9、そんなの絶対いやなんです
「マジラカ」の主人公であるシャニアが実にトンチキでトリッキーでチートかはわかったけれど、私はそれで引き下がるわけにはいかない。
なぜなら、彼女の存在には愛しの推しオルクスくんの運命がかかっているのだから。
シャニアにはオルクスくんとの恋愛エンド、それが無理でも友情エンドくらいは迎えてもらわなければならない。そうしなければ世界が滅びるか、オルクスくんが破滅する。
だから、正直言ってさっきのペガサスのことで懲りているけれど、私は彼女とお友達でいなければならないのだ。
「シャニア、今夜食堂で一緒に夕食を食べましょ。私の友達にもシャニアを紹介したいの」
厩舎から校舎へ戻る道すがら、興奮冷めやらない様子のシャニアに言ってみた。
彼女はトンチキだから、もしかしたら断られるかもしれない。昼食を返上してまでペガサスに夢中になっていたくらいだ。もしかしたら食事には無頓着かもしれない。
でもそんな予想に反して、シャニアは嬉しそうに笑った。
「いいの? 嬉しい! いつも同室の子たちと食べてるんだけど、こういうお誘いは初めて」
「そうだったの。喜んでもらえてよかった。交流を広げるのって、いいものだものね」
「うん! 私、正直言って貴族やお金持ちの子ばっかりの中でどうやってうまくやっていけばいいのかわからなかったんだけど、コレットとは仲良くできそう! 貴族の子って何考えてるのかわからないけど、コレットとは気が合うもの」
シャニアは誘われたのがよほど嬉しかったのだろう。目をキラキラさせて、とてもいい笑顔を浮かべている。でも、言っていることがやや不穏だ。
周りの子たちのことを「何を考えてるのかわからない」なんて言っているけれど、その逆のことをみんな思ってるんだろうけどな……と思ってしまう。
これが主人公ゆえの無邪気さなのかなって理解はできるけれど、心配だし少し怖くなる。
「じゃあ、また夜にね」
一抹の不安を抱えつつ、私はシャニアと別れた。
……不安だけれど、早くも夕飯が恋しい。昼食抜きは、やっぱりこたえた。
空腹を抱えて午後の授業を何とかやり過ごして迎えた夕方。
私はリリーと、あとから来たオルクスくんと一緒にシャニアを待っていた。
オルクスくんは何か本を読んでいるから、私とリリーは顔を突き合わせて今日の首尾を報告していた。
「……まあ、何というか、あの子はやばいね。あまりにトリッキーすぎる」
「そんなの、プレイしてた頃からわかってたことだろ。自分、プレイヤーじゃなくてシナリオ書いてたほうだからさ、ヤバいなあって思ってたよ。可愛いし、無邪気だとは思うけど、普通に関わりたくないだろ」
「そ、そっか……」
リリーの辛辣な発言に、今日の出来事がなければ私は反論しただろう。でも、実際にシャニアのとてつもない無邪気さを目の当たりにしている以上、何も言えない。
「マジラカ」をプレイしているときは、シャニアの少々ぶっ飛んだ言動も個性だととらえて可愛いとすら思っていた。彼女のそのぶっ飛んだ言動こそが攻略対象たちの心を解きほぐし、それが世界を変えたのだから。
でも、何というか、実際に彼女に対峙した感想は、「激しすぎて疲れる」だ。悪い子ではないとは思う。でも、あまりにも猪突猛進だし、言っていいことと悪いことの区別がついてないのが少し気になるけれど。
「お待たせ、コレット。コレットのお友達、も……」
待っていると、私の姿に気がついたシャニアが駆けてきた。でも、途中まで笑顔だったのに、何かに気づいた途端、表情が強張った。
「コレットの友達って、その人だったんだ……」
「え、どうかした?」
シャニアはテーブルにいる面子を見て、複雑そうな顔をした。リリーなのか、オルクスくんなのか。リリーは変な子で評判だからもしかしてと思ったが、シャニアの視線はオルクスくんに向けられている。
「いや……ううん。お邪魔するね」
