別荘の日々
簡単に朝食を済ませた。
最近は子どもたちの料理が上手くなり、全面的に任せることも多くなってきた。
俺と半々くらいか。
一之瀬さんには主に掃除をお願いするようになり、日中の誰もいない間に来ることが多くなった。
ご本人もお年だし、自分のペースでやって下さいと頼んである。
俺は徐々にレシピノートを書いていて、俺がいない場合も子どもたちが困らないようにしている。
子どもたちに家のことをやらせる、という俺が何となく考えていたことも、実現しつつある。
それによって、「俺に育ててもらった」なんてことも、少しは考えなくても済むだろう。
今も旅行の荷物を子どもたちがハマーに積み込んでいる。
俺はコーヒーを飲んでいた。
既に道具は洗っているから、あとはこのカップだけ片付ければいい。
電話が来た。
栞からだ。
「石神くん、もう出発しちゃった?」
「いえ、まだですよ。先日は一江のマンションまで付き合ってもらって、すいませんでした」
「あー、アレね」
栞はクスクスと笑っていた。
「石神くんが陽子にひどい怪我をさせないように、と思ったから。でも大丈夫だったよね」
「まあ、本心を言えば、頭に来たというよりも、一応上司としてけじめを付けただけですから。ああ、これは一江たちには黙っててください」
「うん。でも、本当に怒って無かったの?」
「ちょっとは怒ってましたけど、それ以上に「面白いことやりやがった」という気持ちが強かったですね」
「そうだったの?」
「はい。俺も散々院長にやってきましたからねぇ。ほら、最近でも「ヘンゲロムベンベ」とか、こないだも女子会とか」
電話の向こうで栞が大笑いしている。
「そ、そうだった。ああ、思い出したらダメ! そうか、最近は石神くんは怒られない方法でやってるだけか」
「そうですよ。まあ、綱渡り的なものも多いですけどね」
栞はひとしきり笑って、その間俺は待っていた。
「ああ、ごめんなさい。別に用事というほどじゃなかったんだけど、一昨日石神くんは陽子に「修理代は俺に請求しろ」って言ってたじゃない」
「ああ、はい」
「夕べ陽子から電話が来て、申し訳ないから、私に石神くんを説得して欲しいって言ってるの」
「いや、それは」
「うん、それでね。陽子はいっそドアを付けないで暮らすつもりなんだって」
「えぇ?」
「今も不自由が無いと言うか、いっそ便利なことに気付いたんだって」
「そうなんですか?」
「そうよ。だから石神くんも気にしないでおいてくれると、陽子も助かるということ」
「まあ、分かりました」
「ああ、PCとかは自分で買い直すからって」
「はぁ」
「じゃあ、用件はそれだけ。折角の旅行で気にしてるといけないと思ったから。忙しい時にごめんね」
「いえ、お気遣いいただいて、すいません。一江には取り敢えず分かったと伝えてください」
「了解。楽しんで来てね」
電話を切った。
まあ、一江なりに反省し、気を遣ったのだろう。
子どもたちは積み込みを終え、俺を待っていた。
俺はコーヒーを飲み干し、カップを洗った。
時期を外しているので、高速は空いていた。
車の中で、俺は子どもたちに順番に歌を歌わせた。
突然の俺のヘンな命令に、子どもたちはよく付き合ってくれる。
亜紀ちゃんは浜崎あゆみを歌う。
なかなか良かったが、次に歌った皇紀が別格だった。
俺は時々食事中に皇紀に歌を歌わせているが、いつも感心する。
皇紀は車の中でシューベルトの『冬の旅』を歌った。
第一曲「おやすみ(Gute Nacht)」だ。
ドイツ語で歌う。
見事な歌に、みんなで拍手する。
双子は『昭和枯れすすき』をデュオで歌った。
感情の篭った歌声で、これにも驚く。
「お前ら、どこで覚えたんだ?」
「「便利屋さん!」」
あいつ、何やってんだ?
「亜紀ちゃんも上手かったけど、皇紀に持ってかれたなぁ」
「ほんとです」
「皇紀、『冬の旅』は全部歌えるのか?」
「いえ、まだ今の一曲目だけです」
「そうか、覚えたらまた聞かせてくれ」
「はい!」
「『冬の旅』はいいよなぁ」
俺は子どもたちに、前に俺の好きな曲ということで聴かせたことがある。
皇紀はそれで覚えようとしたのだろう。
《Bin gewohnt das Irregehen, 》(もはや迷いしことに慣れし我)
「ビン・ゲボーント・ダス・イーレゲーヘン、というなぁ。人生で迷わない奴はダメよな」
「恋人に裏切られて旅に出る、という歌ですよね」
亜紀ちゃんが言う。
「そうだ。人間は大きな悲しみから出発するんだ。そしてその先でも、上手くやっていくことは出来ない。迷いながら、苦しみながら行くのが人生よな」
「『昭和枯れすすき』もそうだよね!」
ルーが主張する。
「ああ、あれはなぁ。ちょっと作り過ぎよな」
「えー、そうなのー?」
ハーが文句を言う。
「あの時代はなんて言うかな。まだ日本に悲しいことが美しい、という認識があった時代なんだよ」
「どういうことですか?」
「日本には「心中」ってものがあるだろ?」
「はい」
「ああいうものは、実は海外にはねぇんだ」
「そうなんですか!」
「恋人同士とか、一家心中とかな。じゃあ何で日本だけあるのかって、それが「美しい」からなんだよ」
「うーん、よく分かりません」
「そうだろ? だからあの時代までなんだって。亜紀ちゃんには分からないよ」
「昔から「判官贔屓」という言葉があるけど、日本人って負けて悲しく死んでいく、というものにもの凄く美を感じたんだよな。『平家物語』とか『方丈記』なんかもそうだ」
「はい」
「だけどなぁ。『昭和枯れすすき』は、それを思い切りエッセンスだけで組み上げたんだよな。だからどうして二人が惨めになってるのかって説明がねぇ」
「なるほど」
「それでも大ヒットしたんだよ。まあ、便利屋の世代でもねぇんだが、あいつは変わってるからなぁ」
「何にしても、今回の歌合戦は皇紀の優勝だな!」
双子が後ろのシートから身を乗り出し、皇紀の頭を軽くはたく。
「おう、皇紀、お前調子に乗んなよ!」
「生意気だぞ、てめぇ!」
「二人とも! やめなさい!」
亜紀ちゃんが叱る。
最近、双子はやりたい放題になっている。
「お前ら、ソフトクリーム無しな」
「「えぇっー!」」
「うそうそ、皇紀ちゃん、良かったよー!」
「うんうん、聞き惚れたぁー!」」
みんなで笑った。
「タカさんも歌って下さいよ!」
亜紀ちゃんがせがむ。
「おう!」
俺は『etoile et toi』を歌う。
みんな聞き惚れる。
歌い終えると拍手が起きた。
「タカさんが優勝です!」
「最高の歌でしたぁ!」
「あ、ルーとハーはソフトクリームからサーティーワンの三段に変更されました」
二人が喜ぶ。
「今の歌、泣きました!」
「もう死んでもいいです!」
「亜紀ちゃんと皇紀もサーティーワンの三段に変更です」
みんな必死で褒め称えるが、三段からは増やさない。
腹を壊すからな。
俺たちは途中のサービスエリアで食事をする。
サーティーワンの出店が無かったので、散々文句を言われた。




