21、雨降って地固まる…にはまだ早かったみたいです
ドキドキしながらオルクスくんについて行ってたどり着いたのは、中庭の奥にある女神像だった。
この世界では複数の神々が担当を分けて世界を作ったとされていて、この女神は森と春を司るとされている。
私は森が豊かな西部地方出身だから、この女神様に馴染みがあるけれど、なぜ神々のひとりに過ぎない彼女の像が魔法学院の敷地の中にあるのかはわからない。
「僕にとって、春の女神はとても大切なものなんだ。だから、コレットと一緒に祈りたかったんだ」
「そうなんだ……連れてきてくれて、ありがとう」
オルクスくんにとってなぜ女神が大事なのか、ゲームをプレイした私にもわからないことだ。きっと、リリーが前世でシナリオを執筆した新章をプレイすれば明かされることなのだろう。
隣を見るとすでにオルクスくんは両手を組んで祈っていて、話しかけられる雰囲気ではない。だから私はオルクスくんにとって女神が何なのか気になりつつも、彼にならって祈った。
まずは、今日も変わらず世界が豊かで平和であることのお礼を述べて、そのあとはオルクスくんの人生が幸せでありますようにと願う。
オルクスくん||《推し》の幸せは、私の幸せだから。……今はただの推しじゃなくて、私の彼氏だし。
しばらく祈っていると、クスッと笑われて私は慌てて目を開けた。隣を見れば、オルクスくんが眩しいものでも見るかのように目を細めている。オルクスくんの肩に乗ったプルートも、ご機嫌で尻尾をパタパタしていた。
「熱心に祈っていたな」
「うん。だって、嬉しいことがあった朝だから、神様にお礼を言いたくなって。それと……オルクスくんがこれからも幸せでありますようにって祈ったの」
私の言葉に、オルクスくんはびっくりしてから、照れるような笑みを浮かべた。
「僕もだ。……僕に初めてできた大切な人が、これからも健やかで幸せでいてくれますようにって、祈った。それから、コレットと出会わせてくれてありがとうって」
「オルクスくん……」
ゲーム本編の数々のルートで、主人公シャニアたちと敵対することで破滅してきたオルクスくんが今、幸せそうに微笑んでいる。そのことに私は胸がいっぱいになった。彼を幸せな気持ちにさせているのが自分の存在だということも、ものすごく嬉しくなる。
世界に疎まれ、世界を憎んで命を散らすことが多かったオルクスくんが、この世界に生きることに喜びを見い出してくれている。
それを隣で実感して確実に今、幸せな人生に向けて進んでいるのだと、しっかり感じることができた。
「じゃあ、そろそろ戻ろうか。朝食を摂らないと」
「あ、そうだね」
ただ中庭で女神像に祈っただけなのに、二人で一緒にいられることが嬉しくて、まだここにいたいと思ってしまった。でも、朝食を摂らないわけにはいかないし、授業にだって出なくてはいけないから、二人並んで歩きだした。
校舎に戻るとき、ちらっとオルクスくんが英雄像と、封印されたテネブラン氏の像を見たのがわかった。
毎日、この学校にいればどちらの像も目にする。それを見てオルクスくんがどんな気持ちになっているのかわからないけれど、楽しくはないだろう。
そんなことを思うと、オルクスくんが抱えているものを少しでも軽くしてあげたいと思うものの、なんて切り出したらいいかわからないまま歩いて、食堂に到着してしまった。
「……え? なに?」
食堂につくと、何だか一斉に周囲の視線が刺さった気がした。みんなが私を、隣のオルクスくんを見ている。プルートなんて驚いて、「きゅっ」と鳴いて尻尾を丸めてしまったほどだ。
「うまくやったんだな。おめでとう、コレット」
リリーが近づいてきて、ニヤリと笑った。その顔を見れば、大体は予想ができた。
「先ほどノーマンから聞いたのだが、君たちは交際しているのだな。それを知らず、昨日は距離を誤った接触の仕方をしてすまなかった」
「え、あ……うん」
ネプトがそばに来て、そんなことを言って頭を下げてきた。それを聞けば予想が確実だったとわかる。
「リリー、何でその、つ、付き合ってるとか周りに言っちゃうの!?」
「えー、だって、付き合ってるって周りに知らせてないからこじれるんだろ? オルクスとコレットは両思いなんだから、みんながそれを知っておくのはいいことじゃん」
小声で言ったのに、リリーに大きな声で言い返されてしまった。そのせいで、周りはうんうんと頷いている。
そして攻略キャラたちが、オルクスくんの周囲を取り囲んだ。
「気持ちはわかるけどさ、あんま独占すんなよ。付き合ってる男のせいで交友関係狭くなるとか、不幸だろ」
と、心配そうなイグニスが言った。
「俺はプロセルともテネブランとも仲良くしたいと思っているから、今後もよろしく頼む」
と、ソリが真面目な顔で言った。
「あーあ。可愛いコレットちゃんをテネブランくんに取られちゃった。でも、愛でる自由はあるだろ? これからも俺は可愛いコレットちゃんを見守っていくよ」
