22、次元も世界も飛び越えてきたんですよ
「……え、なに……?」
目を開けると世界は真っ暗で、外からゴォゴォという激しい風の音が聞こえて、「何これ? 台風?」というのが、私が最初に考えたことだった。
でも、ここは前世の日本じゃなくて、マジラカによく似た世界だ。だから台風じゃなくて嵐で、そのせいで停電しちゃったのかなとか思ったのだけれど、この世界は電気で便利な生活を作り出していない。
ということは、何かよくわからないことが起きているということだ。
「コレット、起きたの? 起こそうかどうか迷ってたのよ」
ベッドから出ると、みんな共有スペースに集まっているようだった。テーブルの上で、蝋燭が頼りなく揺れている。誰かがどこかで調達してきたのだろう。灯りの向こうでディーネさんが手招きしているのが見えて、私はそっちへ向かった。
「みんな起きてたの? ごめん、今まで寝てて」
「いいのよ。あなたはそういう呑気な子なんだから。でも、呑気なあなたが起き出してくるってことは、大変なことが起きてるのね」
「何かすごい音がしてるんだけど、嵐なの?」
「わからない。でも……普通の嵐ではないのは確かよ。魔法が、使えなくなってるんだもの」
ディーネさんに言われて、ようやく私も気がついた。なぜ日頃は見かけない蝋燭なんかがテーブルの上にあるのかといえば、魔法で部屋を明るくすることができなくなっているからだろう。
この世界には蝋燭やカンテラなんかの灯りはあるが、主には魔石に魔力を流して発光させるランプが主流だ。そちらのほうが明るいし手軽だということで、この魔石ランプは広く普及している。魔法学院内はおそらく、すべてがこの魔石による灯りのはずだ。
「ランプが壊れたとか、そういうのでないのは確認済み。みんな、杖を振っても呪文を唱えてもだめ」
「魔法が使えなくなってるってことなんだね……何でだろ」
「今、リリーが他の部屋や学院内がどうなっているのか確認しに行ってくれてる」
部屋の中を見回すと、確かにリリーの姿がなかった。こんなとき、日頃の彼女だったら悠々と眠っていそうだが、今日は違うらしい。
サンドゥヒロ魔法学院は、歴史ある由緒正しき学校だ。だからそのぶん、校舎も年季が入っている。
外の嵐はまるで、校舎を破壊しようとしているかのように、ゴォゴォと恐ろしげな音をさせていた。そんな音を聞きながら待つ時間は、ものすごく長く感じられた。こんなときは、何を話しても不安になってしまうものだ。それがわかるから、同室の子たちは誰も口を開かずに、リリーが戻ってくるのを待っていた。
「みんな、着替えて! もうすぐ先生たちが来て、避難することになると思う!」
どれくらい待ったかわからないが、ものすごく慌てた様子でリリーが駆け戻ってきた。寝癖頭そのままで、パジャマの上にローブを羽織っただけの姿だ。
「何があったの?」
「魔力嵐だって! 学院内の魔力の流れがぶっ壊れて、魔力が吹き荒れてる! だから自分たちみたいな未熟な魔法使いには制御不能で、魔法を使えなくなってるらしい。ランプが壊れたのも、簡易的な回路に大量の魔力が流れ込んだから制御装置が吹っ飛んだんだろうって!」
リリーは息も絶え絶えみんなに指示を出し、簡潔に状況を説明してくれた。余計な言葉がないぶん伝わりやすく、みんな素早く動くことができた。
「リリー、どういうこと? 魔力嵐って……初めて聞く単語なんだけど」
着替えながら、私はこっそりリリーに尋ねた。前世で「マジラカ」をガッツリプレイした私も知らない単語だけれど、シナリオライターであるリリーなら何か知っているかもしれないと思ったのだ。
物語終盤、いつも主人公であるシャニアたちを苦しめるのは、闇落ちしたオルクスくんだ。オルクスくんが魔力を暴走させたり、危ないものを召喚してそれと一体化させたり、とにかく破滅した彼が学院中を恐怖に陥れる。
