3、お詫びなんていりません
サンドゥヒロ魔法学院で迎える初めての朝は、魔法によって各部屋に届けられる鐘の音と小鳥のさえずりと、ルームメイトたちの可愛らしいおしゃべりの声で目覚めた。
これがよく眠れた次の日の朝なら、さわやかで素敵な目覚めだっただろう。でも、私は前の晩なかなか寝つけなかったから、あまりいい目覚めとはいえない。
昨夜、シャニアのヒロインとしてのあまりに空振った行動について考えているうちに、私はあることに気がついたのだ。
シャニアが今後、攻略キャラの誰とくっつくにしても、オルクスくんは闇落ちしてしまい、シャニアとそのお相手となったキャラに討たれてしまうということに。
つまり、このままのんびり構えていたら、せっかく愛するオルクスくんと同じ世界の人間になれたのに、むざむざ彼を見殺しにしてしまうということになる。
それだけは、絶対に嫌だった。
それに、私がこの世界に生まれ変わったのには、きっと理由があるはずだ。あるはずだと思いたい。そしてその理由が、オルクスくんを破滅から守るためだと信じたい。
だから、昨夜はどうやればオルクスくんを破滅から逃れさせられるだろうかと考えていたのだ。
とはいえ、考えるといっても脳内を駆け巡るのはオルクスくんの数々の破滅エンドばかりで、彼が本当の意味で幸せになる方法は思いつかなかった。
だってオルクスくんは、この世界からあまりに拒絶されすぎている。
この世界、特にこのサンドゥヒロ魔法学院では、創始者であるディメート氏が英雄で、彼の友人だったにもかかわらず魔法を追い求めるあまり魔に墜ちたとされるテネブラン氏は悪役だ。
この学校に通う生徒たちは当然ディメート氏を崇め憧れ、テネブラン氏のことは忌避するか嫌悪する。そして、その子孫であるオルクスくんのことも、魔法に執着する浅ましく冷酷な人間だというようにみなしているのだ。
それゆえに危なげなカリスマ性はあって、√によっては信奉者たちを集めてはいるけれど、基本的にいつでも彼は孤独だったように思う。
その孤独さを、不器用さを、私はどうしようもなく愛していたけれど、同時に彼が日の光の下で屈託なく笑える世界を望んでもいた。
それが、ヒロインであるシャニアと結ばれ、彼女によって明るく照らされるはずのオルクスくん√だったのだけれど……それが叶う前にサービス終了してしまったというのがつらい。
だからきっと、私がこうして転生したのには意味がある。というより、意味のあるものにしてみせる。どうしたらいいのかまでは、まだわからないけれど。
「プロセルさん。ぼーっとしてるけど大丈夫? 朝が苦手なのかしら」
「あ、いえ。大丈夫です!」
ベッドに腰かけて物思いにふけってしまっていたから、ルームメイトたちに心配させてしまった。
貴族出身が多数を占める学校だから、当然ルームメイトの彼女たちもいいお家出身のようだけれど、運良く性格のいい子たちと同室になれた。
育ちがいい子たちだからてっきり召使いの世話なしに身支度を整えられないのではと思いきや、みんなわりとてきぱき起きて、着替えと髪のセットを済ませてしまった。
……私は、コレットは、庶民の出のはずなのに、どうやらとても不器用みたいで、さっきから寝間着のボタンを外すことにも手こずってしまっている。記憶をさぐると、誰かしらにボタンを頼むことも多かったみたいだ。とんだ甘えん坊だなと自分で思う。いいとこのお嬢さんというより、私はどうにもとろいらしい。
「それじゃあ、わたくしたち先に食堂に行ってますからね。きちんと着替えてくるんですよ」
「はーい」
お姉さん気質で早くもこの部屋のまとめ役になりつつあるディーネさんがみんなを引き連れて部屋を出ていくのを見送って、私も急いで着替えることにした。
立ち襟ブラウス! リボンタイ! ハイウエストスカートのお腹の部分のレースアップリボン!
可愛いけれど装飾過多な制服は不器用泣かせだ。でも、どうにかそれらを身に着けなければならない。これから、毎朝!
