翼ある者
7月第二週の木曜日。
俺と紅は、北海道の大雪山の原生林に来ていた。
「アドヴェロス」の成瀬さんが北海道で調査活動をしている中で、妙な噂を聞いたためだ。
その成瀬さんたちは、新宿で強大な妖魔を駆逐するために、一旦東京へ戻っている。
妙な噂というのは、鳥の妖魔が出るというものだった。
地元の猟師などが何人か目撃している。
襲われたことは無いようだが、すぐ近くまで降りて来て恐ろしかったと言う。
「場所が広範囲だ。蓮花様が霊素レーダーを仕込んでくれたので、何とか捉えられるといいが」
「そうだな。まあ、気長に歩いてみよう」
「ああ」
体長は130センチほど。
人間の小学生低学年という感じか。
大きな鳥の翼を持ち、美しい顔を持っているという。
胸には乳房があり、下腹部から脚は羽に覆われ、足先は鳥のものだそうだ。
ライカンスロープにしては、人間を襲わないことが不思議だ。
妖魔かもしれない。
「石神が、旅行のつもりで行けばいいと言っていたよ」
早乙女さんが笑いながら言っていた。
「期間は1週間。何も見つけられなくても構わない。どうせいずれ「アドヴェロス」で本格的に調査するしね。今回は危険も少なそうだし、二人でのんびり北海道の自然を満喫して来てくれ」
「でも、そんな」
「いいんだよ。じゃあ、頼むね」
「はぁ」
そんな感じだった。
喫緊のことではないらしいのだが、どう集中すればいいのか分からない。
紅とも相談したが、旅行のつもりはともかく、気軽に調査しようということになった。
飛行機で札幌まで行き、そこから「虎」の軍が手配してくれたジープ・ラングラーの「Unlimited Rubicon」だ。
大分改造されているようで、車高が随分と高い。
リフトアップに合わせてコイルやサスペンションも最高のものが組み合わされているようだ。
ホイールは20インチでワイルド系の悪路対応のタイヤ。
ステンレス製のフットなど、内装も徹底的に充実している。
他にも「虎」の軍の通信機やレーダー、量子コンピューターが搭載されている。
今回は途中から徒歩での移動になるため、自衛の盗難防止装置も付いているらしい。
俺は紅を乗せ、広大な北海道の道路を疾走した。
「羽入、御機嫌だな」
「ああ! こんないい車を運転出来るなんてな!」
「お前は車が好きだな」
「おう!」
「自分でも買ったらどうだ?」
「!」
「おい、どうした」
「お前! いいこと言ったぁー!」
紅が笑った。
俺には自家用車なんて発想が無かった。
石神さんから頂いた改造ハイエースがあったからだ。
それに、紅とドライブなどもしたことが無かった。
俺は何をしていたのだろう。
「お前とドライブっていいよな!」
「私はいい。羽入が楽しめばいいだろう」
「お前と一緒が楽しいんだよ!」
「そうか」
紅は顔を赤くして、窓の方を向いた。
こいつはまだ俺に感情を隠したがる。
「何にしようかなぁ」
「好きなものを買え。私もお金は出す」
「そうか! じゃあ一緒に考えような!」
俺も紅も、結構な貯金が出来てしまった。
元々高額な給料の他に、出動の度にとんでもない手当てが出る。
二人とも使う宛もそれほどなく、服やなんかももう十二分に買ってしまった。
大分使ったはずだが、それでもお互い数億の金がある。
石神さんから言われて、株を購入したが、そうしたらその配当金がまた凄いことになった。
金持ちがどう資産が増えるのか分かった。
途中で俺が昼食を食べ、道央を三笠ICで降りて、道道116号線を走って桂沢湖を経由していく。
最短のコースではなかったが、紅に出来るだけ綺麗な自然を見せたかった。
蓮花さんに、紅が飲食出来ないか相談したことがある。
