あなたと私の願い事
目が覚めると、そこにはいつもの見慣れた天井があった。自分の部屋の自分のベッドでいつもの様に学校に行く為に朝の七時三十分に起き、いつもの様にリビングにあるテレビの電源を付けるとニュース番組にテレビのチャンネルを変える。今日の日付は五月十八日。高校二年生になってから一ヶ月近くが経ち、新しいクラスにも慣れてきた頃だ。
「学校行くのめんどくせぇ〜」
愚痴を言いつつも洗面台に向かっていく。
「あと少しで萌が来ちまうな」
洗面台の鏡に映った自分を見ながらそう言うと、学校に行く為に洗顔を始めた。今洗顔をしている男は時使和哉年齢は十六歳の夕ヶ丘高校二年生。黒髪に黒の目、身長は百七十四センチ。顔は悪くはないが決して恵まれた顔立ちをしているとも言えない。勉強ができる訳でもなく運動ができる訳でもない。どこにでもいる一般人という言葉が似合っている。それが時使和哉という男だ。敢えて一般人との違いを説明するのであれば、亡くなってしまった祖父から貰った形見の時計を持っていると言う事ぐらいだろう。その時計は祖父が持っていたということもあってか、本来ならば十二個の数字で時間を表しているはずのところで漢数字を使っていた。また、この時計は茶色の皮のベルトでできている為、十六歳の高校生が持つには少し大人びている。和哉本人は祖父から貰った大切な形見なのでそんな事は気にしていないようだが。
「そろそろ…」
和哉が歯磨きをしようと歯ブラシに歯磨き粉をつけながらそう言うと、それとほぼ同時に玄関のチャイムが鳴った。
「は〜い。少し待ってくれ」
そう言うと、和哉は玄関へ向かい、自分のことを待っているであろう人物の為に鍵のかかった扉を開けた。
「お!は!よ!う!」
「あの〜、あと少しで準備できるから待っててくれない?」
和哉は不機嫌そうに朝の挨拶をしてくる幼馴染のために申し訳なさそうにしながらお願いをする。
「あのね〜、和哉さん。同じ学校に行けるようになってもう一年が過ぎました。」
「はい、そうですね」
「最初の頃は特に思うことは無かったよ。小学校を卒業する時に、親の都合で和哉が東京に引っ越す事になった時はもう会えなくなっちゃうんだって思った。本気で悲しくて一杯泣いた。それから中学校はなんの音沙汰もなかった。でも、高校になって和哉が戻って来た時は驚きもしたけど、それよりも嬉しさの方が大きかった」
「あ〜、うん」
「それが!今!なんで!こうなっているのか分かる?」
「ええっと〜、それは〜、なんででしょうか?」
不機嫌そうな顔をどんどん和哉に近づけながら迫ってくる幼馴染に気圧されながら、和哉は自分の顔を不機嫌であろう幼馴染から逸らし、惚けた口調で返事をした。
「それはね〜」
そう言って、幼馴染は和哉の左耳に自分の右手を近づける。
「和哉が毎日、毎日、学校に行く時の私との待ち合わせの時間に遅刻してくるからでしょうが!」
そう言うと、幼馴染は和哉の左耳をありったけの力で摘んだ。
「痛い!痛い!痛い!なにすんだよ!」
「和哉が毎日遅刻してくるのが悪いんでしょ!」
自分が耳を摘まれる事に不服を露にする和哉に対し、当然とばかりの反応をする幼馴染。
「いい?あと五分で支度して頂戴!」
「はいはい…」
和哉は幼馴染の無理難題に渋々従うといった返事をする。
「ん”〜〜〜」
「わ、分かりました。五分で準備します」
和哉は自分の返事を聞いて睨んでくる幼馴染の為に急いで支度を始めた。右手に持ったままだった歯ブラシで歯を磨きながら、学校指定の黒のブレザーと黒の鞄を準備した。それが終わると、口をゆすぎ、急いでブレザーへと着替えた。そして、鞄を持ち玄関へと向かう。そして、学校指定の靴を履き、玄関の扉に手を掛けた。
「あっ、そういえば…」
そう言うと、手を掛けた扉から自分の部屋に戻り、机の上に置いてあった腕時計を左手首に付けた。
「やっぱり、これが無いと落ち着かないな」
和哉は自分の左腕にある腕時計を見ながらそう言った。そして、自分の玄関の扉を隔てて自分の事を待っていてくれる幼馴染の為に玄関の扉を開けた。
「悪いな。少し遅れた」
「これに懲りたら次からはきちんと私が来なくても待ち合わせの時間に間に合う様にしてください。いい?」
「肝に銘じておく」
(こんなのが毎日続いたら、自分の左耳に手が近付くだけで拒絶反応が出てしまう。それだけは避けなければならない)
「よろしい。じゃあ、行こっか」
「おお」
不機嫌そうな顔から一変、笑顔を和哉に向ける幼馴染、上林萌の姿にひとまず安堵する和哉だった。
「にしても、お前のその髪色、よく学校から何も言われないよな」
「ん〜?まあね。目の色と一緒だからなんとかなる的な?」
学校へと向かう通学の最中、萌の髪色を見て和哉が言ったことに、萌は自分も詳しい理由は分かっていないけど、取り敢えずどうにかなっているという声色で返事をした。上林萌は和哉と同じ十六歳の夕ヶ丘高校二年生。桃色の目と大人に負けないぐらいの胸の大きさが特徴的な女性だ。高校生になってからはハーフロングの黒髪を目と同じ桃色に染めており、地毛だと言われても違和感を覚えない程似合っている。眉毛も桃色にしているが、元々染めるつもりは無かった。染めないままだと違和感があり、仕方なく染めたので本人は少し不服を感じている。また、前髪に桃色をした桜のピン留めを左の前髪につけており、本来ならば目が隠れてしまうぐらいの前髪の長さだが、ピン留めによって左目が程よく顔を見せ、特に変哲もない髪型に少しだけ個性を持たせていた。これに加えて萌の顔立ちは、美女という言葉の前に”絶世の”という言葉がついても疑わない程可愛い顔をしていた。
「普通はなにか言われると思うんだけどな」
「なんか何も言われないんだよね〜」
和哉の問いに萌が不思議そうに返事をした。
「まあ、うちの高校は染めるの禁止ではないから大丈夫ってのが一番の理由だろうけど、にしても、その髪色で何も言われないってお前、うちの高校で良かったな」
「そもそも、染めるのが自由だから染めたんだけどね」
「ふ〜ん」
萌の返答に和哉はつかみどころの無い返事をした。
「お〜い、萌!和哉!少し待ってくれ」
「おっ、来たな」
学校に向かう最中の二人の名前を呼んだ方向に振り返ると、そこには二人の親友の佐藤翔一が走ってこちらに向かって来ていた。
「はぁ〜、寝坊して遅刻するかと思ったぜ〜」
「それは災難だったな」
少し息を切らしながら二人に合流した翔一に和哉は返事をした。佐藤翔一も和哉と萌と同じ夕ヶ丘高校二年生の十六歳だ。特に特徴のない和哉に相対して、翔一は整った顔立ちに短髪の茶髪に茶色の目、部活はサッカーをやっており、身長は百七十八センチある。鎖骨の辺りに稲妻の様な少し大きめの傷があるが、これは怪我をしたという訳ではなく、翔一の家系には生まれた時から絶対にある傷で成長とともに傷も大きくなる為、病院で詳しい検査をしたが原因は分からなかったという事だった。本人はこの傷のことをあまり気にしていないようで仕方がないと思っている。
「翔ちゃんおはよう〜」
「おお、おはよう、萌」
走ってきた翔一に対し萌は笑顔で朝の挨拶をすると、翔一も微笑みながらで萌に朝の挨拶を返した。
「早く行こうぜ。わざわざ朝起きたのに遅刻したんじゃ割に合わない」
「それもそうだな。うちの学校は坂道を登った丘の上にあるしな」
「じゃあ、行こっか」
三人は朝の会話を程々に済ませて学校へと向かった。夕ヶ丘高校までの道のりは和哉の家から歩いて三十分程の道だが、坂道を登って登校する必要があるため少し余裕を持って家を出発しないと坂道を死に物狂いで走らないとダメな羽目になる。和哉は高校一年生の時にこの経験を何度か経て、痛い目にあっているため、最近は諦めも肝心だと割り切っているらしく、遅刻が増えてきた。
「やっと着いたか…」
「一年近く通ってるけど、この坂道そこそこ急で長いから大変だよね。少し汗かいちゃった」
怠そうに言う和哉と汗を拭く為に女の子らしいピンクと白のチェック柄のハンカチで額の汗を拭く萌を翔一は涼しそうな顔で見ていた。
「ほら、教室行くぞ」
「お前は余裕そうだな」
「まあな。部活で慣れてるから」
「今日の一時間目ってなんだっけ?」
「確か世界史じゃなかったっけ」
学校の玄関に向かいながらそんな会話をして、自分の上履きに履き替えると自分たちのクラスである二年四組へと向かった。
「うぃ〜す」
「おはよう〜」
自分たちのクラスに入ると、翔一と萌はクラスのみんなに挨拶をした。すると、それに気づいたクラスのみんなは挨拶を返した。そして、朝の挨拶を終えた翔一と萌は自分の席に着いた。それに対して、和哉は特に挨拶をするという訳でもなく、空気の様にクラスに入り窓側の一番後ろの自分の席に着いた。
(早く帰りたい。帰ってゲームでもしたい…)
和哉は自分の席に着くと、そうそうそんな事を考えながら自分の右手を頭の重さを支える為に使い、窓の外を見ながら今日の帰宅した後の計画を立てていた。
少しすると、チャイムがなった。そして、チャイムがなったと同時に自分たちの担任である女教師、佐々木美希先生が入っていた。年齢は先生たちの中ではかなり若い方で二十代という説が一番濃厚らしい。和哉が二年生になった時に新しくこの学校に赴任し、和哉たちのクラスの担任になった。容姿端麗で黒のショートヘアーに黒色の目、服装がきちんとしていてそれなりに胸が大きく、姉さんという言葉が合いそうな少し強めの口調な為、男子からの人気もあるが女子からも頼りにされている。
「はい。じゃあ、朝のホームルームを始めます」
そういうと、佐々木先生は点呼を始めた。どんどん名前が呼ばれていき、和哉の呼ばれる番になった。
「はい。じゃあ、次。時使和哉くん」
佐々木先生が和哉の名前を呼んだ。しかし、和哉は返事をしなかった。しなかったというより、気づいていないので出来ないというのが正しいかもしれない。和哉は今、学校を終えた後に何をするかを決めるために一生懸命になり、窓の外を見ながら現実の世界から遠いところにいた。
「はあ〜」
佐々木先生の少し大きめの嘆息がクラスのみんなに聞こえていた。そして、佐々木先生は和哉を現実世界に戻すべく和哉へと近づく。そして…
「返事をしなさい」
「痛…」
佐々木先生が出席名簿で軽く和哉の頭を叩くと、現実世界に戻ってきた和哉が叩かれた場所を押さえながら佐々木先生の方に顔を向けた。
「時使和哉くんは欠席なのかしら?」
「欠席してるように見えてますか?」
「痛…」
佐々木先生の問いに和哉が返答すると、その返答を聞いた佐々木先生がさっきと同様に出席名簿で和哉の頭を軽く叩いた。
「居るなら返事をして頂戴。分かった?」
「はい」
佐々木先生の問いに和哉が返事をすると、佐々木先生は元の教壇まで戻り何事もなかったかの様に点呼を始めた。そして、無事点呼を終えると連絡事項を伝え、朝のホームルームが終わった。
「はあ〜、朝から勘弁してくれよ」
「今のはお前が悪いだろ」
「そうだよ、返事するだけで良いのに余計なことまで言うから」
朝の災難を終えた和哉の元に翔一と萌が近寄ってそう言った。
「まあ、そうだけどさ…」
和哉は朝の出来事に対し、自分に非があるという自覚をしつつもどこか腑に落ちない様子を隠しきれずにいた。そして、和哉の災難はまだ続く。
「時使くん、ちょっと良いかしら?」
そう言って和哉に近づいて来たのはさっき自分に対して出席名簿で頭を二回も叩いた相手、佐々木先生だった。
「ああ〜、どうかしましたか?佐々木先生」
和哉は戸惑いながらもこれ以上自分が災難に苛まれない為に最善を尽くした返答をした。しかし、この最善の返答と思われた言葉の中に誤りがあったようだ。
「私の事は佐々木先生ではなく美希先生と呼んでと先月の初めての挨拶の時に言ったはずなんだけど?」
「ああ〜…」
美希先生の言葉を聞いた和哉は先月の事を思い出しながら返答に困っていた。
「佐々木って苗字が多いから名前で呼んでって言ったんだけどな〜」
「そういえば、そうでしたね」
美希先生の言った言葉を聞いて思い出した和哉がそう返事をした。
「で、その、僕に何か用でしょうか?」
「ああ、そうだった。あなた今日の昼休み空いてる?」
和哉の問いを聞いた美希先生が思い出したように聞いてきた。
「ええと〜、今日ですか?」
美希先生の問いを聞いた和哉は何かを察していた。
(まずい。この感じは何か頼み事をされて扱き使われる。そうに違いない…)
「いや〜、今日はちょっと〜、用事がありますね〜」
和哉はこれから起きるかもしれない災難を回避するため顔を引き攣りながらも嘘がバレないよう最善を尽くす。
「ん〜?今日のお昼休み、空いてるよね?」
(怖い。圧が、圧が凄いんですけど)
この時、和哉は察してしまった。この自分に掛けられている圧を感じて自分には拒否権など無く、言われたままに応じるしか無いのだと。
「ああ〜、今日の昼休みですね。ああ〜、空いてます。用事があったのは明日でした。勘違いしてました。すいません」
「そうなの?よかった〜」
色々な事を考え、これから自分がやるであろう事が少しでも楽になるならと、顔を引き攣りながらも返答をした和哉に対し、笑みを浮かべながら嬉しそうな声色の美希先生。
「それで僕がやるであろう用とは何でしょうか?」
心配そうに尋ねる和哉。
「実はね、時使くんにはお昼休みを使って図書室から本棚に入りきらなくなった本を第四倉庫まで運んで欲しいの」
「ええ〜」
美希先生のお願いを聞いた和哉が面倒くささ丸出しの反応をした。それもその筈、この夕ヶ丘高校は三階建てで全校生徒が五百人以上いる学校な為、校内を歩くだけでもそれなりに時間が掛かる。図書室は一階の北側の廊下、それに対して第四倉庫は三階の南廊下側。歩いていくだけでも面倒だが、それを本を持ちながら移動しなければならないというのであれば和哉が面倒くささを丸出しにし、反応してしまうのも納得のいく結果だ。
「ご飯食べた後でいいからお願い。お友達も一緒に手伝っていいから」
「お友達って…」
手を顔の前で合わせながらお願いをする美希先生を見ながら言葉を漏らす和哉。美希先生が赴任してからまだ一ヶ月ということもあってまだクラスの状況を把握できていないというのも無理は無いが、和哉に”お友達”と言える存在がいないという事は容易に把握できる。
「お困りのようだな、和哉」
「手伝ってあげようか?」
「お前ら…マジで?」
和哉は自分と美希先生の話しを聞いていた自分の目の前にいる幼馴染の言葉に感銘を受ながら返事をする。
「よし。じゃあ、決まりね。お昼休みにご飯を食べたら職員室まできて第四倉庫の鍵を取りに来て。多分、私は居ると思うから。もし居なかったら職員室にいる先生の誰でもいいから美希先生に頼まれて来ましたって言ったら第四倉庫の鍵を渡してくれる筈だから」
「分かりました」
「ありがとう。それじゃあ、よろしくね」
「はい」
そう言って会話を終えると、美希先生は教室を後にした。
「なんで俺なんだよ…」
和哉は不貞腐れながら言った。
「まあまあ、和哉が朝の点呼で返事をしなかったから目をつけられたんじゃないの?」
「はぁ〜」
「そんなに溜め息を吐くなよ。お前の為に手伝ってやるって奴が二人も居たんだぞ?」
「まあ、それもそうだな。よろしく頼むよ」
「うん」
「おお」
”お友達”のいない和哉だったが、幼馴染は居たらしく、自分の為に手伝ってくれる二人に感謝していた。
それからはいつもの様に授業を四時間分受けた。昼休みにやらなければならない用事の事を考えながら授業を受けていると、すぐに時間が経ち昼休みがやってきた。
「やっと昼休みか〜」
「和哉、お前昼飯はどうするんだ?」
疲れた様子の和哉に翔一が話しかけてきた。
「いつも通り食堂に売ってるパンでも買って食べるかな」
「そうか、じゃあ、萌と先に飯食べてるから早く戻ってこいよ」
「ああ、分かった」
和哉は翔一にそう言われると、自分の食べる分のパンを購入する為、足早に教室を後にして食堂へと向かった。和哉たち二年生のクラスがあるのは校舎の二階、三階は一年生、一階は三年生となっている。食堂や図書室など基本的に利用頻度の高い場所は一階にある為、三年生になると移動する時間を短縮出来るというメリットがある。
