カマキリ・パッション いい話にしようと思ったら、実話がちょっと入って崩れた
大分春めいてきた三月初旬。
俺は久しぶりに石橋先輩に呼ばれ、六本木のバーで待ち合わせた。
石橋先輩は、大学時代の弓道部の先輩で、ずい分と俺のことを可愛がってくれた。
学部は違ったが、卒業後も連絡を時々くれ、たまに会っては旧交を深めた。
俺も先輩のことは大好きで、非常に真面目で面倒見の良い人だった。
石橋先輩は、大手化粧品会社に入社した。
そこで持ち前の真面目さと誰にでも優しさを示すという性格で、たちまち同期の中でも頭角を現わした。
先輩は20代にして、地区マネージャーとなり、デパートなどの出店を幾つも管理する立場になった。
非常に忙しい毎日だったが、先輩は化粧部員一人一人に声をかけ、悩みを聞き、問題を一緒に解決していた。
当然、化粧部員たちの信頼は高まり、石橋先輩の担当する店は、のきなみ全国トップの成績を上げていった。
俺が活躍を褒めると、先輩はいつも照れて、自分などは全然ダメだと言っていた。
俺も先輩から褒められたが、「そうでしょう、そうでしょう」とふんぞり返っていた。
「お前は本当にすごいから」
先輩が真面目に言うので、俺は慌てて否定して謝った。
今は知らないが、当時の先輩の化粧品会社は従業員とパートタイマーではずい分と扱いが違った。
パートタイマーの成績は従業員の評価となり、肝心の彼女らには何の恩恵もなかった。
また、一部の従業員が成績を奪い独占し、下の従業員はいつまでも評価が上がらない、ということもあった。
石橋先輩は彼女らのために奔走した。
しかし体制は変えられず、苦しんでいた。
そのうちに、下の従業員、パートタイマーが一斉に辞表を出した。
謀反だ。
石橋先輩は彼女ら一人一人に親身につきそい、次の就職先を一緒に探した。
パートタイマーを含めて、百人以上もいた退職者に対してである。
一年近くかけて、先輩はすべての人の就職先を決めた。
そして自身も退職した。
いつもの六本木のバーで、俺たちは会った。
「石神、やっと終わったよ」
石橋先輩は晴れやかな顔で笑っていた。
「お疲れさまでした。ところで先輩自身は、今後どうするんですか?」
「俺は化粧品畑しか知らないんだけど、もう無理だろうな」
「どうしてです?」
「謀反に加担したことで、俺は業界を締め出されたよ。なんと言っても、トップクラスの会社だったからな」
「そうですか」
「スーパーのレジ打ちなら、なんとか雇ってもらえるだろうよ」
石橋先輩は結婚していて、奥さんと小さな娘さんがいる。
そういう自分の生活を見向かずに、懸命にやっていたのだ。
「先輩、次までの繋ぎでもいいですから、俺の伝で面接してみませんか?」
「ああ、それは助かるけど、どういう会社なんだ?」
俺は、以前にオペを担当したある患者のことを話した。
退院後も仲良くしていて、石橋先輩のことを先日話したのだ。
「そんな人は是非欲しいよ。絶対連れてきてよ」
俺が話す先輩の人となりを大いに気に入ってくれ、乗り気で言ってくれたのだ。
「モデル事務所なんですけどね。「アスト」というところの社長さんです」」
「一流の事務所じゃないか! 俺なんかが面接してもいいのか?」
「もちろんです。俺が先輩のことを話して、向こうが来てくれって言ってるんですよ」
「本当にありがとう。早速たのむよ。こちらはいつでもお伺いしますと伝えてくれよ」
「分かりました」
俺はすぐにその場で連絡した。
明日にでも、と言ってくれた。
「明日の10時でどうですか?」
「は、はやいな。もちろんお願いします」
石橋先輩はすぐに入社が決まり、すぐに上から信頼され、どんどん出世していった。
俺は社長さんから感謝され、時々先輩の活躍を聞いている。
先輩は相変わらず、自分などは、と言う。
時々、石橋先輩と飲むときに、アストのモデルが連れて来られることがあった。
「石神の話を聞かせてやってくれよ」
モデルの中には偏屈な人間も多い。
石橋先輩は、彼女らを俺に会わせ、何とかしてもらいたいらしい。
非常に困るのだが、先輩の頼みだから、いろいろな話をしてきた。
何度もそういうことがあったので、多少は先輩の力になっているのかもしれない。
そしてその日。
「この子は「カマキリ好子」というんだ」
「え?」
「カマキリが大好きな子でさ。だから、それで売り出そうと思ってるんだよ」
平凡な顔、身長160センチギリ。
本来、アストのモデルとしてはやっていけない。
でも、昨年思わずイロモノ的なモデルがヒットして、アストも間口を広げたらしい。
そして恐らく、事務所でも数々のモデルを育てた実績のある石橋先輩に任されたのだろう。
「あの、カマキリが好きなの?」
「そーでもないんだけど、子どもの頃にカマキリを育てたって話したら、事務所の人が「それにしよう!」って」
「じゃあ、好きなわけじゃないんだ」
「ふつーかな」
俺が先輩に、〈無理です!〉と視線で訴えると、先輩はニコニコとカマキリを見ていた。
「と、とりあえずさ、表ではカマキリが好きって言おう」
「ええー、なんで」
「それが売りになる(もうそれしかねぇだろうが!)からだよ。ポーズもさ、こんなふうにして」
俺はカマキリが鎌を広げるポーズを示す。
「あっ、いいね石神! それ使ってもいいかな?」
「もちろんです」
それから、間が持たすため、俺は適当なことを必死で話した。
段々酔いも回り、最後には「カマキリ・パッション」という即興曲まで披露し、場をまとめた。
♪ かまきり かまきり わおー わおー
三ヵ月後。
家で子どもたちが歌番組を見ていたとき、
「かまきり かまきり わおー わおー」
と聞こえた時には、コーヒーを噴き巻いた。
画面を見ると、あのカマキリ好子が緑色の衣装で歌っている。
テロップには、「作詞作曲・オスカマキリ」とあった。