見かけ上で出来ないこともないが、結局紅は食事を楽しめないということで諦めた。
4時には大雪山に着き、山中に車を走らせて林道の中で停めた。
北海道道警のパネルがあるので、一般の人間は近寄ろうとはしないだろう。
紅が荷物を出し、90キロのリュックを背負った。
ほとんどが俺のためのもので、テントの他は全部調理器具、食糧と水だ。
俺は4本の「カサンドラ」を持った。
原生林に分け入って行った。
日も暮れて来て、俺たちはそこでテントを張ることにした。
紅が夕飯を作ってくれる。
厚切りのステーキと野菜炒め、豆のスープ、それに飯盒の飯だ。
焚火の前で旺盛に食べる。
「美味いよ!」
「そうか」
紅は笑って見ている。
「この辺は熊も出る」
「まあ、問題ねぇな!」
「近くに川があった。お前が水浴びをするなら、傍で見張っているからな」
「おう!」
北海道とはいえ、もう夏で暑い。
俺は汗を掻いていたので、さっぱりしたかった。
紅はそういうことも考えていてくれる。
「お前が洗ってくれよ!」
「バカを言うな!」
「いいじゃんか」
「自分でやれ!」
紅は一緒に風呂に入ろうとしない。
必要無いからだと思っていたが、恥ずかしいのだと気付いて俺が驚いた。
何度も誘っているが、まだ一緒に入らない。
まあ、一緒に眠ってくれるようになるまでも大分かかったが。
夕飯を終え、水浴びをしてテントに入った。
紅を求めようとすると拒否された。
「体力は温存しておけ」
「分かったよ!」
まあ、先は長い。
俺も早乙女さんが言うように旅行に来た気分でもない。
大人しく寝た。
翌朝。
6時に起きて朝食を食べてテントを撤収した。
爽やかな朝だった。
また紅がでかいリュックを背負ってくれる。
俺たちはGPSを見ながら、あらかじめ決めたコースを進んだ。
大体トラバースしながら上に段々と上がって行くやり方だ。
「なんだか本当に何もないまま帰りそうだな」
「まだ来たばかりだ。油断するな」
「お、おう」
予定通りにコースを走破し、昼食の準備を始めた。
紅はもちろん、俺も鍛えている。
結構な速さで移動しているはずだ。
1週間で、大雪山連邦の原生林を一周するつもりだった。
紅が荷物を拡げていると、俺を呼んだ。
「羽入! 何かが来る!」
「おう!」
俺も「カサンドラ」を構えた。
まだ俺には何も分からない。
「普通の野生動物ではない!」
「じゃあ、ターゲットか!」
「まだ分からん。上空から来るぞ」
「向かって来ているのか!」
「そうだ。真直ぐに進んで来る」
「おし!」
やがて俺にも視認出来た。
みるみる近づいて来る。
紅が時速200キロを超えていると言った。
鳥にしても速い部類だ。
「来るぞ!」
「おう!」
俺たちの10メートル先に、それが降り立った。
体長140センチ。
美しい顔を持ち、大きな翼を拡げている。
翼は内側は純白で、外側は茶の羽が混じっている。
腕は無い。
豊満な乳房。
鳥のような下半身。
目撃者の話とほぼ一致する。
敵意は感じられなかった。
俺たちをジッと見ていた。
「ピルピル」
綺麗な鳥の囀りのような声だった。
「ピルピル」
何かを訴えているようにも見える。
「ピルピル」
「紅、どうする?」
「待て」
「ピルピル」
「私たちは敵ではない」
「ピルピル」
「そうだ。お前たちの存在を知って、敵対する者かどうか確かめに来たのだ」
「ピルピル」
「ああ、安心しろ」
「紅! お前会話してんの?」
「そうだが?」
「どうしてだよ!」
「話し合えるのなら、それに越したことはないだろう?」
「そうじゃなくって! どうして会話出来んだよ!」
「お前は出来ないのか?」
「無理だよー!」
なんなんだ?