「いちいち階段を登り降りするのは面倒だな」
和哉は早く三年生になって移動の手間を無くしたいと思いながら食堂へと向かった。
「相変わらず結構な人がいるな」
和哉が食堂に着くと、自分のパンがなくなる前に買おうとする人たちの集団を目にしていた。
「さっさと買って教室に戻ろ」
人混みに呆れた様な口調で感想を述べると、自分の食べたいパンを買い、翔一と萌が待っている自分の教室へと戻った。
「でね、そしたら和哉がその時に、「「わ、分かった。五分で準備します」」って言ってね、その時の和哉の様子を見た時は思わず笑いそうになっちゃったよ」
「へ〜、朝からそんなことがあったのか」
和哉が教室に戻ると、自分たちの持ってきた弁当を食べながら楽しそうに人の事を笑っている二人がいた。
「おお、戻ってきたか。さっさと食べて美希先生の用事を終わらせないとな」
「うん、そうだね」
「人のことを話しのネタにしていた人たちの発言とは思えないな」
二人の会話を聞いていた和哉が嫌味混じりにそう言った。
「でも、遅刻したのは和哉の方じゃん」
「……」
萌の言ったことに何一つ言い返せなかった自分自身に和哉は情けなさを感じていた。
「とにかく、もう過ぎ去った事なんだから、な?」
「……」
「……」
翔一の言った言葉に不服そうな表情を浮かべる萌に対し、和哉は自分の行動によって起きたこの状況に気まずさを感じていた。
「あの〜、二人とも?」
何も言わない二人にどう接すれば良いか分からない翔一が二人に問いかけた。
「まあ、次から気をつければいいけどね。早く食べちゃおう。美希先生の用事に間に合わなくなっちゃう」
「そ〜だな」
取り敢えずといった口調の萌の言葉を聞いた和哉が歯切れが悪そうに返事をした。それから三人でご飯を食べた。
「さてと、じゃあ、そろそろ職員室に第四倉庫の鍵を貰いに行ってくるわ」
「おお、さっさと終わらせようぜ」
「そうだな」
そう言って、和哉は翔一と会話をした後教室を出て職員室へと向かった。
「なあ、萌。機嫌直せよ?な?」
「別に機嫌悪くないし」
「んな訳あるか!」
翔一の言ったことに明らかに不機嫌そうな反応で返事をする萌に、翔一が思わずツッコミを入れた。
「なんでそんなに不機嫌になるんだよ」
「だって…」
翔一の問いに萌が言葉を詰まらせる。
「だって?なんだよ?」
「だって…、私、謝られてないもん!」
「はい?」
翔一は昔から三人で遊んでいたうちの一人が、謝ったか謝ってないかで不機嫌になっているという小学校低学年のような理由でこうなっている事に呆気にとらわれていた。
「お前、まさか、そんなことで不機嫌になってるのか?」
「そんなこと?!あのね、女の子はそういう些細なことが大切なの!」
「え〜」
萌の言葉を聞いた翔一が呆れた様子で目の前に居る不機嫌な人の事を見ていた。
「そういえば、図書室から本を移動するって言ってたけど、どのぐらいの量があるのか聞くの忘れてたな」
和哉は目と鼻の先にある職員室を前に自分がこれから苦しめられるであろうものの全体像を把握したいと思っていた。
「まあ、二人もいるしなんとかなるか」
和哉は不安を残しつつも、頼りにしている助っ人の事を思いながら職員室の扉を開けた。
「失礼します」
そう言って職員室の中に入り辺りを見渡す。しかし、自分の担任である女教師、佐々木美希先生の姿を見つけることが出来なかった。
「あれ?私はいると思うからって言ってたのに」
「ん?君は美希先生のクラスの生徒かい?」
自分の担任がいないことに不満を感じていると、一人の男性教師が和哉に話しかけてきた。
「話しは美希先生から聞いてるよ。図書室の本を第四倉庫に運んでくれるんだって?いや〜助かるな〜。結構な量だからさ〜、困ってたんだよね」
「ああ〜、はい。そうですけど。ちなみに、どのぐらいの量があるんですか?」
「ええと〜、確か段ボール一杯に本が入ってるのが十二個ぐらいだったかな」
「十二個?!」
(あの教師、その量を一人でやることになったかもしれない生徒に頼むとは、許せん…)
和哉は男性教師から聞かされた自分がやるべき用事の全体像を聞いて、この用事を頼んできた女教師に対し、軽い殺意を覚えていた。
「はい、これが第四倉庫の鍵だ。悪いね。」
「いえ」
こうして和哉は男性教師から第四倉庫の鍵を貰い、職員室を後にして助っ人の待っている自分の教室へと向かった。
「それぐらい許してやれないのかよ」
「謝ったら許してあげる」
「あのなあ〜」
不貞腐れながら答える萌の様子に翔一は溜め息混じりの言葉を漏らした。
「萌は昔から不機嫌になるといつもそうやって意地を張るのどうにかならないのか?」
「別に、意地なんて張ってないし」
「いや、そういうとこだぞ?」
「だから、意地張ってないってば!」
「今の状況でよくそんなこと言えたな」
クラスにいる生徒の数人が萌と翔一の様子を見ている中、徐々に声量が大きくなる二人。
「ん”〜、そうやって翔ちゃんは和哉の味方をするんだ!」
「は?俺はお前の事を言っているのであって和哉のやつは関係ないだろ?」
「あるもん!」
更に機嫌を悪そうにしていく萌に煽られる様に翔一もどんどんヒートアップしていく。
「この分からず屋が!俺がどんな思いで言ってるかも知らないで!」
「えっ…?」
「悪いな、二人とも」
和哉が教室に戻ると、助っ人の二人が何やら言い合いをしている状況なのはすぐに分かった。一人の助っ人は怒りを露わにしている様子だったが、もう一人の助っ人は困惑している様子だった。そして、クラスに目をやると何やらグループ同士で何かを話しているらしい。そんな様子を見ながらも和哉はクラスの話題になっているであろう二人の人物へと近づく。
「二人ともなんかあったのか?」
「別に?」
「なんでもない…」
いまいち状況が掴めずにいる和哉の問いに翔一は少し切れ気味で返答し、萌は困惑を隠せないといった様子で返答した。
「鍵、貰ってきたぞ」
「そうか、じゃあ行くか」
「うん…」
和哉の言葉に翔一が返事をすると、萌も俯きながらではあるが小さくコクンと首を縦に振って返事をした。それから三人はクラスを後にして担任の美希先生の頼みを終える為に図書室へと向かった。
(なんだろ、この空気。めちゃくちゃ気まずいんだが…)
無言で図書室まで向かうと、扉を開けた。すると、そこには入って左側に机が置いてあり本を読むことのできるスペースがある。そして、そのすぐ傍に本を貸し出す為のカウンターがある。また、右側には本棚がいくつも規則正しく並んでおり、その一段一段に所狭しと本が並べられていた。
「おお、君達だね?本を運んでくれるのは」
声をした方を向くとそこには年老いた男性教師の姿があった。
「はい。さっそく持っていきます。本の入った段ボールはどこにありますか?」
「ああ、それならこっちだよ。ついて来てくれ。」
そういうと、年老いた男性教師はカウンターの中にある扉の奥へと進んでいった。
「いくぞ」
「おお」
「うん」
和哉たちはカウンターを通り過ぎ、扉の中へと入った。
「これなんだがね…」
言われた方に目をやると、ガムテープで止められた大小様々な段ボールが積まれていた。
「はあ〜、じゃあ、早速運びますか…」
「ハハハ、まあ、そんな面倒くさそうにせんでくれ」
和哉の面倒くさそうな口調を聞いた教師が申し訳なさそうに言った。
「和哉がそんな面倒くさそうにするから先生困っちゃったじゃん」
「ああ、いいのいいの。貴重な昼休みだからね。面倒なのに手伝ってくれて助かるよ」
萌の言葉を聞いた教師が申し訳なさそうに言った。
「さっさと終わらせるぞ」
翔一はそう言って大きい段ボールを持ち、和哉へと渡した。
「結構重いな…」
次に翔一は小さめの段ボールを持ち、萌に渡した。
「ありがと…」
翔一から段ボールを渡された萌は元気が無さそうに礼を言った。そして、翔一は自分の分に大きめの段ボールを持った。
「じゃあ、お願いするよ」
「はい」
こうして、図書室を出ると自分たちの持っている段ボールを置く為に第四倉庫へと向かった。段ボールはその見た目の割にかなり重いらしく、本が所狭しと入っていることが容易に想像できた。斯くして、三人は段ボールの重さに耐えながら三階の南廊下にある第四倉庫に着いた。
「この段ボール重いな…」
そう言いながら、段ボールを一旦下ろすと和哉は職員室で貰った第四倉庫の鍵を制服の右ポケットから取り出し、扉の鍵を開けた。
「よし、開いたぞ」
和哉がそういうと、下ろした段ボールを持ち上げ中に入る。
「倉庫っていうだけあって荷物しかないな」
「そらそうだろ」
部屋の中を見た和哉の感想に翔一が当たり前の事を言うなと言わんばかりの口調で言った。
「それにしても、荷物が多いね。適当に置いていっても良いのかな?」
「いいんじゃねーか?特に何も言われてないし」
「じゃあ、取り敢えずまとめて置いていこう。一箇所にまとめておいた方が分かりやすいだろうし」
「そうだな」
「うん」
和哉の意見に賛成した翔一と萌が返事をした。そして、三人は一箇所にまとめて段ボールを下ろすと、次の段ボールを運ぶ為に図書室に向かう。これと同じ作業をあと三回やらなければならない。
「頑張るか…」
それから和哉たちは順調に図書室にある段ボールを第四倉庫に運んだ。そして、いよいよ次が最後の段ボールになるところまできた。
「ふ〜、やっと終わる…」
「まだ終わりじゃないぞ?」
「そうだよ。最後まで気を抜かないの」
もう少しで終わるという事に和哉が気を緩めていると、翔一と萌が喝を飛ばした。
「は〜い」
そうして、三人は図書室に入りカウンターを通り抜けて部屋の中に入る。
「これで最後だ」
そう言って和哉が一番上の大きめの段ボールを持ち上げた。すると、段ボールが積まれていて気が付かなかったが、陰に隠れてもう一つテープで止められていない小さめの段ボールを発見した。
「おいおい、全部で十二個じゃなかったのかよ…」
新たに現れた十三個目のダンボールによって、誰かは必ず五回目の行き来をしなければならない。
「まあ、ドンマイだな」
「小さめの段ボールだし、私がやるよ」
「いや、大丈夫。もう昼休みの時間ないし、余った時間を悲しく過ごすだけだから…」
「お、おお…」
「うゎ〜」
和哉の悲哀溢れる発言に、翔一と萌は顔を若干引き攣らせていた。それからは、三人で四つ目の段ボールを第四倉庫へと運んだ。
「よし、これで最後か…」
「ん〜、やっと終わった〜」
和哉を手伝ってくれた二人は自分たちの役目を終え、晴れ晴れした気分になっている様で、萌は背伸びまでしていた。
「二人とも助かったよ。マジでありがとう。俺一人だったら絶対に終わらなかったよ」
「いいよ、またなんか厄介な事頼まれたら言ってくれ、手伝うよ」
「私も。基本的に時間空いてるしね」
和哉のお礼に二人とも快く返事をした。
「じゃあ、残りの段ボールは任せたぞ」
「おお」
それから翔一と萌は第四倉庫を出て二人で教室へと帰っていった。
「さてと、俺もさっさと残りの段ボールを運んじゃおう」
そう言って和哉も第四倉庫を後にした。
「ねえ」
「ん?」
自分たちの教室へ戻る最中、いきなり話しかけて来た萌に翔一が不思議そうに返事をする。
「今日、部活あるの?」
「いいや、今日は休みだけど…」
「そっか…」
「……」
どこか違和感のある萌の質問に戸惑いながらも答える翔一。
「じゃあさ、今日、私と翔ちゃんと和哉の三人で遊ばない?行ってみたい所があるの」
「ああ。別に良いけど。和哉のやつには言ってあるのか?」
「ううん。まだ言ってない」
「そうか…」
「でも、今日手伝ったお礼の代わりとか言えばきっと来てくれるでしょ」
「たちが悪いな」
翔一は萌の発言が自分の親友に向けられているということに哀れみを感じつつ言った。
「それと…」
「ん?」
萌の発言に翔一は不思議そうにし、その先の言葉を待つ。
「伝えたいこと、あるから」
「伝えたいこと?」
唐突な萌の発言に動揺しながら聞き返す翔一。
「放課後ね。じゃあ、私先に教室に戻ってるから」
「お、おい!」
萌はそう言うと早々と翔一から離れていき、教室へと戻って行った。
「なんだよ…いきなり…」
それから翔一はゆっくりと教室へと戻った。
「これで最後か…」
図書室の中にあるカウンターを抜けた部屋で一人、段ボールと格闘している人物がいた。
「なんでこれだけガムテープで止めてないんだ?」
和哉は最後の段ボールを手に持ちながらそう言った。
「これで最後です」
「おお、そうかい。ありがとうね。」
「いえ」
教師との会話を軽く済ませた後、和哉は図書室を後にし、第四倉庫へと向かった。
「……っくしゅ、ああ〜、全く、どんだけ埃が被ってるんだよ」
和哉はクシャミをし、文句を言いながらも無事に第四倉庫に着いた。そして、最後の段ボールを床に置いた。
「やっと、終わった〜」
和哉は背伸びをしながら歓喜を露わにして言った。
「にしても、なんでこれだけガムテープで止めてないんだ?中身は…」
そう言って和哉が段ボールの中を見ると、そこには『怪奇現象に纏わる原因と経緯』と書かれた如何にも古そうな本が見えていた。
「この段ボールの中身はオカルト系の本なのか?」
和哉はそう言って目に付いた本を手に取った。
「中はどんな事が書かれてるんだ?」
そう言って和哉は本を捲った。
「良く見えないな」
カーテンを閉めているため、本を読む為に必要な光量が足りなかったので、何が書かれているかよく見ることが出来なかった。
「カーテンでも開けるか」
和哉は本を読むためにカーテンを開けようと窓の方へと近づいた。第四倉庫は角部屋で南側と東側にカーテンがあり、南側には荷物が置かれている為、必然的に東側のカーテンへと近づいた。そして、和哉は左手でカーテンを開けた。
「眩しいな」
目を細めながら窓の外を見た。
「ん?あれはなんだ?古い家?いや、神社…か?」
和哉はいきなりの太陽の光に目を細めた状態で窓から山の一角にある古そうな神社を見ていた。
「ん?なんか動いた様な…」
和哉が太陽の光に苦戦しながら見ていると、一瞬、雲が太陽の光を遮った。
「雲か、ん?あれ?さっきのやつどこだっけ?」
和哉が雲に気を取られたほんの一瞬の間でさっきまで見えていたはずの神社を見失った。何度見ても、どこを見ても、神社らしきものは一切見えず、緑の木だけが見えていた。
「気の所為だったのか?ま、いっか」
和哉は自分の見間違いだったと決め付けて、カーテンを開けた理由になった本を見た。
「え〜と、”ネガイバコ”の経緯と消息。ネガイバコとは漢字に直すと願い箱となり、願いを叶える箱として知られている。しかし、願い箱とは」
和哉が本を読み進めようとした時、昼休みの終わりを告げる学校のチャイムが鳴った。
「やっば、早くしないと。鍵も返さないといけないのに」
そう言うと、和哉は持っていた本を急いで元の段ボールの中に戻し、第四倉庫に鍵を掛けて職員室へと向かった。
「危なかった〜」
和哉は第四倉庫の鍵を職員室にいる教師に渡し、急いで階段を登ってクラスの自分の席へと着いた。すると、和哉が席に着いたと同時にチャイムが鳴った。
「本当にギリギリじゃね〜か…」
それからは特に何事も無く授業を受け、帰りのホームルームの時間になった。教壇には担任の佐々木美希先生が立っていた。
「それじゃあ、帰りのホームルームを始めます。連絡事項が一つ。とても重要なので聞いてください。うちの学校ではまだありませんが、最近、他の学校で行方不明になる事件が多数発生している様です。警察も動いていますが、詳しい事は分かっていない様なので十分、気をつけて下さい。」
美希先生がそう言うと、クラスのみんながざわざわと話しを始め、色々な事を話している様だった。
「はい、話しは後にして下さい。実際に行方が分からなくなっている人がいる以上、学校としても何もしない訳にはいきません。なので、今日から完全下校にして、部活動も暫くは出来ないのでそのつもりでいて下さい。くれぐれも寄り道はしない様に。連絡事項は以上です」
