栞、懺悔。
自宅へ戻ると、栞から電話が来た。
「石神くん、今日は本当にごめんなさい」
「俺はまだ怒ってるんですけどね」
「本当にごめんなさい」
まあ、いつものごとく一江に誘われて断れなかったんだろう。
響子が俺に無断で連れ出されたのも知らないのかもしれない。
「……もういいですよ。本当は花岡さんが無事なのは嬉しかったんですから」
「……ありがとう。でも、一つ言わなきゃならないことが」
「なんですか?」
「あのね、使っちゃったの」
「何を?」
「螺旋花……」
なんのことだ?
「螺旋の花ってことですか?」
「そう。うちの流派の奥義の中でも特別な威力を持つの」
栞はその奥義の説明を始めた。
元々は甲冑を着込んだ武者との戦いで、素手で倒せる技の究明だったようだ。
戦場では常に武器があるとは限らない。
激しい打ち合いで、刀や槍が折れることも珍しくない。
そうした場合にも、敵を屠れる技が必要だった。
花岡流暗殺拳、まあ正式な名称はまだ教えてもらってはいないが、その流派では、関節を破壊する技が多種存在する。その技で素手で殺すことも可能だ。
しかし、その他に衝撃波で甲冑の中の人体を破壊する技が生まれた。
そしてその技は、長い年月の間に更に研ぎ澄まされ、絶大な威力を発揮するようになった、と。
花岡斬は実際に中国戦線の戦場でそれを使い、ソ連の戦車兵を肉塊に変えたそうだ。
「じゃあ、あの時じじぃが使ったのは」
「え、おじいちゃんが「螺旋花」を使ったの?」
「多分。咄嗟に嫌な予感がして受けずにかわしたんです。でも背中をかすって。しばらく痺れが取れませんでした」
「まさか、そんな……。人体に使えば霧になって飛び散るはずよ」
あのクソじじぃ!
「ところで、花岡さんがそれを使った、とさっき言いましたよね?」
「うん、申し訳ない」
「一体、どうして」
「嫉妬したの、響子ちゃんに」
「え?」
「響子ちゃんがね、石神くんの嫁だって言ったときから、頭に血が上っちゃってたのね。それで冷静になろうと洗面所に行ったの」
「はい」
「そこで「螺旋花」を打ったのは確かだけど、本当に軽いものだったのよ。ちょっと壁が振動するくらい」
「ちょっと」ではなかったはずだ。
無意識なのかもしれないが、かえってその方が怖い気もする。
「それで」
「だって、壁の中にガス管が通ってるなんて知らなかったのよ!」
「……」
放火魔がここにいた。
普通の人間が、感情を激して壁を殴ることはある。
しかし花岡家の人間がそれをやれば………
「まあ、幸い死傷者はゼロのようですし。店は当分休むでしょうが」
「私、弁償する」
「ガス管の亀裂はビル側の問題ですから、保険で賄われて、店の損失も多くは補填されるでしょう」
「それでも、弁償する」
「店の信用問題もありますが、店員の誘導が素晴らしかったとネットでも良い広まりのようですよ」
「それでも……」
「まあ、今度、的確な誘導に感謝、ということでお礼をすればいいんじゃないですか? あまり大金を渡すのはかえって不味いですが」
「そうなのかな」
「再開したらでかい花輪でも送って。店員さんに助けられた客、という名前で店先に飾れば、店の評判も上がるでしょう」
「なるほど!」
何とか栞を説得できた。
それにしても、花岡家の暗殺拳は底が知れない。
この平和ニッポンで、平然とその威力を残したままなのが、何とも恐ろしい。
なんだっけ、栞の弟はフランス外人部隊だったよなぁ。
俺は暗い思考から離れるために、話題を変えた。
「ああ、八月に子どもたちを連れて、御堂の家に行くんですが、花岡さんもいかがですか?」
栞は少しの間、黙っていた。
「ごめんね。私はいいや。みんなで楽しんできて」
「そうですか、残念です」
「その代わり、私ともデートしてね」
「分かりました。喜んで」
「あの、石神くん」
「何ですか?」
「あのね、本当にごめんなさい」
「もういいですよ」
「怒ってない?」
「もちろんまだ怒ってます」
「……」
栞のしょげ返っている姿が目に浮かぶ。
「響子は俺にとって本当に大事な人間なんです」
「私よりもずっと?」
「比較なんかできませんよ。二人とも大事です」
「!」
「石神くん」
「なんですか」
「ありがとう」
何の礼だか。
電話を切り、傍で聞いていたらしい亜紀ちゃんが、こちらを心配そうに見ていた。
「花岡さん、何かあったんですか?」
「ああ、今日、銀座で火事に遭ったんだよ」
「え、大丈夫なんですか?」
「問題ない。勝手に響子を連れ出してのことだったんで、ちょっと説教したんだ」
「そうだったんですか。でも無事でよかった」
本当になぁ。




