5、めちゃめちゃ見てくるあの子は誰です
ある日の夕方のこと。
寮の部屋でオルクスくんに向けての手紙を書いていると、ふと視線を感じた。顔を上げると、同室のディーネさんと目が合った。ディーネさんは私の顔と手元を交互に見て、ニヤリとする。
「コレットったら、また彼氏に手紙を書いているわ。本当にマメねえ、あなたたち」
「か、彼氏じゃないよ! 友達だよ!」
「またまた〜。いいなあ、伝書蜂。私も買ってもらおうかしら」
ディーネさんは、私がよくオルクスくんの伝書蜂に手紙を書いて持たせるのを見ているから、それをからかっているのだ。
伝書蜂は名前の通り手のひらサイズの蜂の形をした魔法具で、短い手紙なら持たせることができる。それなりに値が張るものらしく、みんながみんな持っているものではない。
前世でいうところの、携帯電話やスマホみたいなものだ。だから、こういった学校生活ではカップルの間でやりとりされることも多いようで、それでディーネさんはからかうのだ。
「今日の夕食は同室の友達と食べるって送るだけだよ」
「うふふ。青いわねえ。青春ねえ」
面白がるディーネさんに笑い返したとき、彼女とは別の視線を感じた。というよりここ最近、妙に視線を感じることが多いのだ。
視線をたどると、そこには同室のリリー・ノーマンがいた。おとなしく控えめではあるものの何を考えているかわからないから、なぜじっと見られているのかもわからない。
こうやって部屋にいるときも、授業中も、放課後に寮までの道のりをオルクスくんと歩いているときも、気づくとこの子に見られているのだ。
そして、私がその視線に気づくと目をそらされてしまう。まるで何も見ていませんとでもいうように。
もしかしてだけれど、彼女はオルクスくんのことが気になっているのかもしれない。それか入学早々に異性と接点を持っている私のことを、批判的に見ているのか。同室なのにこの子は私と直接関わろうとしてこないから、どちらの可能性も考えられる。
どちらにしても、衝突は嫌だなぁと感じていた。人とぶつかったって、なんの得にもならない。むしろ、そんなことに時間と労力をさきたくない。どうせ時間があるのなら、それは推しであるオルクスくんを愛でるために使いたいのだ。
とはいえ、リリー・ノーマンはただ見ているだけで何もしてこないから、実害はないとだろうと考えていた。
……呼び出しを受けるまでは。
その日最後の授業が終わったあと、教室を出ようとしていると、すっと誰かが近づいてきた。気がついてそちらを見ると、リリー・ノーマンがそばまで来ていた。
「寮に帰る前に、中庭に来て。ふたりきりで話したいの」
リリーはそう言うと、足早に教室を出ていった。気配なく近づいてきて囁いて去っていくなんて、何だか怖い。そんなに他の人に見咎められたくなかったということか。
これがいわゆる呼び出しだということはわかっても、その理由まではわからなかった。だからこそ一層怖いなと感じるのだけれど、呼び出しに応じないという選択肢もなかった。
せっかくふたりきりで話したいと言われたのだ。それなら、会って彼女が私のことをよく見ている理由を聞くべきだろう。
とにかく腹をくくるしかないと思い、私は言われたとおり中庭に向かった。わざわざああいってから先に行ったのだ。きっと一緒に行動しているところを見られたくなかったのだろう。
そう考えて、私はわざとゆっくりめに歩いて中庭まで行った。
「よかった、来てくれて」
夕焼けに染まる中庭に、リリー・ノーマンは立っていた。その口ぶりだと、私が来るかどうかは五分五分だと思っていたのだろう。
でもその顔は安心したというより、少し緊張しているみたいだ。一体私と何を話そうというのだろうか。
「リリーさん、お話ってなあに?」
「えっと、うん。ちょっと聞きたいことがあるだけなんだけど……」
こっそり呼び出したということはてっきり文句でも言われるのかと思っていたのに、リリーはもじもじしていた。一体何だというのだろう。
「聞きたいことって、何かしら? 私で答えられることならいいんだけど」
「そうだね……何を聞けばいいかな。……知らなかったら知らないって言ってくれていいから、今からいくつか質問をさせてもらうね」
リリーは緊張しているからか、よほど聞きにくいことだからか、ずっともじもじしている。そんな様子を見せられると、私まで落ち着かない気分になってくる。
リリーは何度か深呼吸をして、少し考え込むようにして、それからようやく口を開いた。
「……ねえ、アキハバラっていう町の名前を知ってる? イケブクロは?」
質問の意図をはかりかねて、私は言葉がすぐに出てこなかった。これは確かに、知らない人にとってはわけがわからない質問だろう。
リリーがこの質問をしたのには、ふたつの理由を推測できる。