それから無事、帰りのホームルームが終わった。
「やっと帰れる」
和哉は背伸びをしながらそんな事を言った。
「時使くん、お昼はありがとうね」
「いえ、大丈夫です」
自分のところまできてお礼を言う美希先生に和哉はそう言った。
「そういえば、お昼に職員室に行ったときに美希先生がいなかったのはさっき言ってた行方不明事件の事でいなかったんですか?」
「そうなのよ。普段の仕事に加えて、更にやる事が増えちゃって大変なのよ」
和哉の問いかけに美希先生は少し疲れた表情で答えた。
「でも、生徒に何かある前に対応しないとね。何かあってからだと遅いから。あなたも早く帰りなさい」
「はい」
和哉にそう言うと、美希先生は教室から出ていった。
「何話してたんだ?」
「ああ、昼の事で少しな」
自分のところに来て質問をした翔一に、和哉はありのままの事を話した。
「ねえ、和哉。この後少し時間ある?」
「この後?」
自分のところに来て言った萌の言葉を和哉は不思議そうに尋ねた。
「そう、行ってみたい所があって」
「行ってみたいところ?お前、先生の話し聞いてなかったのか?」
和哉は萌の言ったことに反論するように言葉を返した。
「聞いてたよ。でも、すぐに終わるから」
「ん?」
和哉は萌のやりたい事がいまいち把握できず、困惑を隠せずにいた。
「実はね、この学校の東側にあるっていう神社に行きたいの」
「神社?」
「そう。その神社で願い事をすると、その願い事は必ず叶うっていう噂なの」
「それは分かったけど、今この状況で行かなくてもいいだろ?」
和哉は萌の言ったことに対して、尤もな返事をした。行方不明が出ている以上、真っ直ぐ家に帰るという事は至極当然のことだ。
「ダメ!今日行かないとダメなの!」
「ん〜」
何となく噂になっているので行ってみたいと言っているのだと思っていた和哉は真剣な萌の態度にどうするか悩んでいた。
「なあ、萌。その神社に行って何をするんだ?」
萌と和哉の話しを聞いていた翔一が萌に尋ねた。
「お参りするだけだよ。本当にすぐに終わるから。ね?お願い!」
「ん〜、分かったよ」
「お参りが終わったらすぐに帰るぞ」
幼馴染の萌が真剣に頼んでいる姿を見た和哉と翔一は萌の真剣な雰囲気に気圧され、乗り気ではなかったが萌の頼みを承諾した。
「うん。ありがとう」
萌は自分の頼みを聞いてくれた二人に笑みで感謝の言葉を伝えた。
それから三人は教室を出ると、学校の玄関へ行き、靴を外履きに履き替えて学校を出ると、校門を出て東側にあるという神社に向かった。
「にしても、それなりに長いことこの町に住んでるけど、この学校の近くに神社なんてあったんだな」
「うん。凄く分かりづらい場所にあるらしくて、地元の人でも知ってる人は全然いないんだって。私もこの噂を聞いたのは最近だし」
萌は和哉に同感しながら言った。
「でも、そんな場所に神社を建てるなんて何か理由でもあるのか?」
「さあ〜、そもそもこの噂ってネットで書き込みされていた話しらしくて、たまたま見つけた人からどんどん他の人に伝わって広まった話しらしくてどこまでが本当なのかも分からないんだよね。だから、詳しい事はあんまり分からないの。私もクラスの友達から聞いた話しだから」
「ふ〜ん」
萌の話しを聞いた翔一が眉を顰めながら反応をした。それから三人は十分ほど神社に向かう為に東側に歩くと、左側に山の中へと向かう山道に辿り着いた。
「ここの山道を入って進んで行くと、神社があるんだって」
「こんな場所にある神社をどうやって見つけたんだ?」
今までの舗装された道とは違い、明らかに人の手入れがされていない道を見て和哉が言った。
「早く行こうぜ。多分、夜になったら何も見えなくて遭難しちまう」
「おお」
それから三人は山道を進んだ。道は人が一人通れるぐらいの幅で木の間を縫うように続いており、ゴツゴツとした地面が歩きづらさを増長していた。三人はそんな歩きづらい山道を十分掛からないぐらい進むと開けた場所に着いた。
「これが噂の神社か?」
神社を見た翔一がそう言った。三人が目にしているのは木造でできた少し古めの神社で、屋根には瓦が使われており、見た目は蔦などで覆われていて場所が山の中という事もあって調和がとれていた。そして、その神社の前にはお金を入れる為の賽銭箱が蔦に覆われながらも辛うじてその姿を見せていた。更に、この神社の入り口に該当するであろう部分に赤い鳥居があるが蔦に覆われおり、この場所自体が手入れされていないだろうことは容易に想像できた。
「この神社…」
和哉はこの蔦に覆われた手入れのされていない神社を見て、自分が昼に第四倉庫で見た神社の事を思い出していた。
「どうかしたか?」
「ん?」
不思議そうにしている和哉を見た翔一が尋ねると、それに気づいた萌が不思議そうな顔をしながら和哉の方を見た。
「いや、何でもない」
「そうか」
(昼間に見たやつと似てるけど、なんか違うんだよな…)
「それにしても、誰も来てないんだな」
「そうだね。全く手入れされてないみたいだし」
辺りを見ながら翔一と萌は言った。
「さっさと済ませて帰ろうぜ。日が暮れちまう」
「そうだね」
「ああ」
翔一が言ったことに萌と和哉は同調した。それから三人はお参りをする為に蔦で覆われた鳥居を潜り、神社の前にある賽銭箱へと近づいた。
「こんな場所にあるから地元の人でも分からない訳だ」
和哉は何故この神社が全然知られていなかったか自分で納得していた。
「お金を入れて願い事をすればいいのか?」
「そう」
「お金は何でもいいのか?」
「多分ね」
「ふ〜ん」
翔一と萌の話しを聞いていた和哉が財布を手に取ると、それに続く様に二人も財布を手にした。そして、和哉と翔一は十円玉を手にし、萌は五円玉を手にした。そして、三人は自分の手に持っていたお金を蔦で覆われた賽銭箱に入れると、手を合わせて願い事をした。
(何も願う事が無いんだが…)
願い事が無い和哉が願い事を考えていると、他の二人は願い事が終わったらしく、和哉は二人に遅れをとらない為に早々手を合わせるのをやめた。
「さて、じゃあ戻るか」
「そういえば、この裏ってどうなってるんだ?」
翔一の提案を遮るかたちで和哉が尋ねた。
「さあ?見てみる?」
「すぐに帰るんんじゃなかったのかよ?」
「まあ、見るだけだし」
「見るだけだぞ?」
萌の提案に翔一は渋々といった反応をしていた。それから三人は神社の裏側に向かった。
「これは何の木だ?」
「桜じゃないかな?」
三人が神社の裏に回ると、そこには通常では考えられない程大きい桜の木があった。桜の葉は全部落ちているので翔一は分からなかったようだが、和哉が木の正体に気づいた。
「へえ〜、随分立派な桜の木だね。こんなに大きな桜の木なんて見た事ないかも」
「ああ、俺もだ」
自分たちよりも遥かに大きな桜の木に萌と翔一は感動していた。
(こんなに大きな桜の木があれば誰か気が付きそうなもんだけどな。今までなんで誰もここの桜の木の事を知らなかったんだ?)
「それにしても凄いね」
「ああ」
和哉が考え事をしている最中、萌と翔一は桜の木に触れながら、木の肌をなぞるようにして桜の木の周りを歩いていた。
「きゃっ!」
桜の木の根に足を躓いた萌が姿勢を低くし、翔一の腰辺りに抱き付くようなかたちで何とか転ぶのを防いでいた。
「おい、大丈夫か?」
「うん、ありがとうね」
「お、おお」
翔一の言ったことに萌は上目遣いになりながらお礼を言うと、翔一は照れくさそうに目線を逸らした。
「大丈夫か?」
萌の声を聞いた和哉が二人のところまで来て声を掛けた。
「うん、ちょっと躓いちゃって」
「そうか。気をつけろよ」
「うん」
和哉に返事を返しながら萌は元の体勢へと戻った。
「この桜の木は植えられてからどれぐらい経つんだ?」
「さ〜、でも百年は経ってるんじゃないか」
翔一から聞かれたことに和哉は桜の大きさや樹洞のような樹皮の剥がれている部分を見ながら言った。
「へえ〜、そんなに長い間ここで育ってるんだ」
和哉の言葉を聞いた萌が関心しながら桜の樹皮に触れて言った。
「そろそろ行くか」
「そうだな、これ以上ここに居ると帰れなくなりそうだし」
「そうだね」
こうして三人は桜の木に背を向け、神社の方へと戻った。そして、来るときに通った鳥居を潜り、来た道を引き返した。
「あれ?」
神社を出てから二分程しか経ってないが、一番最後尾の萌に何かあったようだ。
「ん?」
「どうかしたのか?」
萌の声を聞いた二人が不思議そうに聞いた。
「私、ハンカチ落としちゃったみたい」
「ハンカチ?」
「もしかしたら、さっき躓いた時に落としちゃったのかも」
どうやら萌は朝に使っていたピンクと白のチェック柄のハンカチを躓いた拍子に落としてしまったようだった。
「私、今から走って取りに行って来る」
「おい、ちょっと待て!」
「お母さんから貰ったハンカチだから」
そう言って萌は翔一の話しを聞かずに走って取りに行ってしまった。
「はあ〜、人の話は最後まで聞けよ」
「取り敢えず、俺たちも戻ろう」
「そうだな」
和哉と翔一は萌の後を追いかけるように神社へと戻った。
「早めに気づいて良かったな」
「全くだ。これ以上ここに居たら暗くなっちまう」
鳥居まで戻ってきた二人はそんな会話をしながら、神社の裏にある桜の木へと足を運んだ。しかし、そこには居るはずの萌の姿はどこにも無く、そこには無くなっている筈のピンクと白のチェック柄をしたハンカチが落ちていた。
「萌のやつはどこだ?」
「さあな、分かんねえ」
和哉の問いに翔一は萌のハンカチを拾いながら答えた。
「このハンカチ、萌が朝使ってやつだろ?」
「ああ」
二人は萌が朝に汗を拭く為にこのハンカチを使っていたことを確認した。
「これがここにあるという事は、萌はここには来ていないってことだ」
「じゃあ、萌はどこに行ったっていうんだよ?!」
「俺だって分かんね〜よ!」
萌がいなくなった事に二人は取り乱しながら言った。
「取り敢えず、萌を探そう」
「分かってる」
それから二人は必死になって萌の捜索をした。名前を呼びながら辺りを探し、萌を見つけようと躍起になっていた。
(ここに来れそうな道は辺りを見ても俺たちが通ってきたあの道だけ。つまり、例えば何かあって萌が引き返したとしても必ず俺たちに会う筈。でも、ここに来るまで萌には合わなかった。そして、この神社の周りを探してもどこにも居ない。一体、どうなってるんだ…これじゃまるで…)
「行方不明じゃないか…」
和哉は帰りのホームルームで美希先生が言っていた他の学校で行方不明事件が多数発生していると言っていた事を思い出していた。
「和哉、居たか?」
「いや、居ない」
翔一の問いに和哉が下を見ながら答えた。
「なあ、神社の中は見たか?」
「いや、見てないけど」
「居ないのは分かってるが一応確認しておこう」
「分かった」
何も手掛かりが無い二人は、萌が限りなく居る可能性の低い神社の中を確認する他なかった。それから二人は神社の中を開ける為、蔦で覆われている神社の扉の前まできた。
「開けるぞ」
「ああ」
そう言うと、翔一は蔦に覆われた神社の扉を抉開けた。
「まあ、いる訳ないか」
二人が中を見るとそこには昔、人が使っていたであろう掛軸や筆、台座などが乱雑に置かれていた。
「警察に連絡しよう」
「ああ、その方が良さそうだ」
和哉は翔一に言うと、翔一も同じ事を考えていたようだった。そして、お互いの意思を確認をした後に制服から携帯を取り出した。
「くそ、圏外か」
和哉が携帯を取り出すと、どうやらこの場所は圏外のようだった。
「急いで来た道を戻ろう。もう少しで日も暮れる」
「ああ」
こうして二人は、三人で来た道を二人で引き返した。そして、五分程で舗装された道まで戻ると和哉は携帯を取り出し、圏外でない事を確認すると警察へと連絡した。
「こちら凪警察署です」
「警察ですか!」
和哉は今まであった事を細かく警察に説明した。
「状況は分かりました。今からそちらに向かいます」
「はい、分かりました」
和哉は警察との会話を終わらせると、電話を切った。
「何だって?」
「取り敢えず、来てくれるって」
「そうか」
和哉の答えを聞いた翔一がひとまず安堵していた。和哉がふと空を見ると太陽が沈みかけて薄暗くなっており、かなり時間が経っている事が分かった。それから数分待っているとパトカーが到着し、中から少し歳をとった如何にもベテランといった感じの警官とそれよりも少し若めの警官の二人が出て来た。
「電話をしてきたのは君たちだね」
「はい」
ベテランの警官が聞いてきた事に和哉は返事をした。
「萌の捜索はやってくれるんですか?」
「申し訳ないが今すぐに捜索をする事は出来ないんだ」
「そんな!どうして!」
和哉の質問に答えた警官の言葉を聞くと、翔一が聞き返した。
「もう日が落ちる。暗くなると捜索は難しくなる。捜索は人数を集めて明日の朝一番から捜索を開始する。君たちは私の部下が家まで送り届けるから今日はもう帰りなさい」
「明日…」
ベテラン警官の話しを聞いた翔一が言葉を漏らした。
「さっ、君たち。家まで送るから車に乗りなさい」
「分かりました…」
「はい…」
警官の説明を聞いた翔一と和哉は浮かない顔をしながらパトカーに乗った。そして、二人を乗せたパトカーは動き出した。
「あの、聞いてもいいですか?」
「ん?どうかしたかい?」
和哉の問いに警官が不思議そうに返事をした。
「最近、行方不明になる事件が多発してるんですよね?」
「ああ。今月だけで三件、三人も行方が分からなくなっている。君たちのお友達を入れるとこれで四件目だよ」
「他の人はどんなふうに行方が分からなくなったんですか?」
「個人情報は言えないんだけどね。君たちも無関係じゃ無いからどんなふうに行方が分からなくなったのか伝えておくよ。もし、犯人が今までと同じような手口で犯行を行なっているなら顔を見られたと思い君たちを襲ってくる可能性がある」
「はい」
警官の言葉に真剣な顔をしながら返事をする和哉。それに対し、翔一はじっと窓の外を眺めていた。
「まず、一件目は人気の無い路地裏。次の二件目は凪浜海岸。そして、三件目は第三凪公園。今までの状況から推測すると、犯人は夕方から夜になるまでの限られた時間の中で犯行に及んでおり、行方不明者の共通点は、事件当時一人でいたという事。僕が君たちに言えることはこのぐらいかな」
「ありがとうございます」
「これからはなるべく一人で登下校しないようにしてくれ。何があるか分からない」
「はい」
和哉が警官との会話を終わらせると、その後は何も言わず二人を乗せたパトカーは和哉の家へと向かった。そして、和哉は家の前に着くとパトカーから降り、警官にお礼を言って翔一に別れを告げた。
「一体、どうなってるんだよ…」
和哉は自分の家のマンションの入り口でそう言うと、自分の家の鍵を開けて中に入った。そして和哉は扉の鍵を掛けると、靴を脱いで自分の部屋に行き、鞄を床に雑に置くとベッドに倒れ込んだ。
「今何時だ…」
目を覚ました和哉が月明かりを利用して左腕につけたままだった腕時計を見ると、今が午前二時だという事が分かった。
「すぐに寝ちまったのか」
和哉は着たままだったブレザーを脱ぎ、私服に着替えた。そして、必要最低限の物だけ持つと、ズボンのポケットにそれを仕舞った。それから和哉は玄関に向かい自分の靴を履くと、玄関の扉を開けた。
(何も出来ないかもしれない。意味がないかもしれない。もしかしたら、今度は自分が襲われるかもしれない。でも…それでも俺は…ジッとなんてしてられない…)
和哉は色々な事を考えながらも、萌のいなくなったあの神社に向かった。それから和哉は学校に行く為に通るいつもの通学路を通って神社に向かうと、学校を通り過ぎて舗装のされていない山道の所まで来た。
「警察は居ないっぽいな」
和哉は警官が居ないことを確認すると、山道の中へ進んだ。携帯のライトで足元を照らしながら、狭い山道を通る。
「明かりがないと何も見えなそうだな」
和哉は萌の心配をしながら夜の山道を進んだ。
「ん?」
和哉はその時、後ろから何か物音がしたのを聞いた。
(まさか、萌を襲った犯人か!)
