別荘の日々 Ⅸ
朝、響子がティッシュで俺の顔を拭いていた。
「タカトラ、起きた?」
「ああ、何してるんだ?」
「タカトラが泣いてた」
「そうか、ありがとうな」
「どうしたの?」
「ちょっと怖い夢を見てたのかな」
「うそ。タカトラは怖いものなんてないじゃない」
「そんなわけないだろう」
「じゃあ、どんな夢だったの?」
「響子が俺の顔の上でウンコしてた」
額をはたかれる。
俺たちはそのまま、ベッドでじゃれ合った。
ノックされ、六花が入ってきた。
バジャマのままだ。
「響子の具合はいかがですか?」
「ああ、調子いいよ。さっきはたかれた」
響子が俺の胸を叩いてくる。
「良かった」
六花は嬉しそうに笑った。
長距離のドライブを心配していたのだろう。
立ち上がった俺に近づいて小声で言う。
「なんで夕べは来てくれなかったんですか」
優しい女だと思ったことを後悔した。
朝食で、響子は納豆に挑戦した。
「タカトラのヨメとして!」
鼻をつまんでスプーンで二粒口に入れた。
顔を歪ませて咀嚼し、呑み込む。
「あ」
響子は続けて納豆とご飯を同時に食べてみる。
「おいしい!」
みんなが拍手した。
双子が自分たちの最高の組み合わせを教え、響子が試す。
「うん、確かに美味しい」
にぎやかな食事になった。
響子は六花と一緒にアニメを見ている。
『風の谷のナウシカ』だ。
食事の片づけを終え、子どもたちは勉強を始めた。
本当に習慣というのは素晴らしい。
「勉強は辛いものではない」という日常さえ獲得すれば、どんどん進む。
俺はコーヒーを飲みながら、論文を読む。
しばらくして画面を見ると、丁度「巨神兵」が動き出していた。
俺はそっと二人の後ろに近づく。
子どもたちが俺を見ている。
巨神兵が薙ぎ払った瞬間、俺は六花の頭を掴んだ。
「ヒャイッ!」
ヘンな声を挙げやがった。
響子もその声にビクッとする。
「もう! 六花をいじめちゃダメ!」
俺はそのまま髪をワシワシしてやる。
「六花! タカトラはね、顔の上でウンコすると泣くのよ」
「!」
「ねぇ、六花……六花! 鼻血でてるよ」
こいつはホントに。
六花は鼻にティッシュを詰めたまま、響子と一緒に俺の話を聞く。
「この映画の中で、「腐海」って出てきたろ?」
「うん」
「世界を破滅に導くと同時に、実は世界を救っている、というな」
「うん」
「菌というのは、そういうものなんだよ。人間にとって病気をもたらすものであり、同時に世界の根底を支えている」
「うん」
「食べ物って腐るじゃない」
「うん」
「あれは、菌が繁殖してそうなるわけだ。じゃあ、もしも菌がいなかったらどうなると思う?」
「いつまでも腐らない?」
「その通りだ」
いつの間にか勉強の手を止め、子どもたちが集まっている。
「菌が分解してくれないと、生物はそのまま残る。そうすると、世界は死骸ばかりになってしまう」
「実は菌が分解した死骸は、また植物の栄養になっていくんだ。その植物を草食動物が食べ、草食動物を肉食動物や人間なんかが食べる。うちの子らは食べ過ぎだけどな」
みんなが笑う。
「そうやって、生命は菌によって生かされていくんだな」
「それが世界の根底を支えている、という意味ですか?」
「そうだ、亜紀ちゃん!」
「最近の研究では、人間の90%は菌だという報告もある。人間の細胞の他に、それ以上の多くの菌が体内にいて、身体の運転をしているんだな」
「「「「へぇー」」」」
「特に腸内細菌だ。食事のほとんどは、人間の消化液とか酵素じゃなくて、腸内細菌がやってるんだよ」
「実際には腸内細菌にもいろんな種類があって、それぞれに担当が違う。そのバランスを崩すと、下痢とか反対に便秘になったりする。ハーのおならが臭いのは、そのせいだな」
「くさくないもん!」
「それと、人間の食文化にも、菌は重要な役割を果たしているんだ」
「どういうことでしょうか」
亜紀ちゃん。
「世界の民族で、お酒を作らなかった民族はいないんだ」
「「「「へぇー!」」」」
「実は、お酒を造らなかった民族は、みんな滅んだ、ということなんだけどな」
「「「「えぇー!」」」」
「お酒は菌の発酵でできる。要は、人間は発酵食品を食べなければならない、ということなんだ」
「さっき、響子は納豆を食べた。あれも発酵食品だな。大豆が菌で分解されたものだ」
「そうだったの!」
響子が嬉しそうに言う。
「大豆って堅い豆なんだよ。それが菌の力で柔らかくなり、美味しくもなる」
「うん、美味しかった!」
「でもな、腐ったものって臭いじゃない。だから発酵食品も独特な臭いがあるものが多いんだよ」
「あ、納豆くさかった!」
「な。民族の文化だから、その民族にとっては美味しそうな匂いにもなっている。でも他の民族にとっては「お前らバカじゃないの?」っていうほど臭いものなんだ」
子どもたちが笑う。
「一番臭い発酵食品は、北欧の「シュールストレミング」だと言われている。「臭いの爆弾」とも呼ばれるものだ。今度食べてみような、皇紀!」
「ええ、なんで僕!」
「ハーはやめておこうな」
「くさくないもん!」
みんなが笑った。
俺は響子を抱えて、俺の部屋のベッドで本を読んでやる。
しばらくすると、ウトウトとし出したので、そのまま眠らせた。
六花が部屋に入ってきた。
「石神先生、ちょっとお疲れなのではないですか?」
俺はギョッとした。
そんな素振りを見せてないと思っていたのに。
「ちょっとマッサージをいたしましょうか?」
「六花、お前よく俺の」
六花はでかいマッサージ器を持っていた。
「お前……」
「その後で、私にも是非マッサージを」
「出て行け」




