2、まずは状況確認です
ピンクブラウンの髪に、若草を思わせる鮮やかな緑の瞳。つり目でもたれ目でもなく、ぱっちりとしているものの眼力はない、そんな目だ。鼻も口もこれといった特徴はなく、可愛いけれど全体的にもっさりしている――それが、手鏡を見た感想だった。
先ほど頭をぶつけて生前の記憶を取り戻したため、今度は逆に“コレット・プロセル”としての記憶のすり合わせが必要になっていた。それで手始めに自分の姿を確認するために鏡を見たというわけだ。
聞いたこともない名前のキャラクターだからモブなのは確実だろうけれど、そこまでがっかりはしていない。むしろ、推しと同じ世界に生まれ変われた以上の喜びはない。
それに、「マジラカ」のキャラクターデザインを担当した「焼き魚カルパッチョ」先生の生み出したキャラクターなだけあって、モブとはいえ可愛いと思うのだ。前世はザ日本人な地味めの顔だったから、控えめでもお人形みたいなこの顔は気に入った。
オルクスくんに連れてきてもらった入学式を行うための大講堂の席に着いて、私は手鏡をのぞき込んでご機嫌になっていた。
顔がそこそこ可愛かったというのも嬉しいけれど、何よりの喜びはこの制服だ。
立ち襟の首元がすっきりとした白のブラウスに共布でできたリボンタイ、黒のボレロ丈のジャケットにハイウエストのミディアムフレアスカート。そして裾とフードの縁に金糸で美しい縫い取りが施された濃紺のマント。
「マジラカ」の制服は乙女ゲーム界の中でも特に可愛いと言われているもので、私も正直言って着てみたくてたまらなかった。
でも、コスプレイヤーでも何でもないしがない会社員に二次元の制服を着る勇気も機会もなかった。だから、こうして今着られていることが嬉しい。
推しと同じ世界に生まれ変わっただけではなく、可愛い制服を着てそこそこ可愛い顔をして新しい人生を歩んでいくなんて、モブにしたって上々じゃないか――そんなことを、考えていた。
次の瞬間までは。
「遅れてすみませんっ!」
そんな声と共に、大講堂に駆け込んでくる人の姿があった。
なびく金の髪を見て、私はすぐにそれが誰だかわかった。
シャニアだ。「マジラカ」の主人公、シャニア・ヒロイスだ。
ゲーム本編では主人公にはボイスがついていないため、シャニアの声を聞いたのは始めてだけれど、さっき聞いた自分の声より圧倒的に上位なのがわかる。
乙女ゲームの主人公に声がつくのは、ドラマCDかアニメになるときくらいだ。そして、中堅どころの声優さんが声をあてることが多い。
あまりキャリアのない人がキャスティングされた日には、ネットでファンが大荒れするし、荒れないファンも不安な気持ちで過ごす。そしていざドラマCDやアニメに向き合っても、雑念が多すぎて入り込めないこともある。
しかし、このシャニアの声は心配無用だ。坂○真○や堀○由○クラスの安定した可愛い声だ。約束されし勝利の声帯だ。間違いない。大丈夫。「マジラカ」ファンとして、私は思わずガッツポーズした。
「馬が……馬に乗って来たんですけど、その子が言うことを聞かなくてっ。すみません」
シャニアは可愛い声で、一生懸命に謝罪する。蜂蜜色の目を焦りと緊張で潤ませて、大講堂全体へ視線を向ける。
でも、ここではこの行動が悪目立ちしてしまうのだ。遅れたにせよ大講堂にたどり着けたのだから、黙って静かに後ろのほうの席にでもついておけばよかったのだ。
ヒロインゆえに、初登場で目立たなければならないのはつらいよな……と思ったプレイ当時を思い出す。
「そうか、大変だったな。どこでもいいから席に着きなさい」
みんなの前でペコペコしていたシャニアをたしなめた人物を見て、私は驚いた。
水色がかったサラサラの銀髪に、目があった人を射抜くような青い瞳。爽やかな風貌が人気だった攻略キャラのひとり、ネプト・ウォルターだ。
彼はヒロインと同じ新入生で、家柄の良さと成績優秀さから、新入生代表の挨拶をするのだ。
それは今まで何度もやった共通√と同じなのだけれど、さっきのセリフとやりとりには違和感があった。
「は、はい。すみません……」