「考える事は同じらしいな」
「翔一!?どうしてここに?」
和哉の心配とは裏腹にそこに居たのは和哉の親友の佐藤翔一だった。
「どうしても居ても立っても居られなくてさ。それで、深夜にこの神社にきて萌を探そうとしてたんだが、どうやら和哉も俺と同じらしいな」
「まあな。萌の事を考えるとどうしてもな」
翔一の言葉に和哉は同感しながら返事をした。
「行こうぜ」
「ああ」
そう言うと二人は山道の先へと進んだ。しかし、二人は夜になって足下が覚束無いからか十五分以上歩いても神社に辿り着けずにいた。
「こんな遠かったっけ?」
「さあ?夜だからそう感じるだけじゃないか?」
二人が違和感を感じながら歩いていると、道が開けた場所に到着した。
「ここって…」
二人が着いた場所は、神社ではなく自分たちが山道に入った場所から更に東側に五分ほど進んだ場所だった。
「なんで?」
驚きながら言う翔一。
「分からない。でも、この行方不明事件はただの事件じゃない気がする」
和哉は異常な現象を目の当たりにしながら言った。
「一度来た道を戻ってみよう」
「そうだな」
そう言うと、和哉たちは通ってきた山道を引き返した。そして、十五分程歩くと神社に行く為の山道の入り口へと戻ってきた。
「訳が分からん」
「全くだ。夕方にあった筈の神社が消えて、萌も突然姿を消した。分かんない事だらけだ」
「神社にも行けないんじゃどうしようもねえぞ」
「今日は一旦帰るしかないな」
「くそ。俺たちにやれる事は何もないって事か」
何も出来ない自分たちに虚無を感じながら、二人は仕方なく自分たちの家へと向かった。
「なあ」
「ん?」
「何で夕方にはあった筈の神社が無くなってると思う?」
「ん〜、何か条件があるのかもしれない」
翔一の問いに和哉が少し考えるとそう答えた。
「条件?」
「例えば、三人以上で行くとか、夕方だけ行けるとか、男女で一緒に行くと行けるとか」
「なるほど」
和哉の話しを聞いた翔一が納得したような反応をしていた。
「でも、結局何が正解なのか、どうやってるのか、何の為にやってるのかは分からないけどな」
「取り敢えず、後は警察に任せるしかないな。明日になったら何か分かるかもしれない」
「そうだな」
そう言うと二人はそれぞれの家に帰り、長い一日を終えた。
「もう朝か…」
和哉が目を覚ますと、携帯の時計を見た。すると、携帯の時計は朝の七時五十分を表記していた。
「ギリギリ遅刻だな」
和哉はそう言うとリビングのテレビを付け、ニュース番組を掛けた。そして、洗面台にいって洗顔をすると、歯ブラシに歯磨き粉をつけ、歯を磨いた。
(萌は大丈夫なんだろうか…)
和哉は歯を磨きながら萌の事を考えていた。そして、歯磨きを終えると冷蔵庫の扉を開け、中に入っていた牛乳をコップに注ぎ、台所の傍に置いてあった食パンを一枚手にとってテレビの前のソファーに座った。
「早くしないとな」
和哉がテレビを見ながら食パンを食べると、牛乳で流し込んだ。そして、コップを流しに置くと、学校のブレザーに着替えて鞄を持った。それから、いつもの様に腕時計を左腕につけると玄関に行き、靴を履いて学校へと向かった。
(まさか、萌の言った次からはきちんと私が来なくても待ち合わせの時間に間に合う様にしてくださいってのをすぐに破ることになるとはな……待ってくれる相手がいないんじゃ待ち合わせの時間に間に合っても意味無いじゃね〜かよ……)
和哉は萌の事を考えながら通学路を歩いていた。
ーー時間を遡り、姿が消えた直ぐ後の萌視点ーー
「っ……ここは?」
和哉と翔一より先に神社に戻った萌は気がつくと、赤い鳥居の傍で倒れていた。
「何があったんだっけ?」
萌は朦朧としながらも上半身を起こし、辺りを見渡した。すると、萌の目には汚れ一つない赤い鳥居。そして、手入れの行き届いた神社があった。
「なんか同じ場所なのに凄い綺麗になってる?」
辺りを見た萌が思ったことを口にした。そして、萌が今までとは明らかに違う違和感に気づいた。
「桜が咲いてる!それにもう空が赤くなってる。そんなに長い時間寝てたのかな?」
萌は神社の後ろに見える咲いている筈のない桜と赤くなった空を見て時間がそれなりに経っているという事に驚いていた。
「あら?やっと目を覚ましたの?大変だったのよ?あなたをここまで連れてくるの」
「え?」
萌が大人っぽい女性の声をした方に目をやると、そこには一人の女性が赤い鳥居を隔てた向こう側に立っていた。女性は艶のある長い黒髪を赤の紐を使って頭の後ろでうまく纏めており、赤の紐を蝶結びにして、髪型をポニーテールにしていた。目は吊り目で右目が赤、左目が黄色のオッドアイ。顔立ちが綺麗で体もモデルのような体型をしており、胸は萌より二回り程大きかった。服装は黒の着物に赤の帯と八掛が使われていて、黒と赤が印象的な大人の女性だった。
「あなたは?」
萌は立ちながら不思議そうに目の前に居る女性に質問した。
「私は桜よ」
「じゃあ、桜さん。ここはどこなの?私が居た場所とは少し違う気がするの」
微笑みながら名を名乗る桜に萌は辺りを見ながら不安そうな表情を浮かべて質問した。
「そうね…確かにあなたの居た場所とは違うわね」
「何か知ってるの?」
「その前にまず、あなたの名前を教えてくれるかしら?私はまだ、あなたの名前を聞いていないのだけど?」
「ああ…えっと、私は上林萌です」
桜の言ったことに萌はハッとした反応をすると、自分の名前を口にした。
「そう…かみばやしもえっていうの…いい名前ね」
「はい…ありがとうございます…」
桜のどこか思い詰めた顔を見て萌は不思議そうに礼を言った。
「ここはあなたの言ったように、あなたの知っている場所とは似ているけど”違う場所”よ」
(やっぱりそうなんだ…)
「まあ、”違う場所”というよりは”違う世界”と言った方が正しいかもしれないわね」
「違う世界…?どういうこと?」
桜の言ったことに萌は困惑した顔をしながら質問した。
「そうね。まず、何度も言うけどこの場所はあなたの言った通り、あなたの知っている場所とは違うわ。そもそも、あなたはここにどうやってきたと思う?」
「どうやって?」
萌は桜の言ったことの意味がうまく分からずにいた。
「ここに来るには幾つか方法があるの。あなたがここに来たのはその幾つかある方法の中の一つを行ったから」
「方法?」
桜の言った事に萌は聞き返した。
「あなたはこの神社の鳥居を何度か行き来したはずよ」
「鳥居?」
萌はそう言うと鳥居の方を見た。
「そう。この鳥居を潜った後、もう一度鳥居を潜る。そして、更にもう一度鳥居を潜るとこの世界のどこかに飛ばされる」
「飛ばされる?この世界?」
桜の言葉を聞いた萌が桜に顔を向き直すと少し混乱しながら言った。
「ここは私が創った世界。現実の世界と違い、人は疎か生き物すらいない世界」
「どういう事?」
「はあ〜…分かりやすく説明すると、ここは私の世界。あなたは私の世界にたまたま迷い込んだってこと」
混乱している萌の様子を見て桜が溜め息をすると、萌の為に説明をした。
「そんな事してどうするの?何の為にこんな事をしてるの?」
「まあ、当然の質問ね。私がこの世界を創ったのは手段であって目的は他にあるの」
「目的って?」
「人を探してるのよ。二人ね」
「人を…?何で?」
桜の言った事に萌は困惑しながら質問した。
「そういう”願い”だもの」
「願い?」
萌は桜の予想外の答えに更に困惑した様子だった。
「さ、話しはこの辺で終わりよ。私は行くわ」
「待って!どこに行くの?」
萌はこの場所から立ち去ろうとする桜を止めた。
「町に行くのよ。この凪町も時代とともに変化してる。昔より探す手間が増えるのは大変だけど、嬉しいことだわ」
桜は萌から赤い空に目線を逸らしながら遠い目をして言った。
「一つ質問をさせて。私は友達と三人でこの神社に来たの。他の二人がどうなってるか知らない?」
萌は桜に翔一と和哉の事を尋ねた。
「さあ、面倒な事はほとんどあいつらに任せてるから」
「あいつら?」
「でも、この神社から飛ばされる人はほとんどいないから多分大丈夫よ。もし、飛ばされてたら保証は出来ないけど」
「保証ってどういう事?」
自分の事を見直して言った桜の言葉に萌は違和感を感じて聞き返した。
「もう行くわ。あなたはここで待ってて。といっても、出られないけど」
桜がそう言うと、萌の目の前から桜の姿が一瞬の内に消えた。
「っ…!?一体、どうなってるの?」
萌は目の前で起きた信じられない出来事に驚きを露にしていた。
「取り敢えずここから出ないと」
桜が居なくなった後、少し経って落ち着いた萌はこの神社から出ようとする。
「?!何で…」
萌はこの場所から出ようと鳥居を潜ろうとするが、壁のようなものに触れるだけで鳥居の向こう側に行く事ができなかった。
「翔一…和哉…」
萌は今の現状に困惑しながら体を縮めてその場に留まった。
ーー学校に登校した和哉視点ーー
和哉は学校に到着すると、遅刻届けを書く為に職員室に入った。
「失礼します」
「おお、君はあの時の生徒か」
和哉が職員室に入ると、第四倉庫の鍵をくれた男性教師がいた。
「今なら朝のホームルームにギリギリ間に合うから急いで向かうといい」
「はい」
そう言うと男性教師は和哉に遅刻届けを渡した。
「それじゃあ、失礼します」
「あんまり遅刻すんなよ」
「はい」
遅刻届けを書き終えると男性教師に紙を渡し自分の教室へと向かった。
「はい。それでは次に連絡事項を伝えます」
和哉が教室の扉を開けると、美希先生が連絡事項を伝えるところだった。
「丁度いいわ。時使くんも自分の席に着いて」
「分かりました」
教室に入ってきた和哉に美希先生は真剣な眼差しで言った。そして、和哉が席に着くと美希先生は重い口を開いた。
「ええ〜、みんなも気づいてると思うけど上林萌さんは今日学校を欠席しています。ですが、これはただの欠席ではありません」
美希先生の話しを聞いたクラスの生徒が近くにいる生徒同士でこそこそと話しを始めた。
「昨日言った行方不明の事件に上林さんも巻き込まれた可能性が非常に高く、警察から連絡を受けました。なので、学校では二人以上で登下校する事を原則とすることが決まりました。なので、くれぐれも一人で登下校しないようにして下さい。あと、時使くんと翔一くんは朝のホームルームが終わったら職員室まで来て下さい。連絡事項は以上です」
そう言うと朝のホームルームが終わった。
「和哉、行こうぜ」
「ああ」
和哉は近づいてきた翔一と一緒に職員室へと向かった。そして、本日二度目の職員室に入った。
「失礼します」
「会議室が空いてるから、そこで少し話しましょう」
職員室に入ってきた二人に気が付いた美希先生がそう言った。それから二人は美希先生の後について行き、すぐ近くにある会議室に入った。そして、生徒と教師で向かい合うように席に座った。
「昨日、警察から連絡がきたわ」
「はい」
「どうして寄り道なんかしたの!行方不明事件が多発してるから直ぐに家に帰るように言った筈でしょ!」
「はい、すいませんでした」
真剣な顔で二人に怒る美希先生に翔一も和哉も反省した様子で謝罪した。
「あなたたちは怪我、してないの?」
「はい、大丈夫です」
心配そうな顔をしながら言う美希先生に和哉は自分たちが無事なことを伝えた。
「そう、良かったわ。昨日警察から連絡が来てあなたたちに事情を聞きに来るかもしれないからこの事を伝えて下さいって言われてるのよ。だから、来るならお昼休みか放課後にして下さいってお願いしたわ。そのつもりでいて頂戴」
「分かりました」
「後少しで一時間目が始まっちゃうからもう戻っていいわよ」
「はい」
こうして、二人は美希先生との会話を終わらせると会議室を出て教室へ戻った。
「なあ、あの神社今どうなってると思う?」
「さあ、ただ見つかってないだろうな」
「てことは、萌も…」
和哉の答えを聞いた翔一が下を向きながら言った。
「でも、萌ならきっと大丈夫さ。なんだかんだ運が良いからな萌は」
「…そう…だな…」
和哉の励ましの言葉に翔一は曇った表情をしながら言った。
それから二人はいつも通り授業を受けて昼休みになった。
「早めに飯食っちまおうぜ。昼休みに呼ばれるなら食べる時間そんなないだろうし」
「それもそうだな。じゃあ、俺昼飯買ってくるわ」
「いや、俺も一緒に買いに行く」
「へ〜、珍しいな。お前が弁当じゃないなんて」
「ああ」
そんな会話をすると、二人は自分たちのお昼ご飯を買いに食堂へ向かった。そして、無事に自分たちの分のパンを買うと教室で食事を済ませた。すると、校内放送が鳴った。
「二年四組、時使くん、佐藤翔一くんは至急職員玄関まで来て下さい」
「行こう」
「ああ」
それから二人は職員玄関へと向かった。
「学校なのに悪いね」
職員玄関に着くと、昨日のベテラン警官が待っていた。
「いえ」
「早速なんだが、昨日聞いた神社の事についてだ。君たちと別れた後、言われた通り確認したが君たちの言っていた神社は無かったよ」
(やっぱり、そうか…)
「今、山の中を数十人体制で捜索しているが、人どころか神社すら見つからない」
「そうですか…」
警察の言葉を聞いた翔一が元気のない返事をした。
「そこで、君たちに確認してもらおうと思ってね。先生にはお願いしてあるから。今大丈夫かな?」
「はい」
そう言って二人は外履きに履き替えると、警察と一緒にあの神社に向かった。
「ここで間違いないんだね?」
「はい」
神社に繋がっている山道に着くと、警官が二人に尋ねた。
「じゃあ、昨日と同じように神社へ進んでくれるかな?」
「分かりました」
警官に言われた通り、二人は昨日と同じように山道を道なりに進んだ。しかし、昨日の夜と同様、神社には辿り着けず、夜の時と同じ山道から舗装された道路に出るだけだった。
「ん〜、やっぱりここに着くのか…」
警官が困惑したような反応をしていた。
「ここで合ってるんだよね?」
「はい。でも、どうして神社が無くなってるんですか?」
「ん〜、分からん。そもそも、私もこの町で育ったがこんな所に神社があるなんて聞いた事がない」
「そうですか」
和哉は警官との会話で、今までの事を確かめるように質問していた。
「すまんね。私たちも懸命にやっているが、手掛かりが余りにも少な過ぎてね。もう、昼休みが終わっちゃうだろ?学校へ送るよ」
「はい」
「捜索お願いします」
「ああ、勿論だよ」
こうして、二人は学校へ戻り昼休みを終えた。
そして、何事もなく残りの授業を終えると、帰りのホームルームの時間になった。
「朝のホームルームの時にも言いましたが、一人で下校する事が無いようにして下さい。明日から二日休みですが不必要な外出はしないように。連絡は以上です。さようなら」
美希先生が連絡事項を伝えると帰りのホームルームが終わった。
「和哉、一緒に帰ろうぜ」
「ああ」
それから二人は教室を出て玄関へ向かうと、外履きに履き替えて学校を出た。
「なあ、翔一」
「ん?どうした?」
「今日、行方不明事件があったっていう場所に行こうと思ってるんだ」
「それって車の中で警官が言ってたやつか」
「ああ。お前はどうする?危険だけどそれでも行くか?」
和哉は翔一に真剣な眼差しで聞いた。
「行くよ。それで何か分かるなら」
「そうか。じゃあ、まずは第三凪公園だな。その後、凪浜海岸に行ってみよう」
「分かった。でも、人気の無い路地裏って言ってたけどそれはどうする?どこなのかも分からないぞ」
「それを探すのは厳しいだろうな。無闇に探しても自分たちが危険になるだけだろうし」
「ああ、それもそうだな」
それから二人は萌に関する手掛かりを探す為、第三凪公園へと向かった。
「ここが第三凪公園か」
「久々に来たな」
目的地についた二人が公園の様子を見ながら言った。第三凪公園は何処にでもある至って普通の公園で遊具が幾つかあり、砂場とそれなりの広さがある公園だった。
「特に変わったところはないか…」
「一応、中に入って辺りの様子を見てから行こう。神社みたいに何か特殊な条件みたいなのがあるかもしれない」
「そうだな」
