20、特別だって伝えたいんです
「ようやく認めたか……よかった。もしオルクスが失恋するようなことになったら、マジで世界が滅びるんじゃないかと思ったもんな」
私がオルクスくんを好きだと認めたことで、リリーはすごくほっとしたみたいだ。でも、そんな彼女の口から出た言葉が不穏すぎる。
「え? 世界が滅びるって何? そういえば、食堂でネプトに絡まれたって言ってたけど、オルクスくんはどういう反応したの?」
ムッとしたり拗ねたりというところは見たことがあるけれど、オルクスくんが怒るのは想像できなくて、私は尋ねた。でも……闇落ちした彼のことはよく知っているから、怖いだろうなということはわかる。
「いや、暴れたり言い返したりはしない。あいつ、基本は穏やかというか、感情が凪いでるだろ? だから、声を荒らげることなんてなく、静かなもんだったよ。でも、じっとネプトを見てたよ。あの紫水晶みたいな目で。それがかなり凄みがあって、何か怖いことが起きる気がして、自分が慌てて止めたんだけどさ……」
何も言い返さず、ただ静かにネプトを見つめたというオルクスくんを想像すると、確かにそれは怖かった。理詰めで知的に攻めるネプトですら、そんなふうにただじっと見られたのでは二の句が継げなかっただろう。それに、あの美しい顔に静かな怒りが浮かぶのがどれだけの凄みを持つのかも、「マジラカ」を何度もプレイしてきた私にはわかった。
「……もしかして、今日攻略キャラたちと一緒に講義を受けてしまったから彼らの好感度は上がって、それを見たオルクスくんの好感度は下がってしまったのかな? もう、闇落ちしてしまう?」
せめて講義のあとで逃げ出したりせずにきちんと話をしていればと、私は今更後悔した。私のあの態度がオルクスくんを傷つけ、闇落ちへと近づけてしまったのだとしたらどうしようと考えてしまう。
「闇落ちは、まだしてないと思う。それに、コレットだって悩んで傷ついてたんだから、今日のことでオルクスが闇落ちするならあいつの勝手だ。この世界でみんな生きてるんだ。選択肢が出てくるわけでもセーブができるわけでもないんだから、もし何かあったとしてもそれを自分の行動のせいだって責めるなよ」
不安になって震える私の肩を、リリーがそっと叩いた。この世界はゲームに似てるけれどゲームじゃない――リリーが言いたいことはわかるけれど、やっぱりそれでも怖いし、全く責任を感じずにはいられそうになかった。
「闇落ち云々は気にする必要はないけど、単純にオルクスとの関係を好転させたいなら、早めに誤解は解いておくべきというか、はっきり気持ちは伝えといたほうがいいと思うけどな。他のキャラが押せ押せで来てコレットがそれを拒みきれずにいたら、たぶんあいつは気を使って距離を取るからな。距離を取られる前に、ちゃんとしといたほうがいいんじゃないのか?」
「ちゃんと、しとく……?」
首を傾げる私に、リリーが目つきを鋭くした。その「わかってるんだろ」という視線に、私は居心地が悪くなる。
「告白っつーか、コレットの気持ちは伝えておくべきなんじゃないかってこと。近づいてくる男たちより何より、オルクスが特別なんだって伝えるんだよ」
「それって、告白と変わらないじゃん……付き合ってくださいって言ってるようなもんじゃん……つ、つ、付き合ったら、何したらいいの?」
「自分がフラレることなんか微塵も想定してないあたり、結構主人公ムーブかましてくるな。……オルクスが喜ぶことをしてやればいいし、コレットがしてほしいことをしてもらえばいいんじゃないのか?」
「そっか……推しと……推しと付き合う、うぅ……」
コレット・プロセルとしても、前世の自分も、恋には慣れていなかった。コレットはまだ十五歳だから仕方がないけれど、前世の自分の記憶の中に恋愛らしい恋愛なんてものがないということがあまりに情けない。
十五歳の私はまっさらな気持ちでオルクスくんのことが好きだということだ。だから、もだえて、もがいて、最善の答えを探していくしかない。
「どうしたらいいかわかんないけど、とりあえず、あなたが特別だって伝えてみ……んん!?」
リリー相手に決意表明をした矢先、突然顔を何かに覆われた。柔らかくてふかふかの何かだ。
「プルート!? あなた、オルクスくんの使い魔の」
慌てて顔から引き剥がし、リリーが杖の先に灯してくれた明かりで見てみると、それはイタチによく似たふわふわの、オルクスくんの使い魔のちびドラゴンだった。
「こいつ何?」
「毛足が長いドラゴンの幼生だって。オルクスくんの使い魔で、プルートっていうの」
「へえ……ってそいつ、手に伝書蜂持ってる」
「えっ」
しげしげとプルートを見つめていたリリーが、小さな前足が金属製の蜂を掴んでいることに気づいた。それは間違いなく伝書蜂で、蜂はその足に手紙の筒を持っていた。
オルクスくんの伝書蜂をオルクスくんの使い魔が捕まえているということは、その伝書蜂が持っている手紙は、オルクスくんからのものと考えて間違いないだろう。