でも、今回はオルクスくんは闇落ちなんてしてないし、魔力嵐という単語もこれまで出てこなかった。
「自分も初めて聞いた。でも、問題は中庭で起きてるらしいんだ。先生とか一部の上級生が騒いでる」
「中庭って、もしかして……」
「魔力嵐は、封印の像のあたりから吹き上がってるって話だ」
「……それって!」
リリーにとっても未知の事態のようだが、とりあえず大変なことが起きているのはわかった。そして、これがいわゆる物語の終盤の出来事だということも。
“中庭”、“封印の像”というのは、「マジラカ」終盤のエピソードに必ず出てくるキーワードだ。つまりこれは、主人公である私とオルクスくんに関わりがある出来事ということになる。
「……リリー、私、行ってくるね」
制服とローブに着替え終え、きちんと髪も結ってから私は言った。物語終盤なら、きっと彼も動いているはずだ。
「わかった。くれぐれも気をつけて……みんなを避難させたら自分も行く。加勢できるかはわからないけど、見届けたい」
薄暗い廊下に出て、私とリリーはそんなやりとりをした。私たちだからわかる短いやりとりを交わし、私は人混みの中へ、リリーはみんなが避難するほうへと走っていった。
オルクスくんならきっと、避難する人たちとは合流せず、どこかの窓から中庭を見ているだろう。そう思ってまだ避難せず廊下の窓から中庭を見守っているらしき人混みに近づいていくと、その中からオルクスくんが飛び出してきた。
「オルクスくん!?」
「コレットか……こんなところにいてはだめだろう! 早くみんなと避難しないと」
「オルクスくんだって! ……オルクスくん、絶対に逃げないだろうと思って、心配になって見にきた」
飛び出してきたオルクスくんは私の顔を見てほっとして、でもすぐに怒ったみたいな表情になった。
「僕は大丈夫だ。心配するくらいなら、まずはお前が自分の身の安全を確保してくれ。……これはうちの一族の問題なんだから」
最後のほうは小声で言ったけれど、私は聞き逃さなかった。
「一族の問題って……テネブラン氏のこと?」
「そうだ。この魔力嵐の奔流は中庭の……封印の像のあたりからだそうだ。窓から誰かが見たらしいが、像が壊されたみたいだ」
「それってつまり……封印が解けてしまったってこと?」
私が尋ねると、オルクスくんはそれに答えるのももどかしいみたいに頷いて、立ち去ろうとした。まるで全部、その華奢な背中に背負おうとでもいうように。
「待って、オルクスくん!」
「待たない! これは僕がどうにかすべきことだから。一族は、ずっとこういうときを待っていたんだ。……だから僕が、すべて終わらせる」
呼び止めても絶対に止まってくれる気配はないから、私は走るオルクスくんを追いかけた。ひとりで行かせられるわけがない。主人公が相手役の背中を黙って見送るなんて展開、認められるわけがないし、オルクスくん推しとしてもそんなのあり得ない。
「先祖の不始末は、子孫が片付けるべきなんだ。だからコレットはついてこなくていい」
私がついてくるのをやめないとわかると、オルクスくんは立ち止まって、厳しい声で言った。その顔には悲痛なまでの決意が浮かんでいて、それだけに痛々しかった。
こんな顔、十代の男の子がしていい顔じゃない。それに、好きな人にこんな顔をさせたまま黙って見送ることなんてできるわけがない。
「いや! なおさらついていく! だってオルクスくん、『一緒に幸せになる』って言ったもん!」
「それは平和なときの話で、こんな非常事態ではなかったから……」
「状況が変われば、覆っちゃうような言葉だったの? オルクスくんの気持ちは、その程度のものだったの?」
私が真正面から見つめると、オルクスくんはぐっと言葉に詰まった。