そして何より大変だったのは、髪をハーフサイドテールのお団子にしなければならないことだ。こんな朝の忙しいときに凝った髪なんてできるか!というのが私の気持ちなのだけれど、私の“コレット”というキャラクターとしての強制力のようなものが働いたのか、気がつくと髪の毛を結い始めていた。
というより、やめようと思っても手が勝手に動いてやめられなかった。どうやら、キャラクターとしての造形は維持しなけれなならないようだ。恐ろしい。これまで二次元のキャラクターがいつも同じ髪型や服装だったのを揶揄したことがあるけれど、事情(?)がわかると途端にごめんなさいという気分になってくる。
どうにかこうにかコレットとしての体裁を整えてから部屋を飛び出すと、食堂の近くの廊下にオルクスくんがぽつんと佇んでいるのが見えた。誰かを待っているみたいだ。
まさか朝から会えるなんて思っていなかったから、私はすごく嬉しくなった。
「おはよう、オルクスくん!」
「おはよう……って、オルクスくん、だと……?」
「あ……」
プレイヤーだった頃、いつも勝手にそう呼んでいたから、つい癖が出てしまった。でも、彼にとって私は昨日出会ったばかりのただの同級生だ。いきなり馴れ馴れしく呼ばれて、きっと気味が悪いと思ったに違いない。
「……まあ、いい。昨日の詫びがまだだったから、それでお前を待っていたんだった」
「詫び? え、待ってたって……」
オルクスくんが待っていたのが私だったとわかって、めちゃくちゃ混乱した。それに、お詫びだなんて、何事だろうか。
「昨日、僕とぶつかったせいで頭を打っただろう。あのとき様子がおかしかったから、きちんとお詫びをしなければと思っていたんだ」
「様子がおかしいなんてそんな……こともないわけでは、ないですけど」
私は昨日倒れた拍子に床にぶつけた後頭部を撫でてたんこぶができていないのを確認して「大丈夫」と笑おうとしたけれど、コレット的には大丈夫ではないことを思い出した。
何せ、前世の記憶を取り戻してしまったのだから。
それで別人格になったという感じはしないけれど、頭を打った拍子に前世の記憶を取り戻したのは“様子がおかしくなった”といえるだろう。
「やっぱり、何かおかしいのか? もし体調が優れないなら医務室へ行け。もしくは、病院を紹介することもできるが」
「だ、大丈夫です! どこも痛くないですし、腫れてもいません」
「そうか……それならいいんだが」
オルクスくんのクールな顔に困惑の表情が浮かんで、私の胸はキュンとなった。美少年の困り顔、ご馳走さまです。ゲームをプレイしてもなかなか見ることができなかったこの表情を見られただけでもう、お詫びとかそんなものいりませんという気持ちだ。
「それで、その……お前は今は平気と言うかもしれないが、こういうのは時間が経たないうちにきちんと処理をしておかないと遺恨を残すことになる。だから、何か必要なものがあれば言ってくれ。怪我の治療費が必要と言うことなら出すし」
のんきなことを考えている私とは対象的に、オルクスくんは苦い表情をしていた。それにこの口ぶりからして、彼がこの手のことに嫌になるくらい慣れてしまっていることがわかる。
テネブラン氏の子孫ということで、きっとオルクスくんたちの一族は厄介者扱いされてきたのだ。何かトラブルがあれば、それこそ道を歩いていて肩がぶつかったくらいのレベルのことで、言いがかりをつけられてきたのだろう。
だから、問題が起きたらすぐに相手に過剰なくらいに保障をしておく。わかりやすい形で“お詫び”をして、相手の口を塞いでおく。
そうしなければ、いつまでもいつまでも、言われ続けるから……。
そういったことが容易に想像できて、今度は別の意味で胸が苦しくなった。いや、痛むのは胸じゃなくて胃かもしれない。
孤独で、差別されて拒絶されて、どの√でも闇落ちしてしまったオルクスくんのことが、今改めてわかってしまった気がする。
「あの……お詫びはいいので、私と友達になってくれませんか!」
気がつけば、そんなことを私は言っていた。
どうやれば彼を幸せにできるかはわからないけれど、せっかく同じ世界にいるのなら、孤独にさせないことはできるかもしれないと考えたのだ。
オルクスくんは魔に墜ちたテネブラン氏の子孫だけれど、言ってみればそれだけだ。オルクスくん自身が何かしたわけではない。
だったら、彼をそんな理由でひとりぼっちのままにしておけるかって話だ。
「友達って、お前……僕がテネブラン家の人間だとわかっていて言ってるのか?」
「テネブラン家? あなたの名前がオルクス・テネブランだと言うことは知ってますけど、それが何か?」
「何かって……魔法にゆかりのない家の出身だとはわかっていたが、こうも物知らずだとは……」
私の発言を、物知らずゆえだとオルクスくんは思ったらしい。というより、私の名前から私の出自を調べたみたいだ。西部地方のかなり儲かってる材木問屋の娘だということを! マジで魔法に縁もゆかりもない家出身というのは、ちょっとばかし照れるものがある。
……そんなことよりも今は、本当にオルクスくんと友達になりたいということをきちんと伝えなくてはならない。
「物知らずだから友達になりたいって言ったわけじゃありません。友達になりたいからなりたいって言っただけじゃ、だめなんですか?」
説得……しようと思ったのだけれど、語彙力がなくてうまく言えなかった。これじゃ、ただの駄々っ子だ。でも、友達になりたいという気持ちに“なりたい”以上の理由はないとも思う。
「テネブラン家の人間とつるむメリットを見い出している……ということか?」
私の考えを読もうとしてそれがうまくいかなくて、オルクスくんは混乱しているようだ。でも、そんなことをしたって無駄だ。だって私はオルクスくんと友達になるということ以外、特に何も考えていないのだから。
「メリットって何? お詫びなんでしょ? なってくれるの? くれないの?」
「……僕を脅すとは、いい度胸だな。気に入った。友達、というのが何をする間柄なのか、知らないがな」
じれったくなって私が言うと、オルクスくんは戸惑って、それから抵抗するのをやめたらしい。やれやれと首を振って、あきらめた顔をした。
とりあえず、私は勝ったみたいだ。
「ひとまず、一緒に朝食を食べませんか? 友達って、そういうのでいいと思います」
嬉しくて、私はオルクスくんの手を引いて食堂まで駆けていった。