「て、手紙もらうの、そういえば久しぶりかも。……今日のこと怒ってて、絶縁状とかだったらどうしよ」
「夜中に手紙で絶縁してくるような男なら、面倒くさいからやめとくんだな」
「そ、そうだね」
リリーの呆れのような励ましのような言葉に後押しされ、私は伝書蜂から手紙を抜き取り、それを開いた。
そこには、少し神経質そうないつものオルクスくんのきれいな文字で、『昼間は気分を害させてしまったようですまない。もし腹が立ったり不安だったりして寝付きが悪いようなら、そいつを貸すから一緒に寝るといい』と書かれていた。
ただそれだけのことなのに、胸がじんと熱くなって、強張っていたものがほどけていくようで、何だか泣きたくなってしまう。
「オルクス、何だって?」
「プルートを貸してあげるから、一緒に寝たらいいって」
「え、いいな。柔らかそう」
リリーがうらやましそうに言うと、プルートは離れるものかと私の肩に乗り、その尻尾を首に巻きつけてきた。すりすりと頬ずりするその仕草から、プルートの愛情が伝わってくる。まだ会うのは二度目のはずなのに、この子はすごく私を好いてくれている。
「……素直になれない自分の代わりに、ストレートに愛情を表現できるペットを派遣したってわけか。いたわりのつもりなんだろ。返事を書いて、すぐに蜂に持たせてやったら?」
「うん、そうする」
プルートからオルクスくんの私への気遣いが感じられて、私はその柔らかい体をギュッと抱きしめた。それから静かに部屋に帰って、伝書蜂に持たせる手紙を書いた。
伝えたいことはたくさんある。でも、蜂に持たせられる紙の大きさや重さは限られているから、小さな紙に『プルートをありがとう。話したいことがあるので、明日の朝 中庭で』とだけ書いた。
話したいことがあるのは、本当のことだ。でも、何を話せばいいのかは、まだわかっていない。好きだと言えばいいのか、付き合ってと言うべきなのか、それとも……寝台の中でそんなことを考えているうちに、だんだんと眠くなってきていた。まだ起きていたいとオモウノだけれど、プルートの優しい柔らかさとあたたかさは、そんなの無視して容赦なく眠りの世界へと連れて行ってしまった。
そして迎えた、朝。
いつもはなかなか起きられなくてディーネさんたちの手をわずらわせてしまうのだけれど、今朝はすっきり起きられた。
寝台から起き出して着換え、身支度を整えて、まだ眠そうにしているプルートを抱いて部屋を出た。
早朝というほど早くないけれど、まだ誰も起きてきていない朝の世界はいつもと違って見える。この時間だと朝露がまだ中庭の芝に下りているのだとか、昼間は咲いている花がまだ眠そうに閉じているのだとか、そんなことを知ることができる。
恋をすると世界が変わって見えるというのは、こういうことなのかもしれない。
前世の記憶があるせいか、この胸のときめきは不思議な感覚だ。キャラクターのことならすぐに「あ、今、心が動いたな」「フラグが立ったな」なんてことがわかるのに、自分のこととなると、わかるのにわかりたくないような、違うような、そんな言い訳がましい気持ちになってくる。
でも、そんなふうにあたふたして自分の心から目をそらすのはやめようと思う。
確かに私は前世の記憶を持っているけれど、今はコレット・プロセルとして生きているから。
オルクスくんを救える唯一の存在としてここにいるというのもあるけれど、私は私として、幸せになる権利と義務があるのだ。
「コレット、おはよう。昨夜はよく眠れたか?」
「オルクスくん! うん、プルートのおかげで、すごくよく寝られたよ」
「そうか。それならよかった」
朝早くだっていうのに、オルクスくんは普段通りピシッとした格好で、眠そうだったりだるそうだったりしない、隙がない様子だ。
それに、昨日あんなふうな帰り方をしたのに、怒っているとか不機嫌だとかいうことがない。朝早くの呼び出しに応じてもらえるし、あんな態度を取ったのに許してもらえるくらいには、私はオルクスくんに好かれているのだなと確認できる。
というより、私はこの人から優しい視線を向けられていると思う。自惚れではなく。
「話があると言っていたが……何だろうか」
少し緊張した様子で、オルクスくんが切り出してきた。その緊張を感じ取ったのか、私の腕の中にいたプルートは、飛んでいってオルクスくんの肩に乗った。そうやって身構えさせてしまっているのは、やっぱり昨日あんな帰り方をしてしまったからだろう。
見るからに怒って帰ったやつが「話がある」なんて呼び出してきたら、それは構えるよなぁと反省して、私は急いで言葉を探した。
「あの……昨日はごめんなさい。あんな感じで帰ってしまったから、すごく気分を害させてしまったと思って」
「いや、僕のほうこそいきなりあんなふうにお前を扱ったから、嫌な気持ちにさせてしまっただろうと思って……一晩反省した」