そう言うと二人は公園の中に入って敷地を一周した。
「特に変わったところは無いな」
「ああ。次は凪浜海岸に行こう」
二人は何も無い事を確認すると、第三凪公園を後にして凪浜海岸へ向かった。
「誰もいないな」
和哉は誰もいない凪浜海岸を見てそう言った。凪浜海岸は普通の海岸だがゴミなども殆どなく綺麗に手入れされていて、場所が少し町から遠いという難点がなければ人がそれなりに来そうな場所だった。
「ここの海岸、町から離れててあんまり来る気にならないんだよな〜」
「俺もそうだ」
翔一の言ったことに和哉は同感した。それから二人はそこそこの長さがある浜辺を歩きながら辺りの様子を見た。
「一旦、今まで行った場所の事を整理してみよう」
「ああ」
二人はそこそこ全長のある浜辺の様子を見を終えた後、砂の上に座り話しを始めた。
「まず、萌がいなくなったあの神社。あそこは人気がないというより誰も知らなかった。それに加えて、萌がいきなり姿を消した。それから、さっき行った第三凪公園。あそこは俺も行った事があったけど、昔から人はそんなにいない印象だった。そして、ここの凪浜海岸。町から遠いという事もあって人があまり来ない」
「警官が言ってた人気のない路地裏っていうのも人がいない場所だった。つまり、事件が起きているのは人がいない場所ってことか」
「多分な」
二人は今までの事を思い出し、事件の共通点を探していた。
「でも、これはただの行方不明事件じゃないと思う」
「神社や萌の事か」
「そう。普通の行方不明事件なら人気の無い場所で人を襲っていたということで説明がつく。でも、萌は俺たちと一緒にいた。萌と離れたのは萌が走りだしてからの十数秒ぐらいだ。いくらなんでも何の音も出さずに女子高生を襲ったにしては手際が良すぎる。それに、なぜあの神社が消えたのかが分からない」
「まあ、普通じゃないのは確かだな」
和哉の説明を聞いた翔一が和哉に同感した。
「でも、ここからが分からない。今までの行方不明事件が萌に関係あるのか。何故こんな事が起きてるのか。ここら辺がさっぱり分からない。もし萌に関係あるなら何か分かるかもと思ってきてみたんだけど、これといって何の手掛かりも無かったしな」
和哉は赤くなった太陽を見ながら言った。
「まあ、でも人気が無い場所で事件が起こっているっていう共通点は見つけたろ?それに萌は警察が探してくれている。だったら、俺たちが出来るのはあの神社についてだ」
和哉の様子を見て翔一が励ますように言った。
「あの神社は確かにあの場所にあった。だったら、市役所とか文化センターみたいな所に行ってあの神社について何か知れないか探してみよう。丁度明日は休みだしな。市役所はやってないかもしれだけど、図書館とかはやってるだろ」
「そうだな」
翔一の言葉に和哉は励まされ返事をした。
「今日はもう帰ろう。明日、図書館に行って色々調べてみよう」
「そうだな」
そう言うと二人は夕陽を背にし、その場に立ち上がった。そして、凪浜海岸を出ようと二人は足を一歩前に出した。すると、凪浜海岸に人の姿は無くなった。
「ここは…」
和哉が目を覚ますと、自分が砂浜で倒れていることが分かった。
「なにがあったんだ…」
和哉は辺りを見渡した。すると、そこには真っ赤な夕陽が水平線の上にあり、海の波が押し寄せては引くを繰り返していた。そして、自分の近くに自分の鞄が落ちているのを発見した。
「…翔一は?!」
和哉は辺りを見渡すと、翔一が居なくなっている事に気が付いた。
「俺は気を失っていたのか…ここは…凪浜海岸だよな…」
和哉は今の状況に困惑しながらも現状を整理していた。
「取り敢えず翔一を探さないと」
そう言うと和哉は浜辺から町へ向かおうとした。すると、前方に黒い霧のようなものがあるのが見えた。
「ん?なんだあれ?」
和哉は前方の不思議な黒い霧を目を細めて注視した。すると、その黒い霧は人のような形をしており、どんどん和哉に向かって来ていた。
「なんか気味が悪いな…」
和哉は黒い霧を見て不気味に感じていた。
「あなた、こんなところで何をしているの?」
「?!?!」
自分の方に近づいてくる黒い霧に注目していた和哉はいきなり自分の肩を叩かれ話しかけられた事に驚いた。
「ここに人が来るなんて本当に久しぶりだわ…」
「…?」
和哉は微笑みながら自分の事を見てくる女性に戸惑っていた。
「あなたは?」
「さあ、忘れてしまったわ…もう長いことお話ししてないもの…」
和哉の問いに女性は海の方を見ながら言った。夕陽に照らされながら海の潮風に髪を靡かせる女性は白髪のロングヘアーで青い透き通った氷のようなバラが付いた髪留めを頭の左側につけていた。目はタレ目で氷のように青く透き通った色をしており、顔立ちは綺麗で体はモデルのような体型をし、胸は萌の二回り程大きかった。服装は神社の巫女の服を着ている。
「じゃあ、なんて呼べばいいんだ?」
「好きに呼んでいいわよ」
和哉の質問に女性は振り向きながら言った。
「ん〜…じゃあ…氷華ってのはどうだ?」
「氷華…それが私の名前…」
和哉が名前を伝えると、女性は目線を少し下に逸らした。
「気に入らなかったか?その…あなたの目が氷のように透き通っていて、華のように綺麗だったから似合ってるかなと思ったんだけど…」
和哉は女性の様子を見て焦ったように説明を加えた。
「ううん。とても素敵な名前だわ。ありがとう」
「お、おお…」
微笑みながらお礼を言う氷華に和哉は少し照れながら返事を言った。
「ところで、あなたの名前はなんと言うのかしら?」
「ああ、俺は時使和哉だ」
「ときつか…かずや…珍しい苗字ね」
「よく言われるよ」
「ここは危ないわ。早くここから出ないと」
「危ないってどういうことだ?それにここから出るって?」
氷華の言ったことに和哉は真剣な顔で聞いた。
「ここは現実の世界とは違う世界なの。似ているけど別の世界みたいなものね。そして、ここには桜が増やした黒霧がいる」
「ここが現実の世界とは違う…?」
氷華の話しを聞いた和哉が辺りを見ながら驚きの表情を見せていた。
「信じられないかもしれないけど本当よ」
「じゃあ、黒霧っていうのは?桜って何のことだ?」
「黒霧はあそこに居る黒い霧の事よ」
「あれは一体何なんだ?」
和哉は氷華の見た方向を同じように向くと質問した。
「あれに正式な名前は無いわ。見た目の通り黒い霧だから黒霧って呼んでるだけよ。でも、元々は違う呼ばれ方をしていた筈だけど」
「違う呼ばれ方?」
「そう。あれは元々、”人間”と呼ばれていたわ」
「人間!?!?」
和哉は驚きながら氷華の方を向いた。
「あれはここで死んだ人間の最終的な姿よ」
「どういう事なんだ…?」
「まずは桜の事を少し話すわね。桜っていうのはここの世界を創った人物よ。そして、桜は殺した人間の死体を使って黒霧を作ったの。自分の目的を達成するために」
「目的…?」
「そう。二人の人物を探し出すという目的」
「二人の人物?」
「話すと長くなるわ。これ以上ここに居ると危険よ。あなたをこの世界から元の世界に返すわ」
「待ってくれ!訳が分からない」
「取り敢えず、この町の外れに向かいましょう。そこに出口があるわ。話しは歩きながらしましょう」
「お、おい」
そう言うと氷華は和哉の左手を手にとって出口へと向かった。
「もう少し説明してくれ」
「黒霧は私には近寄って来れないの」
和哉は氷華に手を引かれながら出口へと向かっていた。
「なあ、氷華!話しを聞いてくれ!」
「はいっ?!」
和哉の声に驚いた氷華が声を裏返し、肩を竦めながら返事をした。
「俺はここに来る前、友達と一緒に居たんだ。だから、もしかしたらあいつもこの世界に来てるかもしれない」
「そうなの…お友達と…」
和哉の話しを聞いた氷華は何かを考えた表情をしながら言った。
「でも、探す事は出来ないわ。桜が来たら私じゃどうにも出来ないもの」
「そんな…」
「あなたのお友達は私が探しておくわ。もしこの世界に人が居たらそれがあなたのお友達でしょうから。それに、あなたのお友達がこの世界に来ているとも限らないわ。今は、自分の身の安全を考えるべきよ」
「ああ…分かった…翔一の事、頼むよ」
「分かりました」
和哉のお願いに氷華は頷いた。それから二人はこの世界の出口になっている町の外れに来た。
「ここが現実の世界と繋がっているわ。町から遠ざかるように歩くと元の世界に戻れる筈よ」
「ありがとうな。助かったよ」
「うん」
お礼を言う和哉に氷華は微笑みながら返事をした。
「じゃあ、俺は現実の世界に戻って友達を探してみるよ」
「うん…」
和哉の言ったことに氷華は浮かない顔をしながら言った。
「じゃあな」
「うん……」
和哉はそう言うと振り返り歩き始めた。
「……待って!」
「どうかしたか?」
自分を止める氷華に和哉は振り返り返事をした。
「もう少し、話しがしたいの。だから、後であなたの家に行ってもいいかしら…」
「お、おお。いいけど、俺の家知らないだろ?」
言いずらそうにしている氷華に和哉は戸惑いながら返事をする。
「ううん、大丈夫。」
「大丈夫?」
「あなたは家で待ってて」
「わ、分かった…」
和哉は氷華の言葉に困惑しながら返事をした。それから和哉は氷華に別れを告げると、氷華に言われた通り町から離れるように道を進んだ。それから、暫く歩くと、辺りが段々と暗くなり夜になった。
「そういえば、あの場所に長い間居たのに全然暗くならなかったな」
和哉は暗くなった空を見ながら言った。それから和哉は翔一の安否を確認するため翔一に電話をかけながら凪浜海岸に向かった。
「やっぱり居ないか」
和哉は凪浜海岸で翔一を探したが見つからず、翔一に何回か電話を掛けているが一向に出る気配がなかった。
(取り敢えず、家に戻るか。多分だけど翔一もあの世界に行った気がする。後は氷華に任せるしかない)
和哉は不安を感じながらも氷華を信じ、自分の家に帰った。
ーー時間を遡り、翔一視点ーー
「…ここは…」
翔一が目を覚ますと人気のない路地にいた。
「どうして俺はこんなところに居るんだ…?」
翔一は自分がどうしてここに居るのか分からず困惑していた。
「確か凪浜海岸に行った筈…そうだ!和哉は?!」
そう言うと翔一は辺りを見渡した。しかし、辺りに和哉の姿は無かった。それどころか人の気配すら無く、風の音だけが聞こえていた。
「何がどうなってるんだ……取り敢えず凪浜海岸まで戻ってみるか」
そう言うと翔一は凪浜海岸へと向かった。
「圏外…か…」
翔一は凪浜海岸へと向かう最中、携帯を見たが何故か圏外になっている事に不思議に思っていた。
「やっと見つけたわ…」
「?」
翔一が声をした方に目をやると、そこには黒の着物を着た女性、桜が立っていた。
「誰だ?」
「私は桜。そんなことより、あなた…死んでくれるかしら…」
「は?!何言ってんだ?!」
翔一は桜と名乗る女性がいきなり殺害予告をしてきた事に訳が分からずにいた。すると、道の至るところから人の様な姿をした黒い霧が現れ、翔一の逃げ道を塞いだ。
「な…何だよこいつら?!お前は一体何なんだよ?!」
「大丈夫。すぐに殺したりしないわ。数百年も待ったんだもの…じっくりと楽しんでから殺してあげる」
翔一の怒鳴り声を聞いた桜が微笑みながら言った。すると、桜はいつの間にか手に釘を持っていた。
「でも、あなたは何も知らないからせめて何があったかぐらいは教えてあげるわ」
「何言ってるんだ…」
「でも…その足は邪魔ね」
混乱している翔一に桜はそう言って釘を持っていた手を翔一の方に薙ぎ払った。
「……?!!!」
翔一が痛みを感じ自分の足を見ると、両足に釘が数本刺さっていた。
「うわぁぁぁぁ…」
「痛そうね」
桜は翔一を顔色一つ変えずにただ痛がる様子を見ていた。翔一の足からは血が出ており、歩く事は困難だろう事は明らかだった。
「逃げられでもしたら大変だわ。念には念を入れておかないと」
「俺が一体何をしたって言うんだ…」
翔一は痛みに耐えながら何とかを声を発した。
「あなたは何もしてないわ。でも、あなたの血筋には私が殺したい人間がいるの」
「殺したい…人間…?」
「面倒だから一緒に話してあげる」
「どう言う事だ…」
「少し黙ってて」
質問をする翔一に桜は近づいた。
「何をする気だ…」
桜は翔一の事など気にせず翔一の肩に右手を触れた。すると、次の瞬間、今までいた場所とは別の場所にいた。
「どうなってる…?」
辺りを見た翔一が驚きの声を漏らしていた。それからすぐ、また別の場所へと移動を繰り返した。
「おい!どこに連れて行くつもりだ!」
「翔ちゃん!?」
「?!」
翔一が聴き慣れた声の方に目をやるとそこには萌がいた。
「萌?!萌なのか!どうしてここに?」
「気が付いたらここに居たの。それよりも翔ちゃん、その足…」
「さてと、これでやっと話しが出来るわ」
翔一の足を見て心配そうにする萌。しかし、桜はそんな事はお構い無しといった反応をしていた。
「これはそいつにやられたんだ」
「そんな!どうして!どうしてこんな酷いことするの?!」
「だから今説明するってば」
萌の怒りを露にした問いに桜は仕方無さそうにしながら言った。
「少し昔話をするわ。今から数百年程前の話し。高橋一郎と神林梅という二人の夫婦がいた。神林梅は歴史ある家に生まれ、代々神社の管理をしていた家系だった。でも、梅は周りの人間からはあまり良く思われていなかった。何故ならその瞳が桃色だったから。普通とは違う梅に対し、人間は良くない噂をする者が殆どだった。そんなある日、一人の男性が神社の敷地で傷を負い倒れているのを発見した。それから梅はその男性の看病をした。すると、数日経ってその男性は目を覚まして自分の名を高橋一郎と名乗った。一郎が目を覚ましてから暫く時間が経ち傷が癒えると、一郎は梅に神社から出ていくと言った。自分は人に追われていると。しかし、それでも梅は一郎をその神社に留めると言った。それから二人の中は深くなり夫婦になった。そして、平和な日々が暫く流れた。でも、そんな幸せな日々も長くは続かなかった。一郎のことを追っていた追っ手が遂に二人のことを嗅ぎ付けてやってきた。そのことに気が付いた一郎は梅だけは何とか逃そうと一人だけ残り、梅を森へと逃した。すると、一郎の元に追っ手がやってきた。一郎は刀を持っている追っ手になす術なく斬られた。そして、追っ手は一郎が持っていた”ある物”を奪い取ろうとした。しかし、その奪い取ろうとした”ある物”に触れることが出来なかった。何故なら自分の鎖骨部分に傷が付き、血が流れていたから。そして、追っ手はどこからともなく現れた人物に慄くとその場を後にした。簡単に言うとこんな感じかしら」
桜の話しを聞いた翔一と萌は呆気に取られていた。
「…それは…何の話しだ…」
「全部実話よ」
翔一の問いに桜は真剣な顔をして答えた。
「でも、今の話しに出てきたのって…」
桜の話しを聞いた萌が翔一の方を見て言った。
「そう。神林梅は高橋一郎との子供を授かっていた。それがあなた、上林萌の先祖の話し。そして、高橋一郎を殺した追っ手というのがあなたの先祖よ」
「なんだと…俺が萌の…」
桜の話しを聞いた翔一が取り乱しながら言った。
「あなたは生まれつき鎖骨の部分に傷がある筈よ」
「……」
翔一は自分の傷の部分に手を当てた。
「あなたの家系には私が呪いを掛けたの。絶対に見失わないように」
桜は翔一を蔑んだ目で見ながら言った。
「…待って。もう少し詳しく聞かせて」
桜の話しを聞いた萌が信じられないと言った顔をしながら言った。
「いいわよ」
「そもそもどうして一郎さんは追われていたの?」
「それは”ある物”を持っていたから」
「ある物…」
萌は困惑した顔で聞き返した。
「その”ある物”とは”ネガイバコ”と呼ばれていた」
「ネガイバコ…?」
「当時、何でも願い事が叶うと噂されていた不思議な箱。それを管理していたのが高橋一郎の家系。存在を隠す為、人目のない山奥に暮らしてネガイバコを管理していた。でも、どういう訳かその噂を嗅ぎ付けた地位のある者が殺しを雇い奪おうとした」
「その殺しっていうのが翔一のご先祖様ってこと?」
「そうよ」