と言ったのは、今日も相変わらずセクシー担当のベントだ。
他の人たちも、暖かな空気で私とオルクスくんを見守ってくれている。内心で「なんだこれ」って思ったけれど、これがいわゆる補正なんだろうなと理解した。
乙女ゲームの攻略は、スタートの段階でお目当てのキャラクターを選べるものもあれば、ストーリーを進める上で好感度を上げていってお目当てのキャラクターを攻略できるようルートを分岐させていくものもある。後者の場合、ルート分岐が確定するまで好感度が競り合っているキャラクターがいると、確定後に分岐しなかったほうのキャラクターとの関係が恋モードから友情モードに落ち着くようにできていることが多い。
だから目の前のこの攻略キャラたちの反応の変化は、いわゆる友情モードに落ち着いたのだろうと推測できる。
つまり、私はオルクスルートで確定したのだ。他のキャラたちの横やりは入らなくなったのだから、あとは一番いいエンディングを目指して進んでいけばいいのだろう。
自分が新章の主人公だとわかったときは、ヒロイン補正が嫌だなと思っていた。でも、特定の相手ができたとわかると全員が身を引いてくれ、周囲も暖かく受け止めてくれるというのはいいものだ。これが現実だったら、絶対に揉める。
「みんなにとってコレットが大切なように、僕にとっても大切な人だ。だから、絶対にひどい扱いはしない。誰よりも優しくするし、一緒に幸せになる」
これまでずっと黙っていたオルクスくんが、静かに口を開いた。一語一語、心を込めて言っているのがわかるから、聞いていて胸がじんと熱くなった。
何より嬉しくなったのは、彼が私のことを「幸せにする」とは言わなかったことだ。「一緒に幸せになる」という言葉を、これまで孤独に生きてきたオルクスくんが口にできたことが、彼の内面の変化を感じさせて愛しくなる。
もうきっと、大丈夫だ。闇落ちすることはないと思う。
「ちょっとー。コレット、感激して泣いてるの?」
胸がいっぱいになって思わず涙ぐんでしまったら、すかさずディーネさんに見つかって突っ込まれた。それを聞いて、みんなが笑った。
朝の食堂は、私たちの話題で持ちきりで、くすぐったくなるような空気で満たされて、すごく幸せだった。
だから、その中でシャニアがどこか昏い目をしてこちらを見ていたことになど、気がつかなかった。
***
月明かりが照らす夜の中庭に、何者かの人影があった。
その人影は月光に金の髪をなびかせ、ある像の前までやってきた。
手には、魔法使いに欠かすことができない杖を持って。
気ままな夜の散歩かと思いきや、どうやらそのような明るい雰囲気ではないらしい。その横顔は、思いつめたように厳しい表情を浮かべている。
「こんなものがあるから、みんな不安なんだよね」
金の髪の少女は、そう言って魔物を封印しているという像に対峙している。
魔法を追い求めるあまり、自らが魔に堕ち、人の道を外れた魔法使いの末路。その姿を模した像だと思われているが、実際は魔物と化したかつての魔法使いを抑え込むために英雄が魔法で石化したものだ。
そんなものが魔法学院の中庭にあることが、この少女は許せなかった。
ここは魔法使いを目指す若者が集う学び舎で、学び舎に射すべきは光だ。
光があれば闇があるのは当然のこととして、だからといって闇を、学院の暗部を、こうして中庭に晒しておく必要はないだろう。
それに、封印という中途半端な状態なのもいただけない。
どうせならきちんと退治して、この世からすっかりなくしてしまうべきだと少女は思う。
暗い部分なんてなくなれば、いつもみんな安心して過ごせるはずだ。それに、こんなものがあると偏見や悪い考えが蔓延るのだ。だから、なくしてしまわなければならない。
「あたしが、みんなを守るの」
少女はそう言って、杖を構えた。
狙いを定めるのは、封印の像だ。
「世界を救うのは、変えるのは、あたしじゃなきゃいけない」
少女は詠唱しながら、杖の先で宙に魔法円を描く。
それは高度な、まだ春に入学したばかりの彼女が使えるようなものではない。
だが、一言一句の間違いもなく呪文を唱え、寸分の狂いなく魔法円を描いていく。
「最近、みんな変なの」
描いた魔法円が魔力を受け止め、暗がりの中で光り始めた。その中心から、大きな光線が生み出される。光線は、勢いよく封印の像めがけて進んでいった。熱と衝撃波でもって、像を根本からなぎ倒していく。
「だから――きっとこれで元通り」
しばらくは抗うようにそこにあろうとした像だったが、容赦なく浴びせられ続ける光線にやがて砕け、千切れ、崩壊していった。もとは像だったものは粉々に砕け散り、粉塵が風に吹き上げられるようになってようやく、少女は魔法円に魔力を流し込むのを止めた。
彼女の考えでは、これでうまくいくはずだった。
だが、封印の鎮めを解かれた地面からは、猛烈な力が噴き上がったのだった。