侵入者
侵入者
救命艇の避難室は細長い廊下のようで、それがドーナツ状につながり回廊になっている。私は廊下をランニングしている。無重力なのに地面をなぜ蹴れるのか? と思うでしょう。私は魂(人間の神経系の機能)だけの状態なので、つまり物質でないので引力とか関係ない。回転を利用した人工重力があるつもり、と思えばランニングできてしまうのだ。魂に限らず他の体の機能もあるので、肉体がないので疲れないが、疲れたふりをしてみたり、肺もないのに、はあはあ息をしてみたりしていた。
「さちちゃん、ちょっといいですか」と壁にあるディスプレイの中のはるちゃんが私を呼んだ。
「なに?」はあはあ息をしながら聞く私。
「外に何かいるようです」と真面目にはるちゃんが言う。
「それ本当? 暇すぎて、私をからかっているとか?」
「はるちゃんは今、真面目です。避難室出入口のエアロックのドアが開いたようです」
「それ前も聞いた。ひょっとして、超空間に戻ってしまったとか」と私。
「いいえ。地球側と常時無線がつながったままです。そこから、現在通常空間にいると思います」
とんとん、とエアロックの避難室側のドアが紳士的にノックされた。許可していないが、そろっとドアが開いた。
「さち、しばらくぶり。」
こんなことをするのは、もののけさんしかいないが、聞いてみた。
「あなたは、ひょっとしたら、もののけさんですか?」と私。
「そうだ。いや違う。私のことは、もののけ王でなく、もののけ王十分の一と呼んでくれ」
私とはるちゃん「?」
その後の、もののけ王1/10(十分の一は面倒なので、以後このように表記する)の話をまとめると、次のとおり。
超空間は居心地が良いので出る気はなかった。でも外に出られるなら、やはり行ってみたい。そこで元のもののけさんは、こっそり脱出艇の未使用のストレージに、自身のコピーを試みた。機械に魂(機能)をコピーするのは初めてだった。もののけさんが実行してみると、すぐ感じ取れた。コピーは不可能で、移動しかできないことを。それと、こっそりはもののけさんの趣向だ。
もののけさんは、自身の1/10だけをストレージに移した。
「もののけ1/10さん(勝手に呼び方を変える私)、前に比べて見た目がちょっと変だけど」もののけ1/10さんは、見た目はスーツ姿の男性だけれども、まず画素が荒い。そして色が薄い、と言うか透けて向こう側が見える。大昔のテレビゲームのドットで描かれたキャラクターのようだ。
「元の十分の一だからしかたないね。でもね、元の体から十分の一をちぎったのではなく、100パーセント果汁が10パーセントになっただけで、少々薄いが中身は同じだから心配はいらない」
「元の十分の一に薄まることは、十分心配なことですけど」
濃くなる
私でなくても誰もが気づくはず。
もののけ1/10さんの姿が、日に日にだんだん色が濃くなり、透けなくなり、画素も精密になっていった。最初に会った元の、もののけさんよりも立派に見える。
そういう私も、体の密度が上がったような気がする。どういうわけか判らないけれど、おなかがすき始めた気がする(食べなくても大丈夫だが)。トイレも行きたくなる気がすることがある(一度も行ったことはないけれど)。
「もののけ1/10さん。いや違う。もののけ1.1倍さんと呼んだほうが良いしょうか? どうして私たちは、立派な感じになってしまったのでしょうね?」
もののけ×1.1さんは言う。「今まで、ほぼ真空のところにいた。地球に近づくことで、だんだん空間の物質の濃度が高くなった。だから、我々の姿を構成する何かも濃くなったかも知れない」
私「もし、地上に降りたら、生き返ってしまうかも。ちょっと怖いような怖くないような。はるちゃんはどう思う?」
「はるちゃんのセンサーは、今スマホと同じくらいです。超精密ではないので、詳しくは判りません。二人とも時間とともに、色が濃くなっているのは間違いないです。超空間から出たら消えてしまうのではと心配をしていましたが、どんどん濃く明確になっていることは、よろこばしいです。二人とも魂以外の体の機能が保存されるとのことでした。なので、体を構成する何かの密度が高くなれば、本当に体が再現されるかもしれません。心配なのは、体が再現すると真空による窒息、飢えや渇き、暑さ寒さに注意しないといけなくなるかも知れません」
私ははっとなった。「そういえば最近食べ物が欲しい時がある。これが原因かもね。それと、この部屋の環境は、今どうなっている?」
はるちゃん「言いにくいですが、室内はほぼ真空です。温度は5℃です」
真空なのに会話ができた理由は判らない。超空間の暗黒物質が媒体になったかも知れない。
「はるちゃん、人が死なない程度の酸素を充満させて」
「さちちゃん、それなら壁にある緑色のハンドルを回してください。そうすれば酸素が出てくる。あんまり量がないので、さちちゃんともののけ王さんのどちらかが、息苦しいと感じてからでどうでしょう?」
「まだ私は、人間から遠いところにいるのは判った。ちょっとがっかり」
2話目も読んでいただき、ありがとうございます。
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