萌の問いに桜は頷いて言った。
「でも、ネガイバコを奪うのは失敗した」
「それはどうして…?」
「ネガイバコを高橋一郎が使ったから」
「使った…?」
「まあ、正確にいうと使ってしまったというのが正しいわ。一郎は願ってしまった。”この人間を殺したい”と」
「そんな…」
桜の話しを聞いた萌が悲哀の表情を浮かべて言った。
「そもそも、人間たちは少し勘違いをしていた。”ネガイバコ”とは願いを叶える願いの箱。だから”願い箱”だと」
「違うの?」
「ううん。合ってる。間違ってはないわ。半分ね」
「半分?」
桜の話しを聞いた萌が思わず聞き返した。
「”ネガイバコ”とは確かに願いの箱。だから”願い箱”と呼ばれる。でも、願い箱にはもう一つ呼ばれ方があったの。”オモイバコ”と」
「オモイバコ?」
「”オモイバコ”は思いの箱。だから、思い箱。でも、思い箱は思いの箱であると同時に”重い箱”でもあるの」
「どういう事だ?」
二人の会話を聞いていた翔一が桜に聞いた。
「重い箱は重い、箱。つまり、人の願いや思いを叶える希望的な願い箱と思い箱に対して、不安や嫉妬、怨みといった絶望的な負の感情などを叶える。それが重い箱。だから簡単に言うと、希望的な願いを叶える物と絶望的な願いを叶える物が一緒な物だという事。そして、あなたの先祖、一郎は怨みを願ってしまった。だから、一郎はネガイバコを使ってしまったと言ったの。正確には重い箱だけどね」
「じゃあ、その重い箱を願うとどうなるの?」
「重い箱は願い箱や思い箱よりも強く願われるからその思いはかなり強い。この数百年経った今でもね」
「そんな…どうにかならないの?!」
萌は桜に必死に言った。
「どうにもならないわ。そもそも私が重い箱だから」
「桜が重い箱…?どう言うこと…?」
桜の言ったことに萌は困惑しながら言った。
「私は重い箱によって作られた願いの塊が具現化して人の形になっているの。だから、重い箱そのものと言ってもいいわ」
「だからその一郎を斬ったっていう末裔の俺を殺そうとしてる訳か?」
「正解」
翔一の問いに桜は微笑みながら答えた。
「そんな…私は一郎さんと血が繋がっているんでしょ!?だったら、私がお願いする!お願いだから翔一を殺さないで…!」
「萌…」
萌は桜に涙を流しながらお願いをした。
「ダメよ…あなたが血縁者であろうと願いを叶える事は出来ないわ。それだけ思いは重いという事よ…」
「そんな…じゃあ…どうすればいいの…」
桜の言葉を聞いた萌がその場に泣き崩れた。
「桜。それ以上二人に何もしないで」
「あら、珍しいわね。叶うがここに来るなんて」
桜に話しかけたのは氷華だった。
「あなたは時使和哉を知ってるわね?」
「どうして和哉の名前を知ってるんだ?あんたは誰だ?」
「私は…私は氷華。和哉にあなたを見つけてくれとお願いされたの」
「和哉に?」
氷華の話しを聞いた翔一が困惑した表情を浮かべて言った。
「何を言ってるの?それに叶う、あなたまた人間を逃したわね?」
「……」
不機嫌な表情をしながら言う桜に氷華は何も言わなかった。
「全く、これであなたが人間を逃したのは二回目よ?いい加減にして頂戴!」
「私は今、氷華という名前を貰ったの」
怒りを露にする桜に対し、氷華は顔色一つ変えず答えた。
「名前?あなたは叶うという名前があるでしょう?あの時に忘れてしまったようだけど…今更名前が何だっていうの?」
「和哉が私に名前を付けてくれたの…同じ名前で同じ事を言ってくれた…あの人と同じように」
桜の質問に氷華は少し下を向いて言った。
「あの時の人間か。今更あなたが何かしたところでもう無駄よ!そいつは私が殺す!それに萌にはここに残ってもらうわ。それが私の願いよ。それが私が生まれたたった一つの理由…」
そう言うと桜は何処かへ姿を消した。
「あんたは一体何なんだ?」
「話しはある程度桜から聞いたわね?私は願い箱、または思い箱と呼ばれていた。ここでは叶うという名前だったらしいわ。私には叶うという名前の記憶が無いけど。でも、今は氷華という名前を貰ったの」
翔一の質問に氷華は微笑みながら答えた。
「あの桜とかいうやつとはどういう関係なんだ?」
「桜は私の姉…みたいな感じかしら。私は願い箱、桜は重い箱。元々は一つの物だから本当は二人いるのは変なんだけど、実際に二人いるのだから何か理由があるのかもしれないわね」
「さっき言ってた和哉にお願いされたっていうのはどういう事だ?」
「たまたま会ったのよ。ここに来る前にね。そして、あなたの事を頼まれたわ。見つけて欲しいと」
「和哉がこの世界に?」
「今はもう元の世界に帰ったわ」
「そうか。なら良かった」
氷華の言葉を聞いた翔一が安堵していた。
「あなたのその足、最低限の処置をしないといけないわね。それにあなたもここに来てから何も食べてないんじゃない?」
氷華は翔一と萌の様子を見て言った。
「え、私?」
「そう。桜のことだから多分そうなんじゃないかなと思って」
きょとんとした顔をしながら聞く萌に桜は微笑みながら言った。
「なあ、あんたは願い箱なんだろ?だったら、萌のことだけでも助けてやってくれ」
「そんな、翔ちゃんは?!」
翔一の言葉を聞いた萌が声を荒らげて言った。
「俺は良いんだ」
「ごめんなさい。あなたの願いは叶えられないわ」
「そんな?!あんたは願い箱なんだろ?」
氷華の答えに翔一は驚いた表情を浮かべて言った。
「確かに私は願い箱。でも、本来は私か桜のどちらか一つしかこの世に存在できない筈なの。だけど、私と桜は存在する。多分、不完全な状態で願い事をされたことによって願いが混ざってしまったんだと思う。あの人間を怨む一方で自分のことを愛してくれた梅に対する思いが私と桜をこの世に出現させた。だから、不完全なの…私たちわ」
「不完全…」
「でも、重い箱は願いや思いよりもずっと強い力を発揮した。怨みっていうのはそういうものなのよ…」
氷華は下を向きながら思い詰めた顔をしていた。
「でも…それでも、一郎さんは梅さんのことが好きだったんでしょ?自分が死にそうな時でも思い出すぐらい」
「ええ、そうね」
萌の言葉を聞いた氷華が微笑みながら返事をした。
「私ができることには限りがあるわ。でも、あなた達となら桜を説得できるかもしれない」
「うん!」
氷華の言った事に萌が笑顔で返事をした。
「でも、それには和哉の力が必要だわ」
「和哉が?」
「今の私は能力を使えない。能力を使う為には自分の名前を思い出す必要がある」
「でも、名前は叶うだって桜が言ってたぞ?」
氷華の言った事に翔一が不思議そうに言った。
「ええ。でも、叶うという名前が分かっただけではダメなの。自分の名前のことを真に思い出さないといけない筈なのよ。それに私は能力の一部を失っている」
「どういうこと?」
「昔、色々あってね」
「色々って?」
「話すと長くなるわ。私は今から食べ物と傷を手当てする物を持ってきます」
「待ってくれ!あんたはどうしてそこまでするんだ?」
立ち去ろうとする氷華を翔一が止めた。
「私は桜にこんなこともうして欲しくないの。桜は苦しんでる筈よ。私には分かるもの。桜がどんな思いで今を過ごしているのか…」
氷華はそう言うと神社を後にした。
「なあ、萌」
「ん?」
萌は質問してきた翔一の方を向いた。
「あの二人のこと、どう思う?」
「……私は…どうにかしてあげたいと思う!」
翔一の問いに萌が少し考えると、決心をしたような声で返事をした。
「…そうか。じゃあ、どうにかしてやらないとな」
「うん!」
翔一が萌の方を見て言うと、萌はいつもの調子で返事を返した。
氷華が神社を出てから暫く経つと、紙袋を持った氷華が戻ってきた。
「これで傷口を消毒してから包帯をします。まずは釘を抜きますから我慢してください」
「分かった」
それから翔一は釘を抜かれる痛みに耐えながら何とか全ての釘を抜いた。それから、水で傷口を洗うと包帯を巻いた。
「これで大丈夫な筈です。ここを出られたらすぐに病院に行ってくださいね」
「分かった。ありがとうな?助かったよ」
「いえ、私にはこれぐらいしか出来ませんから。これは果物です。桜は明日になるまで来ない筈ですから今のうちに食べて下さい」
「そういえば気になってたんだけど、どうしてここは日が落ちないの?」
「それはここを作った時が夕暮れだったからです。町はある程度時代が進むと変化する仕組みですが、自然のものはほとんど変化しないので一定なんです」
「へ〜」
氷華の話しを聞いた萌が感心したように空を見た。
「これから私は和哉の所に行ってきます。戻ってきたら一緒に桜を説得しましょう!」
「うん!」
「ああ」
三人はそう言って会話を済ませると、氷華が神社を後にして和哉の元へと向かった。
ーー和哉視点ーー
目を覚ますと、いつもの見慣れた天井があった。しかし、和哉は普段とは違う違和感に気が付いた。自分の右腕が何か柔らかいものに触れている事に。そして、聞こえる筈のない寝息も聞こえていた。
「なっ!!」
和哉が横に目をやると、自分のベッドに気持ちよさそうに寝ている氷華の姿があった。
「ん…おはようございます…」
和哉の声を聞いた氷華が目を擦りながら眠たそうに挨拶をした。
「なんで、氷華が俺のベッドに寝てるの?!それにどうやって入って来たの?!」
和哉は取り乱しながら氷華に聞いた。
「私はこの世界ではいない存在なんです。なので、人には気付かれずドアや壁などは通り抜けることができるんです」
「へ、へ〜」
和哉は困惑しながら氷華の話しを聞いていた。
「和哉、あなたに聞いて欲しい話しがあります」
「聞いて欲しい話し?」
「はい。まず、和哉のお友達の翔一さんと萌さんは無事でした」
「萌に会ったのか!?」
氷華の話しを聞いた和哉が驚きながら聞き返した。
「はい。二人とも無事です。でも、二人は今桜によって自由に動くことが出来ません」
「どういう事だ?!」
「和哉にも説明しますね」
そう言うと氷華は和哉に今まであった事を話した。
「そうか…そんなことがあったのか…」
和哉は氷華の話しを聞いて真剣な顔をして言った。
「なので、和哉には二人を助ける手助けをして欲しいの!」
氷華は真剣に和哉にお願いをした。
「勿論だ!二人を助けよう!」
「!!!、はい!」
和哉が快く返事をすると、氷華は喜びながら言った。
「でも、俺はどうすれば良いんだ?俺に何か出来ることがあるのか?」
「はい。あなたにしか…和哉にしか出来ない事があります」
「俺にしか出来ない事…?」
氷華の言ったことに和哉は不思議そうに聞き返した。
「今から話すのは私の過去の話しです」
「おお」
「今から百年以上前のことです。私はいつもの様にお気に入りの凪浜海岸にいました。その頃は桜の行動に思い悩んでいました。このまま桜のことを見て見ぬ振りをして良いのかと。そんな時、私の元に一人の人間が現れました。私は凪浜海岸に人が来る事はないのを知っているので驚きました。すると、その人間は目を覚まし、私に話しかけてきました。「「君は?なんていう名前なんだい?」」そう聞かれた私は自分の名前である叶うという名前を伝えました。すると、彼は「「いい名前だね。透き通った青い目、それに君はとても綺麗だ」」と微笑みながら言いました。私は戸惑いながらもその彼にお礼を言いました。それから私は彼にあの世界のことや桜のことを伝えました。すると、彼は私に「「君も一緒に来ない?」」と言ったの。でも私はそれを断った。桜のこともあったけど、私にはその資格がないから。でも、私は彼だけはこの現実世界に返そうと決めたの。たとえ桜に邪魔されようとも。それから私は町の外れに彼と一緒に行くと、私の能力を使ってあの世界と現実の世界を繋げたの。でも、桜はその事に気づいてやってきた。その時、私は自分の名前を忘れることで彼を守るための道具を作ったの。桜から身を守るための道具を。でも、彼はそのことをよく思わなかったらしくてね。「「自分の名前を忘れるなんてダメだ」」って言ったの。だから、私はその時、名前を思い出す為の道具を作るから何か案がないか聞いたの。そしたら、彼は「「じゃあ、透き通った青いバラの髪留めはどうかな?」」と言ったの。その時の髪留めがこれなの」
そう言うと氷華は頭の髪留めに手を触れながら言った。
「でも、私は嘘を付いた。彼を納得させる為に。本当は名前を思い出すことなんて出来ないの。それに、私は彼が安全に元の世界に戻る事ができればそれで良かったの。だから、この髪留めはただの飾りなの」
氷華が少し下を見ながら言った。
「本当に…」
「えっ…?」
「本当にそれだけか?ただの髪留めを百年以上も付けてるのか?」
和哉が氷華の話しを聞いて真剣に聞いた。
「私は…」
「俺はその人が今の話しを聞いて納得するとは思えない。その人は氷華のことを思って言った筈だ。自分の事だけを考えていたなら道具を貰ってすぐに帰った筈だ。でも、その人はすぐには帰らず、氷華のことを思ってその髪留めに自分の思いを託した筈だ。氷華に自分のことを大切にして欲しいと思って」
「っ……!!」
和哉の言葉を聞いた氷華が涙を流した。
「俺にはなんとなく分かるよ。なんで、その人が氷華にそう言ったのか」
そう言うと、和哉は泣いている氷華の頭を優しく撫でた。
「…私はどうすればいいか分からなかった。私は彼にどうしてあげるべきだったたのか…」
落ち着いた氷華が複雑な顔をしながら言った。
「多分、氷華のした事は間違えじゃない。その人はきっと氷華が無事ならそれで良かったんだと思う。嘘をついたのは良くないけどね?」
「はい……和哉、あなたに伝える事があります。あの時彼に渡した道具が腕時計だということ。そして、彼の名前は時使正一ということ」
「ときつか…それに腕時計って…」
氷華の話しを聞いた和哉が机の上にある腕時計を見ながら言った。
「そう。その腕時計は私が名前と引き換えに作った道具です」
「この腕時計が?!」
「うん。初めて和哉にあった時にすぐに気が付きました。私の作った腕時計をあなたが付けていることに。それにあなたを現実世界に連れて行く為に手を繋いだ時、確認したので間違いありません」
「そうか、そういえばじいちゃんもじいちゃんに貰ったって言ってたな。うちの家系は知らない間に氷華から貰った腕時計を大切にしていたのか」
「うん。なので和哉が私の作った腕時計を持って現れた時は驚きました。それに、嬉しかった。あの時、彼に渡した腕時計がまだ大切にされていたことに」
氷華は微笑みながら言った。
「なあ、氷華。腕時計と引き換えに名前を忘れたんだろ?だったら、腕時計を氷華に返せば名前を思い出せるんじゃないのか?」
「うん。和哉が言った通り腕時計を私に返してくれれば私は名前を…叶うという名前を思い出せる」
「じゃあ」
「でも、それではダメ」
和哉の言葉を氷華が遮る様に言った。
「どうして?」
「確かに私は叶うという名前を思い出せば能力を使うことが出来るようになる。でも、それだけだと桜を止めることはできない。桜自身が目的を諦めないと、意味がないの」
「でも、重い箱っていうのはそんな簡単にどうにかなるもんじゃないんだろ?」
「うん。でも、私も桜も不完全な存在なの。だから、桜は私の気持ちを、私は桜の気持ちをほんの少しだけど感じ取る事ができる。桜は苦しんでる…本来だったら何も思わず人を殺める事ができる重い箱にある筈のない感情があるから。でも、桜は自分を止めることが出来ない。だから、お願い!桜を助けて!」
「勿論だ!氷華のお願いだしな」
「ありがとう!和哉!」
それから二人は現実世界にある神社に向かった。
「なあ、氷華?」
「何?」
神社に向かう最中、和哉が氷華に話しかけた。
「氷華って他の人には見えて無いんだよな?」
「うん」
「他にはどんな能力があるんだ?」
「う〜ん…今は人避けとあの世界の維持ぐらいしか出来ないわ。でも、私の元々の能力は名前を使ってその名前に関する能力を使うこと。だから、私の叶うという名前はある程度ならなんでも願いを叶える事ができるの。昔は噂が飛躍し過ぎてしまってあんなことになったけど…なんでも叶うなんて、そんなこと出来ないのに…」
