと思っている。
打ち合わせが終わり、俺たちは昼食を食べに行った。
前にも来た、近くのレストランだ。
既に注文はされており、すぐに出された。
昼食なので軽くホットサンドとスープだった。
「……」
5秒で食べ終わった亜紀ちゃんが悲しそうな顔をしている。
「トラ、お嬢さんは足りないんじゃないの?」
「はぁー」
俺は後から来いと言って、亜紀ちゃんをレストランに残し、みんなと先に戻った。
亜紀ちゃんの分の会計も持つと言うプロデューサーに、丁重に断った。
午後からは、俺たち演奏者も加わってこけら落とし用の舞台のゲネプロをやった。
演奏の音量なども確認出来た。
ライティングも細かに調整され、ヴァイオリニストとトランペッターの楽譜のライトも微調整された。
俺は全部暗譜しているので、暗闇の中で演奏するシーンもある。
橘弥生は俺以外の演奏家に色々と注文を付けていたが、俺には何も言わなかった。
ずっと俺の演奏姿を黙って観ていた。
全てが終わったのは、夕方だった。
全員が明日のために、今日は帰る。
「トラ、食事をしましょう」
橘弥生に誘われた。
「ええ、でもロックハート家でお世話になっているんで。どうしようかな」
「石神さん、是非橘さんもお呼びして下さい」
「ああ! どうですか、ご一緒に」
「いいんですか?」
「そうだ、徳川さんもいらしているんですよね?」
「そうよ。今ホテルからこちらへ向かっているわ」
「だったら、徳川さんも!」
「そう、ありがとう」
御高齢の徳川さんは、ホテルで休んでいらしたようだ。
俺たちは徳川さんを待って、またロックハート家のリムジンで移動した。
亜紀ちゃんがニコニコして、俺に長い紙を見せた。
「あんだよ?」
「さっきのレストランのレシートです!」
「お前ぇー」
40品目以上の料理の数々が印字されていた。
「美味しかったですよー!」
「そうかよ」
みんなで笑った。
金額は1万ドルちょっとだった。
「今日も健康だな!」
「はい!」
みんなが爆笑した。