本当は、オルクスくんの言葉が軽くなんてないことはわかっている。友達もいらない、ましてや恋人なんて作る気はない、ずっと孤独でいいと思っていた人だ。そんな彼が、私と友達になることを選んだのも、好きだと言ってくれたのも、生半可なことではないとわかっている。
それでも、私のこの想いにはかなわないと伝えたかったのだ。
「私はね、オルクスくん。あなたのことが大好きで、あなたに幸せになってもらいたいってずっと思ってたんだよ」
次元を越えて、世界を越えて、あなたを幸せにしたいって気持ちだけでやってきたんだよ――その言葉を飲み込んで、私はオルクスくんに伝えた。
「私、簡単にやっつけられたりしないよ。だって、オルクスくんが幸せになれる道をずっと求めて来たんだから。あなたが幸せになるところを見るまで、絶対にあきらめない」
詳しいことはとても言えないけれど、この世界の誰よりもオルクスくんの幸せを願っていると言っても過言ではないと、私は胸を張って言える。だって、私はその想いひとつで次元と世界を乗り越えて、ここに転生したのだから。
そして私は運良く、この物語の主人公。私があきらめなければ、そこに道ができる。
私が駆け抜けていくと決めたら、その先に幸せな人生が待っているはずなのだ。
「……わかった。そんなに言うんだったら、一緒に行こう」
私の気持ちが伝わったのか、オルクスくんはキュッと結んでいた唇を開いて、それから笑った。蕾が綻ぶようなその笑顔を見れば、彼が安心しているのがわかる。
「ありがとう。共に在ることを選んでくれて」
誰かが灯したいくつかの蝋燭だけが照らす廊下は薄暗くて、ほんのりとしかお互いの姿は見えないけれど、オルクスくんが本当にほっとした顔をしているのがわかった。さっきまでの思いつめた顔より、やっぱり私はこっちのほうが好きだ。
前世でプレイしたどのルートでも見ることができなかった、このルートだけのオルクスくんの表情だ。
「じゃあ、一緒に行こう。――たぶん私、オルクスくんの役に立てると思う」
ふと気がつくと、ローブのポケットがうっすら光っているのがわかった。ポケットの中には、私の杖が入っている。取り出すと、やっぱり光っていたのは杖で、それを見れば私がまだ魔法を使えるだろうことが推測できる。
「……何で光ってるんだ? コレットは、魔法が使えるのか?」
「何でかはわかんないけど、そうみたい。魔法下手だし、みんなとは違うからかな」
主人公補正の話なんて絶対できるわけがないんだから、私はそんなふうに言って曖昧に笑うしかできなかった。
でも、私の魔法が失われていないことは大きい。補正でも何でも利用して、絶対にこの事態に打ち勝つんだという気力が湧いてくる。
オルクスくんと頷き合って中庭に向かおうとしたとき、何か小さなものが勢いよく飛んできた。それは私のすぐそばで急ブレーキをかけたように止まり、オルクスくんの肩にくっついた。
「プルート! お前、ついてきちゃったのか……みんなと一緒に避難しろって言ったのに」
飛んできたのはオルクスくんの使い魔のプルートで、白くてふわふわの長い体をオルクスくんの首に巻きつけて絶対離れないという意思表示をする。「きゅうきゅう」と鳴く声は必死で、一生懸命気持ちを訴えているようだ。
「プルートも、一緒に行くって。プルートはオルクスくんが大好きだし、物語のクライマックスに相棒が不在じゃ、かっこつかないでしょ」
気持ちを代弁してあげると、プルートは肯定するように鳴いた。それからまた頬ずりをして、オルクスくんに置いていかないでと必死に伝えているようだ。
オルクスくんはその背中を愛おしそうに撫でて、それから心を決めたようだ。まだ幼獣とはいえ、プルートは大事な使い魔だ。一緒に行くしかないと判断したらしい。
「仕方ないな。一緒に行こう」
「うん! 私たち、どこに行くにも一緒だよ!」
覚悟を決めて、私たちは中庭に向かって走り出した。