ひとつは、その地名をどこかで聞いたことがあるか。もうひとつは、その質問をすることで私が日本人――この世界においての異世界の記憶を有しているか。
後者なら、きっと尋ねるのには勇気が必要だっただろう。リリーの緊張した顔を見れば、おそらくそうだとわかる。
「アキバは、あんまり縁がなかったかな。行くのはイケブクロとか、シンジュクのほうが多かったよ」
答えながら、さっきの質問がもうひとつ別の意味を持っていることに気がついた。さっきの質問は相手が日本人で、なおかつオタク趣味に通じているかの質問だろう。
「うっわ! やっぱりだ! 何となくそう思ったんだよね! 『マジラカ』ファンの人でしょ? テネブラン氏への接し方でそうだと思ったんだよね。仕草が日本人ぽいなって思ったし、ちょいちょいこの学校に馴染みすぎてる感あったのが気になってたんだ」
「……まさか、あなたも転生者なの? それで、『マジラカ』オタなの!?」
リリーは私の返事を聞いて興奮しているようだけれど、それは私も同じだった。
まさか目の前にいるのが自分と同じ転生者だなんて、しかも「マジラカ」の話が通じるかもしれないなんて、すぐには信じられなかった。
「そう、転生者ってやつ。あっちの世界で流行ってたよね。転生派かトリップ派かで分かれたりとか、転生派でも赤ちゃん派からか途中で記憶覚醒派からかとか、一大ジャンルだったもんねー。……よかった。こうして転生者に会えたってことは、自分の頭が変なわけじゃないってわかったもん」
リリーはよほど安堵したのか、そんなことをひと息に話した。何だか、思っていた性格と違う。おとなしくておどおどしていたのは猫をかぶっていただけで、こちらが素なのだろうか。
それに、知りたいことを知られてほっとしたらしく、私の質問には答えてくれていない。
「あの、リリーさん? あなたは『マジラカ』オタなの? どうなの?」
「あ、いや……オタではなく関係者……『マジラカ』のシナリオをサブで書いてたライターのひとりってだけで」
「関係者!? まさかの関係者!? むしろ転生先でファンと出会うより貴重なんだけど!」
「え……うわ……うん、そうね」
私が勢いよく詰め寄ると、リリーはあからさまにドン引きした様子だった。オタクではない相手に勢い込みすぎたと反省はするけれど、やっぱり関係者を前に興奮せずにいるのは難しい。
それに関係者を前にしたのなら、どうしても聞きたいことがあった。
「あの……オルクスくんの攻略ルートは、制作される予定はあったの? 私、オルクスくん推しだから、あんな形で運営がサービスを終了したのがショックでショックで……せめて、彼が公式にどういう扱いをされてたのかだけでも知りたい。公式は、オルクスくんを幸せにする気はあったの……?」
これだけは、聞いておかなければならないことだった。私がオルクスくん推しだというのもあるけれど、それだけじゃない。今こうして「マジラカ」の世界に転生して、実際にオルクスくんたちをはじめとするキャラクターたちと接しているのだ。彼らの行く末が気になるのは当然のことだ。
「いや、あれは本当に面目ない……といっても自分はあくまでサブの脚本家で、権限はないからどうにもできなかったんだけど。最後まで配信したかったよ。もちろん、テネブラン氏のシナリオも配信予定だった」
自分が関わった作品が途中でサービス終了したのはやっぱり悔しかったのか、リリーは苦々しい表情を浮かべた。そうして関わったスタッフが悔しいと思っているとわかって、私はほっとした。
何より、オルクスくんがシャニアたち主人公の人生を輝かしいものにするための添え物として生み出された存在ではなかったとわかったことが、すごく嬉しくて安心した。彼がそれぞれの√でひどい目に遭わされるためだけに生み出されたのだとしたら、つらすぎて耐えられなかっただろう。
彼はもう、私の中で画面を隔てて存在する架空の人物ではないのだ。息遣いを感じる距離で話ができる、生きた人間なのだ。
「……そっか、よかった。オルクスくんにも、幸せになる道が用意されてるんだね。ちなみに、どんな感じになる予定だったの? シャニアとくっつくきっかけは?」
本来なら関係者にネタバレを迫るのはご法度だろう。でもサ終してしまっているのだし、何より私もリリーも死んで転生しているのだ。だったらこのくらい聞いてもいいんじゃないかと思ったのだけれど、なぜか彼女はすごく困った顔をした。
「ごめん。実は自分、前世の記憶が曖昧なんだよね。何せ、赤ちゃんのときから前世の記憶あるパターンで、そのせいか前世のことなんて生きてるうちに薄れちゃったというか」
そう言ってリリーは、自分の頭を拳でコツンと叩き、舌を出した。いわゆるテヘペロというやつだ。
その仕草に懐かしさを感じると同時に、私はグーパンチを繰り出したい衝動に駆られた。