「そうだったのか…」
氷華の話しを聞いた和哉が悲しそうに言った。
「でも、今は私のことを手伝ってくれる人が三人もいるわ。一人ではどうにもならない事もみんなで力を合わせればどうにかできる筈よ」
「そうだな」
二人がそんな話しをしていると、学校の校門前まで来た。
「今から人避けをするわ」
「おお」
氷華はそう言うと、その場に止まり手を胸の前で組んで願い事をするかのように目を閉じた。
「これで大丈夫よ」
「今ので良いのか?」
和哉は周りを見たが、特に変わった所が無かったので氷華に聞いた。
「うん。さっ、行きましょう」
「ああ」
そう言うと二人は神社に向かった。
「ここに来たくて何度か探してみたけど見つけられなかったのに、氷華といるとこうもあっさり見つけられるのか…」
神社に着いた和哉がそう言った。
「ここは本来、夕方に来ないと見つけることが出来ないの。あと、この場所の存在を知られると都合が悪い人間が来ると、時間に関係なく姿を消すの。だから、殆どの人がこの場所のことは知らないの」
「そういう事だったのか」
「うん。私と桜は時間に関係なく来れるけどね」
「へ〜」
「じゃあ、行きましょうか」
「そういえばどうやって行くんだ?」
和哉が氷華にあの世界への行き方を聞いた。
「本来は鳥居の真ん中を三回、行き来することであっちの世界に行けるんだけど、今回は私がいるから鳥居を三回潜るだけでいいようにしたわ」
そう言うと氷華は和哉の手を握った。
「準備はいい?」
「大丈夫だ!」
氷華が和哉に聞くと、和哉は微笑んで返事をした。それから、二人は鳥居を三回潜ると翔一と萌のいるあの世界へと向かった。
「ここは?」
「ここは神社に向かう山道の入り口です。本当はどこに飛ばされるか分からないんだけど、私と桜はどこに飛ばされるか選ぶ事ができるの。早速、行きましょう」
「分かった」
そう言うと二人は神社に向かった。そして、山道を進むと神社に着いた。
「翔一!萌!」
神社に着いた和哉が二人の姿を見ると駆け寄った。
「和哉!」
駆け寄ってきた和哉に二人が気付いた。
「二人とも無事だったか?」
「ああ、怪我はしたけどなんとかな」
「私はなんともないから大丈夫」
三人は久々の再会を喜んだ。
「それじゃあ桜が来る前に作戦を始めるわ」
「残念だけどそれは無理よ!」
声をした方に目をやると、神社の屋根の上に桜が居た。
「そんな!?どうして?」
「私がいつも夕方に動いてるからそれまでに何かやるつもりだったらしいけど、そう安安と思い通りにはさせないわよ?」
「和哉!その時計の力を使って過去に戻って私たちが生まれるきっかけになった時間まで遡って!」
「時間を遡る?!」
氷華の言ったことに和哉は驚いて聞いた。
「そういうこと…あなたが持っているその時計、叶うのものね?だから、逃したって事かしら?でも、わざわざ戻ってくるなんて何を考えてるのかしら?叶う?」
「私はここに居るみんなを助けたいの!」
氷華のことを見ている桜に、氷華は訴えるように言った。
「そんなの無理よ!ただの戯言だわ。私は私がやりたいようにやるだけ…」
「…和哉!お願い!強く願って!あなたが強く願えばその時計は応えてくれる筈だから!」
「分かった!」
和哉は氷華に言われた通り目を閉じ、みんなを助けたいと願った。
「何をする気かは知らないけど、そうはさせないわ!」
そう言うと桜は両手に釘を握っていた。
「待って!お願い!もうこんな事はやめて!」
萌が和哉を守るように桜の前に出た。
「萌!そこをどいて頂戴!」
「いや!ここはどかない!」
桜の言ったことに萌は反抗して言った。すると、和哉の左手首に付けていた腕時計が青白く光り、和哉を包み込んだ。
「和哉…お願い。桜を助けてあげて…」
青白い光りが無くなると、そこに居た筈の和哉の姿が居なくなった。
「っ……叶う、あなた何をしたの?」
「私は和哉に過去に戻ってあの時のことをなかったことにしてもらうわ」
「過去に…?つまり、それはあなたと私が居なくなるということかしら?」
「そうよ」
「居なくなる?どう言うことだ?!」
「叶うさん…」
二人の会話を聞いた翔一と萌が氷華の方を見て言った。
「ごめんなさい…でも、あなたたちをここから逃す為にはこれぐらいしか無かったの…」
「そんな…だって、桜さんを助けたいって…」
「大丈夫…私たちは元々、願い箱の一部に過ぎないわ。消えたとしても、またどちらか一方が願いを叶える為に現れるだけ…」
「あなた自分の言ってる事が分かってるの?それは記憶を無くすということよ?それに、私たちが消えたとしても事実は変わらない。殺した人間は戻りはしないし、都合よく辻褄が合うように世界が変化するだけ」
「ええ、分かってるわ」
「それに、多分無理よ。数百年の間、私たちは存在していた。もし、仮にあの時の状況をどうにか出来たとしても、多分その二人は助からないわ。時間が経ち過ぎている。萌とかなり関係の深い一郎が生きていたとしたら、萌が生まれていない可能性だってある。それに、時間を遡ったとしても数百年前の出来事に干渉できるとは思えない。精精、物を移動させるぐらい…まさか…」
「そう、私は元から一郎をどうにか出来るとは思っていないの。だから、和哉には願い箱をどこかに隠して欲しいの。そうすれば、多分、辻褄が合ってうまくいく筈よ…これでいいの…」
氷華は下を向きながら言った。
ーー時間を遡った和哉視点ーー
「ここは…?」
和哉は白い霧しかないところに居た。
「氷華の言った通りにしてみたけど…」
そう言って和哉は辺りを見渡した。すると、徐々に霧が薄くなっていき視界が開けた。
「これは?!!」
和哉が気が付くと、自分の目の前に神社の裏にあった大きな桜の木の近くで大きな刀傷を負い、血だらけで倒れている男性がいた。
「大丈夫ですか?!」
和哉は慌てて倒れている人物に近づいた。しかし、和哉が倒れている男性の体に触れようとすると、手がすり抜けた。
「手が…これは一体どうなってるんだ?」
和哉は困惑していた。
「うう……」
「!?」
和哉が困惑していると、男性が呻き声を上げていた。
「まだ、生きていたか」
「誰だ?」
和哉が声のした方を見るとそこには口元を布で隠して刀を持った男が立っていた。
「許さん…許さんぞ…」
「悪く思うなよ…これも仕事だ…」
そう言うと、刀を持った男は倒れている男性に向かって刀を突き刺した。
「そ、そんな…」
和哉は自分の目の前で起こった事に取り乱し、吐き気を感じていた。しかし、吐き気は感じるだけで実際に吐く事はなかった。
「は〜、あとは願い箱を奪えば終わりだ…」
そう言うと男は殺した男性の服に手を触れた。
「うわぁぁぁ!!」
男は突然大きな声を出し、仰け反って倒れた。
「今度はなんだ…?!」
和哉はいきなり倒れた男の方を見た。すると、男の鎖骨部分が血だらけになり、稲妻のような傷を付けていた。
「あなたには悪いけど死んでもらうわ」
「!?」
和哉が聞いたことのある声の方を向くと、そこには桜がいた。
「それが私の”願い”よ」
「待ってくれ!桜!」
桜に気付いた和哉が大声で言った。しかし、桜には聞こえていないようで何も反応をしなかった。
「お前は誰だ…?!」
「私は…重い箱」
「重い箱…話しに聞いていたのは願い箱な筈…」
「そう、どうやら願い箱について少し思い違いをしているようね?」
和哉は二人の会話を聞いていた。
「まずい…このままだと何も変わらない!なんとかしないと…でも、どうすれば…どうすればいい…」
和哉は辺りを見ながら解決策を考えていた。
「願い箱は別名思い箱と呼ばれている。そして、思い箱は重い箱とも言われる。私はその重い箱によって生まれた」
「重い箱…」
「今のうちに何か…そうだ!」
和哉は話しに夢中になっている二人の様子を見て、男が持っていた刀に触れた。すると、和哉は刀に触れることが出来た。
「よし、これを使って何か文字を書けば伝えることが出来るかもしれない。でも、何を書けば…」
和哉は何を伝えるか迷っていた。
「どういう理由で願い箱のことを知ったかは分からないけど、残念だったわね?」
「まずい…このままだと、あの人が桜に殺されてしまう」
和哉は桜の様子を見て急いで桜の近くに寄った。そして、刀で桜の木に文字を掘った。
《あいをわすれないでくれ》
和哉は文字を掘り終えた。すると、刀が手からすり抜けた。そして、すり抜けた刀は地面に落ちて大きな音を立てた。
「何の音!?」
「……」
桜は音のした方に近づいた。
「あいをわすれないでくれ?どういうこと?」
桜の木に書かれた文字を見た桜がそう言った。
「ぅ……梅……」
「まだ息があったのね」
倒れた男性を見た桜がそう言った。すると、その時どこからともなく白髪の綺麗な女性が現れた。
「どういうこと?!どうして願い箱と重い箱が一緒に存在するの?」
桜の目の前には氷華の姿があった。
「よく分からない。でも、私にも思いがあるわ。あの人に会いたいという思いが」
「こんなこと普通じゃないわ。あなたと私は一緒に存在できない筈でしょ?」
「うん。でも、思いが私を存在させたのは確かよ」
二人は困惑していた。
「っ…!!しまった…逃したか…」
桜は男がいつの間にかいなくなっていた事に不満の表情を浮かべていた。そして、氷華は桜の木を見ながらどこか遠い目をしていた。
「これであっているのか?何か変わるのか?」
和哉は今の現状を見て不安を感じていた。すると、和哉の周りに白い霧が発生した。そして、どんどん和哉を包むと何も見えなくなった。
「これであってるってことか?」
和哉は白い霧の中で自分のやった事があっていると信じた。それから少し経つとまた霧が少しずつ薄くなっていった。
「まだ何かあるのか?」
霧が無くなると、和哉は神社にいた。しかし、現在ではなく、今よりも少し前の神社のようだった。
「どうしてこの神社に?」
和哉は不思議に思いながら辺りを見渡した。
「は〜、叶うは今どうしてるのかしら…」
「桜?」
和哉は神社の屋根の上で独り言を言っている桜を見つけた。
「もう暫く会ってないけど…大丈夫かしら…」
「心配してるのか?」
「これは…叶う…?一体どういうつもり」
「何かあったのか?」
和哉は桜の様子を見て不思議そうにしていた。すると、また白い霧が和哉を覆い、すぐに無くなった。
「叶う!何をしているの?」
「この人を現実の世界に返すの」
「そんなこと許すわけないでしょ?」
「これは氷華が腕時計を渡すときか?」
和哉が今の状況を見ながらそう言った。
「正一!あなたに私の代わりに守ってくれる道具をあげるわ」
「でも、それをしたら叶うは名前を忘れてしまうんだろ?」
「大丈夫。私は大丈夫だから…」
「自分の名前を忘れるなんてダメだ!」
「…分かったわ。じゃあ、名前を思い出す為の道具を作るわ。何かいいものはない?」
「…じゃあ、透き通った青いバラの髪留めはどうかな?」
(ここは氷華に聞いた通りだな)
「叶う、あなたが名前を忘れるということは自分の能力を使えなくなるということよ?」
「分かってるわ。でも、この人を桜に殺させない」
そう言うと氷華は胸の前で手を組み目を閉じた。すると、握っていた手に腕時計と髪留めを持っていた。
「これを持って町から離れるように進んで」
「叶うはどうするんだ?」
「…私は大丈夫」
「これが叶うを守ってくれることを祈っているよ」
そう言うと正一は氷華の手に持っていた髪飾りを頭の左側に付けた。
「それじゃあ!」
「ええ…」
二人がそう会話をすると、正一は町の外れへ走って行った。
「叶う、あなたどうしてあんな嘘をついたの?」
「あの人は私のことを透き通るような青い目、とても綺麗だと言ってくれたの」
「そう。あなたにとって大切な人なのね…」
「……」
「これが氷華が腕時計を渡した時の話しか…」
和哉が二人の様子を見ていると、また白い霧に包まれた。そして、またすぐに霧が無くなった。
「元気そうでよかったわ…」
「ここは神社か」
和哉は神社の屋根に一人でいる桜の様子を見ていた。
「私はこのままでいいのかしら…こんなことして…関係のない人まで殺して…そこまでしないと本当にいけないのかしら…分からない…」
「やっぱり、桜は完全な重い箱ではなかったってことか…」
和哉は桜の様子を見てそう言った。すると、白い霧が和哉を包み何も見えなくなった。
ーー現在の神社ーー
神社に青白い光りが現れた。すると、そこには過去に行ってきた和哉の姿があった。
「和哉!」
「和哉…」
「戻って来たのね?それで?何か成果はあった?」
「ああ。十分過ぎるぐらいな」
桜の質問に和哉は真剣に答えた。
「そう。それで、私をどうするのかしら?」
桜は和哉を睨み付けるようにして見た。
「俺は…何もしない…」
「和哉!どういうこと?!このままだと翔一が桜に殺されてしまう!」
和哉の話しを聞いた氷華が訴えるように言った。
「そうよ?あなたが叶うの力を使って過去に行ったのなら何か変化がある筈。でも、私も叶うも特に変化は無い。つまり、あなたは過去に戻ることは出来たけど、今を変えることが出来なかった」
「そんな…じゃあ、願い箱を隠すことが出来なかったということ……」
桜の話しを聞いた氷華が悲哀な表情をしながら言った。
「いや、違う。過去を変える必要なんてない!」
「どういうことかしら?私が今更、その人間を殺すことに躊躇するとでも?私は重い箱。私の生きる意味はあの人間の子孫まで全て殺すこと。そうすることで、やっと願いが果たされる。あなたが何をしようとしてるかは分からないけど、数百年の願いがやっと少し果たされるの。笑わせないで!」
和哉の話しを聞いた桜が怒りを露にしながら言った。
「だから、そもそも俺がどうにかするっていう前提が間違ってる!」
「和哉、どういう事だ?」
「過去に行って何をしてきたの?」
和哉の話しを聞いた翔一と萌が質問した。
「俺は…数百年前の一郎が殺されるところに行った。でも、何もする事が出来なかった。俺は、ただ何があったかを見ただけ…」
「そんな…」
和哉の話しを聞いた氷華が驚きながら悲しみに満ちた声を漏らした。
「でも、俺は別の過去にも行った」
「別の過去…?」
桜が眉を顰めながら言った。
「俺が行ったのは氷華が俺の先祖の時使正一を逃した時だ」
「あの時に和哉が…?どうして?」
氷華は困惑しながら言った。
「分からない。でも、俺はそこに行って分かったことがある」
「分かったこと…?」
「それは桜、お前が叶うのことを大切に思っているということだ!」
「桜が…?」
和哉の話しを聞いた氷華は桜の方を見ながら困惑した顔をしていた。
「…それは、叶うが私と同じ願い箱だからよ…」
「違うだろ!桜!お前は氷華に願い箱とか関係無しに特別に思っている筈だ!」
言いずらそうにしながら言う桜に対し、和哉は桜の言ったことを否定した。
「そんな筈ない!私は重い箱。負の感情そのものよ!人は私を使って自分以外の人間を苦しめようとする。そのことに私は何の疑問も思わず、ただ願いを叶えるだけの”もの”でしかないのよ!勝手なこと言わないで!」
「じゃあ…じゃあ、なんで桜は泣いてるんだ?」
「桜……」
涙を流しながら言う桜の姿を見て、氷華たちは困惑しているようだった。
「どうして…こんなの…おかしいわ…私は…」
桜は自分が流した涙に驚いていた。
「桜、お前は自分が思っている以上に人間のことを思っているんだよ。勿論、氷華のことも」
和哉はそう言うと氷華の方を見た。
「氷華。桜を止めるのは俺じゃない。氷華が桜を止めるんだ」
「私が…桜を…」
和哉に言われた氷華が桜の方を見ながら言った。
「氷華が思っていることを素直に桜に伝えれば、桜は分かってくれる筈だ」
「……うん!私、桜と話す!」
氷華は和哉に決心をした顔で言うと、神社に近づいて屋根の上にいる桜を見た。
「桜!話しを聞いて!私はもう桜に人を殺して欲しくない!私、本当は桜が人を殺したくなんかないって知ってた。お互いの気持ちが分かるから…でも、私は桜が重い箱だからという理由で仕方ないと諦めてた。でも、そうじゃなかった。桜には私と同じ心がある。だから…だから私はあなたに…桜にもう人殺しなんてして欲しくない!」