ネプトに促され、シャニアは慌てて近くの席に座った。
本当ならここは、ネプトにもう少し優しく声をかけられるはずなのだ。でも、今のは何というか、塩対応だ。
これは言ってみればヒロインであるシャニアとの初めての出会いの場面で、プレイヤーにとってもネプトというキャラクターを知る最初の機会だ。それがこんなあっさりとしたものでいいのだろうか。
何だかモヤモヤしてしまったけれど、そこからは入学式があまりに華々しすぎて、そんなことを考える余裕はなかった。
ネプトの挨拶が終わると、そこからは上級生や先生たちによる魔法のデモンストレーションが行われた。
何人かの上級生たちが箒に乗って現れると、大講堂内にカラフルな紙吹雪を降らせ、先生たちがそれを風で吹き飛ばすと光の粒となって天井に星空が出来上がった。
その星空の下をシャボン玉に入ったふわふわのネコがやってきて、壇上にたどり着く。たどり着くとシャボン玉が割れ、中から校長が現れるのだ。
何度も「マジラカ」をプレイして、入学式のことは知っているつもりだった。でも、知っているのと自分で見るのとではまるで違う。
本物の魔法は、すごくキラキラしている。間近で見ると、わくわくしてくる。プレイするたびに、自分も魔法を使ってみたい、魔法のある世界で生きてみたいと思っていた。
だから、今この場所にいることが本当に幸せで、これからの生活が楽しみで仕方がなかった。
とはいえ、気にならないことがないわけではない。
入学式の日に、シャニアは攻略対象であるキャラクターと、そこそこ印象に残る出会いを果たすはずなのだ。それなのに、それらの出会いは何かがおかしかった。
式が終わって大講堂から出たすぐのところの花壇でも、パンを求めに行った購買部でも、鳥のさえずりを追って迷い込んだ薬草園でも、シャニアと攻略対象は出会うには出会っていたのだけれど。
花壇では、ガタイがよくて寡黙なソリ・ガイアというキャラクターと出会う。植物の世話が好きな彼が水やりをしているところにシャニアが通りかかって濡れてしまう、というのがシナリオだったのに、シャニアは水を回避し、「きれいなお花ですね」と言って通り過ぎただけだった。
購買部では、燃えるような赤髪と喧嘩っ早さが特徴のイグニス・フレイというキャラクターとローストビーフサンドを巡って争うという出会いの仕方をするはずだったのに、イグニスがベーコンポテトサンドに手を伸ばしたことでその争いが回避されてしまった。シャニアとイグニスは一瞬互いを視認したかもしれないけれど、言葉を交わすことはなかった。
薬草園に迷い込んだときも、鳥の声を追いかけ迷いすぎて、気がつけば飛び出してしまっていた。軽やかな風のように軽薄で女好きなベント・ウィンディアというキャラクターの出会いを果たすはずなのに、それを見事にスルーしたのだ。鳥を夢中で追いかけるあまり、彼女はベントに「そこの小鳥ちゃん」と声をかけられたのが聞こえなかったらしい。
私は、シャニアと彼らの出会いのシーンの“スチル”をゲットしたくて、ばっちり目撃しようと頑張ってついて回っていたのに……。
画面を通して彼らを見守るプレイヤーではなくモブになった今は、スチルとなりうるとびきりの場面を見ようと思ったら、シャニアを追いかけ回すしかないのだ。
だから、大講堂を出てからずっと必死について回っていたのだけれど、見られたのはそんなニアミスばかりだった。入学式のネプトとのやりとりに始まり、一体どういうことなのだろう。
それに……肝心のオルクスくんとの出会いのシーンにいたっては、なかったのだ!
入学式の夜、生徒それぞれに割り振られた寮の部屋を抜け出してシャニアが裏庭で星を見ているときにオルクスくんと出会うはずだった。
しかし、彼女は部屋から抜け出すことなく、すやすや眠っているらしい。寮の玄関で張り込んでいれば大丈夫だろうと思っていたのにいつまで経っても来ないから部屋に行ってみると、ルームメイト曰く光の速さで眠りについたとのことだ。
というわけで、モブ転生一日目からなかなかに大変だった。
どうなってるんだヒロイン!