「そんなこと! あれは本当に助かりました。ああでもしないと、あの人たちから逃げるのは難しかったと思うし」
「それでも、一言断りを入れてからにするべきだった。すまない……」
私が謝りたいのに、謝ることでオルクスくんにも謝らせてしまって何だか噛み合わない。
ちゃんと伝えなくてはいけないというのは、きっとこういうことなのだろうなと実感をともなって理解できた。
言葉にして、立場を、気持を、はっきりさせておかなければこうやっていつまでもスレスレのところですれ違ってしまうのだ。そのすれ違いをそのままにしておいたらきっと、いつか大変なことになってしまう。……その大変なことがオルクスくんの破滅や世界の崩壊であってほしくないから、恥ずかしいし不安だけれど、気持ちを伝えなくちゃいけない。
「ちゃんと謝りたかったっていうのもあるんだけど、話したいことは別にあるんだ」
「そ、そうか。何だろうか」
切り出してみたものの、二人とも構えてしまって仕方がない。自分のことなのに、むず痒くてうずうずしてしまうけれど、私は心の中で自分に活を入れて、言葉を紡いだ。
「私が話したいことっていうのは、その……オルクスくんは私にとって特別だよってことなの。最近になって、いろんな人が私の周りに集まってきて、私に興味があるようなふうに振る舞うけど、私の好きな人は……大事な人は、オルクスくんだってことを伝えたくて」
どうすればうまく伝わるだろうかと思いながら言ってみると、オルクスくんの表情がさっと変わった。頬にわずかに赤みが差し、紫水晶のような瞳が期待に揺れるのがわかった。
この人はこんな顔をするのかと、私の言葉がこんな表情にさせたのかと、ふわふわした気持ちになる。
でも、オルクスくんはその期待を振り切るみたいに表情を引き締めた。
「お前が僕のことを好きなのも、特別扱いしてくることも知っている。リリーとの仲には負けるかもしれないが、コレットの一番の友達だっていう自負はあるさ。だから、他のやつらと親しくしたって嫉妬したりしないから安心しろ」
表情を引き締めたオルクスくんは、少しつらそうだった。これは、何かを一生懸命あきらめようとする顔だ。
きっと、これまでの人生で何度も何度も、何かをあきらめてきたのだろう。
それがわかるから、絶対にこんな顔をさせてはだめだと思った。こんな顔をさせないためには、もっとはっきり言葉にしなければならないのだろう。
「ち、違うの! 確かにオルクスくんは大事な友達だよ。でも、私が言いたいのはそういうことじゃなくて……友達としてじゃなくて、もっとずっと特別に好きってこと! 私、オルクスくんが好きなの!」
思いきって言ってしまうと、オルクスくんの顔が真っ赤になった。
それを見れば、きちんと意味が伝わったのがわかる。戸惑わせているのか、好意的に受け止めてもらったのかまでは、まだわかりかねるけれど。
「こ、これは、別にオルクスくんにどうこうしてほしくて言ったんじゃないの。でも、いろんな人がそばに寄ってくるのを見て、勘違いしてほしくないなって思って……好きなのはオルクスくんなんだってことを、伝えておきたかったの」
これまでオルクスくんは、いろいろなものをあきらめてきた人だ。友達を作ることも、誰かと一緒にいることも、きっと恋をすることだって。
そんな人なら、誰かからの好意を受け取るだけでいっぱいいっぱいだろう。だから今は、気持ちを知ってもらう以上のことは望まないと、そう伝えるつもりだったのだけれど。
その考えに反して、オルクスくんはそっと私の手を握って、まっすぐに見つめてきた。
「僕も! ……僕も、コレットが好きだ。友人としてももちろんだが、その……より特別な存在として。だから、他の男たちがお前に興味を持つと嫌だった。でも、お前が僕を特別と言ってくれるなら……これからは少しは余裕を持って振る舞えると思う」
「オ、オルクスくん……」
これがゲームだったら、絶対にこれはスチルだと思うくらい幸せなシーンだった。
あのオルクスくんが、誰かを好きになって、その上相手に素直に気持ちを伝えられたのだ。
しかも、その相手が自分自身だなんて、前世では考えられなかったことだ。
画面越しに見ているときは、付き合いたいだなんておこがましいことは考えなかった。ただ幸せになってほしいと、そうひたすらに願っていた。
でも、同じ世界で生きている今は、オルクスくんの隣で彼が幸せになるのを見届けたいと思っている。私自身の手で、少しでも彼を幸せにしたいと思っている。
だから、こうしてお互いの気持ちが同じなことを確認できたのはすごく嬉しい。
「僕とコレットの思いが一緒だったのが、夢みたいだ。それで、その……思いが通じ合ったということで、一緒にしたいことがあるのだが……」
私の手をギュッと握ってオルクスくんは言う。
そのいじらしい仕草といい、見つめてくる視線といい、これはもしかして早速デートか何かのお誘いではないのかと、私は一気に期待してしまった。