「叶う…」
「お願い!私は桜のことを本当の姉のように思ってる。私は一人では出来ないことも桜が居てくれれば…二人で居ればどんな困難にも乗り越えられる筈よ!」
「私は……」
桜は氷華の言葉にどう返事をするか悩んでいるようだった。
「叶う…あなたが居てくれるなら……」
桜はそう言うと氷華の方に手を伸ばした。
「やっぱりダメだったか…」
桜の後ろからそう声が聞こえた。そして、桜の腹部には鋭利な包丁が突き刺さっていた。
「桜!!!」
「どうなってる?!」
「!?」
その場にいた誰もが驚いていた。
「ダメじゃない?いくら失敗作だからって、重い箱が使命を投げ出すなんて…」
桜の後ろにいる右目が黄色、左目が赤のオッドアイで桜に瓜二つの女性がそう言った。
「あなたは…」
「私はあなたよ?正確に言うと、あなたを元に重い箱がこの場所の怨念によって作り出したもう一人のあなた。でも、私はあなたと違って失敗作ではないけどね?」
女性は微笑みながら言った。
「桜を殺さないで!あなたの目的は何なの!」
氷華は怒りを露にしながら言った。
「私はこいつの代わりにそこの翔一とかいう人間を殺すことよ」
「やっぱり俺かよ…」
「桜を返して!」
「ああ、そうね。もうこの女はダメだもの。重い箱として欠落しすぎた」
そう言うと女性は桜を神社の上から氷華の方に突き落とした。
「桜!」
氷華は何とか桜を受け止めた。
「なあ、氷華これは一体どうなってるんだ?」
「分からない。こんなこと初めてだわ」
和哉の質問に氷華は困惑しながら答えた。
「それはそうでしょ?そもそも、あなたたち二人が一緒に存在すること自体が普通ではありえないんだから」
女性は氷華に向かってそう言った。
「お前はどうして現れたんだ?」
「私はこの場所で殺された人々の怨念を元にその女の容姿を使ってそこの翔一を殺すという使命があるの。私が現れたのはその女が翔一を殺すことが出来なくなったから」
「そんな…やっと叶うさんと桜さんが通じ合えたのに…」
「そんなの仮初めに過ぎないわ。重い箱と思い箱は相反する存在といってもいいわ。二人が通じ合うことは無いわよ」
女性は萌のことを否定するように言った。
「桜!お願い!目を覚まして!」
「……叶う、ごめんなさい…あなたには心配ばかり掛けるわね」
「ううん。そんなことない!桜が居てくれれば私は…」
氷華が桜を見て涙を流しながら言った。
「氷華!桜を助けるために今度は氷華が能力を使うんだ」
そう言うと和哉は腕時計を氷華に渡した。
「これはもう俺には必要ない。俺のご先祖さんもきっと許してくれる。氷華、能力を使ってどうにか今の状況を打開してくれ」
「…うん。みんなの為に私が出来る最大限のことをやってみる」
「叶う…あなたを信じてるわ」
涙を拭い、決心した氷華に桜は微笑んで言った。
「うん」
氷華は桜に笑顔で答えた。それから、氷華は立ち上がり腕時計を両手で持った。すると、次の瞬間、青白い光りが辺りを包んだ。
「私はみんなの力になる!」
そう言うと氷華は両手を胸の前で組んだ。
「今更、何をするつもり?」
女性は氷華にそう言った。すると、大きな音と共に地面が揺れた。
「地震?!」
「かなり大きいぞ」
「ここは現実の世界ではないから普通地震は起きないわ」
驚く二人に桜はそう言った。
「なるほど。この場所を閉じるつもりね?でも、私の邪魔をするならたとえ思い箱だとしても容赦はしないわ」
そう言うと女性は神社の上から下に瞬間移動した。
「桜と同じことが出来るのか」
「当然。私はこの女を元に作られたんですもの。さて、じゃあ、さようなら」
そう言うと女性は姿を消した。そして、氷華の目の前に現れると、包丁を氷華に向けた突き刺した。
「生憎ね?私の妹は殺させないわ」
「お前!」
女性の包丁がまたも桜の腹部を突き刺した。そして、次の瞬間、二人の姿が消えた。
「一体、どうなったんだ?!」
二人の様子を見ていた和哉が言った。
「桜は私を守ってくれたの。和哉!萌!翔一!この世界から出るわ!鳥居を潜って!」
「待てよ!桜は?桜はどうするんだ?!」
氷華の言葉を聞いた和哉が焦るように聞いた。
「大丈夫。この世界を消滅させるからこの場所の怨念を利用して現れたもう一人の重い箱はいなくなる筈よ。それに桜は私と一緒にこの場所を作ったから脱出もできる筈。今は桜のことを信じて現実の世界に戻りましょう!大丈夫!私の自慢の姉だもの」
「そう…だな…」
「うん!」
「行くか」
それから萌と和哉は翔一を支えながら鳥居を潜り現実世界に戻った。
「私も桜を信じてるわ…」
ーー数日後の病院ーー
「よう!翔一。怪我の調子はどうだ?」
「まあまあだな」
「思ったより大丈夫そうだね」
翔一の病室に和哉と萌がお見舞いに来ていた。
「いつ頃退院出来そうなの?」
「あと数日様子を見たら、車椅子で退院出来るんだと…」
萌の質問に翔一が不満そうに答えた。
「そうか。じゃあ、思ったより早く学校に来れそうだな」
「ああ」
「学校に行ったら美希先生に怒られちゃうね?」
「ああ。そうだな」
翔一は微笑みながら言った。
「じゃあ、俺は来たばっかりだけどもう行くよ」
「おお。結局、あれから桜は戻ってきてないんだろ?」
「ああ。氷華に聞いたら無事だって言ってたけどな」
「そうか。叶うが言うなら多分大丈夫なんだろうけど、何してんだろうな?俺はまだ桜に謝られてないんだが…」
「まあまあ。そんな顔すんなよ…」
和哉は不満そうな顔をしている翔一にそう言った。
「そういえば気になってたんだけどさ?」
「ん?」
「どうして和哉は叶うさんのことを氷華って呼ぶの?」
「ああ〜それは氷華が自分の名前を忘れたって言ってたから俺が代わりの名前を付けたんだよ」
「へ〜そうだったんだ。でも、今は叶さんって自分の名前を思い出したんでしょ?」
「まあ、そうだな」
和哉は少し考えたような顔をした。
「これから会いに行くんだろ?聞いてみたらどうだ?」
「そうだな。じゃあ、俺行くよ」
「おお」
「また明日ね」
「ああ」
和哉はそう言うと翔一の病室を後にした。
「あいつも忙しいやつだな」
「叶うさんのことが心配なんだよ。きっと…」
萌は下を見ながら言った。
「そういえば…」
「?」
翔一はそう言うと、引き出しからピンクと白のチェック柄をしたハンカチを取り出した。
「色々あって渡しそびれてた」
「私のハンカチ!ありがとう!」
翔一は萌にハンカチを渡すと、萌は嬉しそうに受け取った。
「にしてもなんか、信じられないような事ばかりだな」
翔一が病室の天井を見つめながら言った。
「うん…」
「まさか、俺の先祖が萌の先祖を殺したなんてな…どういう巡り合わせなんだか…」
「あのね…」
「ん?」
翔一に萌は思い詰めた顔をしながら話しかけた。
「私は桜さんからその話しを聞いて凄く驚いたの…」
「ああ、俺もだ」
「そんな事があるのって…どうして私たちなんだろうって…」
「……」
「でもね…」
「…?」
そう続ける萌に翔一は不思議そうな顔をした。
「たとえ、私たちのご先祖様にそういう事があったとしても私たちの関係は変わらない。昔のことなんて関係ない。私は小さい頃から翔ちゃんと一緒で和哉とも昔から仲良く遊んでた。でも、和哉が中学生になる時に居なくなっちゃって…私ね、凄い寂しかった。不安だった…」
「萌…」
「でも、そんな時、翔ちゃんは私の傍にいて私のことを気に掛けてくれた。私ね、それがとても嬉しかったの。とても支えになったの。だからね?私は…私はその時から翔ちゃんのことが好きなの!」
「!!!」
萌の突然の告白に翔一は驚いていた。
「いつか言わないとって思ってた…でも、怖くって言い出せずにいた…でも、今回の事があって私は改めて思ったの!私は翔ちゃんのことが好き!大好きなの!翔ちゃんが桜さんに襲われて怪我をして現れた時、とても怖かった…体が震えて、心がギュッて締め付けられた。でも、それが私の本当の気持ちだと思うの…」
「そうか…萌はそう思ってくれていたのか…」
萌の言葉を聞いた翔一が下を見つめながらそう言った。そして、翔一は萌に顔を向けた。
「萌、俺もお前のことが好きだ」
「!」
翔一の告白を聞いた萌が目を少し開き、驚いた反応をしていた。
「萌が俺の事をそう思ってくれてるぐらい、俺も萌のことが好きだ」
「……」
翔一がそう言うと萌は目から涙を流した。
「おいおい…泣くなよ?折角の可愛い顔が台無しだぞ…」
翔一は萌の顔に触れ、涙を手で拭きながら言った。
「バカ!」
萌がそう言うと、突然翔一に顔を近づけた。そして、次の瞬間、萌は翔一にキスをした。
「!」
「お返し!」
驚いている翔一に萌は満面の笑顔でそう言った。
ーー神社に着いた和哉視点ーー
「氷華!」
神社に着いた和哉が氷華に話し掛けた。
「和哉。今日も来てくれたんだ」
「ああ。やっぱり桜はまだ帰って来ないのか?」
「うん。無事なことは分かるんだけどね。どこに居るかまでは分からないから…」
氷華は元気がなさそうに言った。
「そうか……なあ、氷華。これからどうするんだ?桜が無事に戻ってきたら二人は居なくなるのか?」
「分からない…今の私たちは願い箱としての使命が無いからとても不安定な存在な筈なの。だから、なんとも言えないわ」
「そうか…」
氷華の話しを聞いた和哉が下を見ながら言った。そして、和哉は何かを考えると氷華に顔を向けた。
「なあ、氷華」
「どうしたの?」
真剣な顔をした和哉に氷華が聞いた。
「氷華は…氷華はこれからどうしたいんだ?」
「私…?」
和哉の問いに氷華は複雑な顔しながら言った。
「そうだ。今の氷華は自由なんだろ?だったら、氷華自身はどうしたいんだ?」
「……そんなこと考えたこと無かった…私は思い箱だから…」
「でも、今は違うだろ?氷華は自分の意思で物事を決める事ができる」
「…私は…桜と一緒に居たい。そして、人間を殺してしまったことを少しでも償いたい…」
氷華は思い詰めた顔をしながら言った。
「でも、私の我が儘だけど…もう一つしたい事があるの。願いが…」
「願い…?」
和哉は聞き返した。
「私は…」
「私のやったことに叶うが責任を感じる必要はないのよ?」
「……っ!?」
聞いた事のある声の方を向くと、そこに桜が立っていた。
「桜!無事だったのね!」
そう言うと氷華は桜に抱き付いた。
「私が無事なのは分かってた筈よ?」
桜が困った顔をしながら氷華の頭を撫でた。
「そうだけど、どうしても心配だったの…」
「そっか…」
「戻ってきたんだな」
「ええ」
「今まで何をしてたんだ?氷華が心配してたぞ?」
「願い箱を見つからない場所に隠してたの」
「願い箱を?」
桜の話しを聞いた和哉が少し驚いて聞いた。
「今回みたいなことを繰り返さない為にも隠した方がいいと思ってね」
「そうか」
「それより叶う?いつまでこうしてるつもりなの?」
「やっと会えたんだもん。やっとこうやって桜と話しが出来るんだもん」
「そうね。とても嬉しいわ」
桜が笑顔で言った。
「でも、叶う。あなたはもう自由なのよ?自分の好きに生きる事ができるの」
「桜?」
桜の言ったことに氷華は困惑した様子で言った。
「さっきも言ったけど、あなたは人を殺していない。殺したのは私であなたは何もしてないわ」
「ううん。私は桜が人を殺す事が普通だと思ってた。諦めてた。でも、本当は違った。私は桜を止めることが出来た筈なのにそれをしなかった。その所為で沢山の人を死なせてしまった…」
氷華は悲哀の表情を浮かべながら言った。
「あなたは優しい子ね。でも、それを言うなら私がもっとちゃんとしなければいけなかったわ。私も叶うと同じで諦めてた。でも、今はこうしてあなたに触れていられる。こんな私でも喜びを感じられる。私はこれだけで十分なの。心が温まるの。だから、叶う?あなたにはあなたのしたい事がある筈よ?」
「私は桜と一緒にいたい!それが私のしたい事よ?!」
氷華は桜に反論した。
「そう。とても嬉しいわ。でも、私は人間を殺してしまった事を償いたいの。これからは何か人間のためにしてあげたいの。だから、私の償いにあなたを巻き込みたくないの」
「私だって償いをしたいわ!」
「もうあなたには沢山のものを貰ったわ。それにあなたは私と違って思い箱、多くの人の願いを叶えてあげた筈よ。それでもう十分償いは出来ているわ」
「そんな…桜は私のこと…嫌いなの…?」
氷華は今にも泣きそうな顔をして桜に言った。
「バカなこと聞かないの。私が嫌いなわけないでしょ?大好きよ?でも、大好きだからこそ叶うには自分の為に生きて欲しいの」
「私の為…?」
「そう。あなたは他の人の為に生きてきた。だから、今度は自分の為に生きて欲しいの。あなたにはもう分かる筈よ?」
「桜…」
氷華は不安そうな顔をして桜の事を見ていた。
「叶う…そんな顔しないで?もう会えない訳じゃないんだから。叶うが会いたい時にはちゃんと戻ってくるわ」
「…うん」
氷華は下を向きながら言った。
「和哉、あなたにこの子を任せるわ」
「おお。いつでも戻って来いよ?あと、翔一が怒ってたぞ?」
「そう。じゃあ、謝りに行かないとダメね?」
桜が少し困った顔をしながら言った。
「それじゃあ、叶う!私はもう行くわ。また、会いにくるから」
「うん。待ってる」
姉妹は笑顔で会話をした。すると、桜の姿が消えた。
「行ったか…」
「うん。でも、心はいつも繋がってるから」
氷華は胸に手を当てながら言った。
「なあ、氷華。神社の裏の桜の木を見てもいいか?」
「うん。いいけど?」
氷華は不思議そうに言った。それから二人は神社の裏にある桜の木の下まで来た。
「やっぱりそういう事か…」
「どうかしたの?」
桜の木に触れながら言う和哉に氷華が質問した。
「過去に行った時、触ろうとしたものがすり抜けたんだけど、唯一、刀だけ触れたんだ。だから、その時この桜の木に文字を書いたんだよ」
「文字?」
「そう。「「あいをわすれないでくれ」」って。多分だけど、その時書いた文字の部分がこの窪みの部分になったんじゃないかなって思ってさ。確認しに来たんだ」
「ねえ、和哉?」
「ん?」
「どうして、「「あいをわすれないでくれ」」って書いたの?」
氷華は不思議そうに質問した。
「ん〜なんでだろうな。なんとなく…かな?」
「なんとなく?」
「…でも、一郎に伝えたかったんだよ。自分を大切に思ってくれる人がいて、自分も大切に思う人がいる。そのことを忘れないで欲しいと思った。だから、言葉はなんでも良かったんだ。そういう意味のなんとなくってこと」
「そっか」
和哉の話しを聞いた氷華は納得したようだった。
「戻るか?」
「うん」
そう言うと二人は神社の方に戻った。
「和哉!聞いて欲しい話しがあるの!」
神社の前まで来ると氷華がいきなりそう言った。
「…うん」
「私がさっき言った願いの話し」
「聞かせてくれ」
和哉は真剣な顔で言った。
「私は和哉に救われた。ううん、私だけじゃない。桜のことも救ってくれた。それに私のことを褒めてくれた。氷のように透き通った目だって…華のように綺麗だって言ってくれた。それに氷華って名前を付けてくれた。私、この名前がとても好きなの。とても特別なものなの。私が初めて人に貰ったものだから。和哉は私にとってとても特別な存在なの。……和哉!私はあなたのことが好きなの!私は思い箱で人間ではないから和哉は私のことをそういう風に見えないかもしれないけど…私は…それでもいいから和哉の傍にずっと居たいの!」
氷華は涙を流しながら和哉に伝えた。
「……なあ、氷華、この神社は願い箱の神社なんだろ?」
「うん…」
「だったら、氷華を人間にしてくれ」
「どういうこと?もう願い箱は無いのよ?」
「今はな。でも、俺の願いをまだ聞いて貰ってないから」
「!」
和哉がそう言うと、氷華は自分の変化に驚いた様子だった。
「氷華?俺も氷華の事が大好きだ!だから、これからもずっと一緒に居てくれ!」
和哉が真剣な顔をして氷華に伝えた。
「!!!……はい!」
氷華は涙を流しながら笑顔で和哉に返事をした。そして、氷華は和哉に顔を近付けるとキスをした。