この場で何か言うのはいけないことだと思ったのか、シャニアは笑顔を作って首を振った。でも、不快感を面に出したのはしっかりと本人に伝わってしまったらしく、オルクスくんの雰囲気がピリついているのがわかった。
「何食べたい? 自分とコレットで取りに行ってくるけど」
当初の予定通り、リリーがそう申し出た。作戦を立てたとき、そう言って席を外せばオルクスくんとシャニアを二人きりにできるねと話していたのだ。だから、作戦通りではあるのだけれど、このままやっていいものなのかためらわれた。だって、この雰囲気で二人きりにするのはまずいだろう。
それを本人も感じていたのか、オルクスくんは席を立った。
「今日は僕とノーマンで行ってくる。プロセルは何がいい?」
「えっと、B定食」
「あ、じゃあヒロイスさんは?」
「私もB定食で」
注文を聞くと、オルクスくんとリリーは行ってしまった。この学食の夕飯は肉料理メインのA定食と魚料理メインのB定食と野菜料理メインのC定食の中から選べるようになっていて、あまり迷わなくて済むのがいい。ゲームの中でシャニアはA定食ばかり食べていたイメージだったから、少し意外だった。
きっとこんなふうに、ゲームのシャニアと目の前にいるシャニアとでは、少しずつ何かが違うのだろう。
「コレットの友達って、あの人だったんだね。その……いい評判がないみたいだから、ちょっと驚いちゃった」
オルクスくんたちがすっかり離れたのを確認して、シャニアが声をひそめて言った。こういうことを大きな声で言ってはいけないと知っているのかと、私は少し驚いた。
「そうなの? 私、そういう噂話って全然聞かないからわかんないや」
これは本当のことだから、こう言うしかなかった。事実、私と寮が同室の子たちは誰も人の噂話になんて興じない。どの先生が素敵だとか、かっこいい先輩がいるだとか、そんな楽しい噂はするけれど、誰かの悪評を拡散する子はいないのだ。それは部屋の中心となっているのが、ディーネさんという気持ちのいい性格をした子だからかもしれない。
とにかく、私はオルクスくんの悪い噂も、リリーの困った評判もまだ聞いたことがない。……シャニアが言っているのが、どちらのことなのかはわからないけれど。
「噂話なんて、そんな可愛らしいものじゃないよ。だって、あの人のご先祖ってさ……」
シャニアは言葉を濁したけれど、これで誰のことかわかってしまった。やっぱり、オルクスくんのことだった。
ゲーム本編でも、トンチキゆえに不審な行動を取るシャニアに対してオルクスくんが「お前はなにを企んでいるんだ」と言ったとき、シャニアが「あなたのほうこそ、悪いことを考えていそうだわ」なんてことを言うシーンがあったのだ。
プレイしたときはただの売り言葉に買い言葉だと思っていたけれど、こうして同じ世界で生きている今ならわかる。シャニアは、本人を見るより先に噂を耳にして、オルクスくんに偏見を持っているのだ。
人間だから、そういうことがあるのはわかる。でも、主人公シャニアがそんなふうな人格なのは、結構ショックだった。
「そうらしいね。私も、小耳には挟んでるよ。でも、そんなの関係ないって思ってる。だって、今は今だよ。先祖とか昔の人とか、そんなのは関係ない。私は本人を見て好感が持てたから、友達してるんだよ」
私は、オルクスくんの悲しみや寂しさを知っている。悩みも苦しみも、それを抱えてなお人に優しいことを知っている。だから、近くで知ろうともせずに悪く言われるのは嫌だった。
シャニアはヒロインなのだから、ちゃんと知って欲しい。知った上で嫌うのは構わないけれど、知らないままでいるのは納得できなかった。
シャニアでなくては、だめなんだから。オルクスくんに光を当てられるのはシャニアしかいないんだから、ちゃんと見てあげてほしい。
「悪い噂が気になっちゃうのはわかるけど、嫌ったり悪く言ったりするのは、ちゃんと本人を知ってからにしない? 勝手に噂がひとり歩きして悪く言われるのが嫌だってこと、シャニアは知ってるでしょ?」
ゲーム本編の中で、孤児院出身ゆえにシャニアを悪くいう人間が少なからずいたことをプレイヤーの私は知っている。そこからどう努力して周りと打ち解けたかも。だからそのことを踏まえて指摘すれば、シャニアの顔色が変わった。
今の彼女は、まだその問題を乗り越える前だ。だからこそ私の言葉が刺さるだろうなと、少しだけ意地悪な気持ちもあった。
「それは、そうだけど……そうだね、ごめん。せっかくこうして誘ってくれたのに、コレットの友達を悪く言っちゃって」
「ううん。私はシャニアと仲良くなりたいから、シャニアが私の友達と仲良くしてくれたら嬉しいなって思っただけだから」
険しかったシャニアの表情が和らいで、困りつつも穏やかな顔になった。それを見て、さっきのセリフを聞けただけで私は今日のところはよしとしようと思っていたのだけれど。もうひとりの協力者はそうは思えなかったらしい。
「……いない間に悪口言ってたでしょ」
いつの間にかトレイを手に、リリーが戻ってきていた。その隣にはオルクスくんがいる。リリーは涙目で、オルクスくんは難しい顔をしている。きっと、どこからかはわからないけれど会話を聞いてしまったのだろう。
「リリー、どうしたの? 悪口なんて言ってないよ?」
この場を収めるために演技してくれているのだろうと思って、私はそうフォローしようとした。でも、リリーは首をふるふると横に振る。
「知ってるもん! 陰で変なやつって言われてるの知ってるもん! うわーん」
トレイをテーブルに置くと、そう言ってリリーは泣きだした。これにはシャニアも驚いて、慰めようと試みた。
「そんなこと、言ってないよ? 泣かないで」
「『暗い』とか『何考えてるかわかんない』とか言われてるの知ってるもん」
「『暗い』ことも『何考えてるのかわかんない』ことも、悪いことじゃないよ?」
「『妄想野郎』とか『ゲームが友達』とか『知的じゃない眼鏡』とか、いろいろ言われてるの知ってるんだからなー」
「え? 妄想野郎? ゲーム……? あなた、眼鏡かけてないじゃない」
リリーは次々と、自分が言われているという悪口を列挙していった。途中からあきらかに前世で言われた悪口が入ってきている。
演技派なのか、本気で悲しいのか、鬼気迫る様子でリリーは泣いている。それをシャニアが、おろおろとなだめようとしている。
カオスだ。一体この状況をどう収める気なのだろうか。
このとんでもないノリと勢いに呑まれてくれないだろうかとオルクスくんを見たけれど、全然そんな気配はなかった。
かなり思いつめた顔をしている。
「……僕がいないほうが、お前は友達を増やせるんじゃないだろうか。付き合いを改めたほうがいいのかもな」
ポツリとそんなことを言うオルクスくんの顔に浮かぶのは、悲しみよりもあきらめのほうが色濃かった。それはきっと、こんなふうに親しくした人と距離を取ることが多かったからだろう。そんなことを思うと、胸が痛む。
「前にも言ったけど、私はオルクスくんがいい子だな、すきだなって思うから友達なんだよ。それに、仮にオルクスくんと一緒にいたら友達が増えないっていうのなら、それでもいいよ。私は、そんなことを気にしてオルクスくんが離れていくのが嫌だ。そんなの……絶対嫌」
「プロセル……」
私の言葉に、オルクスくんが少し安堵するのがわかった。時間はかかるだろう。それでも、私は裏切らない友達がいることをわからせたい。簡単に離れていかない存在もいるということを、オルクスくんにわかってほしい。
オルクスくんの気持ちが落ち着いたところでリリーたちのほうを見れば、泣いて手がつけられなかったリリーは、口に肉をツッコまれて黙っていた。顔は涙で汚れたままだけれど、口元は動いている。どうやら泣いて愚痴るのをやめて、食事に専念することにしたらしい。
それを見て、私もオルクスくんも脱力して、自分の食事に向おうかという気になった。
騒いでいる間に、せっかくの食事が冷めてしまっている。
「身を引くとか遠慮するとか、そういうの絶対なしだからね」
私が念を押すと、オルクスくんは困った顔で笑って頷いた。