澪
朝食の席で、柳は俺のことをチラチラと見ていた。
俺と目が合うと手を振ってきた。
朝食が終わり、俺は御堂に話があると言った。
御堂の部屋に行く。
引き戸を閉め、俺に椅子を出し座るように勧められた。
「実はな、夕べ風呂に柳が入ってきた」
「そうなんだ」
相変わらず驚かねぇ。
「出て行けと言ったら泣き出してな」
「うん」
「しょうがねぇから、一緒に風呂に入った」
「そうか」
「申し訳ない!」
俺は土下座した。
御堂は笑い出す。
「お前なぁ」
「石神は学生時代から異常にモテたもんな」
笑いながら顔を上げてくれと言われ、俺は椅子に座りなおした。
「なあ、石神」
「ああ」
「澪の件では、本当に世話になった」
今度は御堂が頭を下げる。
「もうずい分と前のことじゃないか」
「なあ、「柳」って名前、変わってるだろ?」
「ああ、まあな。でも綺麗な名前じゃないか。うちの亜紀もそう言ってた」
「ありがとう。あの名前は澪が付けたんだよ」
「そうだったのか」
「澪はお前のことを、あの日から今までずっと感謝している」
「弱ったなぁ」
「澪は、虎と番になれる名前がいいって言ったんだよ」
「!」
「虎と龍。まあ、さすがに女の子に「龍」はね。だから「柳」という名前をつけた」
「……」
「もちろん、柳をお前の嫁にする、という決意なんかじゃないよ」
「安心したよ」
「でも、そうなって欲しい、という思いもある。自分の娘に恩を返して欲しいってね」
「いや、お前」
御堂は声を上げて笑う。
「僕はどっちでもいいよ。でも、澪は多分柳に話してる。石神のことを柳が大好きだって澪が聞いて、その後で話してると思うよ」
「お前、あれは柳が小学生の時だろう」
「それでもだよ」
御堂の部屋の、戸の隙間から光が差し込んだ。
細い光が俺の身体を両断した。
「澪はとても喜んでいた。柳もずっとお前のことが大好きなんだ」
「……」
「まあ、それでもまだ手は出さないでくれよな」
「当たり前だ!」
「石神は何でも僕に話してくれる」
「ああ、お前もな」
御堂は大学卒業後、御堂家の経営する病院へ入った。
院長は正巳さんの弟だ。
そして、二年後に澪さんと結婚した。
見合いだ。
相手の澪さんは二つ年下で、非常に美しい人だった。
ただ、家格は多少劣っていた。
旧家では、それが非常に重いことになる。
しかし、御堂が自分で見合いを選び、すぐに結婚したのだ。
澪さんは大学を卒業し、御堂家の経営する病院の事務をしていた。
御堂はそこで、澪さんの優しい性格を見ていたのだろう。
数々の見合い写真の中で澪さんを見つけ、すぐに申し込んだらしい。
澪さんは、御堂家に入り、徹底的にしごかれた。
菊子さんは少しのミスも酷く叱り、できたことでも必ず文句を言い、否定した。
今時の「褒めて伸ばす」なんて要素は一つも無い。
全否定だ。
菊子さんが嫌な性格、ということではない。
旧家の嫁の教育法なのだ。
真面目で責任感の強い菊子さんは、次代の嫁のために、徹底的に自分のすべてをぶつけただけだ。
御堂家の誰もがそれを理解し、俺にも理解できた。
でも、一般家庭で育った澪さんには地獄の日々だった。
俺には、それも理解できる。
そして御堂も。
そして、澪さんが壊れた。
澪さんは家を飛び出し、東京の親戚を頼った。
地元の実家では御堂家は絶対だ。
必ず連れ戻される。
御堂から電話が来て、澪さんと会って欲しいと言われた。
結婚後、御堂の家に遊びに行き、澪さんとは親しくなっていた。
「石神のことは信頼しているから、話を聞いてくれると思う」
俺はすぐに澪さんに会いに行った。
澪さんは、俺の顔を見て、泣